死因
プレゼントをした日から、母さんは寝込む事が多くなった。食事も「臭いわ、臭くて食べらい……」とほとんど食べなかったし、食べてもすぐに吐いていた。
母さんが俺を見る目は、もう息子を見る眼差しではなく、恐怖と嫌悪感で宙を彷徨っていた。
俺は何もしていない。ただ、いい香りがするように、毎日、香水を撒いていただけだ。そう、母さんの食事の時間には少し多めに……。
ユリの香りの香水は、思いのほか種類が豊富で小遣いで手に入る物も多かった。
俺は中三になり、香水を買わなくても、家にユリの香りが漂う季節が近づいてきた。母さんは一日の殆どをベッドで過ごすようになっていた。
救急車で運ばれた母さんの最後の日。
「……臭いのよ……いいわ、要らない。もう、下げて」
いつものようにベッド上の食事を下げさせた。
そして、横になった母さんの背中が大きく波打ったかと思うと同時に、赤黒い血液を大量に吐血した。胃にできたガン病巣が血管を侵した為の出血だった。
苦しくて横向きに吐こうとする母さんを、俺はただ、仰向けに頭を押さえつけただけだ。
ゴボゴボと口から溢れ出す出血で母さんは呼吸が出来なくなり、カッと目を見開いた。
窒息死だった。
そして、救急車をゆっくり時間をかけて呼んだだけのことだった。
ただ、それだけのこと……。
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俺があの庭で香織に会って夕飯時に問い詰めた次の日から、父さんは会社に行かなくなっていた。そんな父さんの傍らで、百合絵さんは相変わらず美しく微笑んでいた。
もっと、百合絵さんを喜ばせたい。彼女の為に何ができるだろうか。
百合絵さんが一番欲しかったもの、手に入れたくても叶わなかったものをあげればいいんだ。
そうか…………父さんだ。
「その前に、コレを返さなくっちゃな」
俺は、洗濯した香織のハンカチと除光液をバックに放り込んだ。
「いってきます」
父さんはリビングで首をうな垂れたまま返事もしない。百合絵さんだけがふわふわと笑っていた。
(いってらっしゃい)と言っているような気がした。
学校に着くと校門の内側に生えている桜の木の下で、隠れるように香織を待った。地面にはサクランボなのだろう、豆粒程の黒い実が沢山落ちていた。
俺は足でその実を潰しながら、どうか高杉が来る前に来てくれよと心の中で願った。願いは直ぐに破られた。
「友利ーー、おはよーっす。こんな所に隠れるように突っ立って、何してんのさ。待ってってくれたの。ゆ、う、とちゃん」
「まさか、なんで俺が高杉を待たなきゃなんないの」
「じゃぁ、誰を待ってるのさ」
「誰でもいいじゃん。借りたものを返すだけだよ」
へぇ、誰だよ、女子じゃないだろうな。何を返すの、いつ借りたのと機関銃のように質問攻めにしてきた。この調子じゃ香織が来たら大変な事になると思い、放課後渡せばいいかと諦めた時だった。
「あれ、友利くんじゃない。おはよう」
香織が校門をくぐってきた。
「おはよう、あ、これ、ありがとう」
バックからハンカチと除光液を出し手渡した。
香織はハンカチだけを受け取り、少し顔を近づけて内緒話のように言った。
「こっちは、また使うかもしれないでしょ。あげるわ」
そして俺の隣りに直立不動で立っている高杉に話しかけた。
「友利君のお友達なのね、よろしくね」
高杉はバカみたいに「よろしくっす」と言うと深々と頭を下げた。じゃあねまたね、と香織が三年の昇降口に去っていくと「やったー」と叫び、俺にありがとうを連呼した。
「友利、興味が無いふりしてさ、やるじゃん」
高杉は俺の肩を抱え耳打ちした。
……仕方ないだろ……姉さんなんだから、と心の中でつぶやいた。