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悪徳の二 公権力との癒着

「へい! ローガン、へい!!」

 今日も今日とて、商会の一室から商会長リーニの声が響く。

 部下と打ち合わせをしていた番頭のローガンはその声を聞くと、すぐに筆記道具を抱えて商会長の部屋へと向かう。

 部下たちもこの声から商会の新たな一歩が始まると知っているので、ローガンを呼び止めるようなことはしない。


「若、お呼びですか?」

「うむ、新たな事業をするぞ」

「して、どのような事業でしょう?」

「それはだな……」

 リーニが口を開こうとした瞬間、商会本店の建物が揺れる。

 その揺れを感じた途端、リーニは机に突っ伏した。

「――うっそやん。なんでアイツがここにくるんだよ」

「若?」

 ローガンがリーニの様子を訝しんでいると、慌てたノックの音が響いた。

「どうした?」

 その慌てぶりにローガンが扉を開けると、若い従業員が何度も言葉に詰まりながら来訪者の名前を告げた。

「若に……その……お客様が……でその、ええと、勇者様……じゃない、リズフィルド様が!!」

 従業員の混乱ぶりに、リーニは心底同情した。

 客かと思って店の扉を上げたら、魔王を叩き潰した勇者がいたのだ。こんな風にもなる。

 おそらく先ほどの揺れは、件の勇者が飛行魔法で店の前に降り立った衝撃だろう。

「あいつ、魔法の制御へったくそだからなぁ」

 仲間だった魔法使いが匙を投げる程度には、その技量は低い。ただ、勇者としての

加護をもつため、やたらめったら出力だけは高かった。

「まあ、ロケットでも燃料さえあれば往復可能だもんな……」

「ろけっと……ですか? それはいったい……」

 ローガンが聞き慣れない単語に眉を寄せるが、リーニはその疑問に答えることなく立ち上がった。

 普通の従業員では、勇者の相手はできない。

 なんせ世界を救ったあの人物は、社交性というものを母親の体の中に忘れてきてしまったのだ。


「よう、リズフィルド。なんか用か」

「――ん」

 事務所の片隅にある応接間で、勇者は神剣を抱えてソファに座っていた。

 纏っているのは魔王討伐を志していた頃とは違い、仕立ての良い、そして同時にデザイン的にも優れた一揃いの服だった。

 どうやら実家のメイドたちが選んだらしい。

 この勇者、見た目こそ王国随一の美しさであるが、それを着飾る技能を持ち合わせていなかった。

「お金、返しにきた」

 勇者リズフィルドが差し出した革袋には、金貨が十枚ほど入っていた。

 リーニはそれを確認し、溜息を吐いた。

「返そうって姿勢は立派だけどな。別にもう、返さなくてもいいんだぞ。そりゃまあ、お前らの装備に掛かった金はとんでもない額だけど、王様にいえば、たぶん払ってもらえるし……」

「ダメ」

 勇者はかつて魔族に向けていたものと同じ視線をリーニに向けた。

 絶対に自分の意思を押し貫いて見せるという、決意の目だ。

「伯父上にも、そんなこといわないで」

「――へいへい、分かりましたよ。リズフィルド公女殿下」

 リーニは天井を仰ぎ、王族でありながら世界を救うべく命懸けの旅に出た女の願いを聞き届けることにした。

 旅をしていた頃から、こうなれば絶対に退かないと分かっていたからだ。

「ちなみにこの金貨、どうやって稼いだ?」

「――ま、魔物を倒して」

「いつ?」

「先月……」

「俺、先月の王室広報にさ、君が病気で伏せってるって書いてあったと記憶してるんだけど」

「だ、だって、父上も伯父上も、わたしが外に出たいっていっても、許してくれなくて……」

「屋敷を抜け出しやがった、と」

「――うん」

 リーニの脳裏に、王弟たる公爵の引き攣った顔が思い浮かぶ。

 勇者であるリズフィルドを止められる兵士などこの王国には存在しない。

 力尽くで止められるのは、あのときの勇者パーティの面々だけだ。

「今日は抜け出してないだろうな」

「リーニのところは行っても良いっていわれてるし」

 それが謎だ。

 少なくともリーニにとっては理解しがたい。

 ただ、リーニ以外の人々にとっては、それほど難しい理屈ではない。

 彼の元にさえいけないとなれば、勇者は魔王となる。彼女がリーニに向ける感情とは、それほどのものなのだ。

「まあいいや、じゃあ用が済んだらすぐに帰れよ。公爵様からお手紙きたら困るからな」

「父上なら、そんなことしない」

「王族の娘がほいほい外出してなんにも言わない訳がねえだろ。ほら、さっさと……」

「ひったくりだぁあああっ!!」

「ええい! 今度はなんだ!」

 リーニが窓に飛び付くと、商会の前を見窄らしい格好の男が駆け抜けていく。

 その男は、明らかに彼に不釣り合いな仕立ての良いバッグを抱えていた。

「強盗かっ! 俺の店の前で盗みとは良い度胸だ! おい、ローガン! 衛兵に連絡しろ!!」

「はい! 若!」

 ローガンに命じ、外へと飛び出そうと扉を開けたリーニの脇を、もの凄い速さで駆け抜ける影。

 それは石畳を砕くほどの力で地面を踏み締め、路上を駆けた。

「あんの勇者娘! 危ないことすんなっての! 怒られんの俺なんだぞ!」

 駆ける勇者と追う商人。

 その追いかけっこは、ほんの数分で終わった。


「捕まえた」

 むふーと得意気にボロ雑巾になった男を差し出す勇者に、リーニはがっくりと膝を突いた。

 とりあえずリズフィルドに怪我はなさそうだったが、リーニの心は深いダメージを負っていた。

 権力者は権力を持っているから権力者なのである。その権力者に睨まれると、一般人はダメージを受けるのだ。

「とりあえず、それ衛兵に突き出せ。すぐ来るから」

「わかった。これでもうちょっとお金返せる」

「はいはい」

 得意気にない胸を張る勇者に、リーニは疲れ切った態度で応じる。

 そこにふたり組の衛兵がやってきて、リーニたちの姿に一瞬驚いたように身を竦めた。

「ゆ、勇者様っ!?」

「ウェイランドのお坊ちゃんも!」

「ご苦労さんです。これ、ひったくりね」

 リズフィルドがボロ雑巾を差し出すと、ふたりの衛兵はすぐに縄でそれを縛り上げた。

 固く縛られたボロ雑巾が呻き声を上げるが、誰も気にしない。

「では、謝礼金についてですが……」

「うん……! リーニからもらうから、リーニに渡して」

「では、ウェイランド商会に……」

「うん!」

 目をキラキラさせる勇者。

 彼女の家は当然ながら王都にあるが、そこまで謝礼金を運ぶのは手続きの上でもかなり面倒だ。だから衛兵はもっとも簡単に済む方法を提案したのだが、リズフィルドにしてみれば、自分の成果をリーニに見てもらえる分、都合がよかった。

「まあ、いいけどさ……」

 それを淀んだ目で見ていたリーニだが、彼の脳裏にひとつの問題が浮かび上がる。

 もしや、衛兵に帳簿を確認されてしまうのでは?

「――――」

 どっと冷や汗が噴き出す。

 普通ならあり得ないことだが、王族の娘への謝礼金だ。衛兵隊が謝礼金の行方を確認しないとも限らない。

(いかん……! それだけはいかんぞ!)

 父親がやらかした魔族との取引、その情報がどこから漏れるか分からない以上、できるだけ帳簿は他人の目にさらしたくない。

 ならばできることは……

「いや、このひったくりはあなた方で捕まえたことにしてもらいたい」

「えっ」

「はっ? あ、いえ、しかし……」

 びっくりしたまま固まるリズフィルドと、困惑した様子の衛兵ふたり。

 しかしリーニは、彼らが正気を取り戻す前に畳みかける。

「聞いてくれ、リズフィルド。いや、リズ」

「――!!」

 ここまでまったく崩れなかったリズフィルドの表情に、僅かな変化が現れる。

 ほんのりと染まる頬と、輝きを増した瞳がリーニに向けられた。

「これはお前(と俺の)ためなんだ!!」

「わ、わたしの……?」

「ああ! 俺を信じてくれ!」

 かつての冒険の日々ですら、これほどまでにリーニを掻き立てはしなかった。

 それ故に、リズフィルドは初めて見る彼の姿に驚き、思考を痺れさせた。

「衛兵の方々にも曲げてお願いする。この一件、あなた方の功績としてもらいたい!」

「いや、それは……」

 若い衛兵が拒否しようとすると、年嵩の衛兵がそれを止めた。

「おい、やめろ。この人は……いや、この方は……」

 年嵩の衛兵はそこまで言葉を続けたものの、すぐに頭を振って若い衛兵にボロ雑巾を運ぶよう命じた。

 そしてリーニとリズフィルドに敬礼し、その場を後にする。

 リーニが安堵の溜息を吐いたことに、思考をどこかの楽園へと吹っ飛ばしていたリズフィルドはまったく気付かなかった。


「班長、いったいどういうことなんです?」

 リーニたちの姿が見えなくなると、若い衛兵は自らの上司に事情を尋ねた。

 上司は若い部下を一瞥すると、深い吐息を漏らした。

「考えてみろ、今回の強盗を捕まえたのが勇者様だと知られた場合、俺たち衛兵の立場はどうなる?」

「そりゃあ、口の悪い連中には、ただの盗人さえ捕まえられないって、馬鹿にされるかもしれませんけど……」

「それが問題なんだよ。これが魔族とか伝説級の大盗賊ならともかく、そこらのチンピラ相手に俺たちが役立たずだと知れるのは不味いんだ」

 上司の言葉を、若い衛兵は理解しきれずにいた。

 それを感じ取った上司は、さらに言葉を続ける。

「俺たちが役立たずだと知ったら、こいつらみたいなチンピラはどうする?」

「ええと、たぶん調子に乗って……あっ!!」

「わかったな? 俺たち衛兵が役に立たないと知れ渡るってことは、犯罪者どもが好き勝手動き始めるってことだ」

 犯罪抑止力の喪失。

 それは治安を一気に悪化させることだろう。

「あの人はそれが分かってたから、敢えて俺たちの手柄にしてくれって頼んできたのさ。勇者様の名前は今でも強い力がある。どう足掻いても、話がデカくなっちまうんだ。下手すると、王国全体の治安にも関わるかもしれねえな」

「そんなまさか……」

「そのまさかを防ぐのが、俺たち衛兵の仕事なんだよ。――まったく、あの人には頭が上がらねえや」

 年嵩の衛兵は頭を掻くと、何かを決意したように頷いた。

「よし! 屯所に戻ったら見廻りのルートを見直すぞ。ついでに昔のダチに頼んで、衛兵隊の消耗品のいくらかをウェイランド商会から仕入れてもらおう」

「いいんですか、そんな利益供与して」

「別に、わざと高い金払うつもりもないし、もともと入札じゃない雑貨類だけさ。これくらいしねえと、いつまでも借りが返せねえからな」

 年嵩の衛兵はそう言ってボロ雑巾に蹴りを入れる。

「さてと、さっさと調書書くとするか!」


 二週間後、ウェイランド商会。

 リーニはここ最近、店の周りで衛兵を見掛けるようになったため、疑心暗鬼に陥っていた。

「何故だ、まさか気付かれたのか……!? くそっ、これでは……」

「若、商会各店舗の売り上げですが、ここ数日一気に伸びてますね。客足も急に増えたそうで」

「ど、どういうことだ?」

「なんでも、うちの商会の店が、衛兵さん方の巡回ルートにことごとく入ってるらしく、店の周りの治安が良くなって客足が伸びたんじゃないかと」

「くそっ、衛兵め! ことごと俺を追い込むつもりかっ!?」

「は?」

「――いや、なんでもない。まあ、そうだな、うん、見廻りの衛兵さんたちにお茶とお菓子くらい出してあげなさい。ちなみにこれは善意の寄付だから」

「承知しました! なにごとも持ちつ持たれつですな! がっはっはっは!!」

「はっはっは、そうそう、持ちつ持たれつね。うん」

 リーニは気付かない。今回の騒動はまだ終わっていないことを。

 この一件の本震は、王都で発生したのだと。


「――わたしのため……ふふふ……」

 乙女の純情は、とても強い。


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