第九章 ヨリという、その名の意味
カーレイアの町、入り口付近の街道。アレスとレンハの二人が向かい合っている。町の近くではあるが、早朝のため人通りは全くない。少し離れた所にはそれを不安そうに見つめるヨリがいた。自らの長く、赤い髪をきゅっと握る、青い瞳は不安そうに揺れていた。
レンハは無表情に短剣を逆手に持っている。アレスは両手で剣を構え、いつでもレンハを迎え撃つことが可能な姿勢を維持していた。自分から動く気配はない。レンハの得物が短剣である以上、リーチで負けることは無いのだが、敢えて短剣を武器にしている者というのは、身のこなしに自信を持っている者が多い。その動きを殺さない為に、取り回しの良い軽い武器を好んで持つのだ。
そういった軽戦士に、こちらから仕掛けていってもまず翻弄されてしまう。ゆえにアレスは待つのだ、相手から動き、間合いに入ってくる瞬間を。
「アレス! 気を付けて! あいつの短剣ルーンが刻んである、あれは魔道具だよ!」
離れた所でヨリが叫ぶ、それを聞きアレスもレンハの武器をよく確認する。短剣の持ち手の部分には確かに文字が描かれていた。
「ほぉ、お嬢さんの方が先に気付いたか、男に生まれていたら良い戦士になっていたかもな」
そう言ってからレンハはニヤッと笑った。そういえば、あれくらいの年頃のお嬢さんに一杯食わされたばかりであったな……と頭の中で自嘲する。
「いつまでそうしているつもりだ? やるならさっさとかかってこい」
動かないレンハにアレスが挑発をする。
「……あまり気が乗らんのだがね、では行くぞ」
レンハは大股で歩き、距離を詰める。それでも中々のスピードだ。アレスはその動きを捕捉し、丁度間合いに入る瞬間を狙い剣を振った、しかしその剣はレンハの目の前を空振る、レンハはアレスの間合いに入る直前に歩幅を短くし、空振りを誘っていた。アレスの空振りの直後、レンハは一転全力で動き、一瞬でアレスの懐に入る。そして片手に持っていた短剣をアレスの右腕に突き刺した。
「うぐっ!」
アレスはすぐさま剣でレンハを払うが、既にアレスから短剣を引き抜き間合い外に退避していた。
「アレス!」
それを見たヨリが悲痛な叫びをあげる、ヨリは今の攻防だけで気付いてしまった。二人の実力には大きな差がある事に。自分が代わりに戦う事が出来ればと、重くなった体を呪う。アレスは恐らく勝てない、それでもヨリは、歯を食いしばって見ていることしか出来なかった。
「血が止まらんだろう? これにはそういう細工がしてある」
左手で右腕の傷を抑えているアレスに、レンハが語り掛ける。
「私はね、カーマイン殿に仕えるまでは暗殺で食っていたのだよ。父がそういう生き方をしていてね。何の疑問も持たずに私は後を継いだのだ。だが私は臆病な性格でね、殺した相手の顔がなかなか忘れられん。命乞いをされたり、家族に愛されている者を殺した後は特に悪夢を見たものだよ」
涙目のヨリを見ながらレンハは続ける。
「君を殺せば間違いなく私は悪夢を見るだろう、だからもうやめたまえよ。別にその子や君を殺せとは命令されていない、実力の違いはもう分かっているのだろう?」
「言いたいことは……それだけか……」
アレスは立ち上がり剣を上に高く構えた、右腕の傷口からはボタボタと血が流れている。
「アレス! お願いだからもうやめて! アタシならどうなってもいいから!」
ヨリの叫びもアレスには届かない、むしろレンハの方がヨリの声に反応を示していた。レンハは少し考えこんだ後、持っていた短剣を腰のベルトに差し、別の短剣を取り出した。
「行くぞ!」
アレスが声をあげ剣を高く構えたままレンハに近付く、レンハはそれを余裕を持って迎えうつ、剣の間合いギリギリに入ったタイミングで、アレスは真上から剣をレンハに振り下ろす。
(最初の冷静な動きとは違い酷いものだな、これでは素人と変わらん)
呆れながらもレンハはその振り下ろしを回避、そして反撃を撃ち込むために一歩近付いた瞬間、アレスは足で、振り下ろしたばかりの剣をレンハ目掛けて蹴り上げた。
「うおおおお!」
アレスの足先が裂け、血が吹き上がる。
「なにっ!?」
完全に想定外の行動にレンハの反応が一瞬遅れる、長い経験からくる落ち着きが、逆に未知の一手に対するレンハの対応を鈍らせた。斜めに蹴り上げられたアレスの剣は、レンハの腹を切り裂いていく。
しかしその傷は……浅い、骨や内臓にまでは届かなかった。傷を負いながらも、レンハはアレスの右腕に再び短剣を突き刺す、先ほどの傷を狙って、完全に短剣を突き刺し貫通させた。
「ぐっ!? ああああ!」
「はぁ……はぁ……馬鹿な事を……剣を蹴りあがる剣士など初めて見たぞ……足がいらんのか……」
アレスに短剣を突き刺し、距離を取ったレンハが腹の傷を抑え苦しそうに呻く。一方アレスは、左手で右腕に突き立てられた短剣を抜こうとするが……その短剣のルーンが突如光り出す。短剣から黒い触手のようなものが何本も生え、アレスの右腕を絡め取る。触手はそのまま地面に突き刺さり、アレスの体ごと右腕を地面に固定してしまう。地面に倒れ動けなくなるアレス、レンハはそんなアレスを上から見下ろし、話し掛ける。
「ふー、心配しなくていい、その短剣の魔法はすぐに解ける。それは君に預けておくことにしよう、お嬢さんを奪い返しに来た時にでも、返してくれれば構わんよ……ああ、いらなくても捨てるなよ? 貴重で高いものだからな……」
一方的にそれだけ言うと、レンハはヨリの方へ向かって行く。アレスは左手で剣を掴み、必死で右腕に巻き付いた触手を切ろうとするがびくともしない。
「ま、待てっ! ヨリに手を出すなっ!」
レンハはアレスを無視し、背中を向けヨリへと近付いていく。ヨリは動けなくなったアレスを少し安心したように見てから、レンハをその鋭い目で睨みつけた。
「さぁ、共に来ていただこうか、お嬢さん」
「誰が……アンタなんかに」
ヨリはレンハに殴りかかるがすぐに捕まってしまう。両手を掴まれ、蹴りを入れるもまるでレンハには効いていない。病気で弱ったヨリの身体能力は、並みの少女以下にまで落ちていた。
「手負いとはいえ、お嬢さんに殴り負けるほど年は取っておらんよ、諦めなさい。なに、カーマイン殿は別に好色なわけでも殺人が趣味でもない、大人しくしていればそう酷い事もされんはずだよ」
ヨリを説得しようとするレンハ、しかしヨリは暴れ続けていた。レンハがどうしたものかと考えていたところに……突然、背中を大きく切られる。
「がっ!? あっ……」
剣がレンハの背中に深く切りこまれ、骨や内臓を巻き込んで通過していく、背中の傷から大量の血液を吐き出しながら剣が引き抜かれた。
「だ……れだ……」
レンハがどうにか首を回し、自らを切り裂いた者を確認する。そこにいたのは……右腕を根元から切り落とし、触手による拘束から解き放たれたアレスであった。
「ハァー……ハァー……妹に……手を出すな……」
アレスは右肩から大量に出血し、足元は真っ赤に染まっていた。それを見たレンハはわずかに笑みを作る。
「この子のために……片腕を捨てたか……見事……だ……」
音を立て、レンハはその場に倒れた。そしてヨリがそんなアレスを直視する。
「い……や……アレ……ス……」
「ヨリ……はやく……行こう……ドラクロアへ……」
それだけ言うと、アレスも意識を失ってしまう。どうにかレンハを倒すことは出来たが、犠牲はとても大きかった……
アレスが意識を取り戻したのは、それから数時間後……カーレイアの町にある、病院のベッドの上だった。その部屋にはアレスとヨリの二人だけがいた。アレスのベッドの前で椅子に座り、ヨリは泣いていた。
「……ヨリ、ここは? あれからどうなった?」
「アレス……なんで……なんであんなことしたんだよ! アレスの……アレスの腕が……」
自分の右腕を見る、右腕は綺麗に無くなっていた。右肩には包帯が巻かれている、麻酔が効いているのか痛みは無い。続いて足元を見た、剣を蹴り上げた方の足にも包帯が巻かれている。
「よかった……足は残せたみたいだ……」
「全然良くない!」
ヨリが泣きながらアレスに怒鳴る、叫ぶと同時に涙がぽたぽたと床に落ちた。
「お願いだよ……お願いだから……アタシなんかのために傷付かないでよ……アタシなんか……守る価値なんてないんだよ……」
本心だった。アレスが必死でヨリを助けようとしなければ、そもそもエンデの村を出る事すらなく、ヨリは宿命を受け入れていただろう。それほどまでに自分自身を嫌ってしまっていた。しかしヨリのその言葉は、他の何よりもアレスの心を痛めつける。涙が、溢れてくる。
「ヨリ、どうして……そんな事を言うんだよ……俺にはもう……ヨリしかいないんだよぉ……」
アレスが泣いているところを初めて見たヨリは、驚き固まってしまう。
「俺にはな、何にもないんだよ……俺はヨリ達がいなかったら、生きてる意味なんてないんだ……ユリアを失って……ヨリまでいなくなるくらいだったら……俺は死んだ方がマシなんだよ……だから守らせてくれよ……だって俺たち……たった二人残された……」
そこから先の言葉は、今度はヨリの心を抉る。
「たった二人の……『兄妹』じゃないか……」
「う……あ……あああ」
それを聞いて、顔を伏せて泣いてしまうヨリ。狭い病室に二人の泣き声だけが響く。二人の強い愛情は、決して交わる事なくすれ違い、互いの心を貫きあってしまっていた。
二人でしばし泣き、少し落ち着いてきたところで、アレスは立ち上がろうとする。
「くっ……」
「アレス!? ダメだよ、寝てなくちゃ……」
「大丈夫、何とか歩けそうだ」
アレスは立ち上がり、窓際まで行くと日の高さを確認する。
「日没までにはまだかなりある、今からドラクロアへ向けて出発しよう。野宿にはなってしまうが、今日中には山へ入れるはずだ」
「無茶だよ! 馬鹿言わないで! そんな体で何かあったらどうするの!?」
「こんな体だからこそなんだ……次またカーマインの手下が来たら俺はもう戦えない……ペンダントの力だっていつまで持つか分からないんだろ? 少しでも時間を無駄にしたくない、頼む、ヨリ……」
残された手で、ヨリの手を握り懇願するアレス、その目にはまだ涙が滲んでいる。
「分かったよ……今から行こう……」
折れたのはヨリだった。これ以上アレスを悲しませたくは無かったからだ。ヨリは無言で立ち上がると、アレスの着替えを手伝う。アレスの右肩を直視しないよう気を付けて……
二人は病院で金を払い、町で簡単に食事を済ませると、すぐにドラクロア山へと向けて出発する。少しでも足への負担を減らすために、アレスは剣を置いて行く事にした。二人してほぼ丸腰になってしまうが、どのみち今のアレスは戦える状態ではない。ならばいっそ剣を捨てて、少しでも身軽にするべきだという判断だった。何より次の追手がいつ来るか分からない、そしてペンダントの力がいつまで持つか分からないという、二つの事実がアレスを焦らせていた。無言で歩き続ける二人の目の前には、もうドラクロア山が見えている。アレスにはその山が大きな希望の光に見えていた。そんなアレスの背中を、後ろを歩くヨリはじっと見つめながら歩いていた。そして……二人はついにドラクロア山のふもとへと辿り着く。
「ようやく着いたな、オーランさんの話では、ここにヤイネさんがいるはずだが……とりあえず山頂を目指すべきか……?」
山の上を見上げながら、疲れた様子でアレスはヨリへ話しかける。時刻は既に夕方になっており、今から山に入ったら確実に山頂に着く前に暗くなってしまうだろう。追手の事を考えれば、それでも町中にいるよりは安全なのかもしれないが……
「山頂までは……行かなくて大丈夫。ヤイネが住んでいた神殿が途中にあるんだ」
ゆっくりアレスの前に出てヨリが答える、ここからは自分が案内するという意思表示でもあった。
「ヨリ、分かるのか?」
「うん、途中に山小屋があるんだ。まずはそこを目指そう、今夜はそこに泊まろうよ」
山の中の道は、ペンダントが見せてくれた過去の映像から、何となく分かっていた。あの時の映像から十年以上が経過しているはず、オーランの小屋や花畑、幼いユリアが住んでいた神殿がどうなっているのか、ヨリは気になっていた。
「山小屋か、分かった。まずはそこを目指そう、案内を頼めるか?」
「うん、任せて……」
体調が再び悪化してきているのか、ヨリは少し苦しそうに、ゆっくりと歩き山へと入っていった。それをアレスは痛めた足を庇うように、不自然な歩き方で追いかけて行く。頼みのペンダントもほとんどその光を失っている。二人は……既にぼろぼろだった、身も心も……
「はぁ……はぁ……あった……オーランの山小屋……」
辺りは既に暗くなり、月明りと、夢の中の記憶だけを頼りにヨリとアレスは辿り着く。そこは紛れもなく夢で見たあの山小屋だった。幼き日のユリアが走り回っていた光景を思い出し、ヨリは少し涙ぐむ。ヨリはここを知らないはずなのだが、妙に懐かしく、切ない気分になった。
二人で山小屋の中へと入りランプに火をつける。それでも足元は暗いが、本が散乱していることは分かった。それにとても埃っぽい。長い間放置され、誰も足を踏み入れた形跡がない。
「ヨリ……大丈夫……か?」
ヨリを心配するアレス自身も顔色が悪い、既に体力の限界を迎えていた。
「ごめん……アタシ……もう……休むね……」
ヨリはそう言うと足元の埃を少し払い横になってしまう。そしてアレスも倒れるように眠りについた。
眠りについたはずのヨリの意識が覚醒する。ヨリは再び謎の白い空間に導かれていた。しかし以前とは違うところもある。ペンダントからは光がほとんど出ていない、消え入りそうな弱い光が、ついたり消えたりしている。ペンダントの力に限界が来ているのだとヨリは悟る、恐らくこの空間に来るのはこれが最後だろう。そしてヨリ自身の命も、長くはもたないだろう。それでもペンダントは懸命に光る、彼らの結末を、ヨリに伝えるために。最後の力を振り絞り、ヨリの意識を遠い世界へと送り出す……
「あ、オーランさんだ! どうしたんです? こんなところで」
ドラクロア山の花畑で、小さな女の子が、寝ころんでいた長髪の男に声を掛けた。女の子は長く綺麗な銀色の髪を持っており、瞳は宝石のように赤く美しい。
「ユリアか、天気が良かったんで昼寝だ。というかこんな所とはなんだこんな所とは……そもそもここは俺が教えてやったんだろうが」
「フフ、そーでした。随分前の事だったんで忘れてしまっていましたー!」
そう言って何故か小さなユリアは胸を張る。それを見たオーランは、最近だんだん兄さんに似てきたなぁ……と考え頭をかいた。
「そうだ! オーランさんには後で本を借りに行こうと思ってたんです! この後おうちへ一緒に行ってもいいですか?」
「ああ、構わんぞ」
幼い頃からやたら本に興味を示すユリアのために、オーランは自分の研究以外の本も、町へ出た時に買ってくるようになっていた。なんなら直接ユリアにプレゼントしてやればいいのだが、ロキやヤイネに、まるで本当の親のようだとよく冷やかされるので、あくまで自分のために買い、ユリアには貸すだけという風を装う。
オーランとユリアが山小屋へと向かって行くと、そこには見慣れぬ人物の姿があった。生まれたばかりの赤ん坊を抱えた、赤い髪の女だ。女はオーランの山小屋の前でへたり込んでしまっていた。
「大丈夫か!?」
女の異常な様子に気付いたオーランが駆け寄る。女は酷くやせ細っており衰弱した様子だった。女はオーランが駆け寄ってきたことを知ると、抱えていた赤ん坊を渡しながら、振り絞るように声を出した。
「お願いします……この子だけでも……助けてあげてください……」
そう言って女は意識を失った、焦った様子で走ってきたユリアがすぐに女の手を掴む。
「私に任せてください!」
ユリアの手から緑色の光が放たれ、女を包んでいく。しかし女の意識は戻らなかった。
「ユリア、もう遅い……死んでいる……それに怪我が原因ではないようだ」
「そんな……」
「まさか……この赤ん坊も……?」
オーランは預けられた赤ん坊を見た。母親と同じ赤い髪が生えているその赤ん坊は、今にも死んでしまいそうなほどに衰弱していた。青い瞳が弱々しく震えている。
「母親と同じ病気……なのか? だが俺にはどうすることも……」
「オーランさん! お母さんのところへ連れて行きましょう! お母さんならなんとか出来るかも!」
「……そうだな、連れて行ってみるか」
二人は赤ん坊の母親に短く祈りを捧げると、赤ん坊を抱えヤイネの神殿を目指し、山を駆け上がって行った。
オーランとユリアは急いで山を駆け上がり、ヤイネの神殿へと入っていく。赤い髪の赤ん坊を大事に抱えて。
「お母さん! お母さん! 大変なの! 出てきて!」
神殿に入りユリアが大声を出すと、ヤイネとロキの二人が慌てた様子で顔を出した。
「ユリア、どうしたの?」
小走りで駆けてきたヤイネがユリアの頭に手を置く、そしてすぐにオーランが抱きかかえた赤ん坊に気付いた。
「オーラン!? その子まさかあなたの――」
「くだらない冗談に付き合ってる暇はない。ヤイネ、この子は病気みたいなんだ。診てやってくれないか」
「あたしも医者じゃないからなぁ……怪我なら治せるけど人間の病気の事はちょっと……」
「僕にみせてくれ」
後ろで様子を見ていたロキが近づき、赤ん坊を覗き込む。
「酷く衰弱しているな……母親はどうしたんだい?」
「俺の小屋の前で死んだよ、この子を助けてほしいと言ってな。何処の誰だかは俺も分からん。だが母親も酷く弱っていた、恐らく同じ病気だろう」
ロキは悲し気に赤ん坊を見つめる。
「見捨てられた親子……か」
原因の分からない奇病とは、人々にとっては恐怖の対象でしかない。それはよく呪いだとか、前世で悪事を働いた者への罰だなどと、荒唐無稽な噂を立てられる。狭い村などでそういった病気にかかってしまうと、周りから避けられたり、酷い場合には村を追い出されてしまう事もあった。見捨てられるとはそういう意味である。この親子も恐らくそうなのだろうとロキは察した。
「この子……死んじゃうの?」
涙目になってユリアがヤイネを見る。ヤイネはそれに笑顔で答えた。
「大丈夫! 方法はあるよ! ちょっとしんどいけど……」
「どういうことだ? ヤイネ」
ヤイネの言葉に少し、不安を覚えたオーランが尋ねる。
「私の力でこの子を龍族に生まれ変わらせる」
オーランから赤ん坊を受け取り、そっと床においてヤイネが顔を引き締めた。
「そ、そんな事が出来るのかい?」
今度はロキが驚く、ロキの目を見てヤイネは答えた。
「疑似的にだけどね。私の力を限界まで引き上げて、この子の魂の中に龍としての核を作る。その核がこの子の体を龍族のものに変えてくれるわ。龍族に人間の病気はかからないからきっと助かるはず」
「ちょっと待てヤイネ! 力を限界まで引き上げるだと!? 危険だ! そんな事はさせられん」
オーランはヤイネの発言を聞いて怒り出す。龍族とは大きな力を持つ代わりに、いつその力が暴走するかも分からない危険性を持っている。大昔に力を暴走させ、世界中に大きな被害をもたらし、暗黒龍として伝説になった者もいた。怪我を治す程度の力ならばともかく、他人を生まれ変わらせる程の力を使ってしまえば、ヤイネはどうなってしまうか分からない。オーランはそれを心配していた。
「大丈夫だって! 限界って言っても、ここまでなら大丈夫って意味での限界だよ」
オーランにウインクをするヤイネ。触れることが出来ないオーランへの、ヤイネなりのコミュニケーションだった。これをされてしまうとオーランは弱い、黙るしかなくなってしまう。
「ヤイネ……無理はしないで……」
そう言ってロキはヤイネの手を握る。
「うん! 信じて……見守っててね! ロキ!」
ロキの手を握り返すヤイネ、二人の間には強い愛情と信頼関係があった。オーランはそんな二人から目を背けてしまう。
「よし……やるぞ」
ヤイネは両手を重ねて赤ん坊の胸に置く、そして目を瞑り精神を集中させ始めた。
「はああああ……」
ヤイネの体から赤い光が強く発せられる。ヤイネの体は徐々に大きくなり、口は裂け、ツノが生え、皮膚は固く鱗のようなものへと変化を始めた。裂けた口からは牙が伸び始める。人間の姿を失い龍への変化が起こる。
「ガ……ア……アア……」
赤い光は益々強くなりヤイネを包む。次第にその光は変化したヤイネの手を伝い、赤ん坊の体の中へと流れ始めた。強い光がその子を包み……赤かった髪の毛はヤイネやユリアと同じ銀色へ、青かった瞳は赤く変わっていく。
「すごい! この子、私やお母さんみたいになっていく。お母さんみたいな気配も感じる!」
「グッ! ヴ……ヴァァ……」
半分龍化してしまっているヤイネが、赤ん坊から手を離し、苦しみ始める。必死で龍化していく心と体を抑えようとしていた。
「ヤイネェ!」
オーランは駆け寄ろうとするもロキに止められる。
「危険だ! 今のヤイネに僕達がしてやれることは何もない! 信じて待つんだ、オーラン!」
「くっ……ヤイネ……」
神殿の床をのた打ち回りながら苦しむヤイネ。次第にその体を赤い光が包み、徐々にヤイネの体を元の人間の姿に戻していく。
「はぁ~……危なかった……」
ため息をつきヤイネは寝転がる、ロキがすぐに駆け寄りそんなヤイネを抱きしめた。
「やったぁ! 流石お母さん!」
ヤイネを不安そうに見ていたユリアも喜ぶ。オーランはヤイネに駆け寄れなかった。本当は真っ先にそうしたかったのだが……心の中の何かが足を止めてしまった。
オーランの足が向いていたのは、ヤイネの力により、龍族として生まれ変わった赤ん坊の方だった。赤かった髪の毛は銀色に輝き、青かった瞳は宝石のように赤い。先ほどまでの衰弱しきった様子が嘘のように大きな声で泣いていた。
「はは……元気が良いな、これは将来が楽しみだ」
赤ん坊を抱きかかえるオーラン、ユリアが横から目をキラキラさせて覗き込む。
「ねぇオーランさん、この子に名前付けてあげましょうよ!」
「龍族になったからには、今日からこの子はユリアの家族だぞ? 兄さんとヤイネに付けてもらえ」
ヤイネを介抱しながら、それを聞いていたロキが笑顔で答える。
「何を言ってるんだオーラン、この子の事を母親から託されたんだろ? 名前くらいつけてやれよ」
「な……なんで俺が……ヤイネが救ったんだからヤイネに付けてもらえばいい」
「え~? ユリアの名前決める時も私達相当揉めたからなぁ……私もオーランが決めるべきだと思うけど」
ロキとヤイネは意地悪な笑顔でオーランを見つめる。
「お、お前ら……」
「私もオーランさんに決めてほしいです! オーランさんいっぱい本読んでるから、きっと素敵なお名前付けられますよ!」
ユリアまでそう言うなら……とオーランは考え始める。
「そうだな……じゃあ……『ヨリ』というのはどうだろう」
「ヨリ? あんまり聞きなれない名前だね、何か意味があるのかい?」
ロキが首をかしげる。
「俺が研究している古代語でな……『勇気を持つ者』という意味がある。そんな……強い人間に育ってほしいという願いを込めてみた」
俺がそうなれなかったからな……と誰にも聞こえないよう、オーランは最後に付け足した。
同時刻、ここはドラクロア山の近くカーレイアの町。巨大な斧を背負った、柄の悪そうな大柄の男が赤い石を手に持っていた。
「今は消えちまったが随分強烈な反応だったな、ここから東の方か……カーマインの旦那に良い土産を持って帰れそうだぜ」
男は笑いながら町から東、ドラクロア山の方を見ていた。
翌日、オーランは隠れ家の花畑へと来ていた。隠れ家とは言っても、ユリアとヤイネは既に知ってはいるが……オーランはここで本を読んだり、昼寝をしたりするのが好きだった。たまに辛いことがあった時も、ここに来ると心が楽になるような気がしていた。
今日はここで本を読んでいる。本の内容はロキからこっそり借りてきた(盗んできたとも言う)子育てに関する本だ。ユリアが生まれた時にロキが色々買い込んでいたものの一つだ。
「オーランさん! 何読んでるんですかぁ!」
「うわぁ!」
座って本を読んでいたオーランの背中から、ユリアがひょこっと顔を出した。オーランは大慌てで本を隠す。
「わぁ、大きい声出さないでください! ヨリがビックリしちゃいますよ~」
「……すまん」
ユリアは昨日新しく家族となったヨリを抱いていた。今のでビックリして少しぐずり始めてしまう。
「ヨリ~大丈夫だよ~今のはお父さんですよ~」
危なっかしい手つきでユリアはヨリをあやし始める。
「お父さんは……やめろ」
「え~? オーランさんはヨリに名前まで付けたお父さんじゃないですか。それに見てください! なんだか目付きも似ていますよー!」
確かに似ている気がする。女の子のヨリが自分のような険しい顔になってしまっては、嫁の貰い手が無いのではないだろうか。というどうでも良い心配を一瞬してしまった。
「はぁ、少し早いがメシでも食ってくるか」
「え!? ご飯ですかぁ?」
ユリアが途端に目をキラキラさせる。壊滅的に料理が下手なロキとヤイネに比べて、オーランの腕は悪くない。ユリアはたまにオーランに食事をねだっていた。実の親よりもオーランに懐いてしまった原因はこれなのかもしれない。
「一緒に食うか?」
「いただきます!」
ヨリを片手で抱えもう片方の手をビシィっと上にあげるユリア、口元からは既に涎が……
「危ないからきちんと両手でヨリを抱えていてくれ……」
山小屋を目指し、オーランとユリアは山道を歩いていた。ヨリはオーランがしっかり抱きかかえている。こうしているとまるで本当の親子のようだ。
「あのね、オーランさん。昨日のお母さん……苦しそうだったね」
少し落ち込んだ声でユリアが口を開く、オーランはどう答えたらいいものか分からず、そうだな……と相槌を打った。
「私もね……お母さんと同じ龍だから……力を使いすぎたらああなっちゃうのかな?」
オーランはユリアに微笑みかけ、安心させるように優しくそれに答えた。
「それなら安心しろ。ユリアが生まれた時にヤイネから聞いた事がある。半分人間であるユリアは龍としての力が弱いらしくてな、ヤイネ程の力がない代わりに暴走の危険もないそうだ」
それを聞いたユリアの表情が明るくなる。昨日から思い悩んでいたようだ。
「でもどうして急にそんな事を? 怖いのなら龍の力など使わなければいい、というか普段からユリアはほとんど使ってないだろう?」
ヤイネに比べ力の劣るユリアに出来る事はそう多くない、精々誰かが怪我をした時に治すくらいだった。
「昨日お母さんから聞かされたんです、ヨリの事について」
「この子の?」
抱きかかえていたヨリの顔をちらっと見るオーラン。
「え~っとですね。ヨリが龍族として生きていくのには、ヨリの中にある核に力がなきゃダメなんです、龍族としての力です。」
思い出すようにユリアは説明を始めた
「でもその力は元々龍族じゃないヨリは作ることが出来なくて……しばらくすると元の人間の体に戻っちゃうんです。病気もそのまま戻っちゃうから、そうなるとヨリはすぐに死んでしまう……だから私かお母さんが、ヨリにちょくちょく力を分けてあげなくちゃいけないんです」
言い切れた! という顔でユリアが満足げな顔をする。
「なるほど、それで定期的に力を使う事になるから怖がっていたのか。別にヤイネに全て任せてしまってもいいだろうに」
「ダメですよ~? ヨリは私の妹なんですから! 私が面倒みるんです、ね~ヨリ?」
オーランに抱えられているヨリにユリアが話しかける、妹が出来た事をとても喜んでいるようだ。そんなユリアの姿を見ているとオーランまで嬉しくなってしまう。
そういえばヨリの食事はどうしたらいいんだろう、などと考えながら歩いていると、次第に山小屋が見えてくる。小屋の隣には、昨日亡くなったヨリの母親の墓が立ててあった。
その墓の前に見た事のない男の姿がある。背中に巨大な斧を背負った大柄の男だ。男の姿を見てオーランとユリアは足を止める。
「ユリア、ヨリとここで待ってろ」
そう言ってユリアにヨリを預ける。オーランは男に向かって歩きながら、赤い魔導書を取り出した。魔導書を左手に持ち早足気味に近づていく。男の方もオーランとユリアに気付いたようだ。ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべている。少し離れた所から、ヨリを抱いたユリアが心配そうにオーランを見守る。
「ワリーな、ここはあんたの家だったのか。放置されてる山小屋かと思って一度入っちまったよ」
「別に構わん、俺も勝手に住んでるからな。それよりこんな山に何の用だ?」
「あんた、龍って知ってるかい? おとぎ話とかでたまに出てくるやつさ」
「……知らんな、そんなくだらんものを探しているのなら時間の無駄だ。とっととこの山から出て行け」
男は無言で、何やら赤い石のようなものを取り出してオーランに向ける。石は光輝いているのだが、オーランに反応しているような様子ではない。
「お前じゃねーな、山に登るほど反応は強まってるからもっと上か……悪かったな、あんたに用はねーよ。じゃあな」
そう言うと男はオーランを横切り歩き出す。ヤイネを探しているようだった。持っている石が何なのかはオーランには分からなかったが、龍の力に反応しているのだろうという事は、男の口ぶりから知ることが出来た。オーランの行動は早かった。魔導書のルーンに触れ男の背中に向ける。
「ファイア!」
オーランの手から握りこぶし程のサイズの火球が発射される、男は後ろを見もせずに横に飛びをそれを回避した。背中の斧を取り出し口を開く。
「ヒヒヒ……やっぱなんか知ってんなぁお前? この先に行かれたくない事情でもあるみてーだな」
行かせられるわけがない、その先には愛する二人がいるのだ。ロキもヤイネも戦う力を持たない。今の身のこなしだけでも、この男が手練れであるという事が分かる。何としてでもここでオーランが止めねばならない。
斧を持った男が駆け出し、オーランに対してまっすぐに突っ込んでくる、オーランは再びファイアの魔法を発動させ男に直撃させた。しかし男は止まらない、体から煙をあげながらもオーランに走り込み持っていた斧を振るう。
「うわあああああ!」
オーランは体を大きく切り裂かれ、大量に出血しながら地面に引きずり倒された。オーランの悲鳴が響く、男は斧を背負いなおすと、倒れるオーランを見下し笑みを浮かべた。
「最初の一発で大した事ねー魔導士だって事は分かったぜ? そういう奴にはこうしちまうのが一番はええんだわ。結構いてーけどな!」
そう言って倒れたオーランの傷口に蹴りを入れる。
「ぐああああああ!」
痛みで泣きながら地面を転がるオーラン。
「その傷と出血じゃもう助からねー、せいぜい死ぬまでの時間を有り難く生きな」
男はオーランに背を向け、赤い石を持って山を登って行ってしまった。ある程度男が離れたところで、隠れて見ていたユリアが、ヨリを抱えながらオーランに駆け寄り、片手を当て治療を始める。
「オーランさん……死んじゃ嫌だよ……お願い……助かって……」
ユリアの手から発せられる緑色の光が、オーランを優しく包む。オーランはユリアの治療を受けながら涙を流していた。
「クソッ……クソッ……なんで俺は……どうして俺はこんなにも弱いんだ……ちくしょう……」
オーランの嘆きを聞き、ヨリを近くに置いて、ユリアはオーランの手を握る。オーランの悲しみに同調するように、ヨリまでもが泣き始めてしまった……
一方オーランを切り捨てた男は、石の光に導かれるように山を登っていった。石はヤイネの強い力に反応し、どんどん強く輝いていく。そして辿り着いてしまう、ロキとヤイネの住む神殿に。
「こりゃすげェ……山の中にこんなもんがあるとはな……石の反応から見てもここにいやがるのは間違いねーな、ククク」
「君は誰だい?」
神殿に入ってきた男をロキが出迎えた、その顔は珍しく緊張している。男が背負っている斧には血が付いており、どうにも嫌な想像をしてしまう。男はロキの言葉を無視して石を向ける。
「こいつでもねーな……オイ! ここに龍がいるんだろ? オレはそいつに会いに来た。出てくるように言ってくんねーか?」
「……お引き取り願おうか」
「そうかい……じゃあ死にな!」
男は背負った斧を掴むと、一瞬でロキを切り倒してしまう。声をあげる間すらなく倒れ伏すロキ。
「ロキ!」
神殿の奥から様子を窺っていたヤイネが、ロキに駆け寄り治療を始めた。治療をしながらも男を睨みつけ言葉をぶつける。
「あんたはいったい何なの!? こんな事をして何が目的なの!?」
またもや男はその言葉を無視、石をヤイネに向けた。すると石は一層その輝きを強める。
「こいつか!? へっへっへ、ようやく見つけたぜぇ……」
男はヤイネに近付き、片手で首を掴み持ち上げる。
「は、はなして……ロキ……が……」
「このまま俺と来てもらうぜ? 安心しろよ。そこの奴にはきっちり止めを刺して楽にしてやる。ここに来る途中でもちんけな魔導士を殺っといたから寂しくはねーはずだ」
それを聞いたヤイネは涙を流しながら、男を強く睨みつけた。
「オーランまで……許せない……」
ヤイネの体から赤い光が溢れ出す、体は徐々に大きくなり口が裂け始める、牙やツノが生え出し、皮膚が固くなり、鱗のようなもので体中が覆われる。
「ガ……ア……アア……」
変化したヤイネは力尽くで男の拘束から逃れ、変身を続けた。爪が長く鋭く伸び、尻尾が生える。それでもどうにか人間の形を保ってはいた。
「ユルサ……ナイ……」
「ヒャハハ! 化け物が本性表しやがったぜ! おもしれェ! かかってこいよ!」
ヤイネは怒りに身を任せ、長く変形した爪で男に襲い掛かる。
「シャアアアアアアア!」
男は斧でその攻撃をなんとか防ぐ、爪と斧で押し合いのような形になるが、もう片方の爪でヤイネは男を襲う。男は斧を捨てどうにかその爪から逃げ切る。
「チッ、化け物め……こりゃやべェな……」
戦況が悪化したことによって男は動きを変える、気を失っているロキの元まで逃げると、短剣を取り出しロキに突き付け叫ぶ。
「止まれェ! 化け物! こいつをぶっ殺すぞ!?」
それが、最後のスイッチだった。ヤイネの足が一瞬だけ膨張すると、バネのように変化し限界まで縮む。そして次の瞬間巨大な衝撃音を立て、男に向かって猛スピードで突っ込んだ。男は一瞬でバラバラに吹き飛んだ。男を殺した後のヤイネは……もう人の形を保ってはいなかった。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアア!」
頭を抱えて苦しむヤイネ、体だけでなく心にまで力の浸食が始まる。既に戻れないところまで来てしまっていた。神殿の中に変化したヤイネの絶叫が響く。
「ヤイネ……」
気絶していたロキが目覚め立ち上がる。傷の治療が十分ではなく、まだ立ちあがるのがやっとの状態だ。
「ヴァアアアアア……ロ……キ……」
ロキを見たヤイネの目から涙がこぼれる。そして体中から赤い光が噴き出し、体が人間のものに戻って行く。
「ヤイネ……戻れるのか……?」
「グ……う……ロキ……聞いて……私はもう、無理……どうにか一時的に抑えたけど……精神の浸食が止まらないの……すぐにこの神殿から離れて……私は自分をここに封印する……」
へたり込んで体を抑えているヤイネを、ロキは抱きしめる。
「君を助ける方法は?」
「そんなの……ないよ……早く逃げて……」
それでもロキは逃げない、一層ヤイネを力強く抱きしめた。
「ならば……必ずその方法を見つけて僕は戻る……君の封印の解き方を教えてくれ……」
ヤイネは涙で擦れた声で答える。
「アハハ……こんな時でも……あなたの心は一色なんだね……じゃあさ……『条件と合言葉』を決めようか……」
「条件と合言葉?」
「うん……あなたが来たって私が分かるように……私があなたに貰って……一番嬉しかった『あの言葉』……あの時のように私に触れて……『あの時と同じ感情』だけで心をいっぱいにして……それを口に出してほしい……」
泣きながら抱き合う二人……ここで、世界は止まってしまった。
真っ白な空間の中でヨリの意識は戻る。ヨリの目からは涙が溢れ続けていた。ペンダントの光は消えかけており、その空間にもヒビが入り始めている。ヒビは徐々に全体に浸食し、世界はぼろぼろと崩れ去って行った……
暗い部屋の中、ランプが照らす僅かな光に照らされヨリは目を覚ました。ドラクロアの山にあるオーランの山小屋、そこで眠っていたことを思い出す。まだ夜は明けてはいないようだ、相変わらず涙が止まらない。
「ロキ……ヤイネ……」
彼らの名を思わず口走る。
「ぐ……う……」
起き上がろうとするも体が重い、ペンダントの光はもはや完全に消滅していた。どうにか立ち上がり、赤い髪の毛を後ろで纏めて縛る。隣を見ると、そこでは片腕を失ったアレスが眠っていた。アレスを起こさないように、ヨリはそっと山小屋を出ていく。
外は月明りのおかげで、歩ける程度には明るかった。ヨリは小屋の近くにある墓の前までやってくると、静かに祈りをささげた。
「お母さん……アタシ、あれから十年以上生きたよ……ヤイネとお姉ちゃんのおかげで。もうすぐアタシも……そっちに行くからね……」
母への報告をすませるとヨリは歩き出した、ユリアとオーランがよく会っていた、あの場所を探して……
夢の記憶を頼りに山を歩き、岩と岩の間を抜けていく、そこには小さな花畑があった。夢で見た、ユリアが楽しそうに微笑んでいたあの花畑。
しかし夢と違う所が一つだけ、花畑の中央に何者かの墓が立っていた。ヨリは墓の前まで歩く。
「ここで何をしている……?」
後ろから男の声がする、振り返ると……そこにいたのはオーランだった。夢の中の姿と比べると年を取っていて、古傷だらけである。ローブをまとっているため、体つきや服装は分からない。
「アンタか……オーラン……」
「ヨリ……か……」
二人はそこで黙る……沈黙を破ったのはヨリだった。目の前の墓を見つめ、決してオーランの方を見ようとせず口を開く。
「これはロキの墓?」
「……そうだ、俺にヤイネのペンダントを渡し……しばらくしてその時の怪我が原因で倒れた。それにしても何故ここを知っている?」
「夢で見たんだ……」
「夢だと?」
「ペンダントの影響だと思う、ここで過去に何があったか分かったよ」
「そうか、あれはいつもヤイネが身に着けていたものだからな。何が起こっても不思議じゃない」
そこでまた二人は黙ってしまう。二人の間を冷たい風が抜けていく。次はオーランが沈黙を破った。
「俺を……恨んでいるか?」
少し間を置いてから、ヨリは不機嫌そうになんで? と尋ねる。
「俺は自分の感情を優先してお前とユリアを捨てた、復讐の事だけ考えてな」
「ああ……そんな事か……別にどうだっていいよ……アタシはアンタの事大っ嫌いだけど、その事は別に恨んでない。アンタにはアンタの生き方があるでしょ? アタシが口出す事じゃないよ」
「……ならば、なぜ嫌う? 兄さんとヤイネを……守れなかったからか?」
そこでヨリは初めてオーランの方を見る、ツリ上がった目で睨みつけ、感情を叩きつける。
「そんなに知りたいなら教えてやろうか? なんでアタシがこんなにアンタを見てるとイラつくのか!」
オーランはヨリの目を見つめ返す。
「そっくりなんだよ! アンタとアタシは! 立場も、馬鹿みたいなところも!」
ヨリは感情を爆発させる。
「相手の気持ちを無視して勝手に好きになって! それがどれだけ自分の大切な人を傷つける事かも考えないで! その人にまで気を使わせて!」
涙で、声と顔をぐしゃぐしゃにしながら叫ぶ。
「気持ち悪いんだよ! 気色悪いんだよ! 自分からは何も言えないクセに! いつまでも相手の周りに付き纏って……大好きなその人まで傷付けて……」
それはもはや自傷だった、言葉のナイフを自らの胸に突き立て続ける。
「アタシの事も綺麗だって……思って欲しかったから……似合いもしないクセに髪まで伸ばして……」
途中からオーランも気付いていた。黙ってヨリを見つめ、話を聞いている。
「お姉ちゃんが死んじゃって……悲しいはずなのに……辛いはずなのに……それでもアタシなんかに優しくしてくれるあの人を見て……心の何処かで……これでアタシの事を見てくれるんじゃないかって……汚い事考えてるんだよ……う、あああああああああああああああ」
ついにヨリはうずくまって泣き始めてしまう、ため込んでいた思いが全て吐き出されて行った。ずっと苦しみ、悩んでいた事だった。
オーランは泣きじゃくるヨリにそっと近づくと、落ち着いた優しい声で語り掛けた。
「たしかに俺とお前はそっくりなのかもしれない、だが決定的に違っている事がある……」
少しためてから、オーランはそれをヨリに伝えた。
「俺はもう手遅れだが……お前はまだ間に合う……諦めるな。命も、その大切な者のことも……必要なものは一つだけだ、お前ならきっと出来る。俺はお前の名前に……『そういう意味』を込めたんだからな……」
それだけをヨリに告げて、オーランは去って行った。
こうして何時間泣いていたのだろう、衰弱しきった体をどうにか動かし、ヨリは山小屋へと向かう。ヨリの命をはもう終わろうとしていた。自覚もある、明日の朝までは持たないだろう。それでもせめて、あの人の隣で……そう考え気力で山小屋まで辿り着く、山小屋では出て言った時と変わらずアレスが眠っていた。アレスの寝顔を見つめ、心の中で別れの挨拶を済ませる。そうしてヨリは横になり、目を瞑った。
そして……完全に光を失ったはずのペンダントが、ぼんやりと光り始めた。淡い、緑色に――
次回、終章となります。ヨリの結末を見届けてあげてください。