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21 変革(1923)

 1923年10月半ば、関東大地震から約一ヶ月半が過ぎた。

 まだ震災の傷は癒えていないが、それでも人々は徐々に普段の生活に戻り始めている。それも、本来の歴史より随分と早く。


 まず震災対策により人的被害は二十分の一、住宅被害は四分の一ほどとなった。しかも都市部の被害を大きく抑えている。

 東京府を例に挙げると、八十万戸を超える全住宅のうち二十万戸が失われるところを三万戸の損失に抑えた。元の歴史だと東京の被害の八割以上は火災だったが、火元を減らし延焼を防いだから被害が大幅に減ったのだ。

 そして住宅と同じく工場も相当な数が残った。これら無事な設備が多くの品々を生み出すから、復興は更に加速する。

 また多くの命が助かった事実は、人心安堵にも繋がった。元の歴史に存在した流言飛語や暴動、私刑じみた凶行は殆ど聞かない。

 やはり心の余裕があれば、人は節度を保てるのだろう。そのような状況だから治安維持令も穏当な内容で済み、弾圧などの公権力の横暴も防げている。


 英米仏の同盟国を始め、海外からも多くの支援が寄せられた。

 元の歴史でもアメリカは最も手厚く大規模な支援をしたそうだが、同じように最大の救援者となってくれた。エドワード王子が滞在していることもあり、イギリスの支援も手厚い。こうなるとフランスも劣ってはならじと奮発する。

 もっとも新たな歴史の方が支援しやすいという事情もある。多くの国が東アジアの大陸権益を維持しており、拠点もあれば逗留中の軍艦も多いのだ。


 そのようなわけで、このころになると以前の生活に復帰した人も多い。そして俺、中浦(なかうら)秀人(しゅうと)も元のように閑院宮(かんいんのみや)家の離れにいた。


「お茶、如何(いかが)でしょうか?」


「お嬢様が淹れたお茶、美味(おい)しいに決まっています。……そうですね、中浦様?」


 今は昼食後の一時、テーブルの向かい側には婚約者の智子(ともこ)さんが座り、俺の隣にはセバスチャンこと隠密の瀬場(せば)須知雄(すちお)が立っている。これも震災前と変わらない。

 ただし室内は俺を含めた三人のみ、智子さん担当の使用人達は下がっている。これは関東大震災から智子さんを救った事実と、今まで間違いを起こさなかった実績からのようだ。

 要するに、もはや監視は不要ということらしい。この邸宅の中であれば、セバスチャンすら外すことも多くなった。


「もちろん。……いつもの場所で飲む、いつも通りの美味。ありがたいものです」


 俺はセバスチャンに頷き、智子さんに微笑む。

 いつも通りというのは建物も含んでだ。閑院宮邸も元の姿を保ち、この離れも少々漆喰(しっくい)が剥がれた程度、室内も前と殆ど同じである。

 俺が閑院宮邸で暮らし始めたのは1921年1月、つまり大地震の二年九ヶ月近く前だ。それだけの時間があれば、充分な対策を施せる。

 支柱を追加して軽量な屋根瓦に()き替え、このあたりに火は回らないが壁も耐火素材で塗り直した。その甲斐あって、邸宅は大震災など嘘のように変わらぬままだった。

 しかし新たな段階に入った俺達が交わす言葉は、当然ながら以前と異なる。


「セバスチャン、世論はどうだ?」


「上々です。震災対策が無かったらどうなったか浸透したのが大きいですね……。それに皆、皇太子殿下のお蔭と噂しています」


 俺が話を振ると、セバスチャンは満足げな声で語り始めた。

 本来の関東大震災は死者行方不明者が十万五千人、住宅被害が三十七万戸だった。しかし対策が実って前者は五千人以下、後者も十万戸未満に収まった。


 もちろん元の歴史は極秘にしているが、半月もすると本当なら何倍もの被害だったのではという声が上がり始めた。

 これは隠密達が噂を流したからだが、震災に遭遇した者の多くや検分に訪れた学者達も自発的に言い始めた。正確な数字はともかく、対策で被害が大幅に減ったのは誰の目から見ても明らかだったらしい。


「当初は被災者対策に不満を(こぼ)す者もいましたが、今では殆ど耳に入りません。テントに布団、そして食べ物など……あれだけ用意した上に被害削減に尽力したと知れば、感謝の念が湧いて当たり前です」


「喜ばしいことですね。秀人(しゅうと)様達の努力が分かってもらえたのですから……。もちろんセバスチャンも、ご苦労さまでした」


 セバスチャンの声や表情は、皮肉の色が強かった。しかし智子さんも十七歳、女子学習院高等科にも進学したくらいで出会ったころとは違う。

 無難な答えを、柔らかな笑みと涼やかな声で飾る。智子さんは貴婦人らしい対応をし、更に(ねぎら)いの言葉まで添えた。


「ありがとうございます。……ともかく我々の思惑通りに進行中、皇太子殿下の声望は増す一方です。大地震を予言したのは殿下……そう匂わせた甲斐がありました」


 セバスチャンが触れたように、関東大震災の被害を軽減できたのは皇太子殿下の力としていた。

 ただし明示はせず、あくまで噂を流したり(ほの)めかしたりに(とど)めている。国内のみを考えるならハッキリさせて更なる好感度稼ぎをしたいところだが、海外を視野に入れるなら曖昧なままが良い。

 黙っておけば相手は幻惑されるし、万一のときは言っていないと切り抜けられる。それに詳細を告げない方が、勝手に想像を膨らませてくれるものだ。


「陛下と殿下は賛成してくださった。それに皇族会議にも根回しした。後は枢密院か……()()の妨げになる可能性があるのは」


「はい……」


 三人のみにも関わらず、俺は声量を最小限に絞る。セバスチャンも同じで、彼の(ささや)きは室内でも少し遠かったら聞こえないのではと思うほどだ。


 陛下が皇太子殿下に譲位する……つまり新たな天皇の誕生だ。元の歴史と同じ元号を予定しているから、本来より二年早い1924年から昭和時代となる。

 もちろん、計画通りに進めばだが。


「新たな大戦が来る前に、新体制を作り上げる。しかし陛下のご健康が危ぶまれるようでは……そうでしたね?」


 既に幾度も話し合ったことだが、智子さんは俺に問いかける。

 智子さんは俺の秘書として働いているから、今後の計画も全て伝えた。しかし現陛下に退位いただくわけだから、畏れに似た思いが湧いてくるのだろう。


 明治二十二年に定めた皇室典範では、退位を禁じている。

 第二章の踐祚(せんそ)即位では「第十条 天皇崩スルトキハ皇嗣即チ踐祚シ祖宗ノ神器ヲ承ク」としか定めていない。つまり崩御のみが代替わりの条件とされているのだ。

 しかも皇室典範は大日本帝国憲法とも同格の法とされ、合わせて『典憲』とも呼ばれる。そのため『不磨(ふま)の大典』と呼ばれた後者と同じで、変更不可とされた。

 実際に僅かな増補があったのみで、本体そのものは昭和二十二年まで変わっていない。


 そして今は制定から四半世紀以上が過ぎている。つまり智子さんからすれば生まれたときからの掟、それも明治天皇……大帝と呼ばれた名君が定めたものだ。

 これで躊躇(ためら)いが生じない方が不思議だろう。


「はい。大戦のように別格の国難を乗り越えるには、正すべきことがあります。そのとき国を(まと)めていただくには、やはり摂政では不充分……。そのため代替わりが必要なのです」


 俺は大きく頷き返す。統帥権を振りかざす(やから)を防ぐには、必須の措置と示すために。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 大日本帝国憲法の第十一条には「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」とある。つまり文面通りに読めば、天皇こそが軍の総司令官だ。

 また第十二条には「天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム」と記され、予算編成の最終決定権も天皇にある。そのため第十一条と合わせて解釈するなら、天皇自身が軍を動かし予算も決めることになる。

 しかし実際には天皇親政ではなく事実上の責任内閣で、しかも内閣総理大臣の下に陸海軍の大臣がいる。もちろん天皇自身が軍を率いることなど、大日本帝国憲法の時代にはない。


 この矛盾が『統帥権干犯問題』と言われる事態を引き起こした。

 首相や外相が他国と軍事条約を結んだとき、軍部にとって都合の悪いものなら『統帥権を持つ天皇陛下を差し置いて』と批判する。しかも平成の世と違い、言論に留まらず暗殺やクーデターという実力行使に出るから始末が悪い。

 更に軍部は政治操作に有効だと見るや、統帥権を錦の御旗として暴走した。極論すると、大日本帝国憲法の不備が第二次世界大戦での敗北と悲劇を生んだわけだ。


 ならば憲法改正を……というのは簡単だが、例の『不磨の大典』という言葉が示すように大日本帝国憲法は神格化されており修正は極めて難しい。

 実際、元の歴史だと昭和二十二年に日本国憲法が施行されるまで一度も改正されなかった。もっとも日本国憲法も更に長く改正されておらず、俺がタイムスリップした時点では現行憲法で世界最長だったはずだ。

 したがって変更されない理由は戦前の体制や時代と無関係で、『法外の法』や『言外の言』で動く日本人の性質の表れかもしれない。


 おそらく憲法改正は、天皇の名で動かすしかないだろう。少なくとも最後は『陛下の御決断を』となるはずだ。そして『御決断』が摂政に許されるのか……俺は(はなは)だ疑問であった。

 したがって、このままでは三年少々を座して待つことになるし、歴史は変わったから更に長いかもしれない。陛下が口にされるものや過ごし方だって変わるだろうからだ。

 その間に軍国化が進行したら、と俺は憂えたのだ。


「譲位に関してですが、原案策定の時点ではありました」


 セバスチャンは表情を消し、声も平板で感情の窺えないものにしていた。『天皇家の(しのび)』が主の退位規定を語るなど僭上この上ない、ということだろうか。

 もっとも後に『高輪会議』と呼ばれる一幕なら、俺も良く知っている。俺がタイムスリップした2017年4月では、既に譲位に関する規定が生まれようとしていたからだ。


「そう、あの有名な『高輪会議』で削除されたんだ。……当時の宮内省図書頭(ずしょのかみ)井上(いのうえ)(こわし)などは容認論だった。しかし総理大臣伊藤(いとう)博文(ひろぶみ)が一蹴した……」


 俺は平成時代で学んだ逸話を振り返る。

 明治二十年三月二十日、伊藤博文は高輪の自宅で会議したとき『天皇が不治の病になっても摂政を置けばよい』と言ったそうだ。これは天皇と上皇の争いが国を割る大乱に繋がりかねないからで、明治二十二年六月刊の『帝国憲法皇室典範義解(ぎげ)』にも記されている。

 確かに本来の歴史でも、昭和初期に陸軍皇道派が画策するなど、自分達にとって都合の良い天皇をという動きはあった。もし上皇がいれば復位を持ちかける者が出るかもしれない。


 しかし死病となった場合に限るなど、立案者達もそれらを想定していた。

 原案では『天皇ハ終身大位ニ当ル但シ精神又ハ身体ニ於テ不治ノ重患アル時ハ元老院ニ諮詢シ皇位継承ノ順序ニ依リ其位ヲ譲ルコトヲ得』と、そう簡単には退位できない仕組みにしていた。

 これは実際に施行された皇室典範の摂政を置く場合も同様だ。つまり最初は摂政を置き、一定期間後に回復が見込めないなら譲位、譲位したら復位は認めない、という制度でも良かったはずだ。


「次の代で摂政が置かれ、更に二代連続で生前退位が取りざたされる……。まさか伊藤博文も、こうなるとは思わなかっただろうな」


 俺の呟きに、智子さんとセバスチャンは黙したままだった。

 二人や閑院宮(かんいんのみや)載仁(ことひと)親王には既に伝えており、驚いたのではないだろう。おそらく畏れ多いという思いに加え、俺が表情すら変えずに生前退位と口にしたからか。


 それはともかく、明治二十年代に二十世紀終盤や二十一世紀の医学レベルを想像するのは不可能だ。

 しかし長命な人であれば、明治の終盤から昭和が終わるまで存命であってもおかしくない。そう、今の皇太子殿下……後の昭和天皇のように。

 奇しくも昭和天皇の崩御は1989年、大日本帝国憲法および明治の皇室典範が施行された百年後だ。つまり最晩年の治療に使われたのは、憲法制定時からすると百年先の医療技術である。

 あくまで想像上の話だが、八十歳を超える高齢でも天皇の責務を果たす姿を知ったら、流石の伊藤博文も譲位制度を認めたのではないか。


「一刻も早く憲法を改正し、無謀な戦争を望む(やから)を制すべき。そのためには譲位を実現し、少しでも早く動き始めたい。既に歴史は変わり、いつ何が起こっても不思議ではないから……」


 まず俺は、国内の変化を思い浮かべる。

 関東大震災では十万人もの人命を救えたが、これは本来なら存在しない十万人が歴史を動かす仲間に加わったことを意味する。これだけ大きな差があれば、東京や関東どころか日本全体が全く違う方向に進むかもしれない。

 それに震災以前の変化だが、現在も首相は(はら)(たかし)だ。首相が違えば政策だって変わるだろう。


 東アジアに関しては、俺が知る歴史と完全に異なる。

 ワシントン会議による分割で、本来より小さな中華民国と幾つもの周辺国になった。そのため、どこから戦の火種が生じるかなど予想できるはずもない。

 ただ日本が関係する満州に関しては、しばらく平穏かもしれない。満州民族は独立を喜び、清朝最後の皇帝溥儀(ふぎ)を受け入れたからだ。

 ちなみに(ちょう)作霖(さくりん)は日米合同軍に破れた。彼は漢民族だから侵略者とされ、日米合同軍は解放者として歓迎されたのだ。

 張が率いる奉天派は満州民族のゲリラにも襲われ、彼は安眠すら出来ずに最期を迎えた。したがって1928年の爆殺事件は発生するはずもない。


 一方ヨーロッパだが、今年に入ってからは震災対策で手が回らなかった。そのためフランスとベルギーによるルール占領は、多少時期がずれた程度で現実となる。

 八月はドイツでシュトレーゼマン連立内閣が成立、イタリアがギリシャのケルキラ島を占拠。九月はスペインでプリモ・デ・リベラ軍事政権が成立。そして来月には、ドイツでレンテンマルクが発行される。これらも元と変わらない。

 つまりヨーロッパにおける歴史は大きな違いがなく、第二次世界大戦への要因は同じ速度で積み上がっていると解釈すべきだ。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「……ともかく出来ることをしよう。大戦が起きるにしても、新たな体制で迎えれば乗り切れるはずだ」


 俺は希望混じりの言葉を紡いでいく。

 未来など分からなくて当たり前だ。それに今でも予測に使える知識は多数あるし、日本と遠い地や関係の薄い国なら元と殆ど変わらないだろう。

 つまり、まだ俺には大きなアドバンテージがある。だいたい今までが恵まれすぎだったのだ。


「はい。混乱を乗り切ろうというのに、国を率いる側が混乱していては話になりません。まずは指揮権を明確にして内部抗争や暴走を防ぐ……それだけでも生き残る確率は大きく上がるでしょう。後は細かな改善を重ね、僅かずつでも可能性を高めて備える。……至極当然のことですが」


 セバスチャンの声は穏やかだが、言葉の端々から熱意が感じられる……ような気がした。そして彼の主張、あらゆる事柄に真摯に挑んで道を切り開けという言葉は、俺の胸に深く染み入る。

 当たり前のことだが、その当たり前を地道に重ねていくのが、王道であり本当の戦い。確かにそうだと、俺は頷く。


「きっと大丈夫です。今までも秀人(しゅうと)様は不可能を可能にしてきましたもの」


「いえ、それは私が未来を知っていたからで……」


 智子さんの激励に、俺は反射的に謙遜混じりの言葉で応じた。強い信頼と真っ直ぐな称賛を面映ゆく感じたからだ。


「分かっていても挑まず諦める方もいます。それに挑んでも最善の結果を引き寄せる方は少ないでしょう。これまでの成果は秀人様の努力があればこそ……教わっただけでどうにか出来たものとは思えません」


「……ありがとう」


 重ねての褒め言葉を、俺は素直に受け取った。

 及ばぬところも多いが、足りぬならこれからの精進で補うのみ。それでも足らなければ彼女のように支えてくれる人々の力を借りよう。助け合って復興へと歩んでいる人達のように。


 震災で瓦礫と化した建物の大半は、ごく普通の住宅だった。

 省庁や準ずる重要施設は優先して耐震補強したし、富裕層も金を惜しまず自身の邸宅や社屋を守った。それに一般の住宅も震災対策で都市改良をした区画など、公的な補助で建て替えたものもある。

 しかし残りは自助努力となった。そのため対策が施されず、大地震を迎えた家屋も多かったのだ。

 津波や山崩れで家を破壊された者もいる。これらも急ごしらえの防波堤や擁壁では幾らか被害を減じた程度だから、被災者がゼロになるわけもない。


 そんな状況だが、多くの人は力強く前に進んでいる。助けの手を差し伸べる人もいる。彼らは出来ることをし、少しでも良い未来を引き寄せようとしている。

 避難所や再建中の街では、励まし合い融通し合う姿を無数に目にした。人々は再び地震が来るのではという恐怖を抱えつつも、今日を生き抜いて明日を勝ち取ろうとしていた。

 幾らかはセバスチャン達が流した噂、地震は静まったという予言……やんごとなき方が得たという皇太子殿下との関係を匂わせるもの……が効果を発揮したからだろう。しかし仮に予言がなくとも、同じように行動したと思わせる確かな強さがあった。


 それ(ゆえ)、俺は思う。彼らを誇りに思いつつも、負けてはいられないと。


「それでは枢密院についてだが、坐漁荘(ざぎょそう)のお方も……誰か来たのか?」


 話を戻そうとした俺を、ノックの音が(さえぎ)る。

 使用人の前では話せないから、俺は口を(つぐ)む。そして智子さんと共に、扉へと向かうセバスチャンの背を見つめる。


加藤(かとう)友三郎(ともざぶろう)海軍大将がお見えになりました。ご都合次第ですが、挨拶したいとのことです」


「もちろん会うとも!」


 セバスチャンの言葉に、俺は表情を緩めて立ち上がる。それに智子さんも、同じく笑みを浮かべて席を離れた。


 加藤海軍大将は今年に入って大腸ガンの切除手術をした。そのため彼は海軍大臣を辞し、財部(たからべ)(たけし)に譲っている。

 幸い手術は無事に終わったが、ストーマを装着することになったから当面は休職するしかない。そして俺達は震災対策の大詰めに入っており、様子を伝え聞くことはあっても会わずじまいだった。

 俺は見舞いに行こうと思ったが、加藤海軍大将が今は対策に集中すべきと断ったのだ。


「きっと、一段落したから会いに来てくださったのでしょう!」


「はい!」


 俺と智子さんは、セバスチャンに続いて離れの玄関へと向かっていく。

 今月に入るまでは忙しく、震災の状況を確かめるために留守にした日も多かった。それで加藤海軍大将は遠慮されたのだろうが、そろそろ落ち着いたと感じたのではないか。


 これも日常が戻ってきた証だと、自然と俺の声は弾む。そして俺の喜びが智子さんにも伝わったようで、華やぐ響きを返してくれた。


「お久しぶりですな」


 相変わらず細身の加藤海軍大将は、これも以前と同じで軍服を隙なく着こなしていた。手術したと知らなければ、痩せすぎ以外は健康そのもののと感じるくらいだ。


 しかも大臣だったころと違い、顔には柔和な笑みを宿している。

 このころの通例として軍服を着たのだろうが、軍務から離れた穏やかな日々を送っているようだ。お孫さん達との時間も取れただろうと、俺は喜ばしく感じる。


「こちらこそ御無沙汰しております……そして御快癒、おめでとうございます」


「お元気そうで何よりです。さあ、上がってくださいませ」


 俺と智子さんは頬を緩ませ、離れに迎え入れる。

 加藤海軍大将の足取りは確かで、杖なども持っていない。それに手には何かが入った袋を抱えており、どうも買い物でもしてきたらしい。

 俺達への土産はセバスチャンが受け取ったから、こちらは自身か家族のために買い求めた物だろう。


「お買い物を?」


「これは『正ちゃん帽』ですよ。孫達が欲しいと言いましてね」


 よければ日常の様子を聞かせてほしいと、俺は手荷物を話題にする。すると加藤海軍大将は照れが滲む笑みを浮かべた。


 正ちゃん帽とは二十一世紀でも通用する言葉だが、今年創刊のアサヒグラフに連載された『正チャンの冒険』に由来する。主人公の正チャンが被っている天辺に玉がついたニットの帽子が大流行し、百年以上先に残るほどに広まったのだ。

 残念ながらアサヒグラフは大震災で休刊となったが、『正チャンの冒険』は代わりに朝日新聞で連載を開始している。ちなみに本来の歴史より一ヶ月近く前倒しで再開され、九月下旬には『正チヤンノバウケン』が紙面にあった。


「それは楽しかったでしょうね」


「ええ。まだ品揃えが悪いと思いましたが、ねだられた通りの帽子があって一安心です。お聞きした歴史より被害が少ない分、店も多く残ったのでしょう……これも震災対策があればこそです」


 今日は平日だから加藤海軍大将は一人で店に行ったのだろう。しかし彼は、孫達に買い与えること自体を楽しんでいるのかもしれない。

 以前いただいた手紙では『療養にかこつけて孫達と遊んでいる』と記されていた。それを俺は冗談のたぐいだと思っていたが、どうやら実情も近かったようだ。


「潰れた店舗も多かったと思いますが……」


「多くの命を残せた……これが一番ですよ。命を懸けた手術をした私だからこそ、生きている素晴らしさが理解できます」


 賛美に照れた俺だが、返ってきた言葉に強く胸を打たれた。

 十万人の未来を作り出した。それが最も大切だという加藤海軍大将の言葉には、死を見つめた者のみが持つ説得力があると感じたのだ。


「最前線には戻れませんが、後方支援は任せてください。せっかく病を乗り切ったのだから、私も最後まで見届けるべく長生きしますよ」


「お願いします」


 立ち止まった加藤海軍大将に、俺は深い礼で応じた。それに智子さんやセバスチャンも続く。

 おそらくは、このことを伝えに来てくださったのだろう。手術の件もあって詳しいことは伏せているのに、俺達の様子から次があると察したに違いない。


 湧き上がる思いが俺の胸を熱くする。

 譲位はともかく、改憲は軍部が反対したら失敗する。しかし強い味方を得て、不安など消え去った。

 そのため俺は憂いなく、偉大なる提督が目にした活気あふれる街の様子に耳を傾けていった。


 お読みいただき、ありがとうございます。


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