第七節 青い点
出発の日が来た。薄曇り。旅立ちにはイマイチだが雨じゃないならいいか。
船の周りには沢山の見送りの人々。発電所の職員さんたち、満永さんを始めとしたイエネコ部隊、大陸各地から協力に来てくれた契約者たち。
源三さんも炉の技術者たちと一緒に船の近くに来ている。決戦の時でさえ炉を離れなかった人たち。
敷地の外には、敦賀や近隣の住人も、地球初の恒星間宇宙船の出発を一目見ようと押しかけていた。
「世界初」という言葉はもう使えない。世界とは他の星も含む概念になってしまったからだ。だから「地球初」。
私たちクルーが船に向かって歩いていく。ミカンを肩に抱いているが相変わらず落ち着かない。首や耳を四方に動かし、尻尾を振りまくり、今にも飛び出しそうに腕でもぞもぞ動いている。ここで脱走されたりしたら笑いものだ。おねがい、やめて。
源三さんの前まで来た。立ち止まる。
「行ってきます」
源三さんは少し微笑んだ。おお、初めて見たかもこの人の笑顔。
「行ってこい。おまえらはこの炉と同じだ。止めるなよ。止まるなよ」
抽象的だが言いたい事は良くわかる。今や私たちも船もこの人の子供みたいなもんだ。止まってやるもんか。
「うん」
私は頷いて船に乗り込んだ。
他のクルーは乗船済みだ。最後に乗り込んだ私もシートに着席する。ミカンを猫用の固定ケージに入れようとしたら逃げられた。船内を探検しないと収まらないらしい。配線に噛みつこうとしてレラさんに怒られ、計器を塞いでナディムさんに退かされ、イーシャさんの膝に乗ろうとしてシェンに猫パンチで撃退される。まったくもう。
周りもミカンはこんなやつだと十分に分かっているので、苦笑するばかりだ。ほんとうちの猫が申し訳ないです。
ようやくミカンをケージに突っ込む。秒読みが始まり船の動力系が起動シーケンスに入る。敦賀と美浜の発電所から莫大な電力が注ぎ込まれ、フォージの技術で構成された動力核に火が入る。低い振動が始まる。技術者たちとレラさんが計器を監視している。
船の外を見ると、皆手を振っていた。振り返したいところだけど船外から船内は見えないのでそこが残念。
「Liftoff」
レラさんが軽やかに宣言する。船がゆっくり上昇を始めるが、エンジンの振動以外何も感じない。でも窓の外の眺めは下に降りていった。重力制御すごい。
船は垂直には上昇しない。別にロケットを噴射する訳ではないので燃料を節約する必要も無いからだ。予報では(気象衛星なんてもう無いので原始的なものだけど)日本海側に低気圧が接近していたので、いったん日本列島を横断して太平洋側に出てから本格的に上昇する予定って聞いた。京阪神エリアへの船のデモンストレーション的な意味合いもあるらしい。まあその目で見なきゃ信じにくいよね、外宇宙に行く宇宙船なんて。
発電所建屋が見えた。あ、椅子とテーブル置きっぱなしだ。戻ったら源三さんに怒られそうだなあ。
高度1kmくらいまで上昇したら南に進んでゆく。発電所の全景が見える。若狭湾の海岸線もみえてきたが、どんどん離れて行きあっという間に琵琶湖の上に出た。そのまま南西に進む。
航路は船内中央にあるスクリーンに日本地図とともに表示されている。京都市街地を過ぎ、大阪を過ぎ神戸を過ぎ、明石上空に来た。窓の外に明石海峡が見える。船は明石城の上空まで来て停止する。
え?どういう事?
ナディムさんら全員が立ち上がる。
「地球の英雄タマに敬礼!」
それぞれが窓から海に向かってそれぞれの思う敬礼をした。バングラデシュ式、アイヌ式、ネパール式、日本式。みんなここに来る事知ってたんだ。教えてくれていてもいいのに、ちょっと意地悪だなあ。
日に照らされて明石の海が光る。あそこにタマの眠ってる庭がある。今日も盛り上がった土は日向の中に佇んでいるだろう。ケージからミカンを出して、二人で窓から明石市街を見る。
「タマ、行ってくるね」
「うにゃあっ」
突然、ミカンとの同期が始まった。一気に第3段階まで深化する。何事!?
同期が第3段階からさらに深まっていく。脳が軋む。ミカンとの一体化を超え、周りの空間ごと混じり合う。私もミカンも輪郭がなくなった。人格と猫格? の境界が空間に溶ける。
その曖昧な空間にタマが座っていた。長年見慣れた三毛猫。溶けたのに私とミカンを見ているのが分かる。
『一緒』
とタマがフォージ語で思念した。タマは私の神経系で生きてたんだ。刻印どころじゃない。なんて奴だ。
同期が解けた。タマがかき消える。私とミカンの体が戻ってきた。
クルーの皆はポカンとしている。イーシャさんが慌てて話かけてくる。
「今何が起こったの?ユキちゃんの同期に強制的に取り込まれたみたいだったけど、何もできなかったわ。もう私は契約者じゃないのに。みんなも見えた」
ナディムさんも、
「昔戦闘の時にタマの第3段階に入れられた事があったけど、それより深い同期だったよね。これって今まで予想だけされてて確認されてなかった第4段階?」
レラさんと祥子さんも呆然としている。
とんでもない置き土産、いやタマの心自体は死んでないから土産じゃないか。気づくと私は涙をぼろぼろ流していた。
「タマがいました」
皆訳わからない、って顔をしてる。私にもうまく説明はできない。
ミカンをぎゅう、っと抱きしめる。これからは一人と二匹だ。窓の外を改めて眺める。お母さん、おじいちゃん、タマ生きてたよ。絶対帰るからね。
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途中ハプニングはあったが、計画はそのまま続行となった。
明石から船は上昇を始めた。
太平洋の縁が丸くなる。海のアーチが一つにつながり、青い球体が窓いっぱいに広がった。そして少しずつ小さくなっていく。
ミカンはようやく探検に飽きたみたいで、私の膝に乗る。丸くはならない。膝の上に腹ばいに伸びて、窓の外を見ている。小さくなっていく青い点を、目を丸くして見ている。
喉が鳴り始める。速くて、荒くて、若い振動。タマの喉鳴りとは違う。でも温かいのはおんなじ。
背中に置いた手から同期の感覚が流れてくる。ミカンの知覚を通じて、宇宙の広がりが感じられる。あれは月。向こうに太陽。そして星の海。
窓の外では地球が青い点になった。その点の中に、すべてがある。タマが生きた19年。源三さんが守った30年。14人の技術者が走った最後の数秒。全てが、あの一つの点に詰まってる。
私は青い点を見つめる。ミカンの背を撫でる。喉鳴りの振動が手に伝わっている。
旅が始まる。
-完-




