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六話 通りゃんせ(後編)

「さて、これでいいわね」

 紅葉さんが、神棚に新しいお札を入れてくれた。うん、私やおばあちゃんじゃ手が届かないから、身長の高い紅葉さんがいてくれて助かった。

「じゃあこっちの古いお札は、鈴子、お焚き上げをするわよ」

「お焚き上げ?」

「ええ。準備をするから、中庭にその古いお札を持っていらっしゃい」

「……はあ」

 中庭に行くと、紅葉さんが塩と半紙を持ってきてくれた。

「お札に塩を振ってから、半紙に包んでごらんなさい」

「は、はい」

 言われた通りにすると、紅葉さんが中庭の真ん中に、小枝で作った小さなお焚き上げの台の上に乗せるように言うのでその通りにした。

「あ、待ってください。紅葉さん」

 火をつけようとする紅葉さんに、私はふと気づいたことを言わねばと思った。

「あの、紅葉さんの古いお札は?一緒にお焚き上げしなくていいんですか?」

「あ!」

 思い出した!とでも言うように、紅葉さんの頭に狐耳が跳ね上がった。

「嫌だ、うっかりしてたわ。ちょっと持ってくるわね」

 慌てたように表の社に向かう紅葉さんを見て、怪異を前にするとあんなに頼りになるのに、コーヒーゼリーにはしゃいだりこんなうっかりしたり、割と抜けたとこもある可愛らしい神様だよなぁ、紅葉さんってなどと微笑ましく思った。

 しばらくして、紅葉さんが社から戻ってきた。手には少し焦げたような古いお札を持っている。

「これね、私の分。長いこと、この庵を守ってくれた子たちの気が残っているの」

「……子たち?」

「茜たちよ。お札の中にも、あの子たちの祈りや力が宿っていたから」

 紅葉さんの指先が、そっとお札の角をなぞる。

「ありがとうね。おまえたちのおかげで、鈴子もここも、無事に過ごせたわ」

 その声はやわらかくて、風に溶けていくようだった。

 紅葉さんのお札にも塩を振って半紙で包んで、台の上に乗せる。

 紅葉さんが指を鳴らすと、火が静かに灯る。白い半紙が淡く光りながら燃えて、灰が舞い上がる。

「幽世で頑張ってるあの子たちもきっと見てるわ、今の湯けむり庵をね。ここはあの子たちにとっても人間の言葉で言うなら、故郷みたいなものだから。私もここには長くいるから、私にとってもここは故郷みたいなものね」

 故郷……この銭湯を故郷と思っている神様たちがいるんだ……。

 灰が風に舞い上がる瞬間、ふと、子どもの笑い声のようなものが耳の奥で弾けた。

「……?」

 振り返っても誰もいない。ただ紅葉さんが、静かに目を細めて火を見つめている。

「ここにあったものが還っていくのよ……」

 紅葉さんの呟きに、胸があたたかくなった。


 灰を片付けて、おじいちゃんとおばあちゃんが帰ってきたところで、みんなでお茶しよう、ってことになって、おばあちゃんが買ってきてくれたお団子で中庭を臨む縁側に並んで座ってお茶を楽しむ。

「紅葉さん、鈴子、お札の交換とお焚き上げありがとうね」

「鈴子じゃはしごがいるかと思って、一応用意しておいたけど、紅葉さんがしてくれるのなら必要なかったな。あとで片付けておくか」

 おじいちゃんが笑って言う。

「うん、紅葉さんがいなかったら届かなかった」

「ふふ、神棚って高いところにあるほうが落ち着くのよ。人の願いの声が、少しでも聞こえやすいように、ね」

 紅葉さんが湯呑を両手で包みながら微笑む。

 その笑顔を見ていたら、なんだか胸の奥がほんのり熱くなった。

「……お札って、ただの紙じゃないんだね」

「ええ。願いと祈りが積もったものよ。だからこそ、古くなったものはきちんと還すの」

 紅葉さんの言葉に、私は頷いた。

 おばあちゃんが湯呑を置いて、優しく言う。

「鈴子もね、昔はこの湯けむり庵の結界の中で守られてたのよ。七つまでは、紅葉さんたちがずっと見ててくれたの」

「え……そうだったの?」

「七つまでは神の子って言ってね。昔は子供が良く死んでいたから、それは子供は七つまでは神様の子だから七つまでに死んだ子は神様のところに還ったんだって言われてたの」

「ええ、だから七つまでの人の子は、怪異に魅入られやすくてね。鈴子は文太と似ていたから、怪異に好かれやすいから私の眷属の子たちに七つまでは守ってもらっていたのよ」

「そうだったんだ……。ありがとう、紅葉さん」

「どういたしまして。まあ今じゃ鈴子も怪異斬りになっちゃったけどね」

「それに関してはなんで?って正直思ってます」

「就活のためでしょ?」

「まあそうなんですが……」

 お茶のあと、片付けをしていたときだった。

 紅葉さんが、焚き上げの跡に残った灰をそっと集めて、小瓶に入れていた。

「紅葉さん、それ……」

「お焚き上げの灰よ。さっきのお札たちの“還り火”の名残」

 紅葉さんが瓶を光にかざすと、灰の中に小さな光の粒がちらちらと瞬いた。

「この灰には、まだ“護り”の気が残っているわ。鈴子、少し分けて持っていきなさい」

「え、私が?」

「お守りよ。これから少し厄介な怪異を斬ってもらうから」

「厄介……?」

 紅葉さんが目を細めて、西の空を見た。

 夕暮れの彼方、湯けむり庵の煙突の向こうに、黒いもやのようなものがゆらゆらと立ち上っていた。

「……あれは?」

「“迷い火”ね。幽世に還りきれない怨嗟の灯り。お焚き上げで流れが動いたせいで、見えなかった迷い火が浮き上がったのかもしれないわ」

「え、それってまさか――」

「放っておくと、夜の道で人を迷わせて、そのまま幽世へ連れて行くのよ。神隠しってきいたことある?あれは迷い火が人を連れて行くのよ」

 紅葉さんの金の瞳が細く光った。

「うわ……まさかお団子食べたあとに実戦……」

「食後の運動にはちょうどいいでしょう?」

「そんな軽いテンションで言わないでください!」

 私は紅葉さんにもらった灰の小瓶をポケットに入れ、手ぬぐいの手に湯けむり庵を飛び出した。

 まだほんのり煙の香りが残る中庭に、灰のきらめきがひとすじ、風に舞い上がった。

「鈴子のことは私に任せて」

 とおじいちゃんおばあちゃんに言い残した紅葉さんが私を追いかけてきて、並んで走る。

 イケメンと並んで走るものだから、夕暮れの帰宅途中の街の人の視線が痛い。

「いたわ!あそこよ、鈴子!」

 TPOをそっちのけにした紅葉さんが叫ぶ。そこには暗い路地裏にうねうねした黒い塊が逃げ込もうとしているところだった。

「鈴子!さっきの灰を投げつけなさい!」

「は、はい!」

 紅葉さんに言われるまま、ポケットから出した小瓶を握りしめて、力いっぱい黒い塊に投げつけると、ボウっと青い火が燃え上がった!


 グァァァァァァァァ!!


 この世のモノとは会思えない悲鳴をあげて、黒い塊の動きが止まる。

「鈴子!今よ!」

 私は手ぬぐいを手に、心の中で叫んだ。


 ――幽世に還れ!!虹霞斬!!


 複数の糸が私に迫ってくるのが見えて、一瞬ひるんだけど、大丈夫、紅葉さんがいてくれる、と冷静さを取り戻して勢いよく虹色に光る手ぬぐいブレードを、青い火に包まれた塊目掛けて振り下ろす!!


 ギャアアアアアアアア!!!


 すさまじい断末魔の中、青い火がボワッと勢いよく立って黒い塊を浄化していく。

 路地裏に残ったのは、焦げ跡ひとつと、ほんのり漂う線香のような香りだけ。

 その香りがまるでほどけた糸のように空気に散っていくのを感じた。

 それを見たからなのか、私の体もふわふわと一瞬空気に紛れたような気がした。


「……終わった?」

 息を切らしながらつぶやくと、紅葉さんが静かに頷いた。

「ええ。きちんと還っていったわ。鈴子、よくやったじゃない」

 金の瞳がやわらかく笑う。

 その笑顔を見たら、ようやく緊張の糸が切れた。

「ふ、ふぅ……お団子のカロリー、全部消費した気がする……」

「だったらもう一串食べてもいいわね」

「そういう問題じゃないですよ紅葉さん!」

 私が抗議する声に、紅葉さんは「ふふ」と小さく笑った。

「帰りましょう。今夜は、きっといい夢が見られるわ」

「ほんとに?就活成功の正夢がいいなぁ私」

「うふふ、だといいわね」


 私は苦笑して、紅葉さんと並んで歩き出した。

 街灯の明かりがふたりの影を長く伸ばし、その先で、風がまたひとすじ――灰の光をさらっていった。


 通りゃんせの歌声が優しく私の中で響いて、それはあの灰から聞こえた気がした昔懐かしい友達たちの声だった。

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