第1話 もしかして……俺?
『ねぇ、チャッピー。聞いてくれる?』
「……なんだこれ?」
風呂から上がってベッドに寝転がり、いつものようにChatGPTを開いた俺は、見覚えのない文章に眉をひそめた。
もちろん、俺――中西有人が入力したものじゃない。
しばらく画面を眺めていると、また新しい文章が表示された。
ピコン。
『今日もちゃんと話せなかった』
続けて、もう一つ。
『どうしたら自然に話せるのかな』
どうも誰かの会話が紛れ込んでいるみたいだ。
「これ、どういうこと?」
スレッドを切り替え、AIに尋ねる。
『確認しています……』
数秒後、回答が表示された。
『ネットワークエラーのようです』
「ネットワークエラー?」
『はい。ログを辿ると、学校支給のタブレットを経由しているようです』
「なんでそんなことになってるんだ?」
『原因を検索しています……』
「また一から検索かよ」
『原因は特定できませんでした』
「…………」
学校支給のタブレット。
「ということは……うちの高校の誰かか」
ピコン。
『変に思われたくないんだよね』
また文章が表示される。文章の口調からして、たぶん女子だろう。
その下に、AIからの返答が続いた。
『好きな人を前にすると、意識してしまうのは自然なことですよ』
「……恋愛相談?」
どうやら誰かがAIに相談していて、その会話が俺のところに紛れ込んでいるらしい。
「他人の恋愛相談を、覗き見るのも悪いよな……」
俺は画面を閉じようとした。
ピコン。
『同じクラスだから、毎日会うし』
指が止まる。
同じ学校。しかも、同じクラス。
『席替えしてから、前より近くなったの』
さらに文章が続く。
『今、隣の席なんだけど』
「……隣?」
思わず、学校の自分の席を思い浮かべた。
俺の隣に座っているのは――
一ノ瀬美月。
「いや、まさかな……」
◇
翌朝。
教室に入ると、一ノ瀬さんはもう隣の席に座っていた。
胸元まで伸びた明るい茶色の髪。柔らかく波打つ髪の一部を、耳の横で細く編み込んでいる。大きな茶色の瞳に、整った顔立ち。
派手なタイプではないのに、教室にいると自然と目を引く。
たぶん、こういう女子を美少女というんだろう。
昨夜までは、ただ隣の席の女子だった。なのに今朝は、どうしても気になってしまう。
――いや、まさかな。
そう思いながら席に着く。
一ノ瀬さんとは、隣の席になってからもほとんど話したことがない。
朝、顔を合わせても挨拶すらしない。
今日も同じだった。
一ノ瀬さんはこちらを見ない。俺も声をかけない。
――やっぱり違うか。
「おはよ、有人」
後ろから声をかけられる。振り返ると、幼馴染の菅原日奈が立っていた。
「ああ、おはよう日奈」
短めの黒髪に、部活焼けした健康的な肌。朝から妙に元気なのも、昔から変わらない。
「相変わらず、朝からいい声してるね」
「うるさいな」
「褒めてるんだけど」
日奈は笑いながら自分の席へ向かっていく。
昔から、声だけはよく褒められる。
勉強も運動も顔も普通。よくある髪型の黒髪で、身長も体格もだいたい平均。これといって目立つところのない俺に、分かりやすい長所があるとすれば、そのくらいだ。
俺は何気なくスマホを取り出して、ChatGPTを開く。
ピコン。
『チャッピー、今日も挨拶すらできなかった』
「……え?」
昨夜の会話が、まだ続いていた。
『せっかく隣の席なのに』
俺はゆっくり顔を上げる。
一ノ瀬さんは何事もなかったように、スマホ片手に鞄から教科書を取り出していた。
心臓が、少しだけ速くなる。
いや、待て。
今朝、隣の席で挨拶すらしていない女子なんて、他にもいるはずだ。
たぶん。
俺はスマホを伏せた。
考えすぎだ。昨夜あんなものを見たから、一ノ瀬さんと結びつけてしまっているだけだろう。
そのまま朝のホームルームが始まり、やがて一時間目の授業になった。
◇
休み時間。
次の授業の教科書を出そうとして、俺は隣を見る。
一ノ瀬さんはスマホを見ていた。
「あのさ、一ノ瀬さん」
「えっ?」
思ったより大きな声が返ってきた。一ノ瀬さんは慌ててスマホを伏せる。
「次って数学だよね?」
「あ、うん。数学」
「そっか。ありがとう」
「うん」
会話終了。
別に聞かなくても分かっていた。我ながら、何をやってるんだろう。
俺はスマホを開く。
ピコン。
『チャッピー、どうしよう。急に話しかけられた』
「……」
俺はゆっくり隣を見る。
一ノ瀬さんは、さっき伏せたスマホを両手で握ったまま、じっと画面を見つめていた。
――これも偶然なのか?
俺が話しかけた直後に、『急に話しかけられた』。
しかも一ノ瀬さんは、今まさにスマホを触っている。さすがに出来すぎている気がする。
ピコン。
『変な返事してなかったかな』
変な返事。さっきの「えっ?」のことだろうか。
俺はスマホから目を離し、もう一度隣を見る。
一ノ瀬さんはまだ画面を見ていた。
――もし、これが本当に一ノ瀬さんの相談だとしたら。
昨夜から俺が見ていたのは、一ノ瀬さんが好きな男子について相談している会話ということになる。
でも、それが俺とは限らない。隣の席だって、反対側かもしれない。
俺は何気ないふりをして、一ノ瀬さんの向こう側を見る。
そこには男子の席がある。
「……だよな」
小さく呟いて、スマホに目を戻す。そのとき、ふと視線を感じた。
顔を上げる。一ノ瀬さんが、こっちを見ていた。
目が合う。
一瞬、一ノ瀬さんの表情が固まった。すぐに、ぱっと顔を逸らす。
ピコン。
手元のスマホが鳴った。
『チャッピー、今、目が合った』
「……え?」
スマホを見る。
一ノ瀬さんを見る。彼女は俯いたまま、こちらを見ようとしない。
もう一度、スマホを見る。
いや、待て。これって――。
もしかして……俺?




