19.会敵
――――《赫炎花》
黒い影に、壁に、床に咲いた赤い花が炎となり、一瞬にして辺りを舐め尽くす。死を吐き出す炎の渦である。巻き込まれた黒い影は、他愛もなく掻き消えるように消滅させられていく。アイナは炎の中にいた。赤い目に、炎の照り返しが映る。アイナは唇をつり上げて、目の前の敵を蹂躙していた。
――――《無垢たる悪意》
黒い影は倒れて消える。それはどんな派手なエフェクトもない、ただの与えられた死。静かに微笑んだフュスラに攻撃をしかけることすら許されないまま、黒い影は散りゆく。足元に広がる水はただただ清純。
数秒とたつことなく、目の前の黒い影は一つ残らず消えた。二人は息一つ乱すことない。
「この黒い影、訓練の相手とよく似ているわね」
「うん、もう少し凶悪な顔をしているように見えるけど」
黒い影は黒いポリゴンとなって消えた。その様子は訓練の相手が傷をつけるとポリゴンをまき散らすのとなんら変わらない。ただ、この黒い影が訓練の相手に似ているのか、訓練の相手が黒い影に似ているのか、どちらなのかはあやしいところだ。
「一面に広げようか」
「そうね」
二人は《領域》を広げた。アイナの《領域》が広がる側から花が咲く。赤い花が乱れ咲く。鉄骨の隙間から生え、天井の裂け目から生え、無骨な空間をいとも鮮やかに塗り替える。フュスラの《領域》はアイナの《領域》より静かに広がった。瞬きする間もなく水が満ちる。何処からか降ってくる仄かな光は、たとえ《領域》の範囲が何十倍になろうとも静謐に降る。
それほど待つまでもなく、二人の《領域》は同じ階を網羅した。さすがに戦闘となるとこれほどの広さを維持するのは厳しいが、することが同じ階の探索なら楽なものである。二人は今現在《領域》内にいるものを大体把握できる。
「・・・私達が住んでいる階層と同じくらいの広さね」
「そうだね。上まで広げる?」
上――――外へ。まだ見ぬ、外界へ。《領域》を広げることは容易である。
「アイナ、青空ってどんなものかな?」
「――――ろくなものじゃないわよ」
「見たいなぁ。ねぇ、眩しいんだろうね。綺麗なんだろうね」
アイナは沈黙した。その首筋を、小さな汗が伝った。アイナは笑った。
「わ、なんか大変そうだ。アイナ、死なないでね」
「自分に言っておきなさい」
二人は急速に《領域》を縮める。《領域》がかなり小さくなったとき、二人はそれを目視で捉えた。
人だ――――ご丁寧に二体いる。それはゆたりと二人に向かって歩いてきていた。黒一色であることに変わりはなかったが、それはいつも二人が訓練で相手をしている人型とは随分違った。服の裾が揺れる。古びた形のドレスを着ているのだ。二体が全く同じタイミングでヒールを履いた足を踏み出すたびに、足音が鳴り、残骸まみれの空間に響く。
カツーン。カツーン。
作りかけのお姫様の人形だと、皮肉げにアイナは考えた。不自然に細い腰が、長い長い髪がどうにも好かない。
十分に近づいた時、フュスラの蒼い目が少し大きくなった。
二体には顔があった。二つの目、眉、きっちりした鼻、唇。どこかで見たような、お手本のような顔立ちである。目は何物も映さず、唇は粘土のように固まっている。顔があってより人間らしいことは間違いない。
「なんだか、服が被ってて嫌だな」
フュスラは眉を顰めて、自分のワンピースの裾を握った。アイナはちらりとフュスラを見て、扇を開いた。
二体は別れる。そしていきなり走り出した。ヒールの音が高く、激しく鳴る。未知の会敵。アイナとフュスラは怯むことなく迎え打った。怯むということなど二人はしない。いや、二人は怯むという言葉など知らない。
――――《紅繊華》
――――《慈しみの慰め》
二人は即座に《領域》を強化する。二人の《領域》が衝突し、仲間割れをするかと思われた矢先であった。
床の咲いた花が消失、入れ変わりに赤花が天井に咲いた。隙間など許さぬといった剣幕で、花開く。アイナがフュスラに主戦場たる床での《領域》を譲ったのだ。フュスラは猛々しかった。アイナは冷静であった。
水面に赤花が映る――――真っ赤だ。真っ赤な河面のように、気狂った色が辺りを満たす。
二体の肌がばちりと弾けた。弾けるとともに、肌の至る所に丸い傷跡が無数に空く。フュスラの《無垢たる悪意》の発動。だが、二体は耐えた。厳密にいえば耐え切れはしなかったが、二人と二体の間を詰める時間ぐらいは耐えられそうであった。二人は近接戦が中長距離戦より不得意なのは見ての通りだろう。
キィャハハハッ。
肌を崩しながらも無表情だった二体の顔が、裂ける。それは笑い。吊り上がった唇が耳元まで伸びる。かなりのホラーである。
アイナが一歩前に出た。アイナもフュスラも前衛ではないが、この組み合わせならばアイナが前に出るのが妥当であった。
扇が半円を描くように開く。角度を付けて折れ曲がったアイナの艶やかな手が閃く。空気を切り裂き、風の刃が飛んだ。《技能》ではない。何度も使うにつれ、身体の一部のようになったアイナの《刻印》のなせる技であった。
二体の肌が裂けた。だが浅い。それはあまりにもひ弱な攻撃だった。――――二体が何一つ気にせず、走り続けようとした時、アイナの笑みは一層深まった。傷口から、赤い花が咲いた。
――――《赤花》
それは唐突であった。二体は裂けた肌からどのような原理によってか赤い花を咲かせた。それは咲き止まない。後から後から溢れだし、赤い花びらを零す。キィェと叫んだのは二体のうちのいずれであろうか。いつしか赤い花びらは炎となり、二体の身体を業火が包む。皮膚が焼ける。花が散る。アイナの赤い唇がつり上がる。
――――《赫炎花》
ぴんと開かれた黒い扇が二体を指し示す。黒い扇に赤い花びらが舞っているのが鮮やかだ。惨劇だ――――惨状だ。
一体は崩れ落ちた。その身体は端から灰となる。二体目は耐えた。アイナとの距離は既に腕一本を伸ばすほどである。二体目は炎の咲く腕を振り上げた。
アイナは微動だにしない。その赤い目は振り上げられた腕を写すのみ。
「《可憐な愛》」
二体目は腕を振り上げていた――――その腕が振り下ろされることはない。二体目の身体は巨大な光る水の槍に貫かれていた。それは焼き切れた長い髪の残りを結い止めながら肩口から腰を貫通していた。二体目の身体はポリゴンと変わり、消えてゆく。
フュスラは《無垢たる悪意》と《慈しみの慰め》ばかりを使うが、それしか使えないわけではない。使っていない手札は存在する。
水の槍を放った本人、フュスラは微笑んでいた。いつもと変わらない微笑みであった。




