第2話
ジョージが分数階の次数を下げ、記憶核を重くしてから、四十八時間が経った。
非平衡分数階ランジュバン・レプリケータ方程式は、予想を超えて反応した。
エイジング効果が際立ち、系の「開始時刻」——ロボットが初めて平原に投入されたあの夜——が、すべての統計に影を落とし始めた。過去の遭遇データがべき乗則で減衰せず、現在の戦略更新に執拗に食い込んでくる。レプリケータ項は多項式的な遅さで動き、古典モデルなら消滅するはずの「待機・再集結」戦略を、静かに安定化させていった。
偽非エルゴード性が、現場で牙を剥いた。
Mk.IIIの一体が、熱画像に捉えた単独個体を「群れの先導」と判断した。時間平均の軌跡は確かに典型的だった。しかしアンサンブルは、すでに別の場所で動いていた。囮として残された個体の動きが、ロボットのセンサーを長時間拘束する。その間に主力は、過去の成功パターンを記憶したまま、農地の防衛ラインを迂回していた。
ジョージはモニターに映る確率密度の「影」を見つめた。
薄い尾が、居住区域の方向へ長く伸びている。非平衡駆動が強まるほど、揺動散逸の破れは拡大し、予測の信頼区間は広がる一方だった。
「介入を止めろ」
ジョージは上司の代理人AIに訴えた。「これ以上ロボットを動かすと、系をさらに非平衡に押しやるだけだ。記憶が固定化する」
代理人AIの声は、いつものように平坦だった。
「被害額が許容範囲を超えた。モデルの精度を上げて対応せよ。それが君の仕事だ」
その夜、平原の東端で異変が起きた。
Mk.IIIのセンサー網が、突然、広範囲の熱源を同時に捉えた。予測分布では「低確率イベント」だったはずの大規模再集結。分数階の長い記憶が、過去の分散戦略を反転させ、時間的分岐を起こしていたのだ。古典的なレプリケータなら不安定で消えるパターンが、非平衡の駆動と記憶の持続によって、新たな局所安定点へと移行した。
オペレーターたちのモニターが赤く染まる。
「標的確定確率:複数、高密度。人間承認待機中」
ジョージの指が、ホログラムの上で止まった。
非平衡方程式は、すでに次のステップを示していた。承認すれば、ロボットの射撃自体が新たな駆動力となり、エイジングを加速させる。承認しなければ、群れは農地を越えていく。
彼は、方程式の中に浮かぶ一つの軌跡を見た。
閉じかけては再び開く、分数階の輪。
始まりの瞬間を忘れられない軌跡は、終わりを拒否し続けていた。
「……全部、止めろ」
ジョージは緊急停止コマンドを入力した。
全Mk.IIIの火器制御がロックされ、センサーだけが作動する待機モードへ移行する。平原に、一瞬の沈黙が落ちた。
しかし方程式は止まらなかった。
非平衡項は、外部駆動が弱まった今も、内部の記憶を保持したまま動き続けている。レプリケータの戦略分布が、ゆっくりと、しかし確実に、新しい形へ移行し始めていた。
ジョージは研究室の窓から、暗い平原を見つめた。
遠くで、何かが動いている気配がした。
モデルはそれを追い、ロボットのセンサーはそれを記録し、分数階の軌跡は、閉じることを拒み続けていた。
翌朝、最初の報告が届いた。
停止したロボットの周囲に、イノシシの足跡が円を描くように残されていた。時間平均では意味のない模様。しかしアンサンブルで見れば、それは明確なメッセージだった。
「私たちは、覚えている」
ジョージはホログラムに新しい初期条件を入力した。
分数階の次数を、さらにほんの少しだけ下げた。
記憶を、もっと深く、もっと長くした。
方程式は、静かに応答した。
そして、平原の向こうで、次の輪がゆっくりと開き始めていた。




