戻ってきた日常と、駆け寄ってきた非日常
九月の半ば。
ハミィとの戦いの影響は、想像以上に大きかった。
テレビでは原因不明の昏睡状態に陥った被害者たちの報道が連日続いている。
ハミィは俺たちだけじゃなく、街の人々をも巻き込んで悪夢を見せていた。
徐々に意識を取り戻した人も増えてきた。
だが、街に賑わいが戻るには、もう少し時間がかかりそうだ。
狐火と墨香も、随分長く眠っていた。
ハミィとの戦いが終わってから二週間経って、ようやく二人とも目覚めた。
だが、まだ本調子には程遠いようで、しばらくは回復に専念するため怪異狩りは休業している。
俺と紫蜘蛛は、変わらず怪異狩りを続けている。
最近は八重蜘蛛の力も使って戦うようにして、徐々に身体に馴染ませている。
おかげで八重蜘蛛も無理やり身体を乗っ取るような真似はしなくなった。
非日常な日常が、戻ってきた。
今夜も亡霊を数体倒し、加古川さんに報告してから家に帰る途中だった。
『──待って、暁人』
紫蜘蛛が俺の服の裾を引っ張る。
立ち止まったのは、コンビニの前だった。
「どうした?紫蜘蛛。腹減ったか?」
紫蜘蛛の方を見る。
紫蜘蛛は小さく首を横に振った。
『──いいえ。今日、漫画の発売日じゃなかったかしら?』
『──昨日から、楽しみにしていたじゃない』
紫蜘蛛の言葉を聞いて、ハッとした。
「ああ!そうだ!今日新巻の発売日だったか!」
最近読み始めた、俺の楽しみの一つ。
“あやかし荘の日常”という漫画の最新刊が、今日発売だったのだ。
コンビニに入り、漫画とついでに炭酸とお茶とポテチを買う。
「ありがとな紫蜘蛛。おかげで忘れずに買えたよ」
『──どういたしまして』
紫蜘蛛の頭を軽く撫でると、頬が少し緩んだ。
『──それにしても、暁人がそんなに夢中になるなんて、どんな漫画なのかしら』
紫蜘蛛が本を持つ俺の手を見る。
「そんなに気になるなら読んでみるか?」
『──そうしたいのは、山々だけど』
『──目隠し、外さないといけないから』
俺の言葉に、少し言い淀む。
そういえば、俺はまだ紫蜘蛛の瞳を見たことがない。
紫蜘蛛や狐火たちが目を隠している理由も知らない。
「──そういえば、なんで紫蜘蛛たちは目を隠してるんだ?」
ふと思った疑問を、紫蜘蛛に投げかける。
紫蜘蛛は少し言いにくそうにしていたが、やがて口を開いた。
『──私たち怪異は、本来人間の敵』
『──人を襲い、喰らうのが私たちの本能』
『──人間を見ると、喰らいたいという衝動が強くなる』
『──だから、私たちは目を隠しているの』
俯きながら、ポツポツと答える。
まるで、自分がどんな存在なのかを再確認するように。
「……そうだったのか」
餓鬼大将との戦いで欲望を解放させられた時、紫蜘蛛は既に答えを言っていた。
“俺を食べたい”
以降は甘噛みで発散しているが──
あれでも我慢してくれていた、ということか。
『──ごめんなさい、暁人』
『──こわがらせちゃった?』
紫蜘蛛が俺の顔を見る。
俺は紫蜘蛛の手をそっと握った。
「怖いわけないだろ」
「紫蜘蛛が俺を傷つけたくないってことくらい、ちゃんと分かってる」
「それに、食べられるのは甘噛みで慣れてるしな」
冗談めかして紫蜘蛛に笑顔を向ける。
紫蜘蛛は、少し安堵したように頬を緩めた。
「よし、帰ろうか」
「ポテチ食べながら、読み聞かせでもしよう」
手を繋いで二人で歩き始めた直後。
「──ようやく!見つけた!」
背後から声が轟いた。
俺も紫蜘蛛も、驚いて肩が跳ねる。
「……な、なんすか……?」
『──誰』
振り返ると、一人の男が肩で息をしながら立っていた。
クルクルと癖のついた黒髪と、丸メガネ。
白と緑のボーダー柄のポロシャツに、ネイビーのジーンズ。
どこかで、見た気がする。
雑誌だったか、テレビだったか。
「そこの女の子……!幽霊か何か、ですよね……!」
「見ましたよ……!その子が糸に変わって、君が纏って幽霊を倒すところ……!」
「……っ!?」
油断していた。
あんな路地裏、人なんて来ないだろうと思っていたのに。
『──あなたは、誰』
『──私たちに、何の用』
紫蜘蛛がピリピリした空気を発する。
敵か、味方か。
怪異が見える時点で、普通の人間ではないのは確かだが。
「ああ、名乗るのを忘れてました……!」
駆け寄りながら胸ポケットから名刺入れを取り出す。
「私は、水島茂夫という者です」
「漫画家をやらせてもらってます」
「──み、水島先生!?」
驚きで大声を上げてしまう。
直後、慌てて口を手で塞ぐ。
紫蜘蛛は、俺の様子をポカンとした様子で見ていた。
「あっ!あまり大きな声を出さないでいただけると……」
水島さんが口に指を当てながらそそくさと名刺を渡してくる。
「す、すいません……!ちょうど今水島先生の漫画を買ったところで……!」
水島茂夫。
俺がハマっている漫画、“あやかし荘の日常”の作者。
今、最も注目を集めている漫画家の一人だ。
こんなところで会えるなんて。
「ああ、ありがとうございます!」
「よかったらサイン、書きましょうか?」
「いいんですか!?是非!」
水島さんが腰のポーチからペンを取り出す。
俺は今買ったばかりの本を取り出して、彼に手渡した。
慣れた手つきでサインを書き、途中で顔を上げた。
「よければ、あなたの名前を教えてくれませんか?ここに書くので」
「や、八重原暁人です!」
八重原くんね、と一言呟き、サラサラとサインの続きを書く。
「おぉ……!一生の宝ものにします!」
受け取った本を、大切に抱えるように持つ。
紫蜘蛛は、どこかつまらなさそうにしていた。
『──それで、私たちに何か用?』
話を戻すように、紫蜘蛛が水島さんの方を見る。
水島さんは思い出したように声を上げた。
「ああ、そうだった」
「良ければ、君たちを取材させてほしいんだ!」
「──取材!?」
俺の声に、紫蜘蛛の肩がまた跳ねた。




