俺たちは敵を知った
火那森先輩が屋上に降り立つ。
俺も一拍遅れて到着する。
髑髏の中から引き抜いた本は、紫蜘蛛が糸玉で厳重に封をしていた。
──屋上には、もう一人いた。
小さな女の子。
白いブラウス、赤い吊りスカート。
昔、本で読んだ"トイレの花子さん"に似た姿。
一人、力なく座り込んでいる。
「……この子は?」
先輩に尋ねる。
──泣きそうな顔をしていた。
「……花子ちゃんよ」
「昔、人知れず死んでしまった女の子」
震える声で、教えてくれた。
あの獏が言っていた。
先輩は昔、友人を亡くしたと。
もしかしたら、その友人と目の前の彼女を重ねているのかもしれない。
『──返して』
花子さんが、口を開く。
『その本を、返して』
『それがないと、あいつらに……やり返せない』
恨めしそうな目で、俺の手元の糸玉を見る。
「この本が、鍵なんだな」
糸玉を見る。
中の本は未だ瘴気を放ち続けていて、少しだけ隙間から漏れ出ていた。
『ねえ、返してよ』
『それは、私たちのもの』
『人のものを盗ったら、泥棒なのよ』
花子さんが糸玉に手を伸ばす。
「──いいや、これは渡せない」
花子さんの手が届かないよう、糸玉を持ち上げる。
『……どうして』
『私たちの復讐を、否定するの?』
花子さんの声が、震える。
「──俺は」
少し黙って、口を開く。
「俺は、復讐自体は否定しない」
「やり返したいって気持ちは分かるし、やり返した時はスカッとするからな」
「人生を賭けるほど、その快感も、執着もデカくなる」
「──でも、その復讐に他人を巻き込むのは違うだろ」
『──!』
「どうしてもやり返したいなら、そいつだけ殴れ」
「関係ない奴を巻き込めば、今度は君たちが怪物扱いされる」
『みんな同じよ!何も知らなかったのも、見ていただけの人も!私たちをいじめた!』
花子さんが声を荒げる。
今にも泣き出しそうだ。
「だから全員を殴るのか?全員を殺すのか?」
「それじゃ、いじめっ子と同じだろ」
『……っ』
「暴力に暴力で返すのは簡単だ。だが、それじゃどっちかが死ぬまで終わらない」
「逃げられるなら、逃げればいい。死ぬよりもずっとマシだ。立ち向かう必要なんてない」
「……苦しみを抱え込む必要なんて、ない」
『でも…でもそれじゃ、あいつらが全て忘れて笑って生きていく!私たちはもう笑えないのに!』
『──泣くことすら奪われたのに!』
一瞬の沈黙。
次の瞬間。
花子さんが、堰を切ったように泣き出した。
大きな声で、子供のように。
先輩が、近づく。
「でも、今こうして泣けてる」
「正直に心の内を明かせてる」
あやすように抱き、頭を撫でる。
「遅かったかもしれないけど、今はできてる」
──小さな泣き声が、屋上に広がる。
「紫蜘蛛、狐火さん」
《──ええ》
『了解』
小声で二人に呼びかける。
糸玉を放り、少しだけ糸をほどく。
中の本が露出したところに、狐火が火を点ける。
──本が、糸玉の中で灰になる。
子供たちの未練を吸い続けた本が、黒い燃え滓となって夜風に散っていく。
「──あなたさえ良ければ、私たちが話を聞くわ」
「頻繁に顔は、出せないかもだけどね」
先輩が、柔らかく笑う。
泣きじゃくる子どもを安心させるような、優しい笑みだった。
『……』
『──お菓子、持ってきてくれる?』
「……ああ、流石に生ものは無理だけどな」
冗談めかして返す。
『私、ラムネが好きなの』
『……持ってきてくれる?』
ぐずった声で、さりげなく好物を伝えてきた。
俺も先輩も、狐火も笑みを漏らす。
紫蜘蛛も声は出さなかったが、善い思いがスカーフを通じて伝わった。
『……私、資料室にいるから』
『たまには、お話してね。お兄ちゃん、お姉ちゃん』
花子さんが憑き物が取れた顔で、俺と先輩を見る。
とても可愛らしい、笑顔だった。
「ええ、今度みんなでお茶会を開きましょう」
「見つかったら面倒だから、こっそりな」
俺たちも笑って返す。
夜風が、屋上の張り詰めた空気を流していく。
満足そうな顔で、花子さんが姿を消す。
手を振って、見送る。
誰もいない学校を騒がせた"怪談"は、幕を閉じた。
『──ハァ〜〜〜〜……何アレ、つまんな』
暗闇の中、大きなため息が響く。
心底から気持ち悪い。
殺し合えって言ったのに、笑い合って終わりやがった。
あれじゃハッピーエンドだ。
アタシが望んだものじゃない。
『もっと派手に壊れて、グチャグチャに泣いて、殺し合ってくれると思ってたのに』
『あんなつまんない男に惚れたワケ?海月』
ベッドに座る友人──海月に問いかける。
『あら──お気に召さなかったようね、ハミィ』
『あったりまえでしょ、アタシはもっと血みどろで醜くてバッドエンドな"劇"が見たかったの』
『あんなお涙頂戴な感動劇なんて望んでないわ』
思い出す度イライラする。
相手が海月じゃなければ、八つ当たりに縊り殺していた。
『まあでも……私的には、良かったかも』
『ライバルが、減ったわけだし』
海月が微笑む。
『ええそうね!あんな男アンタにくれてやるわ!』
苛立ちを隠さずドスドスと海月の元を立ち去る。
『……あ、でも』
『アイツらはすっっっごく不愉快だから、アタシが殺すわ』
『邪魔、しないでよね』
それだけ言い残して、暗闇へ消える。
──次の悲劇を考えないといけないわ。




