悪徳の三 独占市場
「うう……おなかすいたよぉ……」
薄暗い書斎の真ん中で、若い女が倒れ伏している。
彼女は芋虫のように這いずりながら、この状況から自分を助け出してくれる存在を求める。
研究一辺倒の彼女に人間的生活を与えてくれる人物の名を、リーニ・ウェイランドといった。
「ローガン! ローガン!! へいっ!!」
今日も今日とて商会長室から、番頭を呼ぶ声がする。
その声が聞こえてきた途端、事務所にいた従業員たちは一旦抱えている仕事を止め、急な指示に対応できるよう仕事のスケジュール調整を始める。
突然明後日の方向に商会を引っぱっていく商会長に、従業員たちも慣れ始めていた。
「新規事業を行うっ!!」
とても嬉しそうに告げるリーニ。
しかしローガンにとっては、主の隣にいる人物のほうがよほど重要だった。
「ソリス様、いつの間にこちらにいらしたのですか?」
「もぐもぐもぐもぐ……」
ソリス・メギストス。勇者パーティの一員にして天才的な錬金術師であり、同時に魔王を倒した聖剣の製作者のひとりである。
リーニが個人的に後援している人物であるためローガンも面識があったが、いつの間にこの部屋に入り込んだのだろうか。
「こいつ、飢えに耐えかねて空間転移の魔道具使って落ちてきたんだよ。しばらく放っておいて良いぞ。食ってる間は無害だから」
「左様ですか」
放っておけと主が言うならば、放っておくのが使用人の務めである。
客人扱いは後回しでいいということだ。
「して、新たな事業とは」
「うむ! 馬車鉄道をやるぞ!」
「馬車鉄道……乗合馬車のようなものですか?」
「使う馬車は似たようなものだが、鉄のレールを敷き、その上を走らせる。都市内は未舗装の区画も少なくないからな。しかしこれなら泥に嵌まることはない」
「なるほど、しかし乗合馬車事業には手を出していませんでしたが……」
「あんな過当競争の中に飛び込めるかっ! 同じルートに三社も四社も乗り入れているんだぞ!」
乗合馬車事業は、ここ十数年で一気に拡大した分野だ。
市民の足として定着し、生活になくてはならないものとなっている。
だが、それだけに商人の興味を惹き、各都市で熾烈な競争が行われていた。
「しかし、鉄のレールを使った馬車鉄道は、まだどこも手を出していない。安価に鉄を作ることができないでいるからな」
この頃の鉄製品といえば、鍛冶師たちの手作りの品が大半だ。
大規模な製鉄所もなく、当然レールを作る術もない。
「そこで、こいつの研究を使う。単一製品ならば、大型錬金炉で比較的簡単に作れるそうだぞ。なんせ天才だからな」
「…………」
リーニに褒められて笑みを浮かべるソリス。
錬金術師として規格外の優秀さを持つ彼女だが、権威を重んじる今の錬金術師たちにとっては、彼らの既得権を脅かす問題児だった。
そのため、勇者たちが仲間として迎え入れるまで、ひとり孤独に研究を続けていたのだ。
「それはそれは……」
「もぐもぐもぐもぐ」
その姿はくたびれた女性にしか見えないが、ソリスは本当に天才的な錬金術だ。
先の話にあった錬金炉も、本来は聖剣製造のために彼女あ考案したものである。
リーニは彼女を支援する代わりに、彼女が作ったものの権利を独占的に保有していた。
というよりも、ソリスがそれらの権利をリーニに売り、資金を得ていたのである。少なくとも、借金を重ねた勇者より幾らかマシだった。
「ではローガン、さっそくで悪いが庁舎に行って道路の使用権を確保してきてくれ。金はいくら掛かっても構わんぞぉ」
「承知しました。では部下たちに工事計画を立てさせましょう」
「うむ! では始めよう!!」
リーニの考えは非常に単純なものである。
彼の認識では、鉄道事業というのは非常に難しく、赤字を垂れ流すものだった。
しかし、公の利益には供するため、なかなか撤退できない。
(ふっふっふ、これならば損をするに違いない!!)
自分の代になってから急激に売上を伸ばしている商会に、彼は危機感を抱いていた。このまま儲けが大きくなれば、いずれ王国から監査が入る可能性がある。
それまでになんとしても大きな赤字を出し、商会を畳む必要があった。
「クソ親父めぇ、誰のせいで俺が苦労してるか分かってんのか……?」
もしも父ライアンがこの場にいたら、無言で鏡を差し出したことだろう。
「だが、それもここまでだ。俺は商会を潰すぞぉ……」
そんな具合で、リーニの奮闘が始まった。
「若! 周辺住民から鉄道の馬が出す糞尿についての問い合わせが……」
「使うのはソリスの四足歩行ゴーレムだ! 糞尿なんざ出ない! ついでに餌代も掛からないぞ!!」
「それは素晴らしい! 住民にはそう伝えます!」
「若! 今の停留所では段差が多く、老人が使用できないのではないかと設計者から問い合わせが!」
「むむっ、それはいかんぞ! 費用が余計に掛かっても(俺としては全然)構わないから、停留所にスロープを付けるんだ! 老人も子どもも使いやすいようにな! 発光掲示板も忘れるなよ!」
「はい!」
「リーニ、レールの強度なんだけど……」
「一番良いので頼む! お前ならばできると俺は信じてるぞ!」
「う……うん! 任せておいて! リーニのためにがんばるから!」
「若っ! 乗合馬車組合が横槍を!」
「馬代わりのゴーレムを供給してもいいと言え! もちろん格安でなぁっ! 整備はうちの工房でやるぞぉ!」
「すぐに伝えます!」
「リーニ! 客車と貨車ができたよ!」
「さすがリーニだ! そうだ! (もっと予算を使うために)空調機能もついた最高級グレード客車も作ってくれ!」
「ふ、浮遊回路付けてもいい? けっこうお金掛かるんだけど……」
「それなら客車には全部付けよう!」
「うん!」
「若っ! 立ち退きに反対する住民が!」
「金貨袋で頬をぶっ飛ばせ!」
「承知しました!」
そして、馬車鉄道が完成を迎える。
果たして、リーニの野望は果たされたのだろうか。
「――この世は間違っている」
リーニは机に突っ伏し、肩を震わせていた。
その様子に動揺しっぱなしのソリス。てっきり褒められると思っていたが、そんなこともない。
なにかミスをしてしまったのではないかと、ソリスの目に涙が浮かぶ。
「リーニ? わたしなにかしちゃった?」
「いいや、うん、ソリスは良くやってくれたんだ。世の中が間違ってるんだ。こんだけお金使ったのに、なんで増えてるん……?」
「ええと、お客さんがいっぱいだから、かな?」
「ですよねぇ……」
ウェイランド商会が始めた馬車鉄道は、安定した輸送能力で一躍街の主力交通機関となっていた。
専用のレールを敷いたことで安全に、しかも迅速に乗客を運べる上、貨物車を使えば通常の馬車の数倍にもなる貨物を運ぶことができた。
特に夜間の貨物輸送では大きな力を発揮し、その分昼間の馬車渋滞が減るという市民にとっての嬉しい誤算もあった。
「うう……つらい……」
大規模投資で資産を一気に減らそうとしたにも関わらず、それ以上の利益と市民の評価を得てしまったリーニ。もはや誰も責められず、ただ世の中に怨嗟を吐き出すしかない。
「膝枕しようか?」
「――お願いしようかなぁ」
頑張れリーニ。負けるなリーニ。
債務超過はきっとすぐそこだ。




