35.荒療治
(ヴィア)
ヨミに引っ張られていた。右手と繋がった、ヨミの左手の感触だけがしていた。どうやって歩いたのかよく分からない。お前らは、シュナのことを何も知らないのな。ヨミの言葉が頭の中を回る。
「――――おい、おい!」
「っ」
ふと気づくと、ヨミは歩くのを止めて、私の顔を覗きこんでいた。水色の澄んだ両目が、直ぐ近くにあった。私はその両目と真正面から向き合っていた。私は今、どんな顔をしているだろう。分からなかった。ヨミが何を見ているのか、分からなかった。
「どうして?」
私はそう言ったが、何を訊いているのかも分かっていなかった。私は何を訊きたいのか?ヨミに訊いたところで、ヨミを困らせるだけだろうに、私はそう聞くことを止められなかった。何かに問わなければ、耐えられない。
「知らん」
ヨミの返事は短く、そこでぶつりと切れた。ヨミは前を向いて、再び歩き始める。それは拒絶だった。いや、拒絶なんてことはない。ここ、監獄では、人の馴れ合いなど害でしかない。痛い。――――ねえ、どうすればいいの。知らないもの。身体を刻まれても、肌を剥かれても、いくら血を流し顔を縫い止められたとて痛いのは表皮だけ。私は知らない。内面の痛みにどうやって対処すれば良い?
「ヴィア、部屋まで案内しろ」
どこまで来たのか、見慣れた廊下を前にして、私は音を出す。真っ直ぐに――――右に左に。歯を止めた。歯を食いしばっておこう。前を向こう。目を見開いて、唇を引き結んで、痛みなど無視をしてしまおう。そうだ。私は何に傷ついている?私のどこに、なにに、傷つく資格があった?部屋が偶に一緒なだけで、ろくに話もしない人の、その違和感に気づいただけだ。ああ、そうだ。それがいい。
痛みは、ないとも。痛くないとも。
「ここか?」
見慣れた扉だ。どの部屋も同じ扉だが、傷跡も錆びた様子も一つ一つ違う。君、鍵がかからないのは、普通じゃないんだってよ。鍵がかからないのは君だけらしいよ。それに気づくかなかったって、馬鹿なこと。とはいえ、今まで、二週間、シュナに会わなかったとしても、私は騒ぎ立てもしなかった。無理矢理にでも笑ってしまおうか。私の愚鈍さに嫌気がさす。
部屋に入って、私はその場に立ち尽くしていた。暗く、狭く、何もない。微かにでも私達の部屋にあった痕跡は、一つも無い。全てが幻想であったかのように。
「おい」
振り返るとヨミがいた。部屋には入らず、外から見ている。廊下の青白い光が、ヨミの輪郭だけを浮かび上がらせていた。眩しくて、私は目を細めた。
「送ってくれてありがとう」
ヨミは息を詰めた。無言で私を見下ろしている。その表情はよく分からず、起こっているようにも呆れているようにも見えた。
「入って良いか?」
少し間があって、ヨミが部屋に入って良いのかを訊いているのが分かった。ヨミは変なところで律儀だ。この監獄内で、踏み潰され、見下され、痛めつけられようとも歪んでいない。ああ、私もそうでいたかった。そうありたかった。
私は無言で首だけを縦に振った。何がしたいのかはよく分からないが、私にそれを止める権利はないだろう。
シュナは大股で部屋の中に入ってきた。そのまま止まることなく、私に近づいてきて右腕を振りかぶった。妙にゆっくりとした景色のあと、左頬に衝撃が走った。私は飛ばされる。ベッドの枠に酷く身体を打ち付けた。
頬が痛む。なんで私は殴られた?もう意味が分からない。意味が分からない。私が何をした?――――多分この感情を、苛つきと人は呼ぶ。
全身の筋肉を使って跳ね起きて跳躍して、右の拳を全力で振り抜いた。ヨミの顔を吹っ飛ばす。油断していたからかどうなのか、ヨミの身体は面白いように吹っ飛んだ。大きな音を立てて壁にぶつかる。頭は打っていないようだから問題はないだろう。倒れ込んだヨミは、さっと顔を上げた。横から差した光で、ヨミの目がぎろりと私を睨んだのが分かった。
無言で私達は殴り合った。私は全力だった。小さき者が大きな者にしがみつき、必死に歯を立て抵抗するように、私は何度もヨミを殴って蹴った。ヨミもヨミで私を殴ったし蹴った。手加減をしていたかどうかは、怪しいところだ。お互い、相手の骨を折るような真似はしなかったが、暴力を振るうことに躊躇いもしなかった。
どれほど喧嘩をし続けたのか分からない。毎日の訓練で無駄に体力と、痛みへの耐性を鍛えている私達だ。お互いにさしたる攻撃力もないから、かなりの長時間むやみに戦い続けた後、同時に床に膝をついた。
しばらく私は床に倒れ込んで、荒い息だけ吐いていた。肩が上下する、肺が空気を求めて活動する。部屋の中にはもう一つ存在があって、それも私と同じように荒い息を吐いていた。
荒い息はそのままに、私は身体を起こす。ヨミは案外近くにいた。ヨミは私が身体を起こしたのに気づくと、一気に身体を起こした。幾筋もの汗が肌を伝っている。水色の前髪が肌に張り付いていた。ヨミはぶるりと身体を震わせた後、私を指さした。指さしたが、口を数度開閉したが、何も言わなかった。ヨミは唇を変な方向に曲げていた。・・・何を言うか迷った?
「ヨミ、シュナは管理人?」
その言葉はするりと私の口から出て、ヨミは驚いたようだった。流れた汗が服に染みこんでいく。シュナが何をしているのか。管理をしていると考えれば、多少の都合はつく。ついてしまう。でもそうだとしたら――――シュナは。
「シュナに聞けば良い」
ヨミは目を合わせて、その言葉はさらりと吐かれた。ヨミのその言葉は、確かにそうだった。実に正しかった。それをさらりと言えてしまうヨミが、羨ましかった。私は微笑んだ。もう一度床に倒れる。身体全身が支えられているのを感じた。
「ヨミ、シュナを探すのを手伝ってくれる?」
「ああ」
間を置かず返される声も、ヨミの優しさそのままであった。不器用な人――――真っ直ぐな人。
「ありがとう」
「別に」




