028 紀元前311年 凱旋式
■5月初旬
ヘラクレスは砦攻めに二度参加したが、城壁に一番乗りする機会は来なかった。
都市タルクナは領内の砦を次々とローマ軍に落とされ、村々を略奪された。事態を重く受け止めたタルクナはローマとの和議を模索した。
これに対して執政官クィントゥスは、タルクナがローマに賠償金を払うと言う内容で和議を結んだ。
和議のあと、クィントゥスは軍を北上させ都市ヴェルク、都市ヴェトルナを攻め、二都市とも賠償金を払わせる内容の和議を結ばせた。
■七月初旬
ローマ軍はエトルリア12都市でも最も北にある都市ファレリイを攻めていた。
「おい、ヘラクレス。ここが今年最後の大舞台になりそうだ」
薄暗い幕舎の中、セストゥスが机の上の簡単な地図を葡萄の木の杖で叩いた。
外はすでに日が落ち、夕闇が深く宿営地を包み込んでいる。ローマ軍が北上し、都市を略奪するたび、エトルリア各都市たちはその城壁の内側で震え上がり、莫大な青銅や穀物を差し出して次々と頭を下げてきた。そして残るエトルリアの抵抗勢力はファレリイだけとなった。
「伝令の話じゃ、ファレリイの使者が執政官閣下の本陣に入ったそうだ。条件の擦り合わせをしてやがる。……もうすぐ、エトルリアの連中との和議が完全に成る。そうすればエトルリアとの戦争は完全に終わりだ」
セストゥスはランプの灯りに照らされたヘラクレスの顔を、じっと見つめた。
「つまりだ、ヘラクレス。お前たちの目の前にあるあの『大きな砦』が、今年お前が武勲を立て、ローマ市民権を毟り取るための、正真正銘、最後の機会ってわけだ」
ヘラクレスは無言で左腕の青銅の腕輪に触れた。
これまでの四度の砦攻めに参加した。だが副官としての統制に追われ、城壁に一番乗りする機会は巡ってこなかった。和議が結ばれてしまえば、軍はローマへ引き揚げる。そうなれば、次の機会がいつになるかは誰にも分からない。
「……あの砦の城壁を一番に踏み越えるか、内側から門をこじ開けるか。明日、ファレリイの使者が和議の書状に血判を押す前に、お前の名前を執政官の耳に叩き込んでみせろ」
セストゥスはいつになく真剣な目でヘラクレスの肩を強く叩いた。
幕舎の外からは、夜襲を警戒する兵たちの足音と、明日の決戦を控えたファレリイの巨大な砦の影が、暗闇の中に不気味に聳え立っているのが見えた。
「分かりました! 機会があれば副官としての指揮を側近に託し、城攻めに参加してもよいでしょうか?」
セストゥスは一瞬だけ目を細めた。
その表情には、叱責でも嘲笑でもなく──副官としての責任と、若者への期待が同時に宿っていた。
「……お前ならそう言うと思った」
葡萄の杖を机に置き、ゆっくりとヘラクレスの前に立つ。
「副官の務めは“隊を動かすこと”だ。
だがな──」
セストゥスはヘラクレスの胸を指で突いた。
「武勲を立てるのは“兵士としての務め”だ。
この二つは矛盾しねえ。状況次第で両立できる」
ヘラクレスが息を呑む。
「つまり……?」
「明日、突撃の号令がかかったら、まずは隊を動かせ。
だが、城壁に取りつく段になったら──」
セストゥスはニヤリと笑った。
「お前の側近は優秀だ。指揮を任せても崩れやしない。
その時は行け。行って、城壁を踏み越えてこい」
翌朝、夜霧が晴れると同時に、ファレリイ大砦への総攻撃の角笛が鳴り響いた。
セストゥスは総攻撃の合図を聞き隊に命じた。
「前進!!」
百人隊が巨大な盾の壁を作って砦へと肉薄する。城壁の上からは、ファレリイの防衛兵が放つ矢や巨石が雨のように降り注いだ。
ヘラクレスは最後列で、盾の隙間を埋め、怯える新兵の背を押しながら、隊列を寸分の狂いもなく城壁の直下へと導いていった。
「レオニダス! メナンドロス! ここからの指揮は任せるぞ!」
ハシゴが城壁に掛けられた刹那、ヘラクレスは最後列から弾かれたように最前線へと飛び出した。彼は、先頭を行く旗手が持っていたセストゥス隊の軍旗をひったくるようにして掴んだ。
円盾を背負い、片手に重い槍、もう片手にたなびく軍旗を握り締め、ヘラクレスは大振りのハシゴを一気に駆け上がる。
城壁の上では、槍を構えた敵兵が待ち構えていたが、ヘラクレスは最上段に達した瞬間、突き出された敵の槍を円盾で強引に弾き飛ばし、自らの体ごと城壁の狭間へと突っ込んだ。
ガツン、と足が石畳を踏み締める。ヘラクレスは手にした軍旗の石突を、石畳の隙間へと力任せに突き立てた。
「ローマ軍、一番乗りッ!!」
ヘラクレスの咆哮が、砦の空気を震わせた。
朝日に翻るセストゥス隊の旗。それを見た遥か後方のローマ兵たちが一斉に地響きのような歓声を上げ、次々とハシゴを登り始める。
ついに掴み取った、誰の目にも明らかな不動の武勲だった。
だが、戦場は甘くなかった。一番乗りの旗を立て、後続のための足場を固めようとしたその瞬間、砦の内郭から凄まじい地響きが聞こえてきた。
「……っ、増援か!?」
城門が破られたと勘違いしたのか、あるいは最初から伏せられていたのか、砦の奥から完全武装した敵の精鋭歩兵数十名が、怒涛の勢いで城壁の上へと押し寄せてきたのだ。
城壁に上がっていたローマ兵2人が、精鋭歩兵にあっという間に切り倒された。
「囲め! その旗を叩き落とせ!」
一瞬にして、ヘラクレスの周囲は敵の青銅の盾で埋め尽くされた。後続の他のローマ兵はまだハシゴを登り切っていない。ヘラクレスは完全に孤立してしまった。
「ヘラクレス様! お逃げ下さい!」
レオニダスたちが城壁の下から叫ぶ。
ヘラクレスは槍を振るい、迫る盾を砕き、二人、三人と薙ぎ倒す。
「うおおおッ!」
だが、前後左右から無数の槍の穂先が容赦なく襲い掛かった。
「ぐ、あぁッ……!!」
右腕を突き刺され、激痛が走る。それでも盾を掲げて防いだが、死角である左の横腹、鎧の隙間を狙って、敵の短い剣が深く突き刺さった。
セストゥスが叫ぶ。
「ヘラクレスを死なせるな! 登れ登れ!!」
ひと月後。
■紀元前311年 8月5日
ローマ南方に出陣したガイウス・ユニウス・ブブルクス・ブルトゥスがローマに帰還した。サムニウム人との激戦を制し、ローマに多大な勝利をもたらした功績で凱旋式が行われた。
約1週間後。
■紀元前311年 8月13日
北方に出陣した執政官クィントゥス・アエミリウス・バルブラがローマに帰還した。
スートリの救出からファレリイまでの遠征を終え、エトルリアの都市国家群を屈服させて貢物をもぎ取った功績により凱旋式が行われた。
二度の凱旋式に、ローマの街は狂気にも似た歓喜の渦に包まれた。
窓の外からは、大路を埋め尽くす市民たちの地響きのような勝鬨と、勝利を祝うトランペットの甲高い音が絶え間なく響いてくる。
アエミリウス氏族の栄光を称える赤と青の紙吹雪が、夏の青空に舞った。
ステファノス家の邸宅の一室で、バルシネはただ静かに、ヘラクレスの無事な帰還を待っていた。
ローマ中がこれほど湧き立っているのだ。初陣を飾ったあの子も、きっと無事にこの門を叩くに違いない。そう信じていた。
だが、部屋の扉がゆっくりと押し開けられた瞬間、バルシネの淡い期待は冷酷に打ち砕かれた。
そこに立っていたのは、パレードの華やかな列から外れ、泥と乾いた血にまみれた側近たちの姿だった。
メナンドロスの手にはひとつの骨壺、レオニダスの手に入には遺髪が握られていた。
「ファレリイの砦を……攻めた時のことでございます。ヘラクレス様は、誰よりも早くハシゴを駆け上がり、敵の槍を撥ね退け、隊の旗を城壁に突き立てられました……! ローマ軍一番乗りの武勲を、確かに全軍に示されたのです……」
メナンドロスの肩が激しく震える。窓の外から聞こえる歓声が、まるで残酷なあざ笑いのように部屋に満ちる。
「ですが、直後に敵の凄まじい増援に囲まれ……。私たちがハシゴを登り切った時には、ヘラクレス様は全身に無数の刃を受け、血の海の中に倒れておられました。息は……息はもう、絶え絶えで……。すぐに後方の天幕へ運び込み、手当をしましたが……」
そこから先の言葉を、メナンドロスは喉に詰まらせた。
バルシネは、めまいを覚えるような感覚の中で、窓の外の狂乱を見つめた。
ローマは勝った。アエミリウス家は至高の名誉を手に入れた。
しかし、その影で、マケドニアの誇り高き血を引く少年は、異国の地で骨を埋めた。
「……ヘラクレス」
バルシネは震える手で胸元を抑え、深く、底の抜けたような絶望の淵へと突き落とされていた。
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大和猛が呟く。
「ヘラクレスには……申し訳ない事をしたな。どうせ死ぬなら……ギリシャの地がよかっただろう」
《いいえ。ヘラクレス様は、最後の瞬間まで“英雄”でした。
暗殺や陰謀ではなく、自ら選んだ戦場で、ローマ軍一番乗りという不滅の武勲を残して散ったのです。それは、ギリシャの英雄譚にも劣らぬ最期です》
「……」
大和は黙り込む。
《……ご主人様。アレキサンドロス四世で続けられますか》
「……いや……ゲームオーバーでいい」
《了解しました》
The End
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