第六十五話 お開きになった
もちろん、あのジミヘンとこの子を比べるのはまったくおかしな話なんだけど。そう思いながらも、僕は一つ、彼女に提案した。
「じゃあ、無理に内職とか手伝わなくてもいいよ」
「え……」
「楽器の練習時間、欲しくて堪らないでしょ。入院中のブランクだって取り戻したいだろうし」
楽器や絵画というのは、一定の水準に達するまでに投資しなければならない時間が非常に多いと聞いたことがある。
そこへ辿り着けたとしても、芸の世界ではまだ凡百の存在。自分の価値を高めていくため、より多くの工夫や研鑽が求められるだろうことは僕でも容易に想像できた。
「で、でも、何かしらさせていただかないと……ただでさえ私は、皆さんとは実力もかけ離れていて」
「それを埋めるためにも、楽器の練習に当てたらいいんじゃない? 理由を話せば、二人もわかってくれると思うけど」
ところが、オリヴィアさんの反応は芳しいものではなかった。
「れ、練習はきちんとしますので、お仕事もさせて下さい」
「気持ちはわかるよ。ただ、最終的にどうなりたいかを考えたらーー」
「かっ、必ず、早く依頼でもお役に立てるよう頑張ります。ですから、お仕事もさせていただきたいんです」
あまりの勢いに、思わずたじろいでしまう。まさかオリヴィアさんが、相手の言葉を遮ってまで強く主張してくるとは思わなかったのだ。
「い、いや、早く役に立てとか、そういう話じゃないんだ。ごめん。焦らせたね……」
きっと、今拗れている原因は僕のエゴにあったのだろう。それが今、この人の焦りを煽る形として現れてしまったのだ。
僕からすれば、楽器や絵みたいなものはスポーツと同じで、趣味で終わる気がないならひたすら集中的に時間やら金やらをそれへ傾けるべきだと思う。
でも、彼女がそれに気兼ねを感じてしまうようなら、もう少し普通の、フリーターがするような下積みが合っているのだろう。
それがこの人のためになるかはさておき、もしかしたら、そういう練習以外の過程も、あとで何かの役に立つのかも知れない。
もっとも、それそのとき活かすためにも、必要なのは高い技術を用意することだと思うんだけど……これ以上の口出しをするのは、もうやめておこう。
「その、すいません……」
「悪くないのに謝んないの。ところでさ、部屋で弾いても音とか大丈夫なの?」
「こ、これが防音用の結界を張ってくれているので……」
話題を変えるため聞いてみると、オリヴィアさんは小さな四角形の箱を持ち上げた。
「それで、音が聴こえなくなるの?」
「は、はい。少し、ドアを開けたままでいいので外に出てみて下さい」
言われた通り部屋から出て中を窺うと、オリヴィアさんが弦を弾いているのに何も聴こえてこない。
「す、凄いね、それ。いくらぐらいするの?」
この世界の音楽で食っている人間は、練習し放題なのだろうか。もし可能だったなら、元の世界にいた頃同じアパートに居住していた、夜中にギターを鳴らすこともある迷惑な隣人や足音が酷い上階の住人に送りつけてやりたかったものだ。
「け、結構します。つ、作るのも、大変だそうで……」
「だよね……」
まあ、こっちで一ヶ月ほど過ごして今見たのが初めて。という時点で、予想しておくべきことだった。それさえあれば、騒音トラブルの大半を解決できたと言うのに。残念至極とはこのことだなあ。
「俺、金貯めて絶対いつかそれを買うよ……と言うか、本当に凄いよね。てっきりチューナーか何かだと思ってた」
「ちゅ、チューニングは、自分の耳で……」
「そうなの? それも凄いね」
元の世界では、大抵の人がチューナーを使っていた。人気のミュージシャンであっても、耳でのチューニングは自信がないと語る者もいたほどだ。
「す、凄くなんか……ど、道具に頼るなと言われて、仕方なく身につけただけなので……」
「あー、まあ、時間もったいないものね」
僕だってスポーツをしていた頃は、準備運動もほどほどに早くボールを使った練習をしたがったものだ。
「わ、私も子供の頃、そう思いました……お、覚えてよかったとは思ってるんですけど……」
「本格的なところで習ってたの?」
僕の問いに、オリヴィアさんは目を伏せ口を重くする。
「……その……」
「あ、ごめん。また余計なこと聞いたね」
「い、いえ、どちらかと言うと……その、そうです。私は、下手なままでしたけど」
私はーーその疎外感が含まれた言葉は、なぜか僕にも息苦しさを感じさせた。
「……俺は、音の良し悪しとか全然わかんないけど、オリヴィアさんの弾くハープの音、好きかな」
「こ、これが、ですか……?」
「うん。落ち着くし、森にいたときも心強かった」
あのときは不思議だった。それが普通の演奏ではないとわかっていても、状況的に普通なら『弾いとる場合かーッ』と苛立ちを感じてもおかしくないのに。いったい、どうしてなのだろう。
オリヴィアさんは俯き、唇を噛みながらハープを胸に抱え込む。
「上手い人のを聴いたら、もっと感動しますよ」
それは、彼女にとって目の前にそびえ立つ、厳然たる事実なのだろう。でも……。
「じゃあ楽しみだ。オリヴィアさんが上手くなるのが」
顔を上げたオリヴィアさんと、半ば意地で見つめ合う。怒り、戸惑い、恐れ、不安……様々なものがその瞳の中で蠢く中、彼女は不意に目を逸らした。
そして小さく息を吐くと、再び僕に視線を合わせる。その目は怯えが見て取れるものの、しかし決意もたしかに滲んだ、昏さが拭われたものだった。
「も、もう少しだけ、聴いていただけますか?」
答えなんか決まっている。
「もちろん!」
「やっぱり、上手くいきませんでした……」
消沈するオリヴィアさんではあったが、そこに先ほどまでの煮詰まった焦燥感は感じない。
「綺麗な音だと思うけど……」
「ほ、本当は、このハープも、もっといい音を鳴らしてあげられるんですよ……?」
素人の曖昧な慰めは、あっさり吹き飛ばされてしまった。
「せっかく、ジョージさんに励ましていただいたのに……」
意気込み過ぎて気負ったり、見えない先に不安を覚えたり、そういうのは普通に生きる人と同じで、生きている限り逃れられないことなのだろう。
「そういう音、オリヴィアさんも出せるといいね」
再びため息のあと、オリヴィアさんが呟いた。
「……もし、納得のいく演奏ができるようになったら、そのときは、ジョージさんに聴いていただきたいです」
「楽しみにしてる」
その後も少し話をしたが、もう夜も遅かったので今夜はここでお開きとなった。
「きょ、今日は聴いてくださり、ありがとうございました。ひ、人前で弾けて、だ、駄目でしたけど……でも、よかったです」
「こちらこそ、タダでありがとう。また、聴かせてくれる?」
僕のお願いに、はにかみ笑いでオリヴィアさんは返した。
「も、もちろんです。ぜ、是非……お願いします」
ようやく次から領主の館へ向かえるなんてスカッとするぜーッ!




