第四話 収納魔法を使えた
背中に、地面以外の感触がある。以前河川敷で仕事をしていた際、コンパネの上で仮眠を取ったときに少し似ていた。目を開けるとくすんだ幌が見え、次の瞬間、先ほど戦っていた外国人のうちの一人が心配そうな目で僕を覗き込んでいた。剣で赤毛の熊に応戦していたほうの人である。
「あ、目を覚ましたぞ! おい坊主、大丈夫か」
「えぇっ、は、はいっ。大丈夫、です……」
こんな状況とは言え、勝ち気そうな美人の顔を近づけられ、少し緊張してしまった。
「そ、その、ここは……?」
「今、あなたを馬車の中へ運んだところです。随分と、手酷く襲われていたようですね」
聖職者然とした格好の、杖を持っていた女性が答えてくれた。
「そんな状態であれだけ魔力を込めて石を投げれば、ぶっ倒れもするぜ。あのクマ公のドタマをぶち抜いたあとも、ぶつかった木の幹に穴空いててさ。まあ、おかげでアタシたちは切り抜けられたんだがな」
そうか。みんな、助かったのか。ほっとしていると、壮年の身綺麗な格好をした男性が口を開いた。
「私は、ハワードという者だ。商人をしている。さっきは君の投石のおかげで助かったが、いったいどこから来たんだ? 見たところ、不思議な服を着ているけれど」
服と言えば、この人たちもみな、変わった服装だ。ハワードさんと名乗ったこの人は、少しゆったりとした、○ルネコが着ているような服。勝ち気そうなお姉さんは露出の多い鎧。神官のような格好のお姉さんも含めて、まるで仮装パーティーかチンドン屋と言った具合の装いである。
「……日本の、八王子で仕事中だったんですけど、事故にあって、気づいたら森に……」
「ニホン? ハチオウジ……?」
「どこだよそれ……おいエマ、お前知ってるか?」
「いえ……そのような名前の街は、私の記憶にも……。それでその傷を、森で負わされたのですね?」
「はい。さっきの、赤い熊に襲われて……」
爛々と輝く黒い目を至近距離から向けられたことを思い出すと、今でも身の毛がよだつ。あのときは、本当に補食されることを覚悟した。
「もしかして、さっき『いだだだだっ! ギブッ! ギブゥッ!』という叫び声をあげていたのは君かい?」
「…………」
どうやら僕の恥ずかしい降伏宣言は、この人たちにガッツリ聞かれていたようだ。
「すまなかったね……助けたい気持ちはあったんだが、森の中ではもう間に合わないだろうと思い……君は我々を助けてくれたと言うのに」
「い、いえ……当然の判断だと思いますし……お気になさらないで下さい……」
ここまで申し訳なさそうな顔をされると、かえってこっちのほうが気にしてしまう。そんな中、勝ち気そうなお姉さんが僕の肩を叩いた。
「しっかし坊主! お前、なかなかやるじゃねえか。さすがのアタシも、あのクマ公とスデゴロでやり合うなんて発想はなかったぜ」
別にさっきの悲鳴は熊とやり合っていたときのものではなく、むしろラッキーパンチで退けたあと、二足歩行を試みた末の敗北宣言なのだ。しかしそれを自ら口にするのは憚られるので、根が見栄っ張りな僕はつい話を合わせていた。
「あ、あはは……どうも……」
「もう、アンナ。この方は怪我を負っているのですよ? すみません、傷が痛みませんか? 顔が赤いようですが……うーん、少し体温が高いような……」
違うんです。今僕の顔が赤いとすれば、それはおっとりとした柔和そうな雰囲気の美人をしたあなたが顔を近づけているからです。わわっ、額と額が!? 知らない男といいのか? さっき森の中を四つん這いで移動してきたせいで泥塗れなんだぞ!?
「そりゃあ、あんな魔物とやり合ったあとだ。さっき目を覚ましたときも紅潮してたし、やり合ってたときのことを思い出して昂っちまってるんだろうよ。なあ坊主」
したり顔でアンナさんがイタズラっぽい笑みを浮かべているが、実際は単に僕があなたたち美人二人に緊張して浮き足立っているだけである。比喩ではなく、文字通り心臓が破裂しそうだ。なんだか、さっきとは違う情けなさがあった。
「そ、それでその、ここはいったいどこなんですか?」
ハワードさんに尋ねると、神妙な顔で答えてくれた。
「ここはフローレス街道で、今向かっているのは北マディソンだ」
「仕入れの帰りでな。アタシらはハワードのおっさんに今回の護衛で雇われてんだ」
「ハワードさん、申し訳ありません。依頼を受けておきながら、護衛としての務めを果たせず……」
「いや、レッドベアと遭遇したのでは、無理もないだろう。それ以外の道中ではゴブリンやアルミラージ、人食いゴキブリどもを倒してもらったし、君たち冒険者が同乗してくれたからこそ、気配を察した大概の魔物たちは襲ってこなかったんだよ」
「それにしても、まさかこの北マディソン近辺でまでレッドベアが出てくるなんて……」
「アタシも噂には聞いてたけど、実際に目にしたのははじめてだ……本来はあのクマ公は、もっと東マディソン寄りの森深くに出る魔物だろ?」
フローレス街道、北マディソン、レッドベア。知らない地名や生き物の名前。アルミラージやゴブリンは、本や漫画で多少は知っていたけれど、あくまで非現実的な存在のはずだった。
何故か言葉は通じる外国人、横文字の名前、謎の力、自然に出てくる、護衛や冒険者という職業。
ここは本当に、僕が元いた世界なのだろうか……?
「大丈夫ですか? どこかお具合でも……」
「まあ、あれだけ魔力を使ったあとだからな。アタシらと会う前にもクマ公とやり合ったってことは、防御や回復にも使ってたことだろうし。今起きて喋ってるだけでもタフだよ」
「傷や魔力の涸渇で、頭が混乱しているのかもしれないな。とりあえず、これを飲みなさい」
ハワードさんが、コルクを抜いた瓶を僕に手渡す。中身は青い液体で満たされていた。少し抵抗を感じたけれど、この人たちがすすめるものなら大丈夫だろう。美味いとは言えないエグみのあるそれを、何度かに分けて飲み下すと、少し痛みや火照り、怠さがおさまったように思えた。
「体が軽くなった気が……これは?」
「魔力を回復してくれるポーション、魔法薬だ。知らないかな?」
「いえ……」
ハワードさんの口ぶりからして、こっちの世界では、こういうものがあるのが当たり前なのだろう。
「さっきから会話で出ていた、魔力や魔物というのはいったいなんなんですか? さっきのレッドベアという熊は、普通の熊とは違うんでしょうか?」
「魔力は魔素を介し扱える力で、魔物とは体の中に魔石と呼ばれる力を持った石が入っている生き物だ。レッドベアは攻撃的かつ獰猛で、普通の熊よりさらに恐ろしい魔物だよ」
ここには魔法とやらを使える人間がおり、石が入った強い生き物が人を襲う。それが、当たり前の世界……。
「一先ず、街へ急ぎましょう。またレッドベアの襲撃に遭遇してしまったなら、そのときはもう……」
「せっかく素材が落ちてるところ惜しいけど、やむおねぇな……毛皮を剥ぐにも時間がかかるし」
「あの大きさでは、所持品を全て出したあとの私の収納魔法にも入りきらない。仕方がないが、ひとまずここに置いていって、あとでギルドに死骸を放置したことを報告しよう」
「収納、魔法?」
尋ねると、ハワードさんは何もないところからとてもポケットには入りきらない羊皮紙を取り出し、そしてそれをマジックのように再び消して見せた。
「これが収納魔法だ。魔力を使って自分だけが出し入れできる空間を作って、そこに物を収めるんだよ」
僕にも、できるだろうか……幸い、先ほどハワードさんがくれたポーションと、その魔力による回復のおかげか、僕の体は自分で立って歩けるまでに回復していた。荷台に掴まりながら馬車を降り、ぎこちない歩き方でみっともないが、ともかくレッドベアのほうへ近寄っていく。
「お、おい坊主、無茶するなって」
「戻りなさい。暗くなればなるほど、魔物と遭遇する危険も増してしまう」
「レッドベアのほうへ……なにをなさるおつもりでしょうか」
レッドベアの死骸の傍らにしゃがみこんだ僕は、先ほどのハワードさんを真似して、その毛皮に手で触れる。
「収納魔法」
すると巨大なレッドベアの体が、まるでどこかへ吸い込まれるように音もなく消えてしまう。これで本当に成功したのだろうか? 試しに出そうと思ったところ、レッドベアの足の先が僅かに露出した。どうやら、上手くいったらしい。
「す、すげぇ……あのレッドベアの巨体を、あっさり収納しちまうなんて……」
「怪我を負われていて、魔力もまだ回復しきっていなでしょうに……」
「な、なんという収納魔法の容量の大きさだ……」
あまりの驚きように、多少居心地が悪くなって尋ねる。
「あ、あの。回収しちゃってよかったですかね?」
「あ、ああ。こちらとしては助かったよ。実は倒した魔物をそのままにしていると、そこに他の魔物が集まってしまうんだ。けど君が収納魔法で片つけてくれたおかげで、次にこの道を通る人間が被害を受けにくくなる」
「あれだけの重さや大きさを収めて、負担がかからないはずがありません。無理をしてはいけませんよ?」
「まあ、とりあえず乗れよ。ハワードのおっさん、レッドベアはギルドで売っ払っちまっていいんだよな?」
アンナさんの手を借り、再び荷台へ戻る。
「ああ、依頼内容に書いてギルドに発注した通りだ。倒した魔物の素材は、そのまま君たちのものにしていい」
「よォっし。じゃあ今日は帰ったら、アタシらの依頼料と坊主が狩ったクマ公の金で豪勢にいこうぜ! ところで、坊主の名前はなんてぇの? アタシはアンナでこっちはエマ」
「レッドベアを売ったお金は、この方のものですよ? もう……あ、申し遅れました。わたくし、エマと申します。よろしくお願いしますね」
「あ、倉内譲次です。こちらこそ、よろしくお願いします」
「ジョージ、いい名前じゃねえか。これからよろしくな! じゃあさっさと帰ろう! 美味い酒がアタシを待ってる!」
主人公の名前決定。じょうじ…。