10 ワシントン会議開幕(1921)
俺、中浦秀人が知る本来の歴史だと、ワシントン会議では海軍軍縮と太平洋および中国問題に関する決議がなされた。それぞれワシントン海軍軍備制限条約、四カ国条約、九カ国条約である。
そのため参加国は、該当地域に国土を持つか権益がある九カ国となった。つまり日本・イギリス・アメリカ・フランス・イタリア・中華民国・オランダ・ベルギー・ポルトガルだ。
本土自体が太平洋に面する日本やアメリカに中華民国、連邦内の国々を持つイギリス。植民地を有するフランス、オランダ、ポルトガル。中華民国に租界など小規模な権益のみ有するイタリアにベルギー。こんな感じに大別できる。
ワシントン海軍軍備制限条約は、米・英・日・仏・伊の主力艦保有比率を定めたものだ。有名な対英米比6割というもので、二十一世紀の日本でも殆どの人が知っているだろう。
四カ国条約は太平洋の島嶼に関して日英米仏が結んだ条約で、日本での正式な呼び名は『太平洋方面ニ於ケル島嶼タル属地及島嶼タル領地ニ関スル四国条約』である。要約すると太平洋上の島々は現状維持という内容だが、この第四条に日英同盟の破棄が含まれてしまう。
九カ国条約は中華民国の領土保全や門戸開放を目的としたもので、参加国の全てが絡むのは本条約のみである。領土保全や門戸開放といえば聞こえが良いが、これは中国に大きな既得権益を持たないアメリカが他の阻止を目論んだ結果で博愛精神や平等主義の発露ではない。
何しろアメリカは海を挟んで隣のフィリピンを植民地としており、二枚舌も甚だしい。それに中華民国に関しても現状維持が正しいかどうか議論せず、漢民族からの独立を望む人々の声を黙殺した。
モンゴル、チベット、ウイグルなどの異なる歴史を持つ民族。中華民国が侵略者とした満州民族。漢民族だがイスラム教を信仰する回族のように宗教や文化が異なる人々もいる。
ヴェルサイユ条約で盛り込まれた民族自決だが、ヨーロッパ諸国に限定された。まだ他の地域は列強の狩場で、彼らが既得権益を手放すはずもないからだ。
そしてアメリカは中国切り取りに出遅れたから、会議時点での中華民国を認めた方が自国の益が大きいと睨んだ。つまり競争相手を排除しての相対的な地位向上に動いたのだ。
もちろん競争相手とは日本である。
日本の海軍力を自国より低くし、太平洋での勢力は現状維持としつつも日英での連携は断ち、日本の東アジアへの進攻を阻止する。三つの条約の全てに日本を押さえつける意図が表れている。
これは第一次世界大戦の結果、北太平洋での二大勢力が日米に絞られたからだ。
第一次世界大戦が始まった1914年、日本はイギリスの要請を受けて当時ドイツ領だった南洋諸島を占領した。元々日英同盟は対ロシアやドイツを意図したもので、日本も大戦勃発から一ヶ月も経たずに参戦したのだ。
結果として日本は多くの島々と広大な海域を手にする。それが委任統治領南洋諸島、つまりマーシャル諸島、カロリン諸島、パラオ、北マリアナ諸島などだ。
イギリスが欧州戦線に集中できたのは、日本が太平洋やインド洋で輸送艦隊を護衛したからでもある。そのため彼らは、赤道から北が日本で南が英連邦という結果を前向きに受け止めたようだ。
しかしハワイとフィリピンの間を日本に塞がれ、アメリカが心穏やかでいられるはずもない。真っ直ぐ西に進めば日本の勢力圏、南に避けてもイギリスやオランダの支配下なのだから。
アメリカは第一次世界大戦の終盤まで参戦せず、国力を温存した。しかも英仏などの債権国として発言力を増し、ワシントン会議のように列強を自国に呼びつけるまでになった。
とはいえ南洋諸島を押さえられたのは痛かったのだろう、アメリカは現状より悪化しないように動いた。
ただし今となっては、これらは俺が知る別の歴史に過ぎない。
もちろん俺が来る1920年4月以前の出来事は全く同じだし、以降も最初は僅かな変化だ。しかし俺はワシントン会議を大きな転換点と捉え、ここに合わせて手を打ってきた。
そのため会議の冒頭からして、極めて大きな違いが生まれる。
「本会議の議長は、満場一致でアメリカ合衆国大統領兼国務長官代理のウォレン・ハーディング氏に決まりました!」
万雷の拍手に和しつつ、俺は顔を綻ばせた。隣ではセバスチャンこと瀬場須知雄も僅かだが口角を吊り上げる。
本来議長を務めるはずだった人物、国務長官チャールズ・エヴァンズ・ヒューズは急病で倒れた……とされている。彼は俺達が密かに録音した事柄で失脚し、一時的にハーディングが国務長官も兼ねることになったのだ。
ちなみにアメリカの歴史で大統領が国務長官代理を務めた例はない。多くは国務次官など国務省内部から、初期に他省の長官があるくらいだ。
しかしハーディングは極めて重要な国際会議だからと主張し、国務省側も受け入れた。あくまで会議の顔であり、終わったら国務次官を昇格させると決めたのが大きかったようだ。
◆ ◆ ◆ ◆
そのようなわけで『ヒューズの爆弾発言』も起きず、会議は日本の顔も立てた形で始まった。これは既に日本が大きな譲歩をしていたからだ。
史実とは違って早期にシベリア撤兵を済ませ、サハリン島や南満州鉄道関連には英米の企業を招いて共同開発を進めている。それに中華民国に関しても妥協点を見出した。
これは俺達がハーディングに早くから接触し、彼に有益な情報を伝えたのが大きい。自身が将来急病で倒れる上に死後の評価も閣僚達の汚職で地に落ちると知り、彼は回避を望んだのだ。
それはティーポット・ドーム事件と呼ばれる、米国の政治史でも最大級とされるスキャンダルである。
ティーポット・ドームというのは地名で、同名の油田を含む石油産出権賃貸の見返りに内務長官フォールが多額の賄賂を受け取っていたのだ。
しかし新たに生まれた歴史では、汚職は大統領によって極めて早期に解決した。そしてハーディングはフォールを切って自身の評価を上げ、以後も新たな助言を期待して日本との密かなパイプを保ち続けた。
一方ヒューズは理由なき路線変更として従来通り排日を堅持したが、今後は会議に口出し出来ない。これで不安要素は無くなったと、俺は彼に済まなく思いつつも安堵していた。
もっとも会議は始まったばかり、しかも直後に大きな山場がやってくる。それは四日後、11月16日に開かれる第1回太平洋および極東問題総委員会だ。
「どうして我が国が分割されるのですか!」
中華民国全権の施肇基の声がホールに響き渡った。それに残る二人の全権委員も真っ赤に顔を染めて和すし、末端の随員も含め憤怒を顕わに怒号を上げる。
とはいえ施肇基達が激するのも当然ではある。議長のハーディングは中華民国に民族自決を勧めた……つまり民族ごとの独立を提議したのだ。
「静粛に! ……先ほど申し上げた通り、民族自決を尊重した結果です。ヴェルサイユ条約で欧州の民族は自治へと歩み出した……この偉大なる成果を今度は東アジアにも及ぼすべきと提案したのですよ」
一喝したハーディングだが、後は慇懃無礼というべき様子で続けていく。
まるで勝利を確信したようなアメリカ大統領の姿に何かを感じたのだろう、中華民国の使節団から上がっていた罵声は消えた。そして僅かな間を置いて、彼らは周囲の窺い始める。
すると怒号に代わって別の音がホールに響き渡る。それはハーディングに向けられた拍手と賞賛の嵐だ。
「反対なさっているのは、貴方達のみのようですね。残る九カ国……それに参考人の皆さんも大賛成のようですが」
挙手して発言を求めたのはイギリス全権の枢密院議長バルフォアだ。そして元首相にして先ごろまでの外相でもあった老人は、笑顔のまま大袈裟な仕草で周りを見回した。
その中にはロシア共和国の一団がいる。そしてモンゴル人やチベット人など、この場で中華民国側が見たくなかったであろう人々も。
俺達はワシントン会議にロシア共和国を加えるように動いた。極東問題を扱うというなら、太平洋に面しているロシア共和国……翌年末に誕生するソビエト社会主義共和国連邦の中心となる国……を呼ぶべきと持ちかけたのだ。
ロシア帝国の崩壊から四年少々、まだロシア共和国は国際連盟への加盟も認められない新興国家だ。そのため自国に損がなければ喜んでやってくるだろうし、実際ロシア側は一も二もなく応じた。
そして同時に俺達は、中華民国に脅かされる民族にも声をかけた。
ロシア共和国が支援するモンゴル国、この時点では君主を戴きつつも社会主義の人民政府を持つ国。もちろん内モンゴルの奪取を睨んでのことだ。
チベットのダライ・ラマ政権はイギリスなどに独立国家として認められていたし、同じく清の支配下にあったモンゴルとはチベット・モンゴル相互承認条約を結んでいた。
清を興した満州民族、テュルク系民族のウイグル人、南方の少数民族。日に日に勢いを増す漢民族に追いやられつつも、独自の道を歩む人々だ。
「これは我ら中華民国への内政干渉です! この会議は侵略行為を否定し各国の領土保全を図るものではないのですか!?」
施肇基は声を張り上げるが、顔には焦りの色が濃い。
おそらく施肇基は、誰も取り合わないと理解してはいるのだろう。ここにいる者達が自分達を簒奪者として断罪する気だと、彼は遅まきながら気付いたのだ。
もっとも中華民国側の対応が遅れたのは当然で、他の国々は今の今まで本当の議題を伏せ続けた。ロシア共和国は太平洋問題のみという顔で訪れたし、参考人達は先ほど入室するまで存在すら秘匿されたのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
「領土保全とは、どの時点の領土を指すのですか? ……そもそも『China』とは、何を意味するのですか?」
紳士然とした表情で核心に踏み込んだのはフランスの首相兼外相のブリアンだ。
ブリアンの言葉のうち、後半は本来の歴史でも放たれたという。もちろん中華民国は自国が主張する領土を明示しているが、周辺各国の合意は得ていない。
そしてフランスは周辺各国の一つだった。フランス領インドシナは二十一世紀のベトナム、ラオス、カンボジアを合わせた領域で、北は中華民国と接しているからだ。
「仮に現時点なら、山東半島は我ら大日本帝国の領土ですが?」
これは日本の首席全権、加藤友三郎海軍大臣の発言だ。
明らかな挑発だが、昔は朝貢国として下に見た日本に言われたら平静ではいられまい。遥か進んだ文明を持って現れた欧米なら敗北を認めても、同じアジアの国に屈するなど中華文明を誇る彼らには無理だろう。
このように日本が中国に進出するのは、欧米諸国に比べて遥かに困難だ。感情的問題に加え、独立したら至近だけに報復が確実だからである。
これは朝鮮半島にも共通するが、こちらは俺が来る十年前に併合済みで当面は棚上げにするしかない。李氏朝鮮末裔の李王家を東京に置いた上に皇族も嫁がせており、扱いが非常に難しいのだ。
「そのようなことが許されるものか! 我らは清の領土をそのまま引き継いだのだ!」
やはり激発は起こり、施肇基は許可すら求めずに荒々しい怒号で応じる。しかも叫びには、俺達が期待した言葉が含まれていた。
中華民国が主張する領土は、満州民族が得たものだ。そして清の前の漢民族系国家、つまり明の最大版図はモンゴル、チベット、ウイグルのいずれも含んでいない。
満州民族が獲得したものを漢民族の領土と呼ぶのは、暴論に過ぎるだろう。もし直近の漢民族系なら、最大限譲歩しても明の領土となる。
それに満州は長く清皇帝の故郷として特別扱いされ、漢民族の移住は制限された。これが緩和されるのは清末期の崩壊を目前とした近年で、要するに最近まで満州は漢民族の土地ではなかった。
したがって満州を含め漢民族の領土と呼ぶのは不適切。これが俺達の理屈である。
「清の時代ですか……ならば彼らを首相や閣僚に迎えては如何でしょう? 更に広いモンゴル帝国でも良いですよ……その場合は彼らですね」
加藤海軍大臣は満州やモンゴルから来た人々に顔を向ける。するとホールは大きな笑いに包まれた。
笑声を発したのは中華民国以外の全て、まさに四面楚歌と呼ぶべき状況だ。
モンゴルやチベットの者達は絶好の機会と顔を輝かせている。彼らはロシアやイギリスなど関係深い国家に利権を渡す代わりに手厚い保護を得られるし、後見する側は民族自決という大義名分があるから大手を振って乗り込める。
既得権益を手放さずに済むからだろう、ベルギーやポルトガルなども笑みを隠さない。イギリスも含め欧州各国は第一次世界大戦で消耗したから、ここで資金源を失うわけにはいかないのだ。
そして新たな権益を手に出来るアメリカも頬を緩ませている。彼らは日本と密約を結び、満州を独立させた上で共に利益を得る道を選んだのだ。
代わりに日本は山東半島を手放すことになるだろう。何しろ孔子や孟子が出た地だから、民族自決の建て前と明らかに反する。
しかし中華文化の原点の一つを得て百年の禍根を残すより、漢民族と縁のない場所で名目だけでも解放者として遇された方が後々のためだ。そのように俺が先の歴史を明かしたから、日本は一種の換地策を選択したわけだ。
「朝鮮やフィリピンは!? 我らだけ民族自決の名で解体するのか!?」
「然るべき時が来たら自治を、そして先々は独立へと導きますよ。しかし今は無理でしょう……どこかのように軍閥割拠となっても困りますからな」
必死に食い下がる施肇基だが、ハーディングの言葉に肩を落とす。彼は下手をしたら軍閥ごとに解体されかねないと気付いたのだ。
中華民国の軍閥は大きいものだけでも十五近く、しかも彼らは中央の統制を受けず勢力圏を牛耳った。これらの大軍閥の他にも小都市のみを支配する数千人程度の集団もあり、まさに戦国時代と呼ぶべき状態だ。
それらの中には支配者として認めてくれるなら独立を選ぶ者も大勢いるはずで、ならば漢民族という大きな括りで譲歩するしかない。おそらく施肇基は、そう思ったのだろう。
◆ ◆ ◆ ◆
こうして第1回太平洋および極東問題総委員会は、本来の歴史とは別の門戸開放と機会均等を迫る場となった。もちろん一度で済む話ではなく、翌日以降に持ち越しだ。
ただし大勢は動かないだろう。各国は中華民国を食い物に出来る絶好の機会を得たのだから。
アメリカからすれば、東アジアの利権を得られるなら無理して日本を潰す必要はない。それに中華民国を民族ごとに分割すれば、日本が手出しできる範囲も限定できる。
しかも満州の後ろ盾は日本とアメリカになる予定、加えてアメリカは既に伝手のある南方軍閥にも手を伸ばすらしい。南方系の少数民族を軍閥に担がせ、中華民国から独立させるつもりなのだ。
イギリスやフランスも同様に南を中心に勢力を維持、あるいは拡大しようと動いていた。それにイギリスはチベット、ロシアはモンゴルやウイグルの後見役として富を得る。
ポルトガル、ベルギー、イタリアは現在持つ小規模な権益を維持するのみだろうが、減るよりは良いはずだ。オランダは直接関係ないが、植民地が接するイギリスから便宜を図ってもらう密約が結ばれている。
「中浦様、上々の滑り出しですね」
「……中華民国を犠牲にしてだが」
歩んでくるセバスチャンに、俺は敢えて目を瞑っていた事柄で応じる。
あれから懇親の歓談や宴を経て、更に日本側のみでの打ち合わせもした。今は夜遅く、場所は俺達に割り当てられた部屋だ。
「何を今更……これからが本番ですよ?」
セバスチャンは手に持っていた品々、ワイングラスを並べつつ表情を動かす。驚きでもなく、呆れでもなく、柔らかな笑みへと。
「俺とお前の仲だからな……愚痴くらい勘弁してくれ」
せめて一人くらい、本音で話せる相手が欲しい。俺の望みはそれだけだ。
セバスチャンも分かっているのだろう、何も言わずにボトルを開けていく。
こうするしかなかった……これしか思いつかなかった。俺は故郷を守るために、他国を生け贄とした。
しかし後悔や諦念と同時に、喜びや安堵を抱いたのも確かだ。出来るだけのことをし、将来の危機を遠ざけたのは事実だから。
「連戦連勝で日本人の目は曇ったんだろうな……それに勝ちしか知らない世代が発言力を持つようになった。ちょっと前のこと、幕末の苦労や欧米に学んだ時代を忘れて……」
いつまでも勝ち続け、どこまでも領土が広がる。そこまで無邪気でもなかろうが、近いものがあるのではと俺は結ぶ。
今回締結されるはずの海軍軍縮条約で日本は建造中の軍艦を廃棄するだろうが、これだって自国で造れるようになったのは明治末期からだ。初めて日本で建造した戦艦は1911年就役の薩摩で、まだ十年しか経っていない。
ちなみに加藤海軍大臣が日露戦争で乗った戦艦三笠はイギリスのヴィッカース社製で1902年就役だ。つまり1904年から1905年にかけての日露戦争に国産の戦艦は存在せず、第一次世界大戦も殆どが外国製だった。
もっとも薩摩が完成するかどうか日本在住の外国人で賭けが行われたくらいで、この短期間で実用可能な戦艦を造ったこと自体が歴史的快挙なのは間違いない。
「上手く行き過ぎたのは事実です。ただ、失敗したら今の日本が存在したか分かりません……特に日露戦争に関しては」
「ああ。もし日本海海戦でバルチック艦隊を撃破できなかったら、大陸権益どころじゃない。それに向こうがウラジオストックに居座ったら、世界大戦で南洋諸島に繰り出すのも不可能だ」
セバスチャンの指摘は事実で、俺も素直に頷き返す。
確かに負けて良い戦など存在しない。そもそも日露戦争の結果次第では、日本は近海の制海権を奪われるどころか領土すら差し出す羽目になっただろう。
もし日露戦争が五分五分の痛み分けで終われば後の増長や過信を避けられたかもしれないが、意図して引き分けに持ち込むなど完勝よりも遥かに難しい。
俺達に出来るのは、その時々の精一杯を尽くすのみだ。過去も、現在も、そして未来も。
「だから今回も、負けなかったことを素直に喜ぶよ」
「ええ。中華民国の将来は、あの国の者達が考えるべき問題です。友邦ではないのですから」
俺が差し出したグラスに、セバスチャンは赤ワインを注いでいく。そして彼は自身のグラスにも注ぐと、向かい側に腰を降ろした。
既に禁酒法の時代に入っているが、ここは日本の大使館だから関係ない。それどころかアメリカの要人を接待するために、大使館にはワインの他にも多く酒があるそうだ。
他にも富裕層ならカナダに行くなど、アメリカ人は様々な抜け道を生み出していた。
「友邦か……日英米は一応そうなるわけだが、どこまで持つかな?」
俺は将来に思いを馳せた。それは俺達が画策している、日英米の三国同盟が結ばれた未来だ。
ここからは元の歴史と大きく変わるから、俺にとっても全く未知の領域だ。地震などの天災は変わらないし科学技術の発展も大まかには予測できるが、各国がどう動くかは不透明になる。
たとえば日米関係だが、大陸権益を分け合うことで歩み寄れた。しかし協調して歩めなければ再び衝突の道に戻るだろう。
イギリスは大陸権益を死守したかったから共同戦線を張れた。彼らはギブアンドテイクが成立する限り同盟に価値ありとしたが、自国に益なしと思えば離れるのは明らかだ。
中華民国はどう出るか。しばらくは雌伏の時代だと思うが、屈辱が将来の暴発に繋がる可能性は高いし日中の役目が入れ替わっただけかもしれない。つまり先々大陸発の太平洋戦争が起き、日本が戦わざるを得なくなる形だ。
「どうでしょう? しかし十年後か二十年後か知りませんが、今を乗り切ってからです。今月下旬と来月前半……ここで会議の結果は大よそ決まるでしょうが……」
盗聴を恐れたのか、セバスチャンは言葉を濁す。しかし俺は、彼の言いたいことを理解していた。
中華民国政府は施肇基達に徹底的に抗えと命ずるだろうが、地方の軍閥には独立を模索する者も現れるに違いない。
それぞれの軍閥は大なり小なり列強の支援を受けており、現在の北京政府である直隷派もアメリカやイギリスの後ろ盾を得ていた。ただし直隷派政権の寿命は残り三年、それを知った英米は泥舟から降りることにした。
つまり地方軍閥からすれば、新たなスポンサーを得る絶好の機会である。そのため北京政府も、決裂や安易な引き伸ばしは悪手と気付いているだろう。
この動きを後押しするため、俺達は今月下旬から来月上旬にかけて幾つかの仕掛けをした。ただし俺も漏洩を恐れ、頷き返すのみに留める。
「……ともかく今は乾杯しましょう」
「そうだな……ありがとう、そしてこれからも頼む」
セバスチャンに倣い、俺もグラスを掲げた。そして俺達は血のように赤いワインを飲み干した。
これからも世界から戦いが消えることはない。そして同じ真紅でも更に尊いものが敗者から流され続け、勝者は当然の結果だと強弁を繰り返す。
しかし今は、より良き明日を迎えられそうなことを喜びたい。それが自分達を中心にした限定的な幸福だとしても、自身を守れてこそ世の中を変えていけると思うから。
お読みいただき、ありがとうございます。




