第9話:王都の会同、言葉の刃とアンケートの山
『異世界少年ジャンプ』の噂は、ついにこの街の壁を越え、王都の権力者たちの耳にまで届いていた。街の経済は活性化し、人々は活力を取り戻しているが、王立図書館を牛耳る保守派の長・ガストーレにとっては、それは許しがたい「秩序の崩壊」に他ならなかった。
ある日、王都からの使者が工房を訪れ、ツヨシに正式な召喚状を突きつけた。
「王都で開催される『大文化会同』に出頭せよ。そこで、貴様らの行っている『漫画』なるものが文化を冒涜するものか、それとも益するものか、公開の場で裁定を下す」
それは事実上の「出版の自由」を賭けた裁判だった。アルスやルナは「罠だ、行くだけ無駄よ」と顔を曇らせたが、ツヨシは静かに首を振った。
「逃げたら、あいつらは『やっぱり後ろめたいから逃げた』と宣伝するだろう。それに、俺たちは自分たちのやってきたことに誇りを持っている。正面から堂々とやり合おう」
数日後、王都の壮麗な大講堂。
壇上には、厳めしいローブを纏った一族の長老や高位魔導士たちが居並び、その中央でガストーレが冷徹な視線を光らせていた。聴衆席には、王都の貴族たちだけでなく、噂を聞きつけて駆けつけた地方の民衆や商人の姿もある。
「これより、『異世界少年ジャンプ』の是非に関する審議を開始する」
ガストーレが杖を突き鳴らし、厳かに口を開いた。
「歴史の教訓や、高尚な学問こそが国家の土台である。しかし、この男が持ち込んだ『漫画』とやらは、民に軽薄な笑いを与え、秩序を乱す毒にすぎない。ツヨシ、お前は国家の知性を堕落させている。この非難にどう答える?」
講堂内が静まり返る。貴族たちはガストーレの言葉に同調するように頷いていた。
ツヨシは恐縮することなく、ゆっくりと壇前へ歩み出た。その背筋は、六十歳の隠居老人でもなければ、迷える逃亡者でもない。歴戦の編集長としての誇りに満ちていた。
「ガストーレ殿。あなたの言う『高尚な学問や歴史』は、確かに素晴らしいものだ。ですが、それを読むことができるのは、いつだって文字を学ぶ余裕のあった『選ばれた者』だけだった。泥にまみれ、明日を生きるのに精一杯の民衆にとって、その歴史書はただの重荷でしかなかったはずだ」
「ふん、無知な民に迎合することが正義だとでも言うのか!」
「迎合しているんじゃない。寄り添っているんだ」
ツヨシの声が、広い講堂の隅々にまで響き渡った。
「人間は、パンだけで生きるわけじゃない。絶望の底に落ちた時、もう一歩だけ前に進むための『勇気』が要る。仲間を信じる『友情』が要る。自分の限界を越えるための『努力』が要る。それを視覚と感情でダイレクトに伝える装置こそが、俺たちの作った漫画だ!」
「口先だけの綺麗事だな! そんなものが、国家の秩序より重いとでも――」
「言葉だけじゃない」
ツヨシはガッと懐から、大きな麻袋を引っ張り出し、ドサリと壇上の床にぶちまけた。
中から溢れ出たのは、この数ヶ月間、街の読者たちが送り続けた何万個もの『感情共鳴魔石』だった。それは、かつてガストーレが偽造工作を試み、しかし民衆の純粋な熱量によって完全に弾き返された、本物の「声の山」だった。
「これは何だ……?」ガストーレが眉をひそめる。
「民衆の声だ。アンケートという名の、彼らが自分の意思で選んだ『未来の証拠』だ」
ツヨシが魔石の山に手を触れると、魔法の共鳴によって、魔石の一つひとつから読者たちの生々しい声が、光の粒子となって講堂の空中に次々と投影された。
『アルスの生き様に救われた』
『私の悲しみを、あの魔女が描いてくれた』
『明日も、泥臭く生きてみようと思えた』
王都の貴族たちが息を呑む。ガストーレの背後で威張っていた長老たちも、次々と空中に浮かび上がる民衆の切実な叫びと笑顔の幻影を見て、言葉を失っていた。それは、ガストーレがどれだけ集めても決して手に入らなかった、偽りのない「民衆の熱狂」そのものだった。
「ガストーレ殿。あなたは『秩序』を守るために、民の心を縛ろうとした。だが、人間が何かを好きになり、何かを信じる力は、どんな権力者であっても法律や武力で封じ込めることはできないんだ」
ツヨシはまっすぐにガストーレを見据えた。
「民が自分の意思で物語を選び、作家がそれに応える。この双方向の絆こそが、この世界に本当の意味での新しい秩序をもたらすと、俺たちは信じている」
講堂内は長い沈黙に包まれた。
ガストーレは目の前に積み上げられた魔石の山を見下ろし、そして空中に消えゆく人々の笑顔の幻影を凝視していた。彼の震える手が、杖を強く握りしめる。
やがて、ガストーレはゆっくりと目を閉じ、深い、深い息を吐き出した。
「……負けだ」
その声は、かつての傲慢な権力者のものではなく、長い間、自分の信じた「古い正義」にしがみついて疲弊していた、一人の老いた研究者のものだった。
「民の熱狂を、これほどまでに舐めていたとはな……ツヨシ。お前の言う『ジャンプ』とやらが、この国をどう変えるのか、少し見せてもらおうか」
王都の大会同は、保守派の全面敗北と、「出版の自由」の完全なる勝利で幕を閉じた。
しかし、ガストーレのその言葉には、ただの降伏ではない、新たな「何か」に対する興味の光が宿っていた。
帰り道、王都の空を見上げながら、アルスとルナは晴れやかな顔で笑った。
「編集長、やったな!」
「これで、もう誰も私たちの物語を邪魔できないわね」
ツヨシは深く頷き、ポケットの中で新しいペンの感触を確かめた。
王都を巻き込み、文化の壁を打ち破った『異世界少年ジャンプ』。だが、ツヨシの頭の中には、すでに次なる壁、すなわち「自分たちの記憶のストックが尽きた後、どうやって完全なオリジナルを創り出すか」という、最高にワクワクする未来が描かれていた。




