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第八章 遠き日の記憶

 



 ヨリは今、光に包まれていた。何もない真っ白な世界で、暖かな光に包まれている。自分がさっきまで、どこで何をしていたのかも思い出せない。意識すらもはっきりしない。そんな世界の中を、ヨリは光に抱かれて漂っていた。

 ここには本当に何もない、愛しい者もいなければ、心を突き刺すような痛みも無い。そこには心地いい平穏だけがあった。

 ふと、自分の体を見る。ヨリの胸には一つのペンダントがあった。どうやら光はそこから溢れ出ているようだ。自分はこんなものを持っていただろうか? それすらも思い出せない。ペンダントから溢れる光はどんどん勢いを増してゆく。その光はヨリの心を、遠い世界へいざなってゆく――



「ふぅ……よし、この山小屋を拠点にしよう」

 ここは何処かの山の中、山小屋の前で一人の青年が一息付いている。青年の身長は男にしては低く、線の細い優男である。帽子を被っており顔は汗だくだ。丁度今山を登ってきたところだろう。

「お~い兄さん、一人で先に行くと危ないぞ!」

 後から元気のいい少年が追いかけてくる。少年は大きな荷物を背負っているが、顔に疲れの色は見えない、腰のベルトには赤い魔導書を下げている。少年は山小屋の入り口まで来ると、荷物を下ろし、兄と呼んだ優男に声をかけた。

「うえ~……兄さん、こんな所に寝泊まりするのか?」

「野宿よりはマシだろ? テントは必要なかったな」

「山小屋なんてあるとは思わなかったからね、それにしてもふっつーの山だね、ここ。本当にこんなところに龍が住んでいるのかな?」

「ふふふ、それを確かめるための調査じゃないか!」

 「ハイハイ……でも体には気を付けろよな~? この荷物に加えて兄さんを抱えて下山するなんて、俺は嫌だぞ? この前なんて砂漠で気を失いやがって……」

「オ、オーランにはいつも感謝してるよ……」

 優男は笑顔のまま気まずそうに目を逸らす、痛い所を突かれてしまったようだ。

「さ、さぁ! 中で荷物を下ろして早速山を探索してみようじゃないか!」

 そう言って山小屋の中へ退散していく。その様子にため息をつき、少年はゆっくりと兄の後を追っていった。



 数日後、二人の兄弟は山の探索を続けていた。現在二人は獣道を突き進んでいる。この道を選んだのは弟オーランの直感である。何かと勘のいい弟の提案を兄はすんなりと受け入れた。しばし道を進んでいくと……急にあたりの雰囲気が変わる。

「こ、これは……」

 少し開けたその場所には木がなく、沢山の花が咲いていた。風が気持ちよく通り抜け、太陽の光が差し込みとても明るい。中央には石造りの建物があり、さっきまでの山の中とは別世界のような、神聖な雰囲気すら感じられる。

「兄さん、これって……」

「うん、間違いなくここには何かある。あそこの中に入ってみよう」

 石造りの建物に近付いていく、扉やドアは無く入り口は開きっぱなしだ。二人は臆する事なくどんどん中へと突き進んだ。中へ入ってしばらく進むと、そこには地下へと向かう大きな階段があった。そこも躊躇なく下って行く。階段を下りた先には、建物の中とは思えない程の広い空間が広がっていた。床や壁には独特の装飾が施してあり、至る所に石で出来た大きな丸い柱が立っている。そこはまさに地下神殿と言っていい場所だった。

「はぁ~……山の中に……こんな所が……」

 周りをぐるっと見回し、オーランがため息をつく。

「ふふ、ふふふ、ハハハ、ハッハッハッハッハ! やったぞオーラン! まさに太古の龍の神殿! このドラクロア山に龍が住むという伝説は本当だったんだ! ハーハッハぐっ!? げほげほ……」

「兄さん……体弱いんだからあんまり興奮するなよ……」

 二人が神殿の中央でそんなやり取りをしていると、何者かが後ろから二人に近付いてきた。

「あなた達……何処から来たの? ここ私の家なんだけど……」

 声も出せず驚いて振り返る二人、そこにいたのは銀色の髪と赤い瞳を持った美しい一人の女性。質素なドレスに身を包み、額にはサークレットのようなアクセサリーを付けている。首からは宝石のついたペンダントを下げていた。

 兄弟揃って女性の美しさに時を奪われていると、女性は笑顔で二人に近付いてくる。そして二人の胸に手を当てると大きな声で問いかけた。

「私はヤイネと申します! あなた達の名前は?」

「ぼ……僕はロキだ……」

「オーラン……」

 二人の自己紹介を聞くと、ヤイネと名乗った女性は、ん~? という反応をしてロキの目を見つめる、そしてにっこりと笑いこう言った。

「ロキ、あなた……面白い人ね」


 ヤイネのその言葉と共に、世界の時間は止まる。止まった世界はやがて真っ白に変わり、再び何もない空間を作り出した。その空間に光と共に浮かんでいるのはヨリだ。光は次第にヨリの胸にあるペンダントに集まり、空間は崩れていく……



 朝になっていた、窓の外からは鳥の鳴き声がチュンチュンと聞こえる。ここはエンデ村のアレスとヨリの家。ヨリは自室のベッドで目を覚ました。

(何だったんだろ、今の夢……オーランって昨夜のあいつと同じ名前……ヤイネとロキって……たしかアタシとお姉ちゃんの……)

 胸にかけていたペンダントの宝石は、弱い光を発していた。ヨリはペンダントをきゅっと握る。夢の中でヤイネが身に着けていたものと全く同じだ。これを身に着けていると体が大分楽になったので、付けたまま眠っていた。


(もしかして、これのせいであんな夢を?)

 ペンダントは何も答えてはくれない。いつまでも考えていても仕方ないと、ベッドからゆっくりと降りる。ペンダントのおかげか体の調子は大分良い、走ったり魔法を使ったりするのは無理そうだが、歩くことくらいは問題なく出来そうだ。

 今日はアレスと共に、ヤイネの封印されているドラクロア山へと旅立つ日である。アレスを待たせるわけには行かないと手早く着替えをし、真っ赤に染まった髪を後ろで纏めて縛る。銀色で無くなってしまった、自らの髪を見て、少しだけ心が痛むが無視をする。これはきっと自分への罰なのだろうとヨリは考えていた、姉を裏切っていた自分への罰だと。ユリアは死の間際に、ヨリの気持ちに気付いていたと言っていた、その言葉がヨリの心に呪いのように付き纏っていた。

「ヨリ? 起きてるか?」

 アレスの声が聞こえ部屋のドアがノックされた。

「うん、大丈夫。開けていいよ」

 ドアが開きアレスが部屋に入ってくる、不安そうな顔でヨリを見つめている。

「体の調子はどうだ? 歩けそうか?」

「大丈夫、ペンダントのおかげだね。歩くくらいなら問題なさそうだよ」

「そうか……良かった、何か食べたら準備をして早速行こう、レナちゃんには挨拶をしてから行かないとな」

「うん、分かったよ」

 アレスが自分の心配をしてくれる事がとても嬉しい。だがそれと同時に、心の中の姉の姿が、悲しそうにヨリを見つめているように思える。体の辛さはペンダントが抑えてくれたが、心の痛みは相変わらずヨリを苦しめていた。



 二人は朝食を摂ると旅の準備を済ませ、レナの家に向かう。ヨリが来た事が分かると、レナはすぐに着替えて出てきてくれた。

 レナに挨拶を済ませると、アレスは気を使ったのか、先に村の出口へ向かっていった。ヨリはレナの家の前で、彼女に昨夜の出来事を説明する。余計な心配を掛けたくなかったので、カーマインについてだけは伏せて話した。

「龍かぁ……ちょっと信じられない話だけど、ユリアさんとヨリちゃんを見てるとホントかもって思っちゃうね」

「ヘヘ、アタシだって信じられないよそんなの」

「でもあんなに辛そうだったヨリちゃんが、こうやって歩いてるのを見ると信じたくなっちゃう……必ず元に戻れるって……」

「ありがとね、レナ。なんかサ……レナには出会った時からずっとお世話になっちゃってるね……」

「それは私も同じだよ? ヨリちゃんには色んな事を教えてもらったんだから……」

 レナはそう言ってから少し考えこむと、遠慮がちにヨリに話しかけた。

「やっぱり……私も付いて行きたい……不安だよ……ヨリちゃん今戦えないし」

 ヨリは剣を持ってきていない、とても振れる状態ではないからだ。魔導書を持ってきてはいるが、発動させることは恐らく出来ないだろう。ヨリの衰弱した魔力からレナにはそれが伝わった。

「大丈夫だよ、危険な旅じゃないし……アレスも……守るって言ってくれたから」

 そう言ってヨリは控えめに笑顔を作った、それを見たレナも笑顔になる。

「エヘヘ、そっか……そうなんだ、そうだよね! ヨリちゃんにはアレスさんが付いてるもんね!」

 満面の笑みでレナはヨリに語り続ける。

「私ね、ヨリちゃんは絶対幸せになれるって信じてるの! だってあんなに素敵な気持ちを持ってるんだよ? だから絶対に大丈夫! だから……きっと帰ってきてね? アレスさんと二人で……この村に……」

 次第にレナの声に涙が滲んでくる、ヨリは無言でそんなレナを抱きしめた。ヨリの二人目の友達で、一番の理解者になってくれた彼女を……

「ありがとう、レナ。アタシ……頑張ってみるからね、それじゃあ……行ってくるね」

 レナに別れを告げ、ヨリは旅立っていった。ヨリはレナに必ず帰ってくるとは言えなかった。その命を繋ぐために、ヨリとアレスは東へと旅立つ。だがヨリは、自身の宿命を受け入れかけていた、これは自分への罰なのだと……

「ヨリちゃん……私は……信じてるからね」

 そんなヨリの後ろ姿を、レナはずっと見守っていた。



「もういいのか? ヨリ」

 村の入り口でヨリを待っていたアレスが、歩いてきたヨリに声を掛ける。肩からは革のバッグを斜めに下げており、背中には愛用の剣を背負っている。

「うん、待たせちゃってゴメン、じゃあ……行こっか」

「ああ、ドラクロア山までは結構距離があるから、まずはその手前のカーレイアの町を目指そう。ゆっくり歩いても今日中には着けるはずだ。そこで一泊して翌日ドラクロア山へ入る。でも体が辛かったらすぐに言うんだぞ?」

「分かった、無理はしないよ。カーレイアか……何度かレナと行ったっけ……」

 こうして二人はエンデの村から旅立っていった。アレスはヨリの姿を見て決意を新たにする。何があってもこの子だけは守ると、心の中で亡きユリアに誓った。



 同時刻、ここはエンデの村から西、港町エルネポート。この町に二人の男が船で到着していた。前を歩いている男の身長は2メートル近くもあり、鍛え上げられた鋼のような筋肉を漆黒の鎧で包んでいる。ウェーブのかかった青い長髪が潮風に揺れ、爬虫類のような眼はギラギラと輝いている。背中に人間の身の丈ほどもある大剣を背負っていた。

 後ろを歩いているのはやや小柄な初老の男だ。短く整えられた髪には白髪が交じっている。腰のベルトにはルーンが刻まれた短剣を何本も差していた。初老の男が前を歩いていた大男に話しかける。

「カーマイン殿、先行しているオーランからの報告によれば、発見した龍の娘は北の方向へ向かったとの事だが……どうなさる?」

「石の方はどうだ?」

「石は無反応ですな」

「そうか、ならば我は北に向かってみるとしようか。恐らくハズレだろうが」

「オーランは信用できないと?」

「ハッハッハ! あの男は謎が多いうえに我の命を本気で狙っているからな! もし企みがあれば面白いだろう?」

「相変わらずよく分からぬお方だ……で、私はどうすればいいのですかな?」

「レンハ、貴様は東に向かえ。東にはドラクロアという山がある。そこには龍が住むという伝説があるのだ。この大陸で龍の影があったというのであれば、そこにいる可能性が高い」

「ふー、あなたも人が悪いですな。そんな場所があるのなら何故真っ先に探さなかったのです? わざわざ我らに石を持たせて、世界を周らせなくてもよかったでしょうに」

「十年以上前に部下がそこで消えていてな、その直後に我が直接出向いたのだが何も無かったのだよ」

「おや、それは失礼……では私は東に向かうとしますかな」

 そう言うと初老の男は、消えるようにその場からいなくなった。




(龍などおとぎ話の中だけの存在と思っていたが、まさか実在するとはな……)

 カーマインと共にいた初老の男、レンハは今馬車に揺られている。東に向かえと言われたので町の東門から出ようとしたのだが、丁度馬車が出るところだったので乗り込んだのだ。馬車の目的地はエンデの村。そこからは徒歩になるだろう。現在彼は馬車の中でこの大陸の地図を広げていた、現在地と目的地を確認する。

(この馬車が向かっているのがエンデの村で、ドラクロアはそこからさらに東……一日でここまで行くのは無理だな、途中にあるカーレイアの町で今日は宿を取るか。……それにしてもエンデからカーレイアまでは歩きか……ふー、カーマイン殿は私が五十代だという事を忘れているのではないか?)

 頭の中で愚痴を零すも命令には忠実な男である、文句を言う事はあっても任務を放り出すという事はレンハはしない。その性格と高い実力ゆえカーマインからは最も信頼される部下であった。カーマインを倒そうとする意思を持っていない、という事で説教を受ける事はあったが、これはレンハにとっては意味不明である。そういう意味では、カーマインは常に自分の命を狙うオーランの方を気に入っていた。今回この二人が連れてこられたのは、カーマインにとって最も信頼できる部下と、最も気に入っている部下であったからだ。ただユリアとヨリが絡んでいる以上、声を掛けられずともオーランは勝手に付いてきたはずだが。


(見えてきたな……あれがエンデの村か)

 目的地が視界に入ってくる。それと同時にそこからは歩かねばならない、という思いが既に足を怠くさせている。やがて馬車は止まり、レンハは御者に礼を言ってから馬車を降りた。方角をしっかり確認し、進むべき方向を定める。そして歩き出そうとしたその瞬間――

「どこへ向かうおつもりですか?」

 後ろから少女の声で話しかけられる、その声色はとても冷たい。レンハがベルトの短剣の一つに手をかけ、黙って振り返ると、そこにいたのは青い髪を左右で纏めた少女。歳はレンハより四十は下だろうか。少女は静かな敵意を乗せてレンハを見つめていた。

「東へ向かうのだよお嬢さん、探し人をしていてね」

 レンハは優しく答えるが、手は短剣から離さない。

「何故東なんです?」

 少女はさらに敵意を乗せて話しかけてくる。

「カーレイアという町に向かわなねばならんのでな、この方角なのだよ。そこには知り合いがいてな……これでよろしいかね?」

 少女は黙ったまますぅっと片手を上げレンハの方に向けた、しかしその先にレンハはいない。既に少女に近付き首元に短剣を当てていた。

「何が目的かは知らんが私は臆病でね、そう荒々しい魔力を向けられると落ち着いてはいられんのだ。お嬢さんは魔導士かな? 今ならまだ穏便に済ませるが……」

 それを聞いた少女は、少し間を置いてからレンハに謝罪をする。

「ごめんなさい、最近物騒な事件がありまして……今朝体の弱い私の友達が東に向かっていったので、少し過敏になってしまっていました」

 それだけ言って少女は振り返り村の中へと入っていく。レンハは持っていた短剣をしまおうとしてから、異変に気付く――

「な……なんだこれは……」

 持っていた短剣の刀身にはヒビが入っていた、手で触るとボロボロに崩れてしまう。おまけに靴が地面から離れない。力任せに足を上げたらバキンと音がしてようやく動けるようになる、地面と靴の間には氷が張っていた。

(私が近づいた時には、既になんらかの魔法で拘束され、武器も壊されていたのか。フフ、穏便に済まされたのはこちらの方だったというわけだ…………それにしても――)

 ボロボロになってしまった短剣を見てため息をつく。

(これは高かったんだがなぁ……)


 エンデ村の中へと戻った少女はぼ~っと空を見上げていた。空は雲一つない晴天で太陽の光が眩しい。

(ユリアさんの事があってから、やっぱり神経質になってるのかな。あのおじ様には悪い事しちゃった)

 下手に力を持ってしまった分、たまに自分を抑えられなくなる事を彼女は気にしていた。普通の村娘は旅の戦士に喧嘩を売ったりはしない。しばし自戒していると、彼女を呼ぶ大きな声が聞こえてくる。

「おお~いレナ~! たいへんだ~!」

 手を振りながら近づいてきたのは彼女の兄、ジャンだ。ジャンは慌てた様子でレナの元へ駆け寄ってくる。

「お兄ちゃん!? どうしたの?」

「たいへんだ! 大変なんだ! 母さんが……母さんが……」

 それを聞いてレナは血相を変える、ユリアの事を思い出してしまった。

「お母さんがどうしたの!?」

「母さんが……親父とケンカして出て行っちまったんだ!」

「……は?」

「それでさぁ、俺今日まだ何も食べてなくて腹減っちまってさ。今からレナがメシ作ってくれよ」

「……それくらい自分でしろぉぉぉぉぉぉ!」

 激怒したレナがジャンに手をかざすと、その手のひらにはルーンが出現する、そしてジャンを一瞬にして巨大な氷柱へと変えてしまった。先ほどとは違い手加減なしだ。

「少しはアレスさんを見習って大人になってよね! そんなんだからヨリちゃんにも相手されないんだよ!」

 冷たい視線を氷漬けの兄に向け、そう吐き捨てる、言葉の方も手加減なしだ。そしてレナは村の入り口の方へと振り返ると、再びセンチメンタルな気分に戻る。

(アレスさん、ヨリちゃん、私ずっと待ってるからね。必ず帰ってきてね……)

 村の入り口を見て、レナは昔の事を思い出していた。三人が村を初めて訪れたあの日の事を。あの日のように、もう一度アレスとヨリが村に入ってくる事を、レナはいつまでも待っている……




 そして時間は少し進み……アレスとヨリの二人はカーレイアの町に到着していた。日はまだ傾いていない、ヨリが想定よりも動けたため、少し早めに到着することが出来た。町の入り口付近でアレスがヨリに話しかける。

「ヨリ、俺は宿を探して部屋を取ってくる。ここで休んでいるんだ」

「う、うん……分かった……」

 ヨリの顔色は悪い、やはり無理があったようだ。ペンダントに残されたヤイネの力が少なくなってきているのかもしれない。ヨリはそこでそのまま意識を失ってしまう、慌ててアレスは抱きかかえる。

「は、はやく宿へ行って寝かさないと……」

 ヨリの胸にかけられたペンダントが、弱い光を放ち始めた。そして光に導かれるように、ヨリの心は再び遠い世界へと向かっていく――



「おーらんさん! おーらんさん!」

 何者かが小屋のドアをドンドン叩いている、まるで加減をしていない。その音で目を覚ました、小屋の主と思われる男が立ち上がり、ドアを開けた。

「どーん!」

 ドアを叩いていた者が小屋の中へ侵入し、男へ攻撃を加えた。だが男は難なくその攻撃を受け止める、小さな侵入者はあっさり捉えられた。

「ん、ユリアか。ふぁ~……あれ? 兄さんかヤイネは一緒じゃないのか?」

「ひとりできました! おーらんさん遊びましょ!」

 侵入者もとい、ユリアと呼ばれた幼い少女は胸を張ってそう主張する。オーランはそんな馬鹿な……と呟くと外に出て辺りを見回す。そして冷や汗をかいてユリアに向き直った。

「お前……本当に一人で来たのか!?」

「そーですよ?」

「な……なんてことだ……」

 頭を抱えてうずくまる、ユリアは小屋の中から本を見つけるとそれをオーランに差し出した。

「これ、よんでください!」

「それは俺が研究してる古代文字の本だ、子供に読ませて面白いものじゃない」

「じゃあ、こっち!」

 別の本をノータイムで差し出してくる。

「分かった分かった、後で付き合ってやる。だが少し用事が出来た、まずはそっちだ」

「え~」

 ユリアは頬を膨らませて露骨に機嫌を悪くする、だがオーランにはすぐにでも向かわねばならない場所があった。

「さぁ行こうユリア、おうちに帰るぞ」


「兄さん! どこだ! 出てこい!」

 ドラクロアの山に存在する神殿、その中にオーランの怒声が響き渡る。

「どうしたんだよオーラン……こんな朝早くに……ふぁああ」

 寝癖でボサボサになった頭をかきながら、神殿の奥から一人の優男が姿を見せた、オーランの兄ロキだ。

「どうしたもこうしたもあるか! 俺の山小屋までユリアが一人で来たぞ! 山の中で何かあったらどうする!?」

「別に大丈夫だよ……この山に魔物はいないし……いなくなってもヤイネには同族のユリアの位置が分かるんだ……」

「そういう問題ではない! そもそも兄さんにはユリアの親としての自覚が足りん!」

 オーランの説教が始まる。のんびりした性格のロキに対して、気の短いオーランは何かとイライラする事が多かった。しかしここ最近は特に激しい、理由は……

「もうその辺でいいじゃない、オーラン」

「ヤイネ……」

 オーランをなだめたのはロキの妻、ヤイネだった。オーランはヤイネにだけは頭が上がらない、ヤイネに説得されると何も言えなくなってしまう。ずぼらなロキへオーランが突っかかり、それをヤイネがなだめる、これがこの三人の日常だった。


 ロキとオーランがドラクロアの山を訪れたのは数年前、古代龍族の調査をしていた二人は、偶然山の中に神殿を発見した。そこで龍族の最後の生き残りであったヤイネと出会う。ロキはヤイネに龍族の話を聞かせてほしいと言い出し、ヤイネはこれを承諾。二人はドラクロアの山小屋に暮らしながら神殿に通い、ヤイネと交流を持つ日々を送っていた。

 しかし次第にロキとヤイネは惹かれ合うようになっていく。そしてヤイネはユリアを妊娠した。これを受けロキはヤイネと夫婦となり、神殿で共に暮らすようになった。ヤイネとロキはオーランにも共に暮らさないかと声を掛けたのだが、オーランはこれを拒否、一人で山小屋に残り生活することになった。そしてユリアは生まれ、現状に至るというわけである。


「おーらんさんはおとうさんのこときらいなの?」

 気まずくなって神殿から飛び出してきたオーランに、追いかけてきたユリアが問う。オーランは間をおかずにすぐ答えた。

「そんなわけあるか、兄さんの事は大切に思っているよ」

「じゃあどーしていつもおこっているの?」

 こちらは答え辛かった、しばし考え込むオーラン。

「それは俺が……弱いからだろうな……」

「どーして? おーらんさんおっきいしまほーもつかえるよ?」

「ふふ……それはな……心が弱いんだよ、俺は本当は……そんな自分に怒っているんだ、きっとな」

「こころ?」

「お前も大人になればいずれ分かる時が……いや、分からない方がいいな」

 そう言ってユリアの頭を撫でるオーラン。

「そうだ! おーらんさん、ほんよんでください! やくそく!」

 オーランの服を引っ張ってねだるユリア、父親であるロキにねだればいいものを、ユリアはいつもオーランに要求する、何故か懐かれていた。

「そうだった、後で読んでやるとさっき言ってしまったな……なら俺の小屋まで行くか、ユリア」

「うん!」

 二人は手を繋いで山小屋へと向かっていく。そんな様子を離れた所から、ロキとヤイネが楽しそうに窺っていた。


 山小屋へ着くとユリアは楽しそうに本を選び始める、オーランはドアを開けっぱなしにして空気を入れ替えていた。

(今日は良い天気だな……)

 椅子に座り外を眺めていると、本を選び終わったユリアがやってくる。

「これ、よんでください!」

「これは魔法の本だぞ、ユリアは魔導士になりたいのか?」

「まほーつかいたい! おかあさんみたいに!」

「ヤイネのは魔法とは違うんだがな……まぁいい読んでやろう」

「やった!」

「ふふ、ただし場所は変えるぞ? こんな天気のいい日に家に閉じこもっていると腐ってしまう」

 ユリアから本を受け取り外に出ていくオーラン、ユリアはすぐに追いかけていく。

「どこへいくの?」

「この山には俺だけが知ってる秘密の場所があるんだ、ユリアにだけ特別に教えてやる」


 山小屋から少し歩き、道を外れたところに岩が並んでいる。その岩と岩の間に、人がギリギリ通れそうなくらいの隙間があった。オーランはその隙間に入っていく。

「岩に頭をぶつけるなよ? ユリア」

「うん!」

 岩の間を抜け少し進んで行くと、そこには小さな花畑があった。花の周りには綺麗な蝶が舞っている。

「わぁ……」

 オーランは腰を下ろし本を読んでやろうとしたのだが、ユリアはふらふらと蝶を追いかけて行ってしまう。

「お、おい……いいのか?」

 まったく子供というのは勝手なものだ、と考えていると突然後ろから声をかけられた。

「うわ~、素敵なところね」

「おわ! ヤ、ヤイネ……」

 突然現れたヤイネに驚いて立ち上がってしまうオーラン、そんな彼の姿を見てヤイネはクスクスと笑った。

「そんなに驚かなくてもいいじゃない? オーラン」

 そう言ってオーランの胸に手を当てようとするヤイネ。

「や、やめてくれ!」

 オーランは焦って後ずさる、それを見たヤイネは少し寂しそうな表情へと変わり。

「あ、やっぱり……まだダメ? そっか、ダメかぁ」

「すまん……ヤイネ……」

 ヤイネは相手の体に触れる事によって、相手の感情を知ることが出来る。これは龍族には全員備わっている能力で、龍族同士で会話を行う時には触り合うのが当たり前であった。龍族最後の生き残りで、ずっと神殿に独りぼっちだったヤイネは、とにかくロキやオーランに触れたがっていた。人の温もりに飢えていた。しかしこの能力の事を知ったオーランは、いつの頃からかヤイネに触れられるのを嫌がるようになっていた。いや、恐れていた、自分の感情がヤイネに伝わってしまう事を。ヤイネに対する自分の本当の気持ちが伝わってしまう事を。

「やっぱりさ……気持ち悪い……かな? 心を見られるのって」

 寂しそうにヤイネは聞いてくる、オーランは拳を強く握りながら答える。

「そんなことは……ない、これは俺の問題だ。ヤイネは何も悪くない」

「そっかぁ……じゃあきっと……いつかは、心を開いてくれるかな?」

「ああ、いつかは……きっと……」

 オーランはヤイネの赤い瞳をまっすぐに見られない、それだけでも彼女に吸い込まれ、見透かされてしまうような気がしていたから。二人は沈黙し、少し離れた所で遊ぶユリアの声だけが二人の耳に届いていた。



 その日の夜、ユリアを寝かしつけたヤイネは、ロキに昼の出来事を話していた。ユリアが生まれてからはとても貴重な夫婦の時間。

「それでさ、オーランったら自分の問題だ~っていうのよ。わけわかんないよね、何かあるなら言ってくれればいいのに……」

 神殿の奥にある一室、机に向かって何やら書き物をしているロキにヤイネが話しかけている。すぐ近くのベッドではユリアが寝息を立てていた。

「いやぁ、それはたしかにオーランの問題なんだよ。例え相談されても僕や君ではどうしようもない。でも……仮に何かを君に打ち明けたとしたら……その時は真剣に受け止めてやってほしい」

 手を止め、椅子ごとロキがヤイネの方を振り返る。

「ん~? さては何か知ってるな? ズルいぞ、ロキだけ」

 そう言ってヤイネはロキの胸に手を当てる、ロキはそれを笑顔で受け入れた。

「ぷっ、あはは……やっぱ分かんないや、心配してるだけだ。これはオーランに対してかな?」

 ロキから手を放してヤイネは笑いだす、ロキは少し呆れた様子で話す。

「君も相変わらずだね、僕の心を見るといつも決まって笑いだす。出会った時からそうだったな」

「だって……仕方ないでしょ? あなたは必ず『一色』なんだもの。そんな奴これまで見たことない……普通心って言うのはね、みんな複雑な思いを持ってるものなんだよ? 少なくとも私が知ってる龍族はみんなそうだった……ロキは人間だから変なのかな? いや、でもオーランは誰よりも複雑だったのよね、やっぱりロキがおかしいんだよ、あはは」

 けたけた笑うヤイネを見て、ロキも釣られて笑顔になる。

「だけど……そのおかげで僕の気持ちは君にはっきり伝わっただろ?」

「え……? ああ、うん。だってあなた本当に一色だったから……分かりやすすぎるっていうか……でもそれを『言葉』にしてくれた時は嬉しかったな……」

 そう言って何かを思い出すように呟くヤイネ、ロキはそんなヤイネの手を取り自分の胸に再び触れさせた。

「……あ」

 さっきは心配の色をしていたロキの心が、別の感情一色に塗り替わっていく。ヤイネにはそれがはっきり伝わった。先ほど思い出していた、ヤイネが一番嬉しかった時のロキの感情。

「君が喜んでくれるなら何度だって言ってあげる……『愛してるよ』ヤイネ……」

「……うん、私も」

 ロキだけでなく、ヤイネの心もたった一つの感情で満たされていった。


 その時再び世界は止まる。徐々に世界は崩れ始め、ヨリの意識はまっしろな空間へ運ばれていく。その空間の中で、何故だかヨリは涙を流していた、胸のペンダントを握りしめながら。その空間の中で、ヨリはペンダントから発せられる不思議な光に包まれているのだが、前回の時よりもその光は弱々しい。光はそれでも懸命にヨリを包み、何処かへと運んでいく。次第にヨリの意識は薄れ、現実へと帰って行った。



 知らない匂いの中でヨリの意識は覚醒する。目を開きまず見えたものは、見覚えのない天井。ヨリはどこかのベッドに寝かされていたようだ。そして次第に記憶が戻ってくる。カーレイアの町に着いた直後に気を失ったこと、その後不思議な世界に運ばれていたこと、その世界には幼い頃の姉がいたこと。ヨリの目からは少しだけ涙が流れていた、自分で顔に触りその事に気付く。

 そしてヨリのベッドの隣には、剣を抱え、座って眠っているアレスがいた。何者かに襲撃される事を恐れ、こうして一晩中ヨリを守っていたようだ。その姿を見たヨリの胸には、嬉しさと痛みが同時に走る、夢の中で出会ったロキとは違い、ヨリの心は様々な感情が嵐のように吹き荒れていた。

「ん……ヨリ……目が覚めたのか」

 少しだけ目を開いたアレスが小さな声で言う、ヨリは慌てて涙を拭き返事をした。

「うん、ごめんね。アタシ気絶しちゃったみたい。アレスは寝てていいよ、疲れてるでしょ?」

 アレスはそのまま黙って立ち上がると、部屋の窓を開けた。ひんやりした空気と朝日が部屋に差し込んでくる。どうやらヨリは一晩中気を失っていたようだ。よくよく部屋を見ればここは宿の部屋のようだった。昨日アレスが気を失ったヨリを連れて駆け込んだのだろう。

「ヨリ、歩けそうか?」

「アタシは平気だけど……でもアレスが――」

「俺の事はどうでも良い、ここからならドラクロア山までは半日もかからない。すぐにでも向かおう」

 そういってアレスは剣を背負い、出ていく準備を始めてしまう。それを見たヨリもベッドから降りる。今のアレスと会話を続けることは……何故だか怖かった。



 早朝からアレスとヨリの二人は、カーレイアの町を出発した。目指すはドラクロア山である。そこには封印されたヨリの母、ヤイネがいるはずだ。ヨリの病気を抑えるためには、もうそのヤイネにすがるしかない。アレスは焦っていた、最愛の妻に続き妹まで失ってしまうのではないかと、独りぼっちに戻ってしまうのではないかと。そんな不安がアレスを突き動かしていた。


 町から出発し、街道に出たばかりの二人に、町から一人の男が追いかけてくる。白髪交じりの初老の男だ。

「もし、そこのお二人。少々よろしいかね?」

 アレスは咄嗟に剣を抜く、初老の男の腰のベルトには、短剣が何本も差さっていたからだ。男はそれを気にもせず、懐から赤い石を取り出しヨリへと向けた。石は弱々しく光る、それを見た男は、間違いないか……と呟くと、アレスとヨリを交互に見て話し始める。

「非常に申し訳ないのだがね、お嬢さんの方には私について来ていただきたい。私は主から君を連れてくるよう指示を受けていてね。大人しく従ってもらえない場合、力尽くという事になってしまうのだが……」

「貴様もカーマインの手先か!」

 アレスが男を睨みつけ吠える、男は冷静な態度を崩さない。

「分かっているのなら話が早くて助かる、私の名はレンハという。お嬢さんの事が心配なら君も共に来るかね?」

「ふざけるな! そんな暇など俺たちにはない! 引かぬのならば切り捨てる! ヨリ、下がっているんだ」

 アレスが一歩前に出て剣を構える、ヨリは少し離れ、心配そうにそんなアレスを見つめている。二人の様子を見たレンハは、あまり乗り気ではなさそうに短剣を一本取り出すと、アレスの方に体と視線を向けた。そして……アレスとレンハの戦いが始まる――




































































次回、アレスとレンハの戦いが始まります。そして過去のドラクロアで起こった事の全てが明らかになり、物語は終章へと向けて進んで行きます。

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