20 関東大震災(1923)
1923年9月1日……和暦なら大正十二年九月一日。俺、中浦秀人は運命の日を後の皇居、このころの呼び方だと宮城の本丸で迎えた。
本丸があるのは、後に皇居東御苑と呼ばれ一般にも公開されている場所だ。そのため俺も、大正時代に来る前に何度か見学している。
平成の世だと本丸は広い芝生が広がり、建物は桃華楽堂や売店がある程度だ。それに城らしきものは天守台……遥か昔に天守があった基礎の石積みしか残っていない。
しかし今は中央気象台の施設が天守跡や周辺に設けられ、南側の端近くには正午号砲台も置かれるなど実用にも供されていた。それに皇宮警察の官舎などもある。
ちなみに本来の歴史だと、中央気象台は今年の元旦に麹町区元衛町に移った。後の気象庁の近く、竹橋会館あたりである。
しかし俺達は関東大地震の観測に使おうと、本丸の施設も残した。これは移転した施設が火災に巻き込まれるかもしれないからだ。
元の歴史だと新たな中央気象台は焼失するが、宮城は堀に囲まれているから火災を逃れる。充分な対策をしたとは思うが、万一を考えて元の施設も併用することにしたのだ。
「午前十一時五十分です!」
皇宮警察官の一人が、緊張も顕わな声を芝生の上に響かせる。
関東大地震の発生は午前十一時五十八分三十二秒ごろ、つまり十分足らずで大災害が起きる。そこで俺も含め、既に殆どが屋外に出ていた。
大震災の死者の一割以上、およそ一万一千人は建物の倒壊で亡くなった。しかし地震の瞬間を外で迎えれば、これは防げる。
そこで三年前に、毎年9月1日を防災の日に設定した。今年も全国で避難訓練をしているし、南関東や静岡県の東部など被害の激しかった地域では事前に安全な場所まで避難させた。
更に火災が起きるかもしれない地域は、対象範囲外まで移動させている。東京市区内や横浜市の中心部に残っているのは軍人や警察官、それに消防関係者など極めて一部のみである。
津波や山崩れも同様で、被害が出るだろう地域では朝から大規模な移動をしていた。
ここ関東大地震対策本部も、地震学者の今村明恒博士を始めとする研究者達や政府や軍の要人、それに皇族の方々も広々とした芝生の上だ。
歴史通りなら多くの省庁は火災に巻き込まれ、機能を完全に停止する。そこで俺達は前日からガスを止めて今日はタバコすら禁じたが、念のため火災に襲われる心配のない宮城に対策本部を置いた。
本丸から北桔橋門を抜けた場所、後の北の丸公園は近衛師団司令部だ。そのため軍を動かすにも都合よいし、城があったくらいで地盤もしっかりしている。
それに天守は無いが他より高いから、状況の把握にも向いているだろう。
「摂政殿下、エドワード殿下、こちらへお願いします」
首相の原敬が、皇太子殿下とイギリスのエドワード王子を案内してきた。本部を預かるのは首相自身なのだ。
九月初日の昼近く、天幕くらい張りたいが倒れたら困る。そこで椅子に腰掛けた殿下達には、侍従などが日傘を差しかけていく。
「ご苦労」
「ありがとう」
皇太子殿下、つまり後の昭和天皇は摂政宮だ。そのため大正天皇に代わって本部に臨席してくださる。
エドワード王子は静養を理由に日本に長逗留しているし、皇太子殿下とも親密な仲だ。そこで万一のことがあってはいけないと招いた。
実は地震を避けて関西に移ってもらおうかと思ったが、ぜひとも立ち会いたいと本人が望んだのだ。
「秀人様……」
「大丈夫ですよ。備えは万全、何も案ずることはありません」
心配げな智子さんに、俺は笑顔を作りつつ応じた。
対策には間に合わなかったものもあるし、不充分だと感じるものもある。しかし、もはや人事を尽くして天命を待つといった状況だ。
ここまで来たら不安など押し隠し、婚約者を励ますべきだろう。そう思った俺は、敢えて自信満々に振舞ったのだ。
「そうだな。発火しかねない危険物は廃棄か遠方に運んだ……それに帝都や近辺の燃料備蓄も最小限、工場も操業停止させている」
「協力的で助かりました。これだけ大掛かりな準備だから、殆どの者は何かあると考えたのでしょう」
閑院宮載仁親王と、セバスチャンこと隠密の瀬場須知雄。二人も悠揚たる態度のままだ。
やはり平常心が一番と思ったのだろうが、会話で気を紛らわしているようにも感じる。
他も似たようなものだ。
普段は明るく社交的なエドワード王子も表情が硬く、皇太子殿下との話も途切れがちらしい。お付きのマウントバッテン卿は、頻繁に懐中時計に目をやっている。
双方とも普段の英国紳士らしさなど、どこかに行ってしまったようだ。
「もうすぐ地震が……」
「大丈夫ですよ」
皇族には女性や幼い子もいるから、ますます大変だ。
ちなみに大正天皇は元の歴史と同様に、御病気のため日光で静養中だ。更に一部の皇族には関東から離れてもらった。
これは宮内省から、最悪の事態でも皇統を保てるよう分散していただくべきという意見が出たからだ。
「暑いですな」
「いや、全くです」
こちらは四国同盟のうち二国、米仏の大使だ。
二人は頻繁に汗を拭っているが、半分以上は冷や汗かもしれない。どちらも地震の少ない土地の出身だから、大使でなかったら家族と共に帰国したいのではないか。
「風が強いですね」
「台風が通過しましたから」
英国大使のエリオットさんや彼の補佐官を務めているヘーグさんは、強風を気にしている。
周囲では木々の枝が随分と揺れていた。気象台の観測員によると、現在は南南西から風速12メートルだという。
この台風による強い風が、火災の延焼を広げた最大の要因だ。風速がある上に台風の移動に伴って風向きが変化したから、火が様々な方向に散ったのだ。
「これは微振動でしょうか?」
「いいえ、違うかと……」
アインシュタイン博士を始めとする外国から招いた碩学達も落ち着かないのか、地震計に向いたり研究仲間と話したりと慌ただしい。どうも針は揺らいでいないらしいが、機器を見つめる者は何らかの兆候を発見しようと目を皿のようにしている。
「電波や地磁気に変化はありませんか」
「はい、現在の技術で前兆を捉えるのは難しいようです。神奈川県や伊豆に派遣した者達が、何か掴んでくれたらとは思いますが……」
日本を代表する頭脳達も同様で、理化学研究所の大河内所長や寺田寅彦博士なども普段の冷静沈着さは欠片も残っていなかった。
1921年の竜ヶ崎地震も前震の一つだというが、今年に入ってからは茨城県東方で三百回近い群発地震もあった。この群発地震は規模が小さく被害の出るようなものではないが、他にも大島が噴火したり井戸が枯れたり温泉が濁ったりなど異常現象はある。
これらの現象は関東大地震と関連しているだろうが、具体的に大地震発生の時期を予測できるものではない。そのため科学者達は、電波や磁気なども含めて詳細に記録していた。
言い方は悪いが、まさに数百年に一度の機会である。そのため理研では、なるべく多くの事象をデータ化しようと取り組んだのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
「四十秒! 一、二、三、四!」
「……来た!」
皇宮警察官が四と叫んだ直後、俺は揺れを感じ始めた。
俺が学んだ歴史だと中央気象台や東京帝大の地震計が初期微動を記録し始めたのが午前十一時五十八分四十四秒、その通りの時間だ。そして十数秒が過ぎたとき、大地ごと振り回されるような激烈な揺れが起きる。
「智子さん!」
「だ、大丈夫です!」
俺は智子さんへと手を伸ばす。そしてすがりつく彼女と共に長い揺れを耐え続ける。
そして一分少々が過ぎたころ、大きな音が鳴り響く。
「正午の号砲!」
「に、日本の方は地震に慣れているのですね!」
驚嘆の声はイギリス大使のエリオットさん、そして驚愕の叫びはフランス大使のクローデル氏である。
大揺れの最中にも関わらず、号砲係は自身の職務を果たしたのだ。
これは本来の歴史でもあったことで、クローデル大使は本国宛の外交書簡に書き記している。
元のままならクローデル大使は麹町区飯田町一丁目、後の千代田区九段南一丁目にあるフランス大使館で関東大地震に遭遇した。そのとき彼は二分ほども続いた本震の最中に正午の号砲を聞いたのが記憶に強く残ったようで、二十日ほど後に送った被害状況や現状の報告に加えた。
もっとも歴史は変わったから号砲係が同じ人物とも限らないし、地震があると知っていれば多少は落ち着きもするだろう。
ちなみにフランス大使館だが、元の歴史でも耐震補強を施しており窓ガラスを含め全て無事だったという。それに同じく補強をした旧舘も、屋根瓦や漆喰が落ちた程度で耐えたと記していた。
クローデル大使は文学者だから少々大袈裟な表現をしたかもしれないが、この時代の建築でも適切な処置をすれば大地震自体は乗り切れるのだ。
しかし崩壊を免れても、猛火に包まれた建物は多い。つまり火災対策の結果次第、どのくらい発生を抑えられるか、そして延焼を防げるかだ。
「まだ火の手は……くっ、最初の余震か!」
「こ、これが東京湾の!」
俺と智子さんは周囲の目など忘れて強く抱き合った。再びの揺れは、女性なら立っていられないほどだからだ。
本震はマグニチュード7.9から8以上とされている。加えて震源に諸説あり更に複数あったと主張する者もいるが、相模湾や神奈川県西部などと東京から離れていたのは間違いない。
それに対し最初の余震、十二時一分台の揺れはマグニチュード7.2だが震源が東京湾北部だ。そのため本震と同じく震度6以上、しかも直下型だから突き上げるような揺れで始末が悪い。
一般に建築物は横揺れより縦揺れに弱いらしい。しかも本震の横揺れでガタが来たところに縦揺れだから、ますます被害が増えたのだろう。
「もう一回、大きな揺れが……」
「来ました!」
二回目の余震は十二時三分台、俺と智子さんは抱き合ったままやり過ごす。しかし今度は倒れるほどではない。
今度は震源が本震と同じあたりで遠く、しかもマグニチュード7.3と規模が小さい。
マグニチュードが2増加するとエネルギーは千倍になる。したがってマグニチュードで0.6小さければ、エネルギーは約八分の一なのだ。
おそらく二回目の余震は、ここだと震度5程度だろう。俺が中学生のころ自宅のある横浜で経験した平成二十三年東北地方太平洋沖地震、つまり東日本大震災のとき感じた揺れと近い。
「お、お母さま!」
「大丈夫ですよ!」
女性や未成年の皇族には涙すら浮かべている方もいた。
何しろ本震発生からだと四分を超えているし、今まで経験したこともない大地震である。肝を冷やすのは当然、パニックにならないだけ立派というべきだ。
しかし世界の終わりもかくやという大揺れも、ついに収まった。
「智子さん、無事に乗り切りましたね」
「は、はい……」
俺が笑みを向けると、智子さんも顔を綻ばせる。大きな安堵からだろう、彼女の瞳は微かに潤んでいた。
まだ被害状況も不明だし、火災次第でもある。本来の歴史だと死者の九割近くは火災によるもので、これからが重要だ。
しかし別邸の倒壊で命を落とすはずだった智子さんにとって、今を生きているのは非常に大きな意味を持つ。それに宮城は焼けないから、この後も含め関東大震災を乗り切ったも同然である。
「ヘーグ、おめでとう」
「私は助かったのですね……」
英国大使のエリオットさんも、ヘーグさんと笑みを交わしている。ヘーグさんは横浜の領事館で死ぬ運命だったが、悲劇を回避できたからだ。
「これでヘーグさんとの約束も果たせました」
「横浜でお世話になったのでしたね」
俺と智子さんは密かに囁きを交わす。
この時代にタイムスリップしたとき、俺はヘーグさんを頼った。彼が関東大震災で命を落とすと知っていたから、自身を庇護してくれたら災厄を回避する術を教えると持ちかけたのだ。
「ええ。それに御家族も宮城前広場だから、安全です」
俺は智子さんに頷き返す。
ヘーグ夫人や子供達は、後の皇居外苑に避難している。新宿御苑や赤坂離宮、それに兵営地や練兵場なども含め、倒壊や火災に巻き込まれる恐れのない土地は避難場所に使われているのだ。
もっとも、これらに二百万人ほどもいる東京市民の全てを押し込むのは無理だ。そこで多くは郊外に避難してもらっている。
東京市の西部は火災もないし、区部の外は開けたところが多く避難に適している。東部だと上野公園や日比谷公園なども使うが、こちらも東や北の郊外へと移動してもらった。
これは横浜なども同様だ。横浜では港に関内、山手などから防災関係者以外を退去させている。
「後は火災をどこまで食い止められるかです」
俺は東の空へと顔を向ける。本来の歴史だと東京で火災が激しかったのは東部だからである。
消防署員に加え、軍人や民間からの志願者。避難場所以外にいるのは他に警察官くらいで、勝手な帰宅は禁じている。そのため焼死者も最小限に抑えられるはずだ。
元の歴史だと焼失の99%以上は東京府と神奈川県の都市や大きな町に集中しており、これらが焼け野原と化したから日本の政治や経済は大打撃を受けた。逆に言えば、この被害をどれだけ減らせるかで日本の運命は大きく変わるだろう。
それらを思い浮かべつつ、俺は智子さんと共に東の空を見つめ続けた。
「秀人、ありがとう。後は我らに任せてくれ」
「ええ、中浦様はお嬢様を守ってくださいました」
載仁親王は皇族とはいえ元帥陸軍大将だから指揮に携わるし、セバスチャンも配下の隠密達と共に情報収集や世論の誘導に励む。それに対し、俺や智子さんは状況を見守るのみだ。
「では、このまま仲良く過ごされてください」
「はい……」
「セバスチャン、ありがとう」
セバスチャンの声や言葉には、僅かに冷やかすような響きがあった。しかし智子さんは恥じらいを示したものの離れず、俺も微笑みと共に感謝の言葉を返す。
三年近い時間は、俺達の間に確かな気持ちを育んでくれた。もはや形式だけではなく、心から将来を誓い合った仲である。
そのため抱擁こそ解いたが、俺は智子さんと寄り添ったままだった。
◆ ◆ ◆ ◆
俺や智子さんは、それからの数日の殆どを対策本部で過ごした。今日も仮設の天幕の下、青空の見える場にいる。
宮城も門などは崩れたが、宮殿そのものに大きな被害はなかった。それに東京市の中心にあるから、本丸を対策本部として使い続けたのだ。
このころの宮殿は、1888年に完成した明治宮殿と呼ばれる木造建築だ。外見は和風だが中は洋風の場が多い、和洋折衷様式である。
ちなみに俺が知っている歴史では、第二次世界大戦末期の空襲で全焼する。木造だけあって、火災からは逃れられなかったのだ。
宮城は、被災者救済にも使われている。
本来の歴史でもあったことだが、吹上御苑が開放され炊き出しも行われた。それに宮城前広場なども同様に、多くの被災者を迎え入れた。
やはり被害を完全に抑えることは出来ず、大災害というべき状況ではある。しかし随分と被害を減らせたのも確からしい。
ラジオ放送の開始を早めたのも役に立った。避難所にも鉱石ラジオによる受信機を配ったから、流言飛語や暴動も防げたのだ。
それに他の地方にも正しい情報が伝わるから、物資の提供や救援隊の到着も早い。
「耐震措置が功を奏し、建物の全壊は半分ほどで半壊は四割程度のようです。しかも焼失は大幅に減り、全てを合わせると建築物の損失は四分の一ほどでしょう」
セバスチャンの言葉が示すように、地震対策は充分に機能した。
ちなみにセバスチャンを含め主だった者には、本来の歴史での被害を早くから伝えている。激甚な災害だと伝えなければ動いてくれないし、どのような策を打つべきかも分からないからだ。
「素晴らしい成果だな。もっとも、この思いを分かち合えるのは極めて僅かでしかないが」
載仁親王は少しばかり残念そうだった。とはいえ大仕事を成し遂げたという喜びも大きいようで、表情は穏やかである。
事前の都市改造は充分な結果を残した。
道路を拡幅し、火除地を多く設け、消火用ポンプや消防車を多数造って配備する。莫大な手間と金を投じたが、それに見合う結果となったのだ。
もちろん有効に活かした人々のお陰だが、俺も大正時代に来てからの殆どを費やしたから素直に嬉しい。
「火元が大幅に減ったのが大きいですね。避難済みだから煮炊きもなく、工場や鉄道は停止……ガソリンなども事前に使い切って保管は最小限にするよう指導した甲斐があります」
「うむ。火薬や劇薬も揺れの少ない場所に移すか、破棄できるものは事前に処分……ガス灯も既に廃止済み、そもそもガス自体を止めたからな」
セバスチャンと親王は、火災対策を振り返っていく。
このように八月末からの東京は、文明開化以前に戻ったような有様だった。しかし、これが一番有効な策なのだ。
俺が知っている歴史だと、焼失での住宅被害は東京府が十七万以上、神奈川県が三万五千ほど。それに対し千葉県は四百少々と極めて少ないし、伊豆半島を含む静岡県は僅か五件だという。
震源からの距離も影響していると思うが、近代化した東京や横浜に比べると千葉や伊豆には火元となるものが桁違いに少なかったようだ。
「なんと死者は二十分の一以下、五千人を下回ると思われます」
セバスチャンが言うように、人的被害は大幅に抑えられた。
元々九割近くが火災による被害者、これに倒壊などに巻き込まれた人を合わせると97%を超えていた。したがって極めて乱暴に表現するなら、災害の発生する場から遠ざければ良いだけなのだ。
「防災担当の殉職、そして火事場泥棒か。前者は遺族に手厚く報いるとして、後者はな……」
親王の表情は少々苦かった。
強権発動で危険区域から避難させたが、消火作業のために残った人も当然いる。消防署員に軍人、そしてボランティアとして加わった人々だ。
延焼を防ぐため消火作業は必要不可欠で、殉職者をゼロにするのは不可能だ。そのため顕彰や遺族年金で感謝を示すしかないだろう。
しかし後者が予想外に多かった。実は死者の大半が何らかの理由で避難しなかった者で、その多くは空き巣狙いだったようだ。
強制避難だから忘れ物を取りに戻るなど不可能、病人や自身で動けない者も運んだし当日の朝には各戸を回って調べもした。しかし空き巣狙いの者達は、それらを巧みに回避して都市に潜んだ。
結果は自業自得、多くは命で支払うことになったし他も警官達に捕縛された。しかし親王は、もう少し良識のある行動を期待していたようだ。
「恥知らずのお陰で少々増えましたが、それでも大成果です。何しろ無策のままだったら十万人以上が亡くなったのですから。……この事実を発表できないのは残念ですよ」
セバスチャンの頭には、不満分子対策があるようだ。
推測含みの概算だと住宅被害が九万棟以上、死者行方不明者が四千五百を超えているという。これは本来より遥かに少ない被害だが、桁外れの災害には違いなく不平不満は生じている。
しかし未対策なら住宅被害は四倍、死者は二十倍以上である。これを知れば文句も出ないだろうが、そのまま公開するわけにはいかない。
「後に研究結果として発表していただくから、それで我慢するしかないね」
「今村博士や理研の大河内所長が準備なさっています。公表は随分と先ですが……」
俺に続いたのは智子さんだ。最近の彼女は俺の秘書として働いてくれ、先ほど博士達が来たときも同席していたのだ。
未対策の場合の被害だが、どういう根拠で導き出したか示す必要がある。そこで今村博士や大河内所長は、俺が知っている数字になるように各種の要因を並べ立てて理論武装する。
ただし現在は地震から数日、このような仮説を作っている暇はない。研究者達も地震自体の解析に忙しく、かなりの人数が各地を巡って調査しているからだ。
そこで発表は年末か年明けなど、ある程度の時間を置いてからにした。もし本当に研究するなら、どんなに粗い試算でも一ヶ月やそこらは必要だから当然ではある。
「はい。それに、この程度なら想定の範囲内ですし今後の計画に差し支えるほどではありません」
「そうだな。陛下や殿下も御決断なさった……それに宮内省も動き始めている」
途中から声を潜めたセバスチャンに、載仁親王も同じくらいの囁き声で応じる。
大地震から一週間弱、これから復興という状態だ。しかし被害は大幅に削減でき、俺達の望んだ結果に極めて近い。
そこで俺達は、予定通り次の段階に進むことにした。ただし、これは軽々しく口に出来ることではない。
「きっと上手く行きますよ。英米仏の三国も賛同してくれるよう手を打ちましたから」
俺は大地震の日を思い浮かべる。
三人の大使、そして随員達。いずれも俺が予言した通りの結果に、大きな驚きを隠さなかった。
それから数日、三国は被害状況を知って更に驚嘆を示す。彼らは震災対策がなければ何倍もの被害になったと理解したのだ。
この驚きがあったから、各国は日本の次の手を認めるしかない。それに最終的には、英米仏も歓迎する結果になる。
「その日が楽しみですね」
智子さんも承知だから顔を綻ばせる。
晴れ渡った空では、太陽が燦々と輝いている。まるで震災を乗り越えつつある人々を祝福しているように。
そのためか俺は大きな勝負に出るにも関わらず、不安を感じなかった。そして俺は語らいを続けつつ、更なる繁栄を迎えた日本を思い描いていた。
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