桃花の出会い1
戦国の世の話である。
桃の木の紅色の蕾は、日差しを浴びてちらほらとほころびかけている。
まだ風は冷たかったが、既に甘い春の香が混じっていた。
侍女が切って差し出す花枝を、いとけない少女は次々に受け取り、きゅっと大事そうに胸に抱えていた。
「大姫さま。もう、そのくらいに致しましょう。それ以上はお持ちにはなれませんよ」
「だいじょうぶ。それに桃の花は、蕾がまだ固いから、たくさんあったほうが綺麗……あっ!」
「姫さま、危ないっ!」
胸元に抱えた花を取り落しそうになったのを、駆け寄った少年が姫ごと受け止めた。十を超えたばかりの、この凛々しい少年の名は大槻義高という。
国境の大槻家から、恭順の意を示す意向で人質として身を寄せていた。
守役の老人だけを一人共に連れ、他国にやってきた少年は、初めて大姫に出会った日の事を鮮明に覚えている。
大姫より二歳年長の義高は、家元を離れた人質ではあったが、寂しくないようにとの藩主の計らいで年の変わらぬ子供を持つ国家老の家に預けられた。
旅装束を解き、玄関で足を洗う義高ににじり寄って、そっと布を渡した大姫は、人懐こくにっこりと笑った。
「あ、かたじけな……い」
赤い着物を着た市松人形のからくりかと思うような白い顔だった。
聞けば病弱で、殆ど家の中で暮らしているらしい。
長い睫毛に縁どられた大きな黒い目に見つめられて、義高は思わず言葉をなくし、じっと愛らしい姫の顔に見ほれた。
大姫は不思議そうに小首をかしげた。
「そなたが隣国からきたお客人……?」
「は、はい、姫さま。隣国から参りました、大槻義高と申します。此度は、国家老様にお世話になりまする」
「父上にお聞きして、ずっと待っていたの。義高さまというのね。わたしは大津。皆、大姫と呼ぶの」
「では、わたくしもそうお呼びいたします。大姫さま、わたしと仲良くしてくださいね」
「あのね……義高さま。わたしはいつも一人でつまらなかったの。一緒に遊んでね」
「はい、大姫さま。よろしくお願いいたします」
糸手毬を胸に抱えて、大姫は恥ずかしげに頬を染めた。
家の周り位しか出歩かない大姫は、余り陽にも当たらず、薄い桜貝のような透き通るような肌をしていた。
濡れ縁から様子を眺めていた、大姫の父、国家老が声を掛けた。
「大津。義高殿を困らせてはいけないよ」
「困らせたりはしておりませぬよ、父上。転びそうになったのを義高さまに助けていただいただけです。床の間に活ける雛の節句の花は、このくらいもあれば足りましょうか?もう、すっかり蕾がほころびそうになっておりまする」
「そうだな。菜の花と共に、母上が活けてくださるだろうから、義高殿と一緒にそっと勝手の方へ持ってお行き。散らさぬようにな」
「はい」
共に勝手口に向かいながら、義高はふと大姫の赤くなった手首に気付いた。
「お待ちください。姫さま。先ほど枝でこすったのではありませんか?手に傷が出来ておりまする。お手当てをしませぬと」
「傷……?こんなものは、舐めておけば治ります。太郎もこの前傷ついた仔犬を舐めていたもの」
「太郎?飼い狗とご自分をご一緒にしてはなりませぬ。御手当はきちんといたしませんと、大事になるかもしれませぬ」
「う……ん。義高さまが言うならそうするけど……。お薬を塗るの?姫は百足を菜種油に漬けたお薬は嫌いよ。つんと鼻に臭うのですもの」
「いやでも傷が膿むといけませんからね。まずは、井戸端で洗って差し上げます。お薬はそれからです。こちらへいらっしゃい」
「大津は義高さまが舐めてくだすった方が良いのに」
「大姫さま。義高は狗ではありませぬよ。姫さまを舐めたりは致しませぬ」
くすっ……と上目づかいに大姫は笑った。
「怒らないで、義高さま。大津は義高さまにならば、この傷を舐められても良いと思っただけなの」
決して怒ってはいないが、義高はわざと大きなため息を吐いてそっぽを向いた。
自分の桃の節句の祝いに飾る、桃の花を抱えた大姫さまは、まるで小さな花の精のようだと義高は思っていた。
男兄弟しか知らない義高には、二歳年下のこの姫が、どうにも可愛くてならなかった。
初めてまみえた時から人懐っこく、うれしや、姫に兄上さまが出来たと喜んだ。
大姫の父親である国家老の家に、お預けの人質の自分とは到底身分違いで想いを告げようなどとは望むべくもないが、かなうならばどこまでもお傍に居たいと思う。
義高は大姫に、常に優しい眼差しを向けていた。
だが、この姫には家老夫婦と産婆しか知らぬ、重大な秘密がある。
それは、大姫が生まれる少し前の頃の話だった。
新しいお話が始まりました。
歴史ものです。どうぞよろしくお願いします。




