守りたいもののために
香華と出会ったのは、新しい妃が後宮にやってきた時だった。
姉である艶虎とともにやってきた彼女は、悪い意味で目立っていた。
「見て。なんて醜いあざなのかしら」
「幻煌国の生きる宝石と呼ばれる艶妃様の妹とは思えないわ……」
顔に広がるあざを隠そうともしないその姿は、人々から注目を浴びていた。
美琳もまた例に漏れず、香華から視線を外せずにいた。
「……きれい」
あざは確かに目立つ。
だが美琳には幻煌国の生きる宝石と呼ばれる艶虎よりも美しいと思えてしまったのだ。
伏せられた長いまつ毛に覆われた瞳が、すっと横にずれる。
それだけでなんて美しさなのだと感嘆のため息が溢れた。
真っ白な肌も、赤く色づく唇も。
ただ歩くだけなのに気品と気高さが感じられて、彼女はどこかのお姫様なのではないかと思った。
そんな香華とちゃんと話したのは、美琳が艶虎お気に入りの茶器を誤ってやってしまった時だ。
――いや、あれは本当は美琳のせいじゃない。
艶虎が空いた茶器を置いた場所が悪く、彼女の肘が当たってしまったのだ。
それで落ちたことを、美琳のせいにされた。
「お前が早く下げなかったのが悪いのよ!」
そんなことを言われて、美琳は杖刑に処された。
連れていかれた場所で十字の板に押し付けられる。
そのころには美琳の手足は震え、歯はカチカチと音を立てていた。
同じ女官が似たような理由で杖刑に処されたあとを見たことがある。
彼女は四十回以上叩かれ気絶したらしく、部屋に戻される途中だった。
青ざめた顔に涙の跡が残り、足元には血が流れていた。
それを今から自分がやられるのだ。
怖くて怖くて仕方がなかった。
涙を流してなんども許しを乞うていたが、その声は艶虎に届かない。
彼女は心底楽しそうに椅子に座り、執行人に向かって言い放った。
「五十回よ。気絶したら冷水を浴びせなさい。気絶したままなんてつまらないこと、許さないから」
「はい!」
両手を掴まれ、縛られようとしたその時だ。
「お姉様! お待ちください――!」
香華が、美琳に背を向け立っていたのだ――。
「――っ、ぅ? あれ? あたし……」
「美琳! 起きた? 大丈夫?」
「――っ、香華! 香華は!?」
どうやら艶虎に殴られた際、壁に頭をぶつけて気絶していたらしい。
すぐに現状を思い出した美琳が、自分を支えてくれている女官に問えば、彼女は顔色を悪くした。
「……連れて行かれたわ。今ごろ刑を受けてるんじゃないかしら」
「…………そんな……」
どうしよう。
どうしたらいい?
香華を助けるにはなにをしたらいい?
「…………――っ、だめ。あたしじゃ……助けられない…………」
あの時香華は身代わりになってくれた。
泣きながら謝る美琳に、なぜか香華も謝ってきたのだ。
『こっちこそ、お姉様がごめんね……』
と。
だから同じように身代わりになろうとした。
なのに艶虎はそれを拒絶したのだ。
艶虎の香華に対する憎しみは、とても姉妹の間に抱いていいものではないと思う。
どうしてあんなに憎しみを持っているのか。
わからないけれど、少なくともこれは普通じゃない。
「香華を助けなくちゃ……。でもどうやって……?」
考えろ。
考えろ考えろ考えろ。
恩返しをするって、決めてたんだ――!
美琳が必死に思考を巡らせていた時、ふと過去のことを思い出した。
『優しい人よ……』
そんな言葉が、頭の中に響いた――。
「――そうだ!」
美琳は立ち上がると、震える足で走った。
たくさんの人に見られた気がする。
途中なんどか転んだけれど、膝も手のひらもすりむいて血が流れていたけれど、そんなの関係なかった。
骨が折れようともこの足を止めるつもりはない。
助けなきゃ。
たった一人の大切な友だちを。
助けてくれた恩人を、助けるんだ――。
「すみません!」
「――なんだ、お前は!?」
扉の前にいる警備に、剣を向けられた。
土まみれ血だらけの女官を不審に思ってもおかしくはない。
だがそんなことに気をつかっていられないと、美琳は深く頭を下げた。
「皇太子殿下に会わせてください!」
「はぁ? なに言ってるんだお前……」
「お願いします!」
警備は不審な顔をしてすぐに首を振った。
「お前のようなものが皇太子殿下に会えるわけがないだろう。さっさと帰れ」
「お願いします! 友だちが……死んじゃうかもしれないんです!」
「女官のことなど皇太子殿下のお手を煩わせることではない! さっさと去れ!」
しっしっと、まるで野良猫を追い払うような仕草をされて、美琳は力強く唇を噛み締めた。
後宮での女官の命は安い。
だから護衛の言っていることは間違いではないのだ。
――けれど。
「――皇太子殿下! お願いします! 話を聞いてくださいっ!」
美琳は諦めるわけにはいかなかった。
ここで帰っては、香華が助けられない。
「皇太子殿下! お願いです! どうか……どうかっ!」
「いい加減にしろ! 無礼だろうが!」
首根っこを掴まれて、思い切り引っ張られた。
地面に倒れ込んだが、それでも美琳は声を上げ続けた。
「友だちが……、香華が……! 香華が死んじゃう――っ!」
「お前! いい加減に……!」
護衛の男が持つ剣が振り上げられた。
視界の端に映ったが、それでも美琳はやめるわけにはいかない。
香華を助けられるのは皇太子しかいないのだ。
そしてその皇太子に伝えられるのは自分しかいない。
だからこの体が切り裂かれるその瞬間まで、声を上げ続けるのだ。
「お願いします! 香華を助けて――!」
とにかく叫んだ。
大きな声で、中に届くように。
きらりと光る剣がまさに今、振り下ろされかけたその時だ。
――扉が音を立てて開かれた。
「なんの騒ぎだい? 今、香華って聞こえたけれど……」
現れたのは美しい男性だった。
印象的な赤い瞳をこちらに向けてきた彼こそ、探し求めていた皇太子だ。
美琳は駆け寄ると、彼の足元で額を地面へと擦り付けた。
「皇太子殿下! 香華を助けてください!」
「――香華になにかあったのかい?」
肩を掴まれて頭を上げさせられた。
美琳は涙でぐちゃぐちゃの顔のまま、皇太子になにがあったのかを伝える。
「香華が杖刑を受けるって……! ひゃ、百回も叩かれたら死んじゃいます……!」
「――わかった。案内してくれ。その間になにがあったのかの説明を」
「は、はい……!」
伝えた皇太子があまりにも冷静だったため、美琳の涙も止まってしまった。
彼に手を借りて立ち上がると、歩み出したその背中を必死に追う。
「た、助けてくれるんですか……?」
「もちろん。香華は僕の主治医だ。――勝手は許さない」
美琳の目には冷静に対応する皇太子に見えたことだろう。
だが残念ながら彼は冷静ではなかった。
一分一秒が惜しかっただけだ。
「話してくれ。なにがあった?」




