芽生えた変化
急ぎ杖刑の元へと向かった白龍が見たのは、磔にされた香華の姿だった。
両手を縛られ力なく倒れ込む香華の足元には、真っ赤な血が滴っている。
それを見た白龍は、怒りで頭が真っ白になった。
力を入れすぎてぶるぶると震える拳を握りしめ、白龍は香華の元へと向かう。
顔は紙のように白く、抱き上げた体は氷のように冷たい。
その感覚に背筋がゾッと震え、白龍は一瞬固まってしまう。
腕の中にいる香華が、まるで人ではないかのように感じたのだ。
いつも自分の不調を癒してくれる優しくもあたたかな手が、まるで無機質の人形のように感じられる。
その光景があまりにも恐ろしくて、白龍は動けなくなってしまった。
「香華! ――香華! 起きて! こうかぁ!」
だがそれも一瞬。
隣で同じように香華の手を握る女官―美琳―のおかげで、すぐに意識を戻すことができた。
今は呆けている場合ではない。
一刻も早く香華の治療をしなくては。
彼女を抱き抱え立ち上がった白龍の元に、慌てた様子の艶虎がやってきた。
「皇太子殿下! な、なぜこちらに?」
「なぜ? ……なぜだって?」
白龍は香華を抱き抱えたまま、艶虎を冷たい目で射抜いた。
「香華は陛下から皇太子の治療を任されたんだ。そんな人間にこの仕打ち……。君こそわかっているのかい?」
白龍の言葉に、艶虎は徐々に顔を青ざめさせる。
「こ、香華は私の女官です! ならば躾けるのは主人である私の……」
「君は皇帝陛下の気遣いを無碍にするところだったんだよ。僕が聞いてるのはそこだ。君のことなんてどうでもいい」
「……どうでも、いい? 私は……どうでもいい……と?」
艶虎は瞳に涙を浮かべた。
絶望の表情をする艶虎に、白龍は静かに告げる。
「――君は、昔から変わらないね」
「…………」
大きく見開かれた艶虎の目を見つめたあと、もう用はないと白龍はその場を後にする。
今はなによりも香華を治療しなくては。
白龍はついてきていた護衛の一人に、声をかけた。
「誰でもいい。急ぎ凰輝を連れてきてくれ」
「かしこまりました」
護衛が凰輝を呼びに行ったのを確認して、白龍はさらに足を早めた。
凰輝の鳳凰なら、香華の傷も癒せるはず。
だからきっと大丈夫。
そう思うのに、一秒でも早くと足を止めることができなかったのだ。
とにかく早くと足を進め、白龍が自らの住まいにたどりついた時には、凰輝が鳳凰を出して待っていた。
「殿下!」
「凰輝! 香華を治してくれ――!」
「もちろんです! こちらに!」
いつも自分が寝るベッドへと香華を寝かせた。
すぐに凰輝が鳳凰を使い、黄金色の粒子に香華の体が包まれる。
青ざめた唇は微動だにせず、指先もピクリとも動かない。
白龍は香華の隣に立ち声をかけ続けた。
「香華! 目を覚ましてくれ! 香華……!」
すると追いかけてきたのだろう美琳も、香華の手を掴みながら涙を流し叫んだ。
「お願い香華! 目を開けて……! あたしまだ、あなたに恩返しできてない――!」
「目を開けてくれ! 香華……っ!」
なんどもなんども声をかける。
目覚めないなんてありえない。
そんなこと許せるはずがない。
香華は必ず目を覚まして、また、微笑んでくれるはずだ。
――あの、春に咲く花のように美しい笑みを……。
「――香華!」
その時だ。
香華の長いまつ毛がピクリと動いた。
ゆっくりと開かれた瞳は、涙の膜をはりゆらゆらと揺れていた。
「……香華……。よかった、目が覚めたんだね」
「……わ、たし……」
「喋らなくていい。もう大丈夫だから。ね?」
まだ意識が混濁しているのか、うつらとろりとしている。
話し声に覇気がないことから、白龍は香華を眠らせることにした。
大丈夫、大丈夫と声をかけ続ければ、香華は安心したのかゆっくりと瞳を閉じる。
「……ゆめ、みてるのかと……思いました……」
「夢?」
「でんかが……たすけにきてくださる……ゆめ」
「…………助けにきたよ。だからもう大丈夫」
優しく頭を撫でてあげれば、それが心地よかったのか香華の口元が綻ぶ。
「つごうのいい……ゆめ。でも、ほんとうなら……うれしい……」
どうやら夢の続きを見ていると思っているようだ。
全て事実なのだが、それがわかるのは次、目が覚めた時だろう。
「大丈夫。もうつらいことはないからね」
「……いいかおり。でんかの、かおり……。すき……」
今度こそ眠りに落ちたのか、香華は喋らなくなった。
傷は凰輝が治してくれたため、心配しなくていいだろう。
だから今は少しでも寝て、体力を回復することに努めてほしい。
――しかし。
「……………………あれ?」
白龍はなんだか顔が熱くなるのを感じた。
のぼせた時のような感覚を覚え、ぱちくりと瞬きを繰り返す。
別に変なことはなに一つない。
そう、そうに決まっているのに。
どうして胸が、ドキドキするのだろうか?
己の中に芽生えた変化にどうしていいかわからずにいると、そんな白龍を見て凰輝と美琳がにやりと笑った。
「おやおやぁ? これはなんとも楽しそうなことになってますなぁ……!」
「なんておいしい展開! 最高です、殿下!」
「わけわからないけどとりあえずうるさい!」




