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第六十六話 領主の館へ向かった

 ギルドから来た二人と約束してからの間、仕事や通院の合間にアンナさんが選んでくれたチンピラ風ではない服や靴を買ったり、オリヴィアさんからテーブルマナーを教わったりしながら過ごした。


 外国の慣習にはまるで明るくないが、礼服や最低限無礼にあたらない振る舞いは身につけておきたかったのだ。


 もっとも本音を言えば、天皇賞での最敬礼を格好いいと思っていた、なんて浅はかな理由なのだけれど。競馬のルールもろくに知らない僕ですら、あれには胸を打たれるものがあった。もし機会があったら、是非やってみたいものである。


 そして三日後の当日。僕らは昼の鐘が鳴るより三十分ほど前から、そわそわしながら迎えを待っていた。


「こ、これでいいの?」


「はい……あ、す、少しだけ、崩れて。う、動かないで……」


 観光地で民族衣装をレンタルしての記念撮影に臨むような格好の僕の襟へ、オリヴィアさんは細い腕を伸ばす。


 元の世界にいた頃から、ユニフォームにしろ学ランにしろ作業着にしろ、初めての服を着る際は誰かに直してもらったものだが、女の子にしてもらうのは初めてだ。緊張するし、こそばゆい。


「こ……これでもう、大丈夫になりましたよ」


 確認したあと、少し離れたあとのオリヴィアさんの笑顔があまりに自然なものだったせいで、思わず動揺してしまった。二人にしろこの子にしろ、外で母性はやめて欲しい……。


「ご、ごめんね、何から何まで」


「い、いえ……こ、このぐらいしかできなくて……」


 彼女の謙遜を好機とばかりに、顔を上げ無理にでも鷹揚とした笑みを浮かべる。ここで年上の男としての威厳を取り返さなくては。


「助かってるよ。まあ、俺は馬子にも衣装って感じだけど」


 エマさんは『お二人とも、大変よくお似合いですよ』と言ってくれたが、アンナさんは『いつもの格好でいンだよ』と不機嫌そうに鼻を鳴らしていた。


 気持ちはわかるが、領主の館へ行くのにあのヤンキールックを着ていく度胸を僕は持ち合わせていない。じゃあアンナさんはその格好で行けるんですかと聞いたら、拳骨で叩かれた。ちょっと顔が赤かったあたり、本人も本当はちょっと気にしてるんだろうか?


「と、とてもよくお似合いです」


「ありがとう。オリヴィアさんも似合ってるよ」


 まるで白黒映画だった頃の女優が、スクリーンからそのまま抜け出してきたようだ。


「き、綺麗なんて……そんなことないです」


 オリヴィアさんは恥ずかしそうに顔を俯ける。いや、余裕で綺麗だろ。日本が文明開化の頃にナメた外国人が洋服を着た猿の風刺画を描いていたが、悔しいことにオリヴィアさんと並んだ僕の似合わなさはあんなレベルなのだ。


 それだけに、目の前の彼女の美しさが心の底から羨ましかった。もし僕が彼女のような美形だったなら、絶対それをひけらかしてチヤホヤされるようなことをしていただろう。


「……お、来たみたいだ」


 そんな馬鹿なことを考えていると、迎えらしき馬車がやってきた。この街に来る際乗せてもらったハワードさんの馬車と違い、装飾が施されているうえに御者さんも礼服を纏っている。


 いかにも御大尽サマが乗っていそうだし、間違いないだろうと油断しながら眺めていたら、中から人が出てきて思わずたじろいでしまった。


「お迎えに上がりました。ジョージ様と、オリヴィア様でお間違えないでしょうか」


「は、はい。ありがとうございます」


 目の前にいるのは、好々爺然とした印象の男だった。執事さんでも務めているのだろうか。その奥には、既にギャヴィン試験官やジェイコブ支部長が座っている。意外に中は広いようである。


「予定通り待っていたようだな」


「早く乗れよ。置いてくぞ」


「し、失礼します」


 先に乗って、不要かも知れないと思いながらオリヴィアさんへ手を伸ばす。掴んでくれた手の、その指先の硬さを感じたとき、貴族の空気に呑まれてはいけないなと思った。





「なに浮かない顔してんだよ」


 走り出してから、ときどきギャヴィン試験官が小突いてきた。この人なりに可愛がってくれているのはわかるし、アンナさんが痛いところを突かれたり裸を見られたときの一発と違い、そこまで痛くはない。


 しかし、この人のは執拗なうえに気を抜いたときを見計らって脇腹をつついてくる。正直、少しうざったい。同じ体育会系でも、こういうところに差が出るものである。


「いや、緊張してるだけですって」


「ったく、Fランクからスタートさせてやったんだ。その恩を忘れるなよ」


 もちろん、忘れたりはしない。この人がいなかったら、僕ら受験者が全員生きて森を出られることなどなかったのだから。


「わかってますよ。ところでなんですけど、その、魔力測定に使う水晶代っていくらぐらいですか」


「どうしたいきなり」


「試験中、壊しちゃったりしたので。お金の余裕があるうちに、弁償したいんですけど」


 目を丸くするギャヴィン試験官に説明すると、ニターッと目の奥で笑いながら手をひらひらと振られた。


「気にするな。お前にはギルド側の不手際の尻拭いをしてもらった。それを思えば、水晶玉や的の一つや二つ、屁みたいなもんだ」


 的のことを失念していたのを揶揄され黙っていると、馬車が野太い笑い声で包まれる。まあ、変に感謝ばかりされるよりはやり易いけど、オリヴィアさんの手前ちょっと恥ずかしい。


「なんと言うか……君は随分とまあ、真面目な性格をしているんだね」


「いやいや謙虚さは美徳ですよ支部長。息子に欲しいぐらいです」


 ジェイコブ支部長の言葉は一見褒めているようだが、そこにはありありと呆れが込もっていた。一方の執事さんは笑顔を貼り付けて景気のいいことを言っているものの、内心はまるで窺えない。なんとも、やりにくい相手である。


「もうすぐ館だ。二人とも、準備しておきなさい」


 ジェイコブ支部長から声をかけられた。あれ、少し僕への警戒心が薄くなった……? 今の間抜けなやり取りが効いたのだろうか。


 恥をかいたと思いもしたものの、もしそうなら怪我の功名、人生万事塞翁が馬である。

ミルコ・デムーロ騎手とか、有名ですよね。

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