水辺の事件4
いつもは大姫に合わせ、ゆっくりと歩く義高であったが、今は大股で走るように歩く。
川沿いをずんずんと進む義高の姿は、すぐに松の大木の向こうに見えなくなって、大姫は義高の名を呼びながら半べそをかき、必死に後を追った。
川に沿ったままどこまでも歩いて行けば、道に迷うことはない。
ただ夜半の雨で、足元の草は濡れ、苔の生えた小さな石橋は滑りやすくなっていた。
一方、別れたばかりの大姫が、後を付いてきているなどとは思わなかった義高は、目的の場所でさっそく魚釣りの道具を広げている。
小さな竹かごの中に、義高は仕掛けを持って来ていた。
国許から持参した組み立て式の竿を伸ばし、羽虫に似せた毛バリを付ける。
鮎を釣るには友釣りが有名だが、初心者には難しい。これならば若さまにも使いやすかろうと、供についてきた守役の老人が器用に作ってくれたものだ。
刀を外し、くるくると荷駄にすると、人気のないのを確かめて木の上にくくり付けた。人質の身であっても、武家の子として差料(刀)は地味な拵え(こしらえ)ながら銘あるものを持っていた。父から譲り受けた武士の魂は、何を置いても大切にせねばならない。
着物を脱いで褌一つの姿になると、義高は流れの速い川の中に入って行く。
大姫に向ける優しげな顔の持ち主は、常に鍛錬を怠らず、元服前とは言いながら着物の下から現れたものは、薄く筋肉の乗った見事な身体であった。
国家老は優れた資質を持った義高に目を掛け、藩士の子弟の中に入り藩校で学ぶことを許している。
多くの友人もでき、藩校の帰りに遊びに誘われることもあったが、義高は丁重に断りを入れた。
「もしや大槻殿は、国家老の御息女のお相手か?」
「ほとんど姿を見せないが、ずいぶんと美形らしいな」
「三国一の美姫と言われた奥方さまに似たのなら、きっと相当なものだろう。ご縁談などもすでにあるのではないか?」
「さあ、それは存じませぬ。わたしはお預けの身ですから、滅多に姫さまのお相手は致しませんし、国許から連れて参った老人が退屈して待っておりますので、藩校から帰った日は皆様の話を致します」
「そうか。我らの話を?」
「はい。爺は奥州一の武門の方々の話を、聞くのがとても好きなのです。話の返礼に関ヶ原で上げた武功の話を、耳にタコができるほど聞かされるのは難儀ですけれど」
「ははは……年寄りの話とはそういったものだ。だが、年よりは国の宝、大事に致さねばな」
「はい、そういたします。では、皆様方。これにてご免」
ふっと義高の顔に笑みが浮かぶ。
あの可愛らしい姫は、やはり家中の間でも話題に上るのだなと思う。
少年たちは、ほとんど見たことのない大姫のことを噂し合った。
年寄りと囲碁を打ちながら話をするのは本当だが、いつも傍らには盤を覗き込む大姫の姿があった。
門番に叱られないよう、毎日門の内側で、目を輝かせて義高の帰りを今か今かと待っている。
友人たちにごまかしたのが、何やら大切な宝物を独り占めしているようで、何処か気恥ずかしくなった義高である。
ぱしゃと魚が跳ねた。
「おっ!かかった!」
「よし!でかいぞ」
釣果はなかなかのもので、義高は早くも5匹目の鮎を釣りあげた。
バレないように(針がはずれないように)タモですくい上げ、魚籠に魚を移したとき、ふと何やら視界に動くものを感じて視線を上げた。
「ん……?あっ!」
「きゃぁーっ!」
川を渡ろうとした大姫が、苔に覆われた石橋で滑り、真っ逆さまに落ちるのが見えた。
「姫さまっ!?」
水しぶきが上がるのよりも早く、義高は竿を放り投げ抜き手を切った。
怯えた大姫の顔が自分に向けられ、助けを求めて手を伸ばしたように感じた。
水かさは義高の腰まであり、流れは速かった。
釣り糸を垂れていても、時折り身体を持って行かれそうになる。
「姫っ!」
紅い着物を目印に、義高は一つ息を吸い込むと、おそらく鮎のように素早く泳いだ。
必死に川底を流されてゆく大姫を追ってゆく。
気を失ったのか、もがきもせず白い足が流れてゆくのを、何とか捕まえ手繰り寄せた。
小さな頭を抱え、先に水面に押し上げると、やっと水底に足を付けた。
白い顔を直白くして、大姫はぐったりと義高の腕の中に在る。青ざめた頬に長い髪が張り付いていた。
「姫っ!大姫さまっ!」
声を掛けても大きな目が開かれることはなかった。
「馬鹿な……息をしておらぬ。水を飲んだのか。急がねば……」
義高はこういう時の処置を知っていた。
国許では子供たちは川遊びをするときに、最初に溺れた時の対処方法を学ぶ。川や海で最初の手当てが遅れると命に係わると、幼い子供達にも理解できるように、年長者が遊びの中で手取り足取り詳しく教えた。
義高は大姫を抱え上げると、元の場所まで急ぎ帰ってきた。
大姫の首の下に手を入れて、気道を確保するとふっと息を送り込んだ。胸が上下するのを確かめると、両の手を軽く組み心の臓辺りをめがけ、とんと強めに落とした。
何度か、息を送り胸を叩くうちに、握った手に力が込められたのを感じる。
固く閉じられたまぶたが、ふる……と震えた気がする。
「よし。今、少し」
心の内で強く念じながら、義高は息を送った。
「姫さま。早くお戻りなさい。姫さま」
一時が数刻のように感じる。
義高は辛抱強く、蘇生の術を尽くした。




