落胆
それでも、朝は来るので私は朝早く御膳所へ向かって、水汲みをしていた。ちょうど、菊之助様が今日の予定を伝えに来られたところだった。
「お里殿、上様が話をしたいとのことですので、いつもの時間に・・・」
「菊之助様、申し訳ございません。しばらく、上様のお部屋へ行くのは控えさせて頂けないでしょうか?」
「お里殿・・・」
「申し訳ございません。お願いいたします」 私は頭を深く下げた。
その時、他の女中がこちらへ向かって歩いてくる気配がした。
「わかりました。とりあえず、今日はそのように上様にお伝えします」
「よろしくお願いいたします」
そう言って、私は立ったまま頭を下げた。菊之助様は女中たちが来る前に、お部屋へ戻っていかれた。
朝の用事を一通り終え、お常さんに時間をもらった。御膳所の横の小さなお座敷でお常さんは二人になると早々に
「お里、その顔はどうしたんだい? 寝てないんじゃないのか?」 そう言われたので
「はい。申し訳ございません。私・・・しばらくお夕の方様のお部屋へ行くことを控えさせて頂きたいのです。朝、お菊さんにはお伝えしたのですが・・・」
お常さんは、私の顔を覗き込むようにされ、 「ちょっとおいで」
と、お常さんの部屋へ連れて行かれた。部屋に入ると、私を抱きかかえるようにして座っって
「辛いことがあったんだね。詳しくは聞かないけど、あんなに前向きに頑張れるあんたが、そんな顔をするなんてよっぽどのことがあったに違いない。今は、私とあんただけだから、思いっきり泣いていいんだよ」
そう言って、背中をさすってくれた。私はそれまで、ずっと我慢していたので、声を出して泣いた。お常さんは、時々「つらかったんだね」と言いながらずっと背中をさすって、抱き締めてくれた。いつもこうしてお常さんは私を見守ってくれていたことを、改めて感謝した。私が少し落ち着くと
「今日は休んだっていいよ。もし、仕事をして気が晴れるのなら仕事に戻ればいい。お夕の方様の件は、あんたが気の済むようにすればいいからね」
そう言って、もう一度背中をさすってくれた。
「それからね。あんたは、お夕の方様に信頼されて、雑用係をしているんだからね。何かあったときに、一番信じないといけないのは誰か・・・よく考えるんだよ」
私はその時に、ハッと思った。それが顔にも出ていたのだろう。お常さんがその様子に気付いて
「気持ちが落ち着いたらでいいから、しっかりと考えなさい」
「はい。ありがとうございます」 私はそう言って、涙をふいた。
それでも、気持ちの整理をするのに時間が必要だった。どんな事情があれ、あの光景が頭から離れない。私が落ち込んでいたのをお常さんが気遣ってくれて、お糸さんはお常さんの元で仕事をしているようだった。それが・・・3日後くらいから姿を見なくなった。
お常さんに聞いてみると
「それがねえ、急に上からのご命令で御膳所から別の担当にするということなんだよ。どこに行ったのかは知らせてもらえなくてねえ」 と言った。私の思考回路は疲れていたので、マイナス思考に働いた。
(ああ 側室にあがられたのかもしれないわ)
そう思うと、また落ち込んできた。
一日の仕事ももうすぐ終わろうかという頃、一人の女中さんが近付いてきた。
「お里様」
「!! おぎんさん!」
おぎんさんは、鼻に人差し指を付けられて、静かに!と言われた。
「上様の具合が・・・」
「上様が?! どうされたんですか?」
「それが・・・御匙にも看てもらったのですが、芳しくなく・・・臥せっておられます」
「まあっ!」
「上様のお部屋では、具合が悪いことが目立ってしまうため、お夕の方様のお部屋でお休みになられています」
「そんなにお悪いのですか?」
「・・・・」
私は、動揺した。今から、行かれるのなら一緒に!と言われたので、私はすぐに返事した。
「伺います!」
私たちはいつもの廊下を小走りで進んだ。
(久しぶりのこの廊下だわ)
部屋の前まで行くと、明かりがついていた。
「失礼いたします」
私は、手をついて頭を下げた。おぎんさんが襖を開けてくれると、そこには上様が座っておられた。私の方を見られると、驚いて目を見開かれた。
「おさと・・・」
私は、上様に走って近付き
「お体はどうなのですか? お座りになっていて大丈夫なのですか?」
矢継ぎ早にたずねた。
「体は大丈夫だが・・・??」
そう言われて !!! すぐに、おぎんさんを見た。
「おぎんさん!!!」
「お里様、申し訳ございません。本当に、あと少しで臥せられるのではないかというくらい、上様はお元気をなくされていたのです。菊之助様や私たちが真実をお里様に話すと言っても、お里様から私に話を聞いてくるまで待つとおっしゃって・・・なのに、食欲もなくされ・・・このままではと思い、勝手なことをしました。申し訳ございません」
「私がおぎんに頼んだのですよ。いつ、お里殿が来るかもわからないからと、夜遅くまでこの部屋で待たれているお姿をこれ以上見ていられなかったので・・・」
菊之助様が、苦しそうに言われた。その間も、上様は下を向かれたままだった。
(私のことをもう見てはくださらないのかしら)
そのとき、私はお常さんから言われた言葉を思い出した。
「上様、私は自分が情けなく思います。本当に信じるべき上様のお言葉を聞かず、自分で勝手に決めつけて逃げ出してしまいました」
「おさと・・・」
上様が顔を上げられ、私を見てくださった。少しの間に、痩せられたように感じた。
「上様、申し訳ございま・・」
私は、頭を下げた。語尾の方は、のどが詰まって声が出なかった。
「お里、頭をあげてくれ」
「いえ、申し訳ご・・・・」
「頼む。頼むから・・・」
そう言って、上様は私に近寄り無理に頭を上げようとされた。それでも、私は上様に合わせる顔がなく、必死に抵抗して頭を下げ続けた。しかし、私の抵抗は上様にすぐにほどかれ、あっという間に抱き寄せられた。その様子を見られていた、菊之助様とおぎんさんはそっと部屋を出て行かれた。
上様は、それでも抵抗しようとする私を強引に押さえつけられ、唇を重ねて来られた。私は始めこそ抵抗したものの、上様の暖かさが伝わってくると抵抗出来なくなった。
「お里、すまない。どんな理由があったとしても、あれは、私の落ち度だ! もっと上手くかわせばよかった。お里に、あんな姿を見せたくはなかった・・・」
「上様・・・」
「お里・・・聞いてくれるか?」
「はい・・・」
上様はゆっくりと話始められた。
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