八話 穢れ湯の向こう(前編)
今日も私のスマホはお祈りメールしか届けてくれない。
いい加減、定型文も覚えてきちゃったよ。
「鈴子ー、まだ決まらないの?」
呆れたような美香の声もいい加減聞き飽きた。自分がもう決まってるからって……!
「まだだ、まだあきらめない……!」
だって、希望はある。幽世からの縁を切れば、私にも輝かしい内定通知が……!
「鈴子、そういえばお迎え来てたよ」
「え?迎え?」
「そう、門のところに例のイケメン」
「ちょっと、何でもっと早く言わないの!」
「いや、あんたお祈りメールに落ち込んでたから、なかなか声かけられなかった」
慌ててバッグをつかむと、私は門に走った。
あのイケメンを立たせておいたら大変なことに……!
思った通り、門の外にいた紅葉さんは同じ大学の女子たちに囲まれていた。
「あのお、モデルさんですかぁ?」
「え?僕はそこらにいる普通の人間だけど?」
神様が一般人なわけあるか!!
「こんなにかっこいいのに!?目も青いし、外国の方ですよね!?え、私の所属してる事務所に紹介しますよ!モデル興味ないですか!?」
って紅葉さんをスカウトしてるの、読モやってるって子だ。
「モデルって何?」
「ええー。それ面白い!ギャグー?」
「あはは、ごめんね。待ち人が来たみたいだ。鈴子ー。こっちこっち」
あああ、手を振って呼ばないで……!!ほら、めっちゃ睨まれてるうう!!
「迎えに来たよ」
うん、そのロイヤルスマイルやめて。
私、めっちゃ冷や汗かいてる。
紅葉さん、自分の人間型の美形っぷり自覚してーーー!!!
「紅葉さん、行きましょう!」
思わず手をつかんで、その場から離れる。
突き刺さるような視線をいくつも感じたけど、この人……いや人じゃないけど、美形は男でも女でも引力すごいことを一回説教しないといけないかな……。無頓着すぎる。
「ちょっとちょっと鈴子、痛いってば」
「あ、ごめんなさい」
手を離すと、紅葉さんが瞳の色を金色に戻して、私を見る。
「もう、今日は大事な話をしに来たのに」
「大事な話?」
「そうよ。っても、道端でする話じゃないから、湯けむり庵へ行くわよ」
今度は私が紅葉さんに手を取られた。
湯けむり庵の暖簾をくぐると、すぐにふわりとお香の匂いと温かい蒸気が迎えてくれる。
まだ開店前だから閑散としてるけど、掃除は終わって湯は張ってる最中らしく、建物の中は良い香りがしていた。
「さて、鈴子。今日はあなたの鑑定スキルを上げるわよ」
紅葉さんに促され、湯けむり庵の脱衣所に設えた小さな祭壇の前に座る。
「鑑定スキルを上げる?ですか?」
「そう。ここまでの怪異を幽世に還した経験で、あなたの経験値はかなり積まれているはず」
経験値……?
「まず、これを開帳してみて」
紅葉さんが差し出したのは、きれいな手のひらサイズのガラス玉だった。
「分かりました」
紅葉さんからガラス玉を受け取り「開帳」と手を乗せて呟くとふわふわと文字が浮かんだ。
如意宝珠
荼枳尼天がその手に持つ宝珠
どんな願いも叶える
「……って、ド〇ゴン〇ール的なもの!?」
「なにそれ?」
「えっ、知らないんですか!? 七つ集めたらどんな願いでも叶うっていう伝説の玉で――」
「七つも要るの? 非効率ね」
「そ、そういう問題じゃ……!」
ああもう、神様なのに神話と漫画の違いが分かってない……!
「まあ、そんな伝説的な力は今は関係ないわ。大事なのは――あなたがそれを“どう視るか”よ」
「視る……?」
「そう。鑑定……開帳スキルは、対象をただ“読む”力じゃない。“真実”を視抜く力。嘘も、偽りも、隠された想いも、全部よ」
紅葉さんが指先で軽くガラス玉を弾くと、中の光が一瞬だけ強く瞬いた。
その光を見つめていると、心の奥のどこかがぞわりと震える。まるで何かが開くような――。
「……今、少し見えました。ガラス玉の中で、光が……流れたみたいに」
「上出来よ。あなたの目見たものは、いわば、この如意宝珠の力の根幹の光。幽世のための力」
「幽世の……力?」
「そう。それがあなたが見つけ出すべき最後の糸」
謎めいた紅葉さんの言い回しの意味が分からないまま、私はただ手のひらのガラス玉を見つけた。
「そう、しっかり見てごらんなさい」
紅葉さんの声が湯けむりに溶け、静かな空間に響く。
湯の音とともに、私の掌に乗る光がゆっくりと形を変えていく。
視界の端に、淡く数字が浮かんだ。
〈鑑定スキル Lv.2 → Lv.3〉
「……3になった」
「ふふ、やっぱりね。あとは“銭湯スキル”の仕上げをすれば、今日は終わりにしましょう」
「銭湯スキルって、結局なんなんですか?」
「湯を介して人の“縁”と“穢れ”を読む力よ。言ってみれば――あなた専用の“祓いの術”ね。ちなみに文太の銭湯スキルは5だったわ。それが上限みたいね」
「……私は今3だから、ひいおじいちゃんに並ぼうと思ったらあと2も上げないといけない……!?」
「大丈夫よ、私がついてる」
「紅葉さん……」
「鈴子。あなたがここで過ごし、手伝い、湯を守る行為。それが全て銭湯スキルに必要だったものなのよ」
紅葉さんが湯けむりの向こうで微笑む。
そう言われると、この湯けむり庵の仕事が少し違って見えてくる。
ここは、ひいおじいちゃんが作って、紅葉さんや紅葉さんの眷属っていうあの子たちや、おじいちゃんおばあちゃんが守ってきた場所だ。
私にとっても大事な場所。だったら……。
「紅葉さん、銭湯スキルを上げる方法を教えてください」
「あら、いい顔になったわね。分かったわ。じゃあまずお風呂に入りましょう」
「……は?」
「私も一緒に入るから」
と、紅葉さんが私を脱がそうとしてくるんだけど!!
「ちょ!紅葉さん!!紅葉さん、今の自分がどっちかわかってますか!?」
必死で叫ぶと、紅葉さんは「あら」と今の己をまじまじと見て、指をパチンと一つ鳴らしてパッと女型に変わった。
「これでいいかしら?」
「……もうほんと、これ、下手したら犯罪案件ですからね」
「あはは、ごめんなさい。あまり気にしてなかったわ、そういうの」
「まあ紅葉さん神様だもんね……」
女型の紅葉さんの前なら抵抗なく脱げる。
紅葉さんも脱いで、2人で洗い場に行くと、もわりとした重い空気があった。
「うわ、なんか重い感じがする……」
「そうよ、これは穢れ湯」
「穢れ湯……?って、別にお湯は汚れてませんよ?」
おじいちゃんとおばあちゃんの掃除は行き届いていて、今日も洗い場はピカピカだし、湯船のお湯もきれいだ。
「うーん、じゃあこれを触ってみて」
湯船から桶に汲んだお湯を差し出され、手のひらをつけると、温かいけど、なんか変。……ぬるぬるしてるような、妙な粘り気が……。
「え、なにこれ、なんかぬるぬるする。きれいなお湯なのに」
「それが“穢れ”よ。人の疲れや悲しみ、欲望――日々、湯に溶け込んでいくもの」
紅葉さんはすくった湯を私の肩にそっとかけた。
瞬間、ぞくりと背筋が震える。適温で温かいはずの湯が、氷のように冷たく感じた。
「これを斬ってもらうわ。それがあなたの銭湯スキルを上限まで上げる最後に必要なこと」
紅葉さんの声は冷えていて、私はなんだか今からやることがとても怖くなった。




