12.半日の自由時間(フュスラ視点)
――――《慈しみの慰め》、《無垢たる悪意》
私は一人で訓練の部屋の中にいた。端が見通しにくいほどの大きさの部屋の中を埋め尽くすほどに広大な《領域》を発動し、追い打ちをかけるように連続で《技能》を発動させる。
部屋の床一面には透明な水が張られる。ただただ仄かな光が幾千と幾万と降る。水面に触れ波紋を生み出し、一時の痕跡を残して消える。
昔はもっと小さい《領域》だった。昔を思い出すのはあんまり好きじゃないけど、忘れないことって結構ある。――――ね?
私の《領域》は人がぎりぎり横になれそうなほどの大きさから始まった。訓練を積むほどに《領域》は大きくなった。効果も増大した。でもまだ終わらない。まだ私は強くなれる。強くなる。
決闘でも試合でも、よく使うのはこの《慈しみの慰め》と《無垢たる悪意》であるから、訓練で重点的に鍛えるのもこの二つだ。毎日二時間、この二つを発動させ続ける。できる限り広い範囲に、できる限り強力な効果を。単純かな、愚鈍かな?――――そうやって私は生きてきた。
じっとりと汗が流れる。息が切れる。一歩だって動いていないのに、私の身体は音をあげそうになっていた。でも能力を途切れさせることはない。途切れさせたらそれは私の負けで、ここで負けるようなやつが監獄で生きていけるはずがない。私はそう、心の底から思っている。
私は微笑みを浮かべた。それはいつも気を付けていること。何があろうと、私は常に微笑みを浮かべる。怒りの顔や泣く顔を誰かに見せて、私の底を見せるようなことはしない。私はこの監獄で、絶望も墜落も、王座からの転落も何一つみせてやらない。
――――例外はいるけれど。
私は訓練を終えた。今日は午後から自由時間。普段であれば他の人と談話に興じたり、音楽を聞いたり、会議を開催したりするけれど、今日は特別。微笑みが意識して作っているものから、自然に浮かぶ笑みに代わる。
訓練の後の汗を流すべくシャワーを浴びる。丹念に水気をふき取り、髪を乾かす。長いから、乾かすのにも時間がかかる。でも私の長い金髪は、自分でも見ても素敵だと思う。服も変えた。訓練をしないから、一等上等な可愛らしい服へ。
実は《ベラ》を払って、訓練時間を少しだけ短縮している。…準備って時間がかかってしまうから、仕方ないもん。とはいえ、今日は朝早く起きて自主訓練をしたから、訓練の時間はいつも通りとれている。睡眠時間は大切だけれど、他の日も朝起きて自主訓練の時間に使うのがいいかもしれない。現状での足踏みは、私には似合わない。
私は微笑んで、鼻歌を歌った。
――――今日は大好きな人が来るから。
私は自分の部屋にいて、扉がよく見える椅子に座っていて、シュナが来るのを待っていた。可愛いねって言ってくれるかな?訓練を頑張ったねって褒めてくれるかな?そわそわしていて、どきどきしていて、とっても期待してしまう。
自由時間が始まった。時間が過ぎた。私は首を傾げた。………………シュナが来ない。いつもなら時間とほとんど同時刻に来るのに。にっこり笑って、余裕しゃくしゃくって顔をして扉を開けてくれるのに。
訓練が長引いたのかな?体調を崩したのかな?――――それとも誰かに絡まれているのかな?そうなった場合、何が何でも絡んだ人を引きずり落としてしまおう。私の全てを投じて、罪を償ってもらうの。
シュナへの怒りと、心配が同じように高まっていく。でも部屋は出ない。探しにもいかない。…だって、シュナが扉を開いて顔を見せるところが好きなんだもの。勝手かな?でも好きだもん。
何もせずに三十分ほど過ぎたところで、ようやく扉が開いた。嬉しい顔をするか、怒った顔をするか悩んで、私はふてくされた顔をしていた。だって遅すぎるもん。
「フュスラ!ごめん」
焦った声と共に、艶めく漆黒の髪が乱れていた。幾つかは首筋に張り付いていて、シュナが走ってきたことが分かった。両の銀の目は健在だった。いつ見たってどんな目より綺麗。怪しくて、妖しくて、宝石のように、泥沼のように。
「遅い――!」
私は大声を上げた。
「ごめん、少し用事があったんだ」
シュナは息を吐きながら、ゆっくりと歩み寄ってくる。すごく背が高くて、動作一つ一つが滑らかでその仕草にどきっとしてしまう。うぅ、自分ながらにすごく単純…。
私はシュナを見た。一応、治癒が私の《刻印》の専門であるから、シュナが怪我をしていないのは分かる。
「フュスラ…、あの、本当に申し訳ないけど」
「なに」
私はまだふてくされていて、シュナはすごく言いにくそうだった。シュナは跪いて、座っているから一層身長が低くなっている私と視線を合わせた。シュナはこういうことを自然にやる。
「――――三十分だけ寝ていい?」
………。私は今日という日を一週間待ち望んできた。それはもう、すごいほどに。朝からずっとご機嫌なほどに。
私はシュナを見た。その整いすぎて怖いほどの顔を見た。一目見たらわかる。シュナは疲れていた。やつれていた。つまりはシュナから休憩したいと言うか、私が休憩して、とお願いするかの二択だった。前者になっただけで、どっちにせよ結論は変わらない。…変わらないけどぉ。
「寝ていいよ…もうっ、せっかく今日を楽しみにしてきたのに」
「ごめんね」
シュナは心底申し訳なさそうだった。けれども仕方のないこと。
明日は変わらず訓練があって、その次の日もその次の日も訓練がある。四肢の欠損も、夥しい出血も、それに伴う死も、シュナにだって私にだって起こりうる。この監獄内にいるかぎり、その可能性からは逃れられない。《ベラ》を払って無理やりつくらない限り、私達に休みが与えられることはない。私達は、万全の状態でいなければならない。それが何よりも優先されることだった。
大好きな人には死んでほしくないから。
シュナはごろんと床に直接横になった。黒髪が床に広がった。
「ってシュナ、なんでここで横になってるの?」
「え…?眠るからだけど」
シュナは横になったままで、私と視線を合わせた。銀の目がきょとりと揺れた。
「私のベッドで寝たらいいよ。ここは寝にくいから」
「や、いやいやいやいや」
シュナは珍しく慌てたように言った。両手を振る。言葉に詰まったあげく、上体を跳ね起こしてぶんぶんと首を横に振った。結構必死だった。
……?私はきょとんとした。特に何か困るようなことを言った自覚はなかったし、シュナの反応は意外だった。シュナはそんな私の反応を見て、困ったように眉を寄せた。視線がずらされた。
「ね、俺はここでいいから」
「嫌だった?」
シュナは細い息を吐いた。銀の目は横を向いている。不安になってしまう。どうしてシュナはそんな反応をするのかな?
「…………………………女の子のベッドで寝るわけにはいかないでしょ」
――――ほへ?
消え入りそうな声でシュナはそう言って、私はあまりの内容にぽけっとした。
そして本当に珍しいものを見た。シュナの顔は真っ赤に染まっていて、本当に耳まで赤かった。白い肌に赤い色は映えていて、長いはずの黒髪は赤い色を隠しきれていなかった。見てはいけないものを見てしまったように感じて、私の頬もかっと熱くなる。赤くなったのが自分ながらによくわかった。
言葉もなくぱちぱちと瞬きをするだけの私を見て、きまり悪そうにシュナは黙った。うわぁ、本当に顔が赤い。
「シュナってあれだよね、自分から押すのは好きだけど押されると――――」
「いいから」
シュナは私の言葉を遮って今度こそばたりと床に倒れた。私に背をむける。顔が見えなくなった。残念。
恥ずかしがるシュナとふてくされるシュナが見れた。今日はすごくレアな日だ。
呆然としていた私の顔に微笑みが浮かぶ。ああ、シュナといるととても楽しい。シュナといると、生きているって気がする。
「フュスラ」
背を向けたまま、シュナはぼそりと言った。
「なに?」
「――――今日の服も髪も、いつもにまして綺麗だし可愛いよ」
「ふふっ」
うん。知っていたよ。シュナは絶対に褒めてくれるって。シュナは絶対そうするって。信じてたんじゃなくて、知っていたの。
ねぇ、知っていたのに何でこんなに嬉しいのかな?シュナ、なんでかな?
私は微笑んで、眠りについたシュナの後姿をずっと見ていた。




