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10.【伊佐戸冬彦の証言(音声記録書き起こし)】


(※記録番号等は全て黒塗りにされている)


はい。氏名は伊佐戸冬彦。

伊佐戸正一・華絵の長男です。

父は旧姓の「山成」を名乗っていたそうですが。


……ええ。驚きました。父とは長く没交渉でしたから。


母が死んだあと、すぐに祖父母も亡くなって……最後に会ったのは祖母の葬式の時でした。僕はその頃はもう、県外で就職してましたから。


「"跡取り息子"なんてクソくらえ、母や祖父母がどう言おうがあんな家なんか戻るもんか!」……と思って家を出たんですが、まさかその母と祖父母があんなに早く亡くなるとは思わなくて。


葬式の日、喪主を終えて一人で佇む父を見て、つい声をかけたんです。「俺、戻ってこようか?」って。父だけだったら、一緒に住むことも出来そうな気がして。でも父は断りました。


『いや』『お前は好きな場所で、好きなことをしなさい』

『父さんも、好きなようにするから』


落ち着いた、でも何か、決然とした言い方でした。

いつも祖父母の陰に隠れる"お婿さん"だった父が、そんな風に話すのはあの時初めてみたような気がします。


家を出た僕を非難するような色は無くて、ただ何というか……穏やかな声なのにちょっと怖い感じがしましたね。

僕に対して、って意味でなくて。夜逃げとか失踪とか、何か暗い覚悟を決めた人が見せる静けさのような。


――「いぬ」?


いえ、そういうことは聞いていません。

父は熊の被害に遭ったのでは?


…………。


そこまで分かってるんですね。

……僕もね、祖父母が言ってたような、家の名誉だ何だってのはくだらないと思ってたんです。

だからこの際、全部わかるならその方がいい。


父は「いぬ」を飼っていた?……そうなんですね。


それはきっと、姉の秋枝です。

行方不明ということになっている姉。


本当はどこにも行っていない。

いや、どこにも行かないまま、遠くへ行ってしまったのかな……。


姉は「いぬ」になったんですよ。中学へ上がる少し前くらいだったと思います。『口がむずむずする』と言い出して、調べたら明らかに歯が多かった。何本も……人でないものの歯が生えていた。


祖父母は泡をくって、口止めの金を握らせた医者やら拝み屋やら頼りましたけど、一度発現した者が戻らないのはよく知られた話でした。


歯が生え揃ってからは早かったですよ。僕は『近づくな』と言われてましたが、ある朝『やけに庭がやかましいな』と思ったら、鳥小屋の鶏たちが騒いでいて。

忘れもしない。鳥小屋の中で四つん這いになった姉が、捕まえた鶏をバリバリと食べていたんです。口を血まみれにして、暴れる鶏の首を引き裂いて。


ショッキングな光景でしたが、不思議と怖さより確信が先に上がってきて。

『ああ、お姉ちゃんはもう戻ってこないんだ』って。大人たちが隠そうとしてることに、子供心にうすうす気づいていたんでしょうね。


で、頭を抱える祖父母をよそに、母は何とも思ってない様子で。それで祖父が問い詰めたんですよ。母は平然と言いました。


『そうよ。秋枝はあのひとの子よ』と。


……恋多き女、ですか。ご近所さんにはそんな風に思われてたんだな。

でも、それは間違いです。母は一途な女性でしたよ。


愛した相手が人間ではなかっただけで。


母は高校を出た後、県外の大学に進学しましたが、その時に色々……あったみたいですね。僕も断片的にしか知らないのですが。


祖父は常々、後悔してました。『華絵を家から出すんじゃなかった』って。

でも、たとえ一人娘を手元に置いておいたとしても、どこかでこういう結果になったんじゃないかって気がします。


祖父が激怒し、祖母が啜り泣く間、父はただ黙っていました。元々普段から、祖父の従者のような立ち位置でしたから。

それでも今で言う「托卵」をされたわけですから、もっと怒っていい……怒るべきだったと思うんですけど、それさえなかった。


僕は父が好きだったんです。

綺麗だけど不安定な母と、高圧的な祖父、気位の高い祖母。

その中で、父だけはいつも穏やかで優しくて、どんな時も僕や姉に柔らかな眼差しを注いでくれた。


でも、その時初めて、父がひどく不気味に思えました。

怒るべき時でさえ怒らない。ただ静かに佇んで、感情をまったく露わにしない父が。何を考えているのか分からなくて。


僕は座敷の陰に隠れて四人のやり取りを見ていたんですが、途中でお手伝いさんに見つかって、部屋に連れ戻されました。

『ぼっちゃま、おとなの話し合いを覗いてはいけません』ってね。


姉が「行方不明」になったのは、それから三か月後くらいだったかな……。

その前から家の敷地内で声や姿を見聞きすることはなくなっていましたが。


伊佐戸家は一応、あの人たちの自認では"地元の名士"でしたから。

一族から「いぬ」が――「人狼」が出たというのは外聞が悪いから、姉の存在は無いことにされたんです。


……ええ。祖父は元県議会議員でしたし、高祖父は貴族院の議員でしたから。旧家であるのは間違いないです。古くからこの地に根を張った一族ですよ。


一方で父は、よそから来た人でしたね。祖父が議員時代のツテで知り合ったらしいんですが。僕も父方の親類というのは会ったことがなくて。父もあまり語ろうとしなかったし、たぶん肉親の縁が薄い身の上だったんでしょう。


祖父が一人娘の結婚にそういう……家同士の結びつきみたいな「オプション」のつかない相手を選んだのは、早くから母の「問題」を分かっていたからじゃないかと思います。今となっては。


祖父は従順でソツの無い娘婿を気に入っていました。何も知らない人が見たらそれこそ義父と婿というより、議員とその秘書だと思ったんじゃないかな。


だから母と祖父母が相次いで亡くなった後、父が姓を戻して家を離れたというのは意外でした。てっきり伊佐戸の家を守るものだと思っていたから。

最初は親戚連中から何か言われたみたいですけど、大抵のうるさ型は数年でいなくなったから、うまくかわしたみたいですね。伊佐戸家は旧家の割に親類が少ないんです。いてもあまり「長くない」。短命の血筋なんです。


それで、僕も正直、家にはあまり関わりたくなかったから、県外で暮らし続けて……。


……父と姉の仲ですか?いえ、姉がああなるまでは普通に良好だったと思いますが。


……………。何か、訊きたいことがありそうですね。


……………。

……なるほど。


あなた方が邪推するようなことはありませんよ。

父が「いぬ」となった姉を隠し、一緒に暮らしていたとして、あなた方が疑うようなおぞましいことはあり得ない。


父は、最初から知っていたような気がします。妻が人ならぬ何かの子を、自分との結婚に「托卵」していたってことを。それでもなお母のことも、姉や僕のことも愛してくれていた。


それに……姉は母によく似ていました。本当に生き写しのようによく似ていた。

だから分かるんです。彼女たちは「いぬ」を引き付ける。そして彼女たちの方も「いぬ」しか愛せない。姉に「仔いぬ」がいたなら、それは同じ「いぬ」の仔でしかありえない。


……子供の頃、両親と姉と四人で、山へピクニックに行ったことがあるんです。

その時姉がふと言ったんですよ。

『ねえ、すごく綺麗な声が聞こえる』って。

僕は何も聞こえなくて辺りを見回した。でもやはり何も聞こえない。

姉は満面の笑みで言葉を続ける。『私たちのこと呼んでるよ』『行ってあげようよ』。


母は何でもないことのように笑いました。

『そうねえ』『でも遠いし、秋枝にはまだ早いわよ』と。

化粧しなくても丹を塗ったように鮮やかな、赤い唇の端を上げて。


僕は何のことなのかさっぱりで、不思議に思うばかりだったんですが、父の顔色がさっと変わったんです。

それ以来、家族で山へ行くことはありませんでした。


今だから思うんですが、きっと伊佐戸の家には母や姉の他にもそういう人がいて……代々「いぬ」が、人狼が発現してきた血筋なんじゃないかと。


現在の適正出生維持法の――「いぬ」の処置規定の、最初の雛型ができたのは明治時代です。そしてその立案に関わったのが僕の祖父の祖父……当時貴族院の議員だった伊佐戸の高祖父です。


人狼を「いぬ」と言い換えたのはその雛形が最初だった。

そして「人狼」を社会の中で実在するものとして扱った、たぶん最初の法定文書だ。

それまでは人狼自体、社会的には「存在しない」ことになっていたんだから。


「いぬ」。

間抜けな字面でしょう?

名前はその存在を定義するんです。

言葉遊びのようでも、「言い換え」は確実にその対象を矮小化し、扱いやすくする力がある。


人狼が実在することは認める。

しかしあくまで「いぬ」だから、怖れるようなものじゃない。

そして「人」じゃなく「いぬ」だから、獣として扱ってよい。


名前を与えることで社会の中に位置づけ、その名を矮小化することで脅威を減じ、扱いを定める。


この町で人狼の発現率が高いのは風土病だ食生活だ、かつての工業汚染が悪いんだ、って意見がありますけど、僕は「呪い」だと思っています。


6月末に神社でやる「犬送り」、あるでしょう?

大祓の時期、他の地方でいう「虫送り」にあたる行事ですけど、本来は田畑の豊穣を祈る「虫送り」とは全く違う由来のものです。それが、近代に「虫送り」や大祓の行事と混交する形で今の様式になった。


「犬送り」。元々は老いたり怪我をして「用を為さなくなった」猟犬を、山中に繋いで「お返しする」行い。そしてそれらへの感謝として祀り、冥福を祈る、この地方特有の神事です。

この地方には「お犬さま」にまつわる伝承が多い。弱った翁に代わって田畑を世話した賢い犬。山へ迷い込んだ子供を助けた犬。飢饉の時代には、何匹もの犬が弱った人々に自らの血肉を捧げて飢えを救った、という伝説もあるくらいです。


でもそれは……本当に「犬」だったんでしょうか?


当時から、今の僕たちが「いぬ」と定義する存在だった、ということはありえませんか?


……いえ、やめておきましょう。

僕が勝手に思ってるだけのことですから。

伊佐戸の家の者として、調べたことから推測したに過ぎません。


家が嫌で出て行った人間なのに、「伊佐戸の家の者として」なんて、おかしいですか?


…………。


若い頃は、逃げれば逃げられるものだと思ってたんです。

でも、因果や血縁って、逃げようとして逃げ切れるものじゃない。


……僕も、娘が生まれたんです。生前の父には、見せることができなかったけれど。

最近ある程度喋れるようになってきて、可愛くてしょうがないですよ。


でも、その子がね、言ったんです。


『おこえがきこえるねえ』って。

『ワンワンさんよんでるよ』『いってあげようよ』って。


まだ小学校にも入らない、こどもの言うことです。ただの気のせいかもしれない。

乳歯も普通だし、他に気になることもない。


でも……。

…………。


みんな、自分や自分の身内が「そちら側」になるまでは、ひと事だと思ってるんです。必要で、仕方のないことだと思ってるんです。

今の僕のように、身近な人に「それ」が現れてしまうことを、本当はとてもとても恐れているのに。


……あなただって、そうじゃないですか?


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