muddled up(戸惑う)
現実であり、現実ではないそんな夢の狭間でエミリアはあの日の出来事を追想していた。
今よりも少し若いエミリアは、ワインボトルを手に廊下を歩く。
廊下には特に目につくものがなく、敢えて言うなれば簡素な蝋燭立てとリンベル執事長が飾った百合の華が儚げに佇んでいるくらいだ。
一流企業の長が住まう屋敷にしては質素で、物足りなさが全面に出てしまっていて、よくよく見ると壁には無数の皹があり、微量ではあるが壁自体が剥がれ落ちている。加えて足元が吸い込まれてしまうのではないかと思う程に暗く、頼りになるはずの蝋燭はすきま風が荒ぶせいで半数以上消えかかり、揺らめく光が嫌に不気味を際立たせていた。
しかし、エミリアの歩みには淀みがなく周囲を取り巻く不気味ささえも掻き消してしまうほど強く、そして澄んでいた。
そんなエミリアの歩みは、ある一室の前でピタリと止まる。肩を揺らす程に息を吸い、何かを決心した様子で静かに戸を叩いた。
「あら、こんな時間に誰かしら?」
戸を叩く乾いた音から一拍置くと、のんびりと間の抜けた声がエミリアに跳ね返ってきた。
角の立っていた空気さえも柔らかくさせてしまうそ声の主の存在が夢だと分かっていてもエミリアの胸は張り裂けてしまいそうなっていて、感情のやり場に困っているようだ。
「奥様、私です」
ぼんやりとした空気の輪郭を撫でるように呟くエミリアに、彼女はより朗らかなトーンで答える。
「エミリア、そんな固苦しいノックなんて要らないわ。さぁ、入って」
「すみません、失礼致します」
扉を開けた先には、簡素なベッドに腰掛けた女性の姿があった。
彼女の周りは薄暗く、頼りない蝋燭が廊下よりは幾分かましだが妖しく揺らめいている。
しかし、彼女を取り巻いている筈の薄暗さは少しずつ剥離し初め、柔軟な雰囲気に変えていく。
浮かび上がった姿は見目麗しく、まさに婉麗という言葉が似つかわしい。
刹那に映し出される透き通る様にキメの細かい肌は、明暗の輪郭をはっきりと映すほど白く、腰丈まで伸びた髪は微動するだけでしなやかに揺れる。
幼少期の快活で明朗、初夏に降り注ぐ日の光に似た笑顔を持ち合わせていた彼女を知るエミリアは、彼女の変貌様に未だ慣れずにいた。
それは、二人の関係性を隔てる壁のような物が高くなりすぎたのも原因の一つなのは想像に難くなかった。
「どうしたの? 私の部屋に来るの、大分久しぶりな感じがするけれど」
対する彼女は、壁が存在していようがお構い無しといった様子である。
エミリアはこの態度に、僅かながらに戸惑っている表情を隠し招かれた室内へと入った。