金曜日
金曜日。
今週最後の授業を終えた騎士学校は緩やかな解放感に包まれていた
絶えず緊張が強いられる学生騎士達が、気を抜くことが許される数少ない瞬間であった。
週末の浮ついた空気の中、騎士学校の至る所では茶会が催されていた。
学生騎士にとって、授業よりも鍛錬よりも大切なことは社交である。
閉鎖的な貴族社会において、社交は重要な潤滑油である。週末になると学生騎士たちは気の合う者同士で集まり茶会を開くのが通例となっていた。
一口に茶会と言っても、生徒達の特色によって形態は様々である。
寮の自室に集まり伝統に則ったティーパーティーを開く者も居れば、校舎の中庭で緋毛氈を敷いて野点を嗜む者も居る。図書館でコーヒーカップを傾ける学生もいれば、売店でミルクセーキを飲む女生徒達もいる。
彼らの話題は専ら週末に行われる闘技大会についてである。
茶会は交わされる何気ない会話の端々から情報を入手し、分析し、そして試合に役立てるのである。
既に試合は始まっている。
情報戦を制する者が試合を制するのである。
学校嫌いで、社交嫌いのリドレックであってもこの日だけは他の生徒達と同様に振る舞わなければならなかった。
入念な下調べと、情報集めを行うため、リドレックは購買通りの一角にあるコーヒースタンドへと向かった。
自動販売機とテーブルがいくつか並んだだけのこの店は、高級志向の学生騎士たちの間でもすこぶる評判が悪い。
それでも、店の中には幾人かの生徒がいた。
この店にやって来るのは学生騎士たちの中でもごく限られた人種――〈ジョバー〉と呼ばれる者達が集まる場所であった。
「お、リドレックだ!」
「よう、リドレックじゃないか」
カップを片手に席を探すリドレックに向かって、奥の席から二人の上級生が手招きする。
「ワイグルさん、マクサンさん。こんにちは」
「珍しいな、学校に来るなんて」
着席するリドレックの肩に手を置いて灰狐騎士団寮の《得点王》ワイグル・タンだ。
ポイントに貪欲な彼は、高得点が加算されるバトルロイヤルや闘獣といった危険な試合に進んで参加する。それだけ腕に自信があるということであり、実戦経験が豊富であると言う事の証でもある。
「まあ、週末くらいは顔を見せませんと。試合も控えていますし」
「調子はどうだ? 怪我の方はもういいのか?」
怪我の調子を聞いてきたのは黄猿騎士団寮の《出戻り》マクサン・クショウである。
古株らしく面倒見の良い性格で騎士団寮が違うリドレックも度々、世話になることがあった。
「一時間も心臓止まってたんだろう? 後遺症とかは大丈夫なのか?」
「ええ、もうバッチリですよ」
「そうか。ならばいいんだが。丁度良かったよ。俺もお前に用事があったんだ。……ほら、これ」
そう言うとマクサンは高額紙幣を一枚、リドレックに差し出した。
「……? 何ですか、これ?」
「先日、学食でウチのジェナンがお前に金を借りたそうだな」
ああ、と言ってリドレックは思い出す。
マクサンの言う通り、リドレックは黄猿騎士団寮のジェナン・エスに金を貸していた。
学食で支払いに難儀している所を、リドレックがその場を通りかかったのだ。
借金の申し込みにしてはちょっとばかり――かなり、強引であった。当てにはしていなかったのだが、まさかこんな形で返って来るとは思わなかった。
「別によかったのに。大した額じゃないのに」
「金額の問題じゃない。金の貸し借りはきっちりしておかなければならない。後輩からタカるなんて、黄猿騎士団寮の名折れだ」
さすがは交易同盟スポンサーに持つ黄猿騎士団寮。
金銭のやり取りには潔癖である。
詐欺まがいの奨学金制度で学生達から金を巻き上げようとする桃兎騎士団寮とは大違いである。
「迷惑かけてすまなかった、リドレック。ジェナンには後できつく言っておく。釣りは利息と迷惑料と思って取っておいてくれ」
「……じゃ、遠慮なく」
マクサンの高徳に感謝しつつ、リドレックは高額紙幣を懐に納めた。
「それにしたって、お前が立て替えておくことは無いんじゃないのか、マクサン?」
一件落着した所で、やり取りの一部始終を見ていたワイグルが言った。
「借りたのはジェナンなんだ。ジェナンに返させるのが筋ってもんだろう?」
「だって、ここで返しておかないと永遠に返せなくなっちまうかもしれないだろう? 借金したまま死なれでもしたら目覚めが悪いからな」
「それもそうだな。またお前も厄介な〈ジョブ〉を押し付けられたもんだな、リドレック」
意味ありげな視線でリドレックを見つめる二人に、リドレックは訝しげな表情を浮かべる。
「……? どういう意味です?」
「だってお前、今度の試合で機械歩兵と対戦するんだろ?」
「ウェポンフリーのリアルバトルだって? 今度こそお前、本当に死ぬんじゃないのか?」
闘技大会で行われる評価試験の事を二人は既に知っているようだった。
新型機の存在は最高機密に属する。
リドレックが対戦することについても、直前まで伏せられているはずだ。
「その情報、誰から聞いたんですか?」
「ヤンセンから聞いた。俺はあいつと同じ灰狐騎士団寮だからな。」
「俺は交易同盟からの伝手で聞いた。カンネル工房は交易同盟と関わりが深い。黄猿騎士団寮にも情報が入って来るのさ」
驚愕するリドレックに、事も無げに二人は答える。
この学校の情報網には呆れるしかない。軍事機密から恋話まで、あらゆる情報が筒抜けである。
「……まあ、知ってるんなら話は早いや。実は、お二人に聞きたいことがあるんですよ」
「何だ? 〈ブック〉の確認か?」
「まあ、そんな所です」
訊ねるワイグルに、リドレックがうなずく。
スベイレンで行われる闘技大会は『筋書きのないドラマ』などと言うロマン溢れる代物では無い。目に見えない脚本が存在する。
闘技大会の裏側では様々な勢力の、様々な思惑が交錯する。その複雑に絡み合う思惑は複雑に絡み合い、試合を構成する脚本となる。
試合は舞台であり、出場する選手たちは演者である。
眼には見えない脚本を手探りで紐解き、あてがわれた役を的確に演じることを仕事と呼び、演者のことを仕事人と呼ぶ。
今回、リドレックに与えられた〈ジョブ〉は、一際厄介な代物であった。
入念な下調べを行い〈ブック〉を理解しておく必要性があった。
「今回の評価試験ついて何か聞いていませんか?」
正面から訊ねると、二人の上級生たちは気前よく情報を提供してくれた。
「評価試験を申し出たのはカンネル側からだって話だ。社長自ら校長に掛け合って依頼したらしい」
「〈ハビリス〉はカンネル兵器工房が社運を賭けて作り上げた最高傑作だ。正式採用に向けて最後の売込みだからな。気合の入れ方が違うよ」
ワイグルの後を、マクサンが引き継ぐ。
交易同盟にコネを持つマクサンは、かなり踏み込んだ情報も知っているようだ。
「正式採用が決定すれば、カンネルは帝国内の兵器産業を牛耳ることが出来る。噂じゃ、裏で相当、強引な事をやっているそうだ」
「強引、って?」
「談合、癒着、買収、贈賄――なんでもござれだ。元々、兵器産業なんて真っ当な商いじゃないからな」
その話を聞いて、リドレックはクェルス・リゾートでの出来事を思い出した。
あのリゾートホテルで、カンネル工房はアグリアス王国の軍事顧問を招いて商談を行っていた。
おそらくは新型機の発注を取り付けるための接待だったのだろう。正式採用前だと言うのに、既に大口の発注を取り付けているのだ。
「まあ、裏の事情なんて俺達には関係ない話だがな。お前は余計な事を考えず、試合の事だけに集中していればいい――試合に出て、負ける。それだけだ。簡単な〈ジョブ〉じゃないか?」
「それだけ、って言いますけどね、そう簡単にはいかないでしょう?」
今回の試合の目的は新型兵器の評価試験であり、その性能を観客達に見せつける所にある。
新型兵器の性能を余すことなく引き出し、その上で敗北し――尚且つ、生きて試合会場を出て行かなければならないのだ。決して簡単な〈ジョブ〉とは言えない。
「試合じゃ実弾使うんですよ? 一歩間違えたら、本気で死んじまいますよ」
「そこはそれ、《白羽》先生の腕の見せ所って奴じゃないのか?」
「お前ならきっとうまくやってくれるよ。期待してるぜ」
リドレックを応援するワイグルとマクサンの顔は半笑いであった。
他人事だと思って楽しんでいるのだ。無責任に煽りたてる先輩たちに何か言いかえしてやろうかと思ったその時、
コーヒースタンドに一人の生徒が駈け込んで来た。
「ああっ、居た居た! リドレック!」
大声でリドレックの名を呼んだのは、碧鯆騎士団寮のグッス・ペペだ。
グッスは髪を短く刈りそろえた、いかにもストイックな運動家らしい姿の青年である。
選手としては中堅クラスであり、攻撃的戦闘スタイルで相手を追いつめるのを得意としている。彼と対戦した相手は例外なく大怪我を負わされている。先週の闘技大会でもリドレックの脇腹を貫いて失血死に追いやっている。
手を振りながら此方に向かって歩み寄るグッスに、リドレックよりもまず同席の二人が騒ぎ出した。
「何だ!? 何しに来やがったこの野郎!」
「ここはセメント野郎の来る所じゃねぇぞ。ジムでプロテインでも飲んでいやがれ!」
ワイグルとマクサンは一斉に立ち上がると、殺気立った様子でグッスを取り囲む。
二人ともスベイレンではかなりの実力者だ。トップクラスの選手二人に詰め寄られ、グッスは慌てて手を振った。
「ちょ、ちょっと待った! 待った! まあ、そう構えるな。今日はリドレックに謝罪に来たんだ」
「謝罪だぁ?」
片眉を吊り上げ、疑わしげな眼でワイグルが睨み付ける。
「あの時の事は本当に済まなかったと思っている。あれは何というか、不幸な事故だったんだ。ちょっと手が滑っただけで、悪気は無かったんだ」
「事故なわけねぇだろう!? 手が滑っただけで、串刺し何かになるもんか!!」
「あれは確実に狙ってやってただろうが! 洒落にならんぞ。謝って済む問題でもない」
学生騎士が何よりも恐れているのは、闘技大会で負傷することである。
実戦形式で行われる闘技大会では、負傷の危険性が常に付きまとう。回復不能な怪我を負った場合退学、最悪の場合死ぬことだってあり得る。
そのため相手選手に怪我を負わせるような危険攻撃はルールにより禁止されている。
グッスのようなルールを無視して危険攻撃を加える真剣勝負至上主義者は、スベイレン中の嫌われ者であった。
「いやもう、ホント勘弁してくれよ。罰金に違約金。おまけに出場停止まで喰らってんだ。シーズンはもう試合に出られない。せめて話だけでも聞いてくれよ」
「もういいですよ」
口では謝罪すると言ってはいるがその実、彼に謝罪の意志など無い事は明白だった。
攻撃性を自制することの出来ない彼らセメント至上主義者は、ある種の病気なのだ。簡単に改心することなどはできない。
憐みを乞うグッスの姿は、いかにもわざとらしく見るに堪えなかった。
「もう先週の事だ。今更、怒ってもしょうがないでしょう。違約金もたっぷりもらったし、今回の事は水に流しますよ」
「そ、そうか!? いや、ありがとう! お前ホント、いい奴だな!」
調子のいいことを言いながらグッスは、リドレックの隣の席に着いた。
「……で、何の用です? わざわざ謝りに来ただけってわけじゃないでしょう? 僕に何か用があるんじゃないですか?」
棘のある声でグッスに訊ねる。
自分を殺した人間と仲良くできるほど、リドレックも人間はできていない。用件を聞きだして、とっとと追い払うつもりだった。
「察しが良くて助かる。実はな、リドレックを見込んで頼みたいことがあるんだ。お前、レオニード・レンクは知ってるか?」
「名前ぐらいは」
レオニード・レンクは碧鯆騎士団寮の新人である。
新入生ながら有力な選手であり、黄猿騎士団寮のサイベル・ドーネンと新人王の座を競い合っていると言う話だ。
彼の姉も碧鯆騎士団寮の所属騎士であり、スベイレンでは有名人である。
「ソフィー・レンクの弟でしょう? 何かあったんですか?」
「〈ブック〉を破りやがった」
渋い表情を浮かべながら、グッスは答える。
「先週の闘技大会で上級生向けの騎上槍試合が開かれたんだが、人手が足りなくってな。しかたないんで新人のレオニードを出場させたんだ。そしたらあいつ、妙に張り切っちまってさ、紫鹿のノーレン・ゾルツ相手に二本先取のストレート勝ちを決めやがった」
「……うわぁ」
うめき声と共にリドレックもまた渋面になる。
衆人環視の見守る中、年下の新人選手に敗北したノーレンと紫鹿騎士団寮は面目丸つぶれである。
レオニードと碧鯆騎士団寮は彼らの恨みを買うことになるだろう。今後は有形、無形の嫌がらせを受けることになるはずだ。
「……それはちょっと、洒落にならんですね」
「ああ、おかげで闘技大会からこっち、碧鯆騎士団寮は大騒ぎだ。碧鯆騎士団寮の主だった連中が事態の収拾に駆け回っているよ――しかし、一番の問題は、レオニード本人だ。あいつまるっきり反省してないんだ。注意してもまったく聞く耳持たない」
新人選手にありがちな話である。
経験が浅いため、試合の根幹をなす〈ブック〉を読めない――空気を読むことが出来ないのだ。勝敗にこだわるあまり、周囲に対する気配りが欠けているのだ。
こういった筋書きを無視する行為の事を〈ブック破り〉と呼ぶ。
試合を破綻させかねないこの行為は、闘技大会では忌み嫌われるものであった。
「俺からも何か言ってやろうと思ったんだけど――先週、お前さんをぶっ殺した手前、あまり偉そうなことを言う事も出来ん。そこでだ、お前から注意してやってくれないか?」
「僕から? 何を?」
「だから、新人選手の心得って言うか、暗黙のルールっていうか、……まあ、そう言うもんだ。お前はスベイレンで最高の〈ジョバー〉だ。闘技大会の裏の裏まで通じている。ひとつ指導してはくれまいか?」
「冗談でしょう? 僕は人に説教できるほど偉くないですよ」
「お前だからいいんだよ。こういうのってさ、上から目線で説教すると角が立つだろう? どうだ? 引き受けてくれんか?」
褒められているのかけなされているのか、よくわからないことを言うと、グッスは深々と頭を下げた。
それを見ていた、ワイグルとマクサンが一斉に吹き出した。
「ハッ! こいつはケッサクだ! リドレックが後輩に説教!?」
「面白いじゃないか、リドレック。やってみたらどうだ? 案外、お前向きの仕事かもしれないぞ?」
ワイグルが、マクサンが、笑いながらリドレックを囃し立てる。
どうにも断れない雰囲気に、リドレックはたまりかねたように声を上げる。
「わかった、わかりましたよ!」
「やってくれるか?」
「今度、顔をあわせる機会があったら、それとなく注意しておきますよ――機会があったら、ですよ?」
一応、引き受けはしたが、リドレックは真面目に取り組むつもりなど端から無かった。
広大なスベイレン騎士学校で、寮も年齢も違うレオニードと顔を合わせる機会など、そうそうあるはずがない。後で機会が無かったとか言って、すっぽかす腹積もりであった。
しかし、リドレックの思惑に反して、その機会は以外にも早く出くわすことになる。
◇◆◇
下層階にある繁華街は、学生騎士たちにとって数少ない遊び場である。
金曜の夜ともなると羽目を外した学生騎士たちが、酔って、騒いで、喧嘩して――ひとしきり周りに迷惑をかけた挙句、繁華街にほど近い警察署へと運び込まれる。
スベイレンの学生騎士は警官たちにとって頭の痛い存在であった。
学生とは言え騎士としての訓練を受けている彼らは、一般人よりはるかに高い戦闘力を持っている。その上、貴族と同等の権限を持つ彼らには不逮捕特権がある。
警察官に出来ることは彼らを『保護』するだけであり、後は騎士団寮から迎えが来るのを待つだけだ。
警察署には通報を受けた騎士団寮の人間が次々とやって来る。
その日、黒鴉騎士団寮を代表して警察署にやって来たのはリドレックであった。署内に駆け込むと同時、受付に向かって所属騎士団寮と要件を告げる。
「黒鴉騎士団寮の者です。ウチのバカを引き取りに来ました」
「ああ、どうも。お待ちしておりましたよ」
リドレックの姿を見るなり、受付に居る警官は救いの神が現れたかのように顔を輝かせた。
「……黒鴉騎士団寮からお迎えが来た。直ぐにお連れしてくれ」
受付にいる中年警官の対応は実に手慣れたものであった。
厄介者を可能な限り迅速に追い払うべく、速やかにインターフォンを手に取り留置場に向かって連絡を入れる。
「随分とお早いお見えですね。いや、助かりますよ」
「いえ、こちらこそ。いつもご迷惑をおかけして申し訳ない」
手馴れているのはリドレックも同様であった。
『ウチのバカ』こと、ゼリエス・エトが、繁華街で酔っ払い相手にいざこざを起こすのも、そして身柄を引き取りに来るのも、いつもの事であった。
「港湾地区の立ち入り禁止区域に居る所を逮捕――もとい保護したのですよ。本人の話によると、酔っ払って道を間違えたそうです」
「……ご迷惑かけて申し訳ありません」
こうやって、警官の嫌味に平身低頭で謝り続けるのも、いつもの事である。
「最近、この辺りは物騒でしてね。港湾地区で働く港湾関係者が、相次いで失踪する事件が起きて居るのですよ」
「失踪事件、ですか? それは、物騒な話ですね」
「我々もパトロールを強化して付近の捜査を徹底している所だったのです。そこで立ち入り禁止区域に居る彼を発見したと言うわけです。申し上げました通り失踪事件が起きておりますのでね。学生騎士様をどうこう出来るような輩がいるとは思えませんが、職務質問をした上で本署までお連れしたと言う次第で……。ああ、来たようですよ」
雑談に興じているうちに、留置場から到着したらしい。
年若い警官が連れて来たのは、黒鴉騎士団寮所属の学生騎士、ゼリエス・エト――では無かった。
年の頃は十五、六。リドレックよりも年下だろう。柔らかそうな黒髪を綺麗に切りそろえた、利発そうな顔立ちの少年だった。
「おい! 何やってんだ!?」
受付の警官は、すぐに手違いに気が付いた。
「お連れしろと言ったのはゼリエス・エト様だ! レオニード・レンク様じゃない!」
「え? だって、騎士団寮からお迎えが来たって……」
「お迎えが来たのは黒鴉騎士団寮だって言ったろ! レオニード様の所属は碧鯆騎士団寮だろうが!」
「だったら名前で言って下さいよ! 黒だの碧だの、寮の名前で呼ばれたって俺にはさっぱりわかんないっすよ!」
「バカ野郎! ここはスベイレンなんだぞ!? 学生騎士様の顔と名前と騎士団寮ぐらい頭の中に叩きこんでおけ!」
先輩警官の叱責に、新入りは大慌てで留置場へと引き換えしていった。
「……ったく、申し訳ありません。今、すぐに呼んできますんで、それまであちらに座ってお待ちください。そちらのお兄さんも一緒にどうぞ。碧鯆騎士団寮からすぐにお迎えが来るそうですから」
受付の警官はすぐそばにあるベンチを指すと、インターフォンを取り上げ留置場に居る看守に向かってクレームを入れる。
ここに居てはインターフォンに向かって罵声を浴びせる警官の邪魔になる。リドレックは警官の指示に従い、ベンチに腰掛けおとなしく待つことにした。
「……とりあえず、座ろうか」
「…………」
間違って連れてこられた少年――レオニード・レンクは、無言でうなずく。
二人並んでベンチに腰掛ける。
気付かれないようにレオニードの横顔を盗み見る。
こうして見ると成程、姉によく似ている。
細く尖った顎のライン。長い睫と柔らかそうな髪は、美貌で名高いソフィー・レンクにそっくりだ。
(……さて、どうしたものか?)
コーヒーショップでグッスに依頼された件は、もちろん忘れてはいない。
奇しくも絶好の機会に恵まれてしまった以上、反故にするわけには行かない。
約束通り、どうやって話を切り出せばよいかわからない。
「何か飲むかい?」
近くにある自販機を指さし訊ねると、レオニードは首を振った。
「いりませんよ、何も。……前置きはいいから、とっとと始めてくれよ」
「……? どういう意味?」
「とぼけんなよ。どうせあんたも俺に説教しようってんだろう?」
どうやら、リドレックの思惑はお見通しのようだ。
挑むような目つきでリドレックを睨め付ける。
「闘技大会が終わってから、ずっとこんな感じだ。寮長に始まりグッス先輩に姉さんと、入れ替わり立ち替わり、俺に説教しにやって来やがる。身内じゃ効果が無いと思ったのか、とうとう《白羽》先輩までお出ましときたもんだ――まったく、何だってんだよ!」
余程しつこく言われたのだろう。
レオニードはうんざりしたように頭を振る。
「どんなつもりかは知らないが、あんたの説教なんかに耳を貸すつもりなんかないからな!? 俺は、騎士になるんだ、絶対に! あんたみたいな負け犬で終わるつもりは無い」
指を突きつけ宣言する。
その瞳には確固たる意志が感じられた。
目標に向かって真っすぐに進もうとするその若さを、リドレックは素直に羨ましいと思った。
今のリドレックは負け犬呼ばわりされて怒る気力すら残されていない。
「騎士になるためには一つでも多くの試合に出なきゃならない。新人選手は試合に出る機会も少ない。スカウトの目に止まるには、その少ない試合を確実に勝利しなきゃならないんだ。あんたたちの言う〈ブック〉だの〈ジョブ〉だのクソ喰らえだ!!」
「無理だな」
熱く語るレオニードに向かって、リドレックは短く、そして冷ややかに言い放つ。
「……何だと?」
「試合でいくら勝利を重ねても、騎士になることはできない。スカウトは試合結果だけじゃなく内容も評価している。騎士として相応しい戦いが出来るのかを評価しているんだ。協調性の無い人間を、スカウトが騎士団に迎え入れると思うか?」
淡々と言い募るリドレックに、レオニードは口ごもる。
「騎士になりたいと言うのならば、騎士らしい戦いをしろ。対戦相手を一方的に叩きのめすような戦い振りは騎士として相応しくない」
「じゃあ、どうしろって言うんだよ? わざと負けろって言うのか?」
「そうじゃない。観客を魅了するには演出が必要なんだ――例えば騎上槍試合の場合は三本勝負だ。初めの一本は向こうに譲って、残り二本を取りに行けばいい。そうすれば相手の顔も立つし、鮮やかな逆転劇に観客達の印象に残る。相手の実力を引き出し、その上で勝利する。それが騎士の戦い方だ」
リドレックの説明に少なからず感銘を受けたのか、レオニードは目を見張り軽くうなずいた。
「君が相手にしなきゃならないのは、対戦相手でも、スカウトでもない――君の戦い振りを見つめる観客達だ。会場に集まった数千の観客。光子力通信網の彼方に居る数十万の観客達が君の戦い振りを見つめている。観客を魅了する戦いをすれば、騎士団のスカウト達も注目するようになる。レオニード・レンクの戦い振りを観客に見せつけてやるんだ」
《白羽》と呼ばれる自分が騎士の戦いについて語る――我ながら噴飯物であったが、リドレックは話を続ける。
「戦い方を見れば、その騎士の人となりと言うものがわかるものだ――君が勝敗に固執する理由は分かっている。お姉さんの為なんだろう?」
「…………」
下級貴族に生まれた女子の行く末は悲惨だ。
家名を守るために有力貴族の妾に差し出されるのが常であった。
特にソフィー・レンクのような美人の場合、その美貌をものにしようと邪な欲望を抱いた連中が群がって来るだろう。
「お姉さんに少しでも良い縁談が来るように、騎士になってレンク家の家格を揚げようとしているんだろう? 分かっているよ――この学校にいる皆が君たち姉弟のことを気にかけている。色々うるさい事を言うのは、君たちの事を思っての事だ」
レオニードは俯いたまま答えない。
少なくとも反論してこない所を見ると、説教の効果はあったようだ。
「君には応援してくれる仲間がたくさんいる。あせらずとも君の実力ならばきっと騎士になれるはず――僕みたいな負け犬になるようなことはないさ」
沈黙したまま俯く後輩の姿を見ているうちに、羞恥心がこみ上げて来た。
勢いに任せていろいろ恥ずかしい事を口走ってしまった。得意になって説教する自分の姿を思い出し、リドレックの顔が赤くなる。
気まずい思いをしていると、ようやく廊下の向こうからゼリエスがやって来た。
「よお、リド」
「よお、じゃねぇだろ。よお、じゃ! わざわざ迎えに来てやった友人に、他に何か言う事は無いのか!」
「ご苦労」
「お前ホント、何様だよ!」
「どうしたんだ、お前? 顔赤いぞ?」
「……もういい、行くぞ!」
ゼリエスの腕を掴むと、その場から逃げ出す様に歩き出す。
警察署を出た所で、小走りに駆けこんできた女性とすれ違った。
長くつややかな黒髪に、整った顔立ち――ソフィー・レンクだ。
「どうした?」
「……いや、何でもない」
足を止め、彼女の後姿を見送ると、トラムの最寄り駅へと向かって再び歩き出す。
トラムの駅は港湾地区の近くにあった。
貨物の往来の激しい港湾地区はその大半が、一般人が踏み込めない立ち入り禁止区域である。
ゼリエスが捕まったのも、この辺の筈だ。
「ところでゼル。お前、ここで何をしていたんだ?」
「別に」
リドレックが訊ねても、素っ気ない返事を返しただけだった。
「……そうか」
素直な返事は初めから期待していない。リドレックはそれ以上の詮索はしなかった。
捕まった場所以外にも、不審な点はいくつかある。
警官には酔っ払って道を間違えた、と言っていたそうだが、彼の呼気から酒の匂いはしなかった。
その代わり、ゼリエスの体からは隠し切れない濃厚な血の香りが漂っていた。




