3-(3) セシリアの天儀情報
1日目の作戦会議が終了し、30名は解散していた。
陸奥ブリッジをでた千宮氷華は、一息入れるためその足で艦内のカフェテリアへ向かっていた。
陸奥の私室に戻るにしても、食堂に行くにしてもまだ早い。
今日は頑張ったので、大光で有名なレストランを今から予約して楽しんでもいいな、などと氷華が考えながら艦内を進む。
陸奥はまだドック内にあるので、ドック大光の施設を利用することもできる。
艦外へ出るには、まず艦とドックを繋ぐ出入り口に行き、出入管理をする艦内事務で外出の手続きをして艦外へでる。
手続きといってもゲートに身分証をかざすだけだ。時間もかからない。
業者でもない限り陸奥に出入りするには、ここを必ず通る。
というより、むしろ陸奥とドックを行き来するにはここが一番早い。
これがいつ出航かわからないとなれば、艦内から出ることはできない。通常は出航24時間前から、自由な外出が許されなくなる。
そして、いま艦内を進む氷華の思い浮かべる店は、生の魚料理を出す高級店で、カウンター席もあり一人で入っても大丈夫。
――ちょっとお高いですけど、明日からの英気を養うのです
氷華は、自分へのご褒美ね、などと思いながらカフェテリアへ足を踏み入れていた。
休憩室と書かれたカフェテリア。
そこで氷華は、情報室長のセシリア・フィッツジェラルドと鉢合わせた。
――サモトラケのニケが何故。
と、氷華は思うも、セシリアからすれば、一息入れるためで特に理由はない。
入ってくる氷華に、セシリアは物腰柔らかく優美に会釈。
氷華もそれにジト目のまま少し頭を下げるように応じてから室内へ進んだ。
――案外、気まずいわね
などと思う氷華。
先日、氷華はセシリアと柄にもなく熱く語り合い
「セシリーと、呼んで下さい」
と、セシリアから強い親愛の情とともにこの言葉を向けられていた。
出会って数日でのこの急接近。
だが、二人きりになると、まだ気まずいものがある。
いやむしろ熱く語り合っただけに、気まずいとすら氷華は思う。
氷華が、おとずれたカフェテリアは、無人の販売機だけが設置されておりさほど広くない。
セシリアは、すでに紅茶の紙パックを手にしている。
氷華がコーヒー販売機から買い開封を切ると自然と向かい合う形になった。
無表情のジト目で、多少の固さを感じつつもそれを隠し、ストローを口に加える氷華。対して、セシリアの雰囲気は柔らかい。
しばらく室内に沈黙が流れたが、その沈黙をセシリアから破って、氷華へ声をかけた。
「さすがゲリラ出身だけある大胆な人事でしたわね」
セシリアは、今日の作戦会議のことには触れずに、数日前の陸奥ブリッジでの作業中に決定した人事の話題を口にした。
――確かにあれは普通考えられないやり方である。
と、氷華も思う。
だが氷華には、セシリーの口にしたゲリラ出身という言葉が意味がわからなかった。
氷華が、けげんそうな顔で黙っていると、セシリアは続けて
「あらご存じないのですか」
と、口元に手を当ててわざとらしく驚く様子を見せてからゲリラといった意味を説明しだした。
「司令は、第七星系の秋津の民進党の元ゲリラですわ。と言っても、ご本人にゲリラと言ったら嫌がるでしょうけど」
セシリアは、そういうと苦笑してから
「民進党に参加した方たちに、ゲリラと言うと異口同音で正規軍だと言って不機嫌になりますもの」
と、付け加えた。
民進党といえば、
――周公恩の民進党ですか。
そう氷華が、セシリアの言葉から思いついたことを口にした。
周公恩、本名は周恩。
惑星秋津内外で衆望を集めた周恩は、姓の名の間に公を挟むか、周公と呼ばれることが多い。
民進党を創設した柴龍が戦死した後それを引き継いだ男で、秋津の内戦へ武力介入したグランダ軍への素早い降伏判断が高く評価され、降伏後一ヶ月でグランダ議会から秋津の統治の官僚として選出。秋津の復興を一任される。
優秀な政治家でありグランダ議会から予算を大幅に引き出し、短期間で、内戦で疲弊した秋津を復興。
惑星秋津の父と呼ばれている男だ。小学生でも現代史の授業で習う。
先日、遺伝子治療を拒否してすい臓がんで亡くなった。
氷華が頭のなかで、民進党や周公恩へついての情報を頭の中で駆け巡らせるなか、
「ゲリラだからといって、嫌いだと言ってるわけじゃないですのよ。むしろ面白いと言ってよいですわね。いえ、好感すらいだきますわ」
そうセシリーが続けていた。
『ゲリラ』
などと、というと非正規軍やテロリストを連想させる。
対して、氷華やセシリアの正規軍人。二人の立場は体制側にある。そんな二人が、ゲリラと聞けばあまりいい印象は抱かない。
セシリアの言及は、それゆえのものだった。
だが、氷華からすれば、セシリアが天儀へ畏敬の念を抱いているのは、端から見ても一目瞭然。わかりきったことといっていい。
ようはいまのセシリアからでている天儀の批評のような言葉は
――好感から出る皮肉だ。
と、氷華は思う。
敬愛しているからこその話題で、つまりセシリアは、天儀司令の様々な面を知っていて、それを誰かに話したい。
「自分は、セシリーから見て、天儀司令の話題を共有できる相手として合格したというわけですね」
と、氷華は、冷静にセシリアの様子をジト目で観察していた。
皮肉交じりに、かつ一人楽しげなセシリア。
話し相手の氷華は、おきざり。一見すればセシリアの独りよがりとすら見える。
そう、いまのセシリアは、天儀の話題をしたくてうずうずしているといった様子すら感じられるのだ。
氷華は、そんなセシリアの態度も特に気に留めず。自分は、セシリアから一歩踏み込んだ話題もできる相手と判断されたのだろうと、冷静に分析しジト目をむけていた。
――ま、セシリーが、話したいというなら別に聞いてもかまわない。
これが饒舌になるセシリアへの氷華の態度。
受動的というのも沈黙の多い氷華の一面。
才能恵まれるものは、それだけで佳芳を放つ。香りによせられ蝶よ花よと群がり、何もしないでも、他人が何かしてくれる。
他人からの好意。
氷華は、よってくる相手を邪険には扱わず、とりあえずじっと黙って相手の様子を見守る。
これが氷華の好意に対しての答礼。
だが、相手からすれば、何の反応もなくジト目を向けられるだけ、たまりかねて退散していくこともしばしばだった。
ただ、今回の氷華は少し違った。
無表情のジト目は、変わらずだが、相槌のようにセシリアの言葉の切れ目に適当にうなづいて応じていた。
――自分も天儀の情報をセシリーから聞き出したい。
というのが、氷華がセシリアの話題に食いついた理由。
すまして話を聞く氷華の下心だった。
他にも二三、天儀の噂話を口にするセシリア。
氷華は、そんなセシリアの様子を見て、
――案外、子供じみたような面があるのですね。
という感想を思った。
証拠に、目の前のセシリアは、氷華の反応へ気を配りつつも、自分が言葉を出すのに一所懸命といった様子。
「それにゲリラといえばゲバラでしょ。かっこいいじゃない」
などと、冗談を口にし、セシリアは微笑んでいる。
氷華は、
――ゲバラとは何だ。
と疑問に思った。
ゲリラと音が似ているので、音をかけた冗談なのか。とすら氷華は思ったが、なんとなくそれが、人名ということは理解できた。
セシリアの様子からするに、おそらくゲリラで有名なのだろう。
――天儀の好物でも口にしてくれればいいのに。
と、氷華は思いながらセシリアの話を黙って聞いていたのだった。
一方のセシリアからすれば、氷華が無表情のジト目なので、その表情から心中をさっするのは難しい。
セシリアから見て、氷華は天儀へかなりの好意をよせているのは明らか。
それに自分が得意げ話していても、氷華から拒絶の反応が出ていない。
この数日間でわかったが、氷華は、不機嫌になると体から不快のオーラが漏れ出るのだ。
本人に自覚があるのかは知らないが、とにかくセシリアからすれば氷華は
――わかりやすい女。
セシリアは時折うなづくだけの氷華を見て、氷華もこの話題を楽しんでいると判断していた。
「知っていて、天儀司令は、秋津で持久戦を展開してグランダ軍を壊滅させようという計画を持っていたらしいですわ。随分と過激だと思いませんこと」
「それは」
当時の立場もあり仕方ないのでは。と、発言しようとした氷華へ
「いえ、大丈夫です。むしろ好感すらいだきますわ」
と、セシリアが遮って、さらに喋り続ける。
いまの氷華は、天儀について、知りたいという欲求の固まり。
氷華は、
――ま、天儀司令について、知れるなら面白い。話に付き合ってもいい。
などと思いセシリアの相手を開始していたが、二人の間には問題もあった。
饒舌なセシリアに対して、無表情のジト目の氷華。
そう二人の間には、随分と温度に差がある。
会話は一方的で、セシリアは内容を氷華が理解しているのか、していないのかなど、割りとどうでも良さそうだ。
そして氷華が、もう少し深く知りたいと思っても、怒涛とセシリアから言葉が出るので、発言をさしはさめずに黙って聞くしかない。
この場合どうすればいいか、一つは自分も相手の高いテンションへ合わせる。
相手の高揚感に自分の感情も合わせてしまえば、会話など成り立たなくとも楽しい。アルコールの席などではよくある場面だろう。
これが、お互いが好む話題なら苦もないことだ。
――では、セシリーのテンションへ合わせるのか。
そんなことを思い氷華が、セシリアへジト目を向ける
目の前のセシリアは、頬を上気させ、腰に手を当て得意げ。気分の高揚がありありと見て取れる。
――無理だ
と、氷華は諦めた。
あんなのを真似ては、疲れるとすら思う。
氷華は声が出せないかわりに、
「ま、着任して日も浅く話し相手がいないのでしょう。この様子だと、そのうち知りたい情報も出てくるはずです」
そう心の中でひとりごち、セシリアをジト目で見守ったのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
二人きりのカフェテリアで、セシリアの喋り声が続いていた。
そして話題は、再び陸奥ブリッジ作りの作業の話題に戻っていた。
「私、思うのですけれど、あの調整の上手さは、秋津での内戦での経験が生きているのではないでしょうか。民進党軍といっても、ほら、本来は非正規軍でしょ。質も考え方もバラバラ。一隊を任されれば、いろいろな方がいて隊内の人間関係に気を使ったはずですわ。人間関係が悪くなれば、士気に影響しますし、ずいぶんと独自のご工夫をなさったのではないのかと思いますわ」
この天儀を持ち上げる発言に、氷華は
――確かに
と、思い。
同意ついでに、せっかくなのでうなづいておいた。
一体式ブリッジ作りの作業中に、30人の間に、意見の対立がなかったわけではない。
むしろ集められた面々は、個性が強く、独特な価値観を持ったものもおり、意見の対立しばしばだった。
セシリアが、その調整役となることが多かったが、万事につけてセシリアが口を挟んでいては、今度はセシリアへ反感が集まる。
それを司令天儀が、ブリッジ内をせわしく歩き回ることで、上手く調整していた。
組織ストレスの管理、この場に限るなら横の関係で、徐々に生じるヘイト。これは個人間から、組織全体への漠然と不満も含む。
ヘイトとは憎悪だが、同僚間で生じる意思疎通の齟齬による気まずさと言い換えてもいい。このヘイトコントロールの上手さが天儀のリーダーとしての特質と、セシリアは見ていた。
――何故か細やかに気が利く。
セシリアは、不思議なかたね。と、天儀の意外な一面に器量の巨大さを見た思いだった。
これならこの男が、将来的に軍の頂点に立ってもそれなりに上手くやれるだろう。
セシリアは、そんな安心感すら覚えて、天儀を見ていた。
結局のこの日のセシリアは、2時間ほど天儀の話題について話し
「あら、ずいぶん長くお話してしまいましたわ。そろそろ失礼しないと」
と、一方的に切り上げ、そそくさとカフェテリアを後にしていた。
時を忘れるほど話してしまい、恥ずかしさから、早々に退散したというようなセシリアの様子。
氷華は、このセシリアの見せた恥じらいに
――あとで、お話楽しかったとでも送っておこう
と、思った。
二人は、すでに個人的な連絡先を交換ずみ。
氷華が見るに、恥ずかしそうにそそくさと去っていったセシリアのあの様子では、明日顔を合わせたときに、お互いに気まずさが出かねない。
寝る前にでもメッセージを送り、就寝の挨拶でもすれば、明日顔を合わせた折に気まずさはないはず。
そして、ずいぶん長く話したものだと、氷華も思う。
ほとんどセシリアが、一方的に喋っていただけだが、天儀についてかなりいろいろな情報が聞き出せていた。
――もう、お店の予約は無理ね。
時刻を確認した氷華が、そう思った。
2時間も話していたのだ。今から外出すれば日付が変わりかねない。
氷華は陸奥艦内の食堂へ向けて歩き始めていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
今日、氷華がセシリアから聞き出した天儀の情報は多い。
氷華は、食堂へ向かう道すがら、今日聞きだした情報を反芻するように整理を開始する。
セシリアによれば
「天儀は、もともとは惑星秋津の軍人」
これは氷華も知るところだった。
天儀は秋津の軍人で、帝の抜擢で星系軍にきた。割と知れられた話らしく、氷華が天儀について興味を持つと自然と聞こえてきた情報だった。
なお、当然この
『惑星秋津の軍人』
というのは、内戦で組織された民進党軍を美称したに過ぎない。
当時の民進党軍の実態は、民兵組織や、軍閥のようなものだ。
そして、この秋津の自称正規軍は、星系軍が一級戦力として扱われるこの時代にあって、地上部隊で、圏内軍と呼ばれる惑星守備の二級の戦力である。
民進党軍の実態は圏内軍ではあるが、星系軍と同格の組織と見れないこともないのが、氷華の夢中な秋津時代の天儀立場。
「なるほど、司令にはそんな経歴が、当たり前のように星系軍にいるので、普通に士官学校を出てた艦艇乗りの軍人さんかと思っていましたが違うんですね」
これが、セシリアからこの情報を聞いたときの氷華の感想。
それがセシリアの話によると、天儀が率いていたのは、地上部隊。驚きだった。
圏内軍からの転任はめずらしくなくとも、歩兵部隊からの星系軍の艦長、戦隊司令は異例中の異例だろう。
ただ氷華は、驚きはしたものの、
「まあ、さして珍しい出自でもないですね。セシリーは民進党軍出身という点に、重きを置いているようですが、天儀さんも、やはり単なるグランダ共和国の一国民。というかセシリーのフィッツジェラルドの本家の娘というほうが、やはり話題としては大きいです」
そんなことを思った。
そんななか、セシリアは喋り続け得意げ。
「すごいと思いませんこと、圏内軍から星系軍への抜擢ですわ」
このセシリアの同意を求める言葉で、怒涛と動いていたその口が停止。
セシリアが、氷華を「どう思います?」とまるで意見を求めるように見ていた。
「そうですね。私は、司令は高軌道部隊、つまり惑星宙域警備の部隊の出身だろうと漠然と思っていました。それが地上部隊とは驚きです」
氷華は同意しつつも落ち着いた感想を口にしていた。
氷華からすればいまのセシリアは、興奮しすぎ。
セシリーは落ち着くべきです。と、沈着に応じたのだ。
だが、セシリアは同意を得て
「ですわよね!」
と、氷華は話がわかる女というように身を乗り出さんばかり。
――だめね、この女。全然つたわっていない。
と、氷華は呆れた。
「セシリーのいうことはわかりますけれど、二等兵や一等兵が、いきなり佐官に昇進、艦長に任命されたのとは違います」
氷華が少しは落ち着くように、となだめるように口にした。
氷華からして、いまのセシリアは「天儀すごい!」を連呼しすぎだ。
「まあ、圏内軍から星系軍の移動は、珍しいということのほどもないですけれど、私も圏内軍のパイロットから星系軍の情報科ですし……」
と、セシリアは氷華の落ち着いた反応が面白くない。
氷華は、このときの「そうですけれど、すごいですのよ」と、いいたげなセシリアの顔も思い出し、思わずクスリとし口元が緩んだ。
いま艦内の食堂へ向け進む氷華は、セシリアから次々と出た情報を頭のなかで整理しつつ進んでいる。
氷華は思い出せれる情報に
「秋津の士官学校を出た圏内軍人が、帝の抜擢で、星系軍とは世の中わからないものですね。大出世です。おめでたい」
などと、冗談じみてまとめ、続けて、
――というより帝の抜擢がなければ、自分は天儀と出会えていない。
そんな閃きが頭に走り
「おお、こう考えると、帝のおために星間戦争をやりたいという気にもなりますね」
と、氷華は星間戦争への決意を新たにしていた。
だが、氷華は民進党軍の実態を知らなかった。
天儀は内戦の途中から民進党の募集に参加しただけで、士官教育を受けていない。
つまり、これが陸奥ブリッジでみせた天儀の異例の人事の理由でもあった。
セシリアが天儀を評して
「ゲリラ出身らしい大胆な人事」
といった言葉は、あながち間違いでもなく。当たらずとも遠からずといった指摘だった。
――軍人だったのだから、当然しかるべき教育を受けいるのだろう。
と、このうやむやにされ秘匿された情報。この情報は、天儀が当然として星系軍にいるという現実を前に埋没していく。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
氷華がとりとめもなく、セシリアとの長話の情報を頭のなかで整理するなか、食堂の入口が見えてきていた。
氷華は脳内での情報の整理を一旦切り上げ、ふっと息を吐いた。
――結局、趣味や好みなどは聞き出せなかった。
そう思う氷華。
「セシリーは、もう少し気を利かせるべきですね」
と、氷華は心の中で不満を漏らし、さらに不満を続ける。
こんな経歴、やりはしませんけど電子戦科の私からすれば人事部が管理するファイルあたりにハッキングでもかけて調べ出せるものです。
今回の場合は、書類に出ない情報です。
好む音楽、好きな食べ物や飲み物、犬と猫どちらが好きか、などもっと重要な情報があるとすら思う。
そうもっと重要な情報
――天儀の女性の好み
何故この重要な情報を、情報部のエリートは出さなかったのか。
これに使えないとまでは思わないが、強い物足りなさは感じる氷華。
高まる不満に、氷華がはっとした。
何故自分は、そんなものが知りたいのか。
――謎だ。
氷華の思考が止まっていた。
同時に、
――お腹が空いた
とも強烈に感じ、氷華は思考を続けることへの気だるさにも襲われた。
食堂からはいい香りが漂ってきている。
業務終了から2時間以上、氷華の空腹は絶頂だった。
強烈な空腹も手伝って、思考を止め食堂内へと進む氷華。
食堂内を数歩進んだとろで、機関科の若い技術将校の集団から好意の声をかけられたが、氷華はそれを気のない応じでやり過ごし、トレイを持って注文ためにカウンターへ並んだ。
思考の止まった氷華が、注文のためメニューへ目を落とした。
――今日は、ハンバーグですね。美味しそうです。
メニューを目にした途端、氷華の天儀へ情報への渇望は、遠く彼方へと押しやられ、思考が完全に切り替わっていた。
もう氷華の脳内には、ハンバーグの肉汁で溢れかえっている。
氷華は付け合せのサラダの種類を選択し、ドリンクは何にするかと、ドリンクのメニュー欄へ目を移すと
――紅茶が目に入った。
2時間過ごしたカフェテリアで、セシリアが手にしていたのは紅茶のパック。
たかが自販機の紅茶のパック。これをセシリアは、優美に口にしていた。
紅茶の飲みくちがセシリアから離れるなか、彼女が最後の方にだした話題が
「わたくし今の唐大公とは、面識がありましてよ」
という話題だった。
この話題に氷華は、ジト目を強くしていた。
いまの自分達は密謀の渦中あるといっていい。
その密謀の対象は唐公。
氷華からして、良い印象ない唐公と恒星衛社だったが、そんな唐公の実像とはどんなものなのか。興味がわいた。
「いけ好かない中年でしたわ。あれをギャフンと言わせられると思うと私、俄然やる気でしてよ」
セシリアは、そういうとほのかに笑って、楽しみよね、と付け加えた。
氷華は食堂で紅茶を目にして、このときのセシリアの様子を思い出したのだ。
氷華は注文の最後のドリンクに紅茶を選択しながら思う。
皆、セシリアのようにやる気になっているが、事が成功すればギャフンどころの騒ぎではないだろうと。
第二星系海明ドックへの試運転も兼ねた航行任務。
戻ってくるころには、どうなっているのか。
不安でもあるが、期待のほうが遥かに大きい。
たしかに、いまの氷華は、
「楽しみよね」
と、ほのかに笑うセシリアの言葉通りの心境だった。