第三十話 オリヴィアさんを食事に誘った
それぞれが休憩に入る中、オリヴィアさんが真っ直ぐ僕のほうへと駆けてきた。
「だ、大丈夫でしたかっ? 頭を叩かれて、す、凄い音が……っ」
そんなに大きな音だったのだろうか? 当事者としては、よくわからない。
「ああ、平気平気。ちょっと熱持ってるだけだから」
そう言って手をひらひらとしながら笑ってみたのだけれど、彼女は不安げな目のままだった。
「み、見せて下さい……あ、ここ、もこって膨れて……」
促されるまま腰を屈めると、オリヴィアさんが優しく僕の毛髪を掻き分ける。僅かに痛みを感じたものの、それ以上に奇妙な安心を感じた。
なんだか世間一般で言う、親が子供にするみたいである。こっちに来てから、僕の内なる願望は満たされてばかりだなあ。
「その、う、動かないで下さいね……?」
「え? う、うん……」
まさか、針で血でも抜くのだろうか? 何かゴソゴソとやっている気配に身構えていると、不意に頭上から何かが降ってきた。音だ。
音楽はてんでわからないのだが、その余韻の柔らかい音を聴いていると、なぜか痛みが和らいでいく。
「お、終わりました……あの、どうですか……?」
単に気持ちが落ち着くだけとは違う感覚に戸惑っていると、音色が止み、オリヴィアさんから尋ねられた。
患部に触れてみると、もうほとんど治りかけとなっている。
「……今のは?」
「よ、妖精さんたちに力を借りて、回復魔法をかけていただきました……」
「そんなこともできるんだ。妖精って?」
「わ、私たちが生まれるはるかに前から、この世界にいて、お願いして上手くいくと、その……ち、力を、貸して下さるんです……」
どうやらこの世界には、妖怪ではなく妖精が、しかも実際に存在しているらしい。まるでネズミー映画か何かのようである。
「上手くいくとってことは、貸してくれないこともあったり……?」
「は、はい。よ、良い演奏ができると、お願いを聴いていただけることが多いんですけど、私はあまり、上手くないので……」
元の世界にあった既存の原理とはかけ離れた、魔力や妖精の存在。
この世界では、それらを元に全く違う文化が築き上げられているようだ。
「そうなんだ。素人からしたら、凄く上手に聴こえたけどな」
途端オリヴィアさんは、かぶりを振りながら僕の言葉を全否定した。
「そ、そんなことないですっ。年下の子にも抜かされちゃうぐらい全然上手くならなくて、さっきの的当てのときも、練習はしていたんですけど、やっぱり、駄目で……」
そこまで血相変えなくても……なんだか、自分を否定する言葉に関しては饒舌な人だなあ。
「けど、今は上手くいったじゃない。あれ、あのまま放っておいたら、あとから絶対ジンジンするやつだったと思うし」
「ご、ごめんなさい……上手い人なら、し、神官さんと同じレベルの治療してくれるような演奏をできたんですけど……」
「いや、オリヴィアさんが心配してくれたこと自体が嬉しかったよ。ありがとう」
「お、お礼なんてそんな……私なんかには、勿体ないです……魔法を使ってくれたのも、妖精さんですし……」
「じゃあ、オリヴィアさんと妖精さんにありがとう。かな?」
「は、はい……い、いたずら好きなところもあるんですけど……で、でも、私なんかのお願いを聞いてくれる、いい人たちなので……」
そう妖精について語るオリヴィアさんの表情には、多少落ち着きが戻っていた。
「そういえば、魔力を込めて音を出すってことは、魔力消耗してるよね? これ使ってよ」
そう言って、袋の中から取り出す素振りで収納魔法に納めていた魔力回復用ポーションを手渡す。
も、やはりオリヴィアさんは遠慮してきた。
「ぽ、ポーションなんてそんな……っ、そ、そのうち回復しますのでっ」
「野営までに間に合うの? どれぐらい使ったか教えてよ」
「その、それは……」
言い澱むオリヴィアさんへ、半ば強引にポーションを手渡した。
「使わなかったら、そのとき返してくれたらいいから。はい、ありがと」
「あ……か、必ずお返しします」
「十万ギルも貸したんだから、万全の状態で野営を受けなきゃ駄目だぞ~?」
少し意地悪な追い詰め方をすると、オリヴィアさんは迷った末に、ポーションを飲みはじめる。
そしていくらかを残したあと自分の鞄へ入れ、改めて僕へ頭を下げてきた。
「んくっ、ん……ぷはっ。その、あ、ありがとうございました。な、何から何まで……」
「頭治してもらったお返しをしただけなんだけどね」
「と、とても釣り合っていないですよ……?」
「言ったでしょ? 心配してくれたこと自体が嬉しかったって。ついでに聞きたいんだけど、今お腹空いてる?」
「す、少し……ジョージさんが魔物を狩りに行って下さっている間、ぎ、ギルドで飲み物をいただいたのですが……」
その程度では、とても足りないだろう。正直、僕も今朝相撲部屋のように食わされたとは言え、狩りと試験でお腹が空いていた。
「なら、ご飯付き合ってくれないかな? 俺はこっちのことをまだ全然詳しくないから、よかったら色々教えて欲しくて」
「よ、よろしいんですか……? あまり、お役に立つ話はできないと思いますけど……」
元の世界での知識や経験は役にも立つが、それだけでは固定観念として足枷にもなりかねない。
「別に専門的なことを詳しくってわけではないんだ。こっちの常識とか決まり事みたいな、普通で当たり前のこととかを聞かせて欲しい」
元の世界でバイトに来たことがある大学院生曰く。
文化人類学という学問では、フィールドワークで海外へ行き、そこで現地の人たちに混じって生活をすることで文化や風習を学ぶのだと言う。
話を聞いた感じでは、某メイド好きな漫画家が描くイギリス人スミスさんのような印象を受けたものだ。
そういう意味で、アンナさんやエマさんに面倒を見てもらっている僕は相当恵まれているのだろう。
しかし、それでも来て三日目とあっては、あまりに情報が欠け過ぎていた。
けど、オリヴィアさんはやや気弱な感じこそあれ、落ち着いていて話しやすい人だ。
この好機を逃す手はないだろう。
「ふ、普通で当たり前のこと……」
「ああいや、そんな考え込まなくても。オリヴィアさんがしたい話とか、好きなこととか、そういう気軽なのでいいんだ。例え悪かったね。お皿貸してくれる?」
受け取ったそれに、収納魔法から宿の食堂で取っておいたミートパスタを盛りつけ返す。
手に取った湯気が立つ皿を見て、オリヴィアさんは目を丸くした。
「しゅ、収納魔法ですか……!?」
「うん。容量が大きいみたいだから。的当てで投げた石も、そこから取り出してたんだよ」
口をあんぐりと開けていたオリヴィアさんは、何か曖昧な顔で頷いたあとにフォークを取り出し、一口頬張る。
「お、美味しいですね……」
そう言うと皿へ目を落としたまま、頬を緩めてくれた。
別に僕が作ったわけではないけれど、不思議と嬉しい気持ちになる。
「他にも、サラダとかお肉炒めたやつとか、あとパンなんかもあるから遠慮なく言ってね」
「そ、そんなにいただくのは……」
「宿の女将さんが作ったやつでね、美味しいけど、凄く量が多いんだ。少しでも手伝ってくれると助かるよ」
「そういうことでしたら……お、美味しいので、たくさん食べてしまいそうです」
そう言うオリヴィアさんの顔は、一目で華やいでいるとわかるそれで、思わず目を奪われてしまう。
美人だからこれまでの暗い表情でも絵になるなあと思っていたのだけれど、こうして警戒心が薄れた無防備な笑顔というのは、やはりどこの世界でも一番の化粧らしい。




