最高の悲劇と、夢現からの帰還
身体が軽い。
思うままに動ける。
紫蜘蛛と一緒に戦えることが、嬉しい。
笑い声こそ上げなかったが、俺の顔は常に口角が吊り上がっていた。
きっと、悪役らしい悪い笑顔になっていることだろう。
『楽しそうにしてんじゃないわよ!』
『悪役は悪役らしく!ぶっ殺されてなさい!』
ハミィが怒りのままにステッキで殴りかかる。
糸でステッキを絡め取り、ハミィの手から引き剥がす。
「はぁっ──!」
身体を捻り、蹴りを入れる。
スレスレで躱されて空を切るが、そのままの勢いで連続で蹴りをかましていく。
何度目かの蹴りが、ハミィに直撃した。
そのまま反対の足でさらに蹴り上げて、宙返りする。
着地と同時に、手から糸を放ってハミィを縛る。
「ふっ──!」
身体をきりもみ回転させながら跳ぶ。
ハミィが釣られたように宙に浮き、こちらへ引き寄せられる。
「もう一発──!」
引き寄せきったところで、再び蹴りを入れる。
糸で捕まったハミィに、衝撃を逃す手段はなかった。
吹き飛ぶことも許されず、威力の全てを胴体で受ける。
流石に堪えたのか、肺から全ての空気を吐き出した。
『──良い加減に』
『しなさいよ!!!』
「──っ!?」
蹴り飛ばさなかったのが仇になった。
逆に足を掴まれて、逃げられなくなる。
『言ったわよね?ここではアタシが主人公だって!』
『今のアタシに!出来ないことは!無いのよ!』
言葉の直後、ハミィの背後に純白の翼が現れる。
大きく羽ばたかせて、凄まじい速度で天井を破壊して空へ飛び立つ。
「ぐああ──っ!?」
《──っ!》
突然身体にかかった凄まじい負荷に、身体が軋む。
紫蜘蛛が内側から全身に糸を張り巡らせて、身体を補強する。
ハミィが空で急停止して、俺を投げ落とすために大きく振りかぶる。
『──ぶっ潰れなさい!!』
翼を畳み、縦に一回転して勢いを乗せる。
そのまま地面に向けて投げられた。
とてつもない風圧と速度のせいで、体勢を変えられない。
「まずい、このままじゃ背中から落ちる!」
《──させ、ない──!》
紫蜘蛛がコートをほどいて、大きな布に作り変える。
四隅から糸を伸ばして右手首に繋ぐと、パラシュートのように風を受け止める。
落下速度が緩み、無理やりだが体勢を立て直せた。
《──これなら》
パラシュートをほどき、再びコートに戻す。
落下速度が再び上がっていく中、大穴の空いた城に向けて大量の糸弾を放つ。
城に着弾すると蜘蛛の巣状に開き、それが幾重にも重なっていく。
巨大な蜘蛛の巣に向けて、バスンと音を立てて落ちた。
「──さすがだな、紫蜘蛛」
《──でしょう?》
俺の身体には、傷一つついていなかった。
蜘蛛の巣がクッションとなって衝撃を殺してくれた。
首元のスカーフを優しく撫でると、ほのかな熱が返ってくる。
『のんびりしてる場合かしら!?』
遥か上空からハミィの声が轟く。
巣の上で起き上がり、次の攻撃に備える。
──攻撃は、下から襲ってきた。
レンガでできた巨大な蔦が、真下から勢いよく生えてくる。
完全な不意打ち。
俺も紫蜘蛛も反応できず、身体を拘束される。
「しまった──っ!」
《──抜けない──!》
必死に足掻くが、びくともしない。
八重蜘蛛の力ならこの蔦を破壊できるかもしれないが、まだアイツから反応は返ってこない。
『アッハハハハ!無駄な足掻きもここまでよ!悪党!』
『今度という今度こそ、塵一つ残してなんてやらないんだから!』
翼を広げてハミィが降りてくる。
手には自分の身長と同じくらいの、新しいステッキを持っている。
『さあ!覚悟なさい!』
『これがアタシの!必殺技!』
ステッキをクルクルと回して、両手で構えて先端を突き出す。
直後、背中の翼が六枚に増え、それぞれの中心部分とステッキにハート型の光が収束する。
「マズイ、あんなもん喰らったら──!」
《──何か、手は──!》
必死に手足を動かそうともがく。
ハミィを狙って指先から糸弾を放つが、射角が足りず当たらない。
『じゃあね!蜘蛛男!』
『望んだ結末じゃなかったけど、アンタを殺せてスッキリするわ!』
キャハハと高笑いしながら、ハート型のビームを放とうとステッキを突き出す。
『──水薙・獅霊』
聞き馴染みのある声が、静かに響く。
「──っ!?」
『は──っ!?』
光が霧散し、翼が消えていく。
ステッキが手から滑り落ち、ハミィの口元から血が溢れ出す。
背後からハミィを貫く、赤い薙刀。
その柄を握っていたのは──
『──っ!海月!アンタ……!』
『ごめんなさい、ハミィ』
海月が、消えた翼の後ろから見えた。
悲しげな顔で、しっかりと薙刀を握っている。
『好きにして良いって言ったけど、ここまでやっていいなんて言ってないわよ……!』
『ええ。言われてないわ』
海月がさらに薙刀を押し込み、ハミィをさらに深く刺す。
『あなたは、大切な友達よ』
『──でも。彼も、私の大切な“友達”だから』
薙刀を刺したまま、海月が俺の方を見る。
『──少しは、手伝ってあげたら?』
「っ!!八重蜘蛛──!?」
海月の言葉が八重蜘蛛に届いたのか、身体の内側から力が込み上げてくる。
黒い霧を纏って、レンガの蔦を内側から弾くように破壊する。
『──負けないでよ』
一言だけ呟いて、ハミィから薙刀を引き抜く。
そして、海月は泡となって消えていった。
最後の言葉は、紫蜘蛛に向けたものに思えた。
紫蜘蛛も、何も言わなかった。
『──どうして、こうなるのよ!!』
口と胸元から血を流しながら、ハミィが叫ぶ。
口から溢れる血には、泡が混ざっていた。
あの赤い薙刀の持つ毒の影響だろう。
『どうしてみんな!寄ってたかってアタシのジャマをするの!!』
『アタシの最高のシナリオをぶち壊そうとするのよ──!』
怒りを爆発させたハミィが、血みどろになりながら俺の方に突っ込んでくる。
もう、怖くもなんともなかった。
「──紫蜘蛛」
《──ええ》
最小限の動きで、ハミィの突進を躱す。
すれ違い様に、ハミィの身体に糸を巻き付ける。
振り向いて再び突進してくるハミィを軽くいなす。
必死に殴ろうとする子供をあしらうように、糸を巻き付けながら躱していく。
やがて屋根の縁に立ち、そのまま俺は一つ下の足場へと飛び降りる。
『待ち、なさい──!』
俺を追って、ハミィも飛び降りる。
だが勢いが足りず、俺の元に着地できずにさらに下へと落ちた。
それを見届けた後、俺もまたハミィと同じ場所に降り立つ。
白い石のアーチを挟んで、向かい合う。
『──アタシが、負けるなんて──』
『あり得ない、のよ──!』
息も絶え絶えのまま、ハミィが俺に向かってくる。
もう走ることもできず、ヨタヨタとフラついた足取りで。
「……あり得るんだよ。それが」
手に持っていた糸を、思い切り引く。
ハミィが糸に引っ張られ、宙に浮く。
『ぐっ……!?』
《──眠りなさい》
糸を指先で軽く弾く。
ハミィの身体に張り巡らされた糸が、一気に収縮していく。
『あ──』
ハミィが何かを言いかける。
だが、その言葉が最後まで続くことはなかった。
──身体が、無数の肉片へと崩れ落ちた。
『──どうして、なのよ』
ハミィの悔しそうに震える声だけが、響き渡る。
服を解き、紫蜘蛛と並び立ってハミィの元へ歩み寄る。
『アタシは、悲劇を見たいだけなのに』
『どうして、こうなるのよ』
ポツポツと、声を震わせながら呟く。
「……いつまでも、“見てるだけ”だったからだろ」
バラバラになったハミィを見て、口を開く。
もう、怒りも同情も湧かなかった。
『──良いお話だったと思うわ』
『──怪物と戦って、劣勢と優勢を繰り返して』
『──勝利を確信した瞬間、仲間に裏切られて』
『──勝機を失って無惨に敗北する』
『──最高に後味の悪い、悲劇じゃないかしら?』
紫蜘蛛が饒舌に煽り倒す。
表情は真顔のままだったが、声は怒りに満ちていた。
今まで無理やり従わされていた仕返しか。
紫蜘蛛の言葉を聞いて、ハミィが堰を切ったように泣き出した。
『──うるさいうるさいうるさい!』
『アタシは見てるだけで良かったの!』
『舞台を演出するだけで良かったの!』
『自分が悲劇の主人公なんて!まっぴらゴメンなのよお──!』
──泣きじゃくる彼女を見ても、なんの情も湧かなかった。
あまりにも自分勝手な言葉。
そのエゴを満たすためだけに、どれだけの人間を弄んだのか。
「……行こう、紫蜘蛛」
《──ええ。ここも、もうすぐ崩れるわ》
ハミィに背を向け、城から離れる。
俺と紫蜘蛛の身体が、足元から徐々に透けていく。
ようやく、この長い夢が終わる。
紫蜘蛛の手を握り、目を閉じる。
──鬱陶しい泣き声が、消えた。




