序章 七時間
西暦2110年7月5日。明日、この炉は戦場になる。
---
去ること30年前の西暦2080年7月、福井県敦賀市、夏の真夜中。この地方の夏は湿度が高い。その日もいつもと変わらない蒸し暑さ。三日月はとうに沈んで夜空は暗かった。
若狭湾に突き出した小さな半島の先端に静かに佇む敦賀原子力発電所5号機実験炉。
運転に細かい制御や多数の人員を必要としないよう設計された新型の大規模研究炉だ。割と精製度の低い燃料でも稼働し、地震にも強く、再起動も容易。その上出力も十分高い、というちょっとIAEAに目を付けられている炉だ。
政府は実験炉として押し通している。実際核兵器の製造なんかには使えない/使うつもりもないのでIAEAの疑念は考えすぎではある。
繊細すぎて故障や事故ばかりだった過去の軽水炉に対してロバストネスを追求しているだけ。大きな声では言えないが、有事に強いというのが一番の理由である。
その晩は定期点検で停止中だった。炉に冷却水を循環させる音だけが通奏低音となり響いている。
バンッッ
いきなり市内全てが漆黒に包まれた。あらゆる電子機器が沈黙、電気の供給が止まる。最初はただの停電だと思って気楽に構えていた市民だが、待てど暮らせど電力は復旧しない。
何故か電池で動くラジオやワンセグTVですらノイズを発するだけで何も聞こえて来ない。携帯電話も衛星電話も電源が入らない。どうも単なる停電ではない様子だった。
市街地では自動車のコンピューターが全て死に、いたる所で制御を失った車両が事故を起こした。電車は架線からの電力を失い自動ブレーキがかかり、急減速で乗客は車内でなぎ倒される。信号も街灯も全て消え、変電所は一瞬の膨大な電流で絶縁が破れ火花が散るがすぐに沈黙した。
病院でも全ての医療機器が死んだ。幸か不幸か夜中なので市内には手術中の患者はいなかったが、非常用電源は起動しなかった。人工心肺の類は全て停止。ペースメーカーも停止。死者は次第に増えていった。
少し知識のある人は「もしやEMP攻撃?」と勘ぐるが確かめる方法はない。暗い夜にパニックが広がっていく。
---
5号機実験炉の中央制御室でも突然のブラックアウト。民生用と異なり冗長度の高い設計がなされている非常用電源は無事起動し主電源から切り替わるが全てのモニターが死んでいる。ぎりぎり一部だけ生き残った表示板のランプと非常灯の赤い光だけが、6人の当直技術者の顔を照らしている。
嵐山源三、28歳。定期点検の当直班。5分前までは退屈な夜勤だった。今、急に死の淵に立たされている事に気づく。
非常用電源が動作したにも関わらず情報機器が動かないなどという事はまずありえない。可能性としては核爆発に伴う強力な電磁パルスによる機器焼損だが、核シェルターほどではなくても制御室はそれなりにシールドされている。
コンピューターだって民生品ではなく電磁波や宇宙線への耐性は強化してあり全滅は考えにくい。そもそも高高度でも核爆発があれば気づかない訳がない。
とにかく何が起きたのかは誰にもわからない。わかっているのは、外部電源が全系統落ちたこと。非常用ディーゼル発電機が自動起動したが、制御系の電子回路の半数が焼損していること。冷却ポンプが三基のうち二基停止していること。炉心温度が上がり始めていること。
この炉が止まったら何が起きるか、この場にいる全員が知っている。定期点検で制御棒が挿入されているので核反応は止まっている。しかし燃料棒の崩壊熱は止まらない。崩壊熱を冷やすには冷却水を循環させ続ける必要があり、循環させるにはポンプを動かす電力が必要で、その電力はもう外から来ない。
ディーゼル発電機の燃料は通常なら約一週間分貯蔵している。しかしメインタンクから燃料を発電機に送るポンプが死んでいた。使えるのは補助タンクに残っているごくわずか。この燃料が尽きたら冷却が止まり、炉心が溶け始める。
つまり──炉を運転状態に持っていき、そのまま動かし続けること。炉が自分で電力を生み、その電力で自分を冷やし続ける限り、この炉は死なない。止めたら、二度と起動できない。
当直員一同が最低限の打ち合わせを行う。そして持ち場につく。
発電所構内には非常用の電源車が何台も配備されているが、祈り虚しくそれらの制御機器は全て焼き切れている事が分かった。ディーゼル発電機だけが頼りになった。
制御棒を一部だけ引き抜き最低限の出力上昇シーケンスに入る。制御盤の手動スイッチを操作する。生き残った一基のポンプで冷却水を回す。
嵐山は制御室からの反応がない冷却水ポンプの配管に走った。到着した嵐山の手が震えている。配管のバルブに付随した圧力計の針が振れるのを睨む。針が設計値を超えたらバルブを手で開ける。超えなかったら閉じる。そのどちらかを、数分おきに手で判断して、実行する。
計器が半分死んでいるから、残った計器で読める情報だけで判断する。足りない情報は配管に耳を当てて音で補う。
幸い構内の簡易有線通話装置は、ICなど使わないごく簡単な構造のためか焼損を免れていた。それを使って嵐山は制御室に残った先輩技術者の島田と連絡を取っている。
島田はディーゼル発電機の燃料残量を計算している。「あと八時間だ源三」と島田が言う。
八時間で燃料が尽きる。それまでに炉の出力を安定させ、炉自身の出力で冷却系を維持できる状態に持っていかなければならない。
外の世界で何が起きているかは、誰も知らない。外部通信は全滅している。非常用の衛星携帯も通じない。窓の外は暗い。街の明かりが一つもない。
嵐山の視界には計器盤と配管しかない。世界がどうなっていようと、やることは変わらない。冷却水を回す。温度を読む。バルブを開ける。閉じる。
七時間目。ディーゼルの燃料が残り一時間を切った頃、嵐山の操作がようやく炉を安定域に押し込む。
炉の出力で発電タービンが回り出し、その電力で冷却ポンプが作動、冷却水が炉心を冷やし出す。自己完結する循環。炉が自分自身を生かし始める。
嵐山は計器盤に額をつけて、三秒だけ目を閉じる。計器盤は冷たい。炉の振動が額に伝わってくる。生きている。この炉は生き残った。
---数日後。
通信は途絶したまま。原電の本社との連絡は未だに取れていない。
自動車はどれもエンジンがかからなかったので敦賀市との連絡は自転車を走らせて取る事はできたが、自治体は混乱の極みで全く機能していなかった。国との連絡もつかない。ラジオすら一つの局も受信できない。
このまま助けが来ない可能性を考えないといけない状況だった。最悪のケースとして電力による文明が崩壊している事もあり得る、と島田は判断していた。
通常運転中の他の発電所は電源喪失すればスクラムで停止する。
はずだ。
しかし電子機器が焼けていたら自動スクラムは動作しない。手動にしても電子回路経由なのだ。敦賀は制御系の重要なごく一部がぎりぎり生き残っていたが恐らく偶然だ。他の発電所でもそうとは限らない。恐らく大半はメルトダウンに直面するだろう。
火力発電所はそれよりは安全だが、やはり制御系を喪失していれば運転は不可能だ。外部電源がなければ再起動もできない。
敦賀では幸運にも炉は安定した。しかし彼ら技術者の考える事は今後の事だ。
燃料棒の残存量。敷地内の新燃料の備蓄。定期点検中だったおかげで、次回装荷用の新燃料は敷地内にある。しかし燃料の再供給は──不可能だ。外の世界が沈黙したままである以上、この炉に今ある燃料と、保管庫の予備がすべてと考えなければならない。
定格出力で回せば2年で燃料を使い切る。2年後にこの炉は死ぬ。
嵐山は計算結果を先輩技術者の島田に見せた。島田は長い間黙っていた。
「5パーセント」と嵐山が言った。「定格の5パーセントまで落とします。それなら──」
「40年保つ、とでも言うつもりか」
「……はい。それ以上落とすと核反応が不安定になります。5%でもかなり困難ですが維持は可能と見ます」
島田は嵐山を見た。28歳の技術者が、68歳になるまでこの炉の傍にいると言っている。
定格の5パーセントは、この実験炉では敦賀市一つ分の電力にも満たない。エアコンも新幹線も動かせない。
しかし照明は灯る。冷蔵庫は冷える。金属を溶かす炉は回せる。琵琶湖の半導体工場は動かせる。文明の全部は救えない。しかし文明の「種」は残せる。この炉の設計者は正しかった。顔も知らない誰かだが。
出力を落とすことには、もう一つの意味がある。
蒸気発生器の細管、冷却ポンプの軸受け、圧力容器そのもの──あらゆる部品が、中性子の照射と高温高圧の蒸気に晒されて、日々、少しずつ死んでいく。
部品の供給はない。今保管している予備部品が尽きれば交換もできない。高出力で運転すれば、炉体の寿命が燃料より先に尽きる。五パーセントの出力は、燃料を節約するだけでなく、炉そのものの老いを遅らせる唯一の方法だった。
島田が計算用紙の裏に何かを書いた。燃料交換の手順。重機なしで、人力で、燃料集合体を入れ替える方法の素描。「いずれ必要になる」と島田は言った。 「そのときはお前がやれ。俺はたぶん、もういない」嵐山は島田の目を見つめて頷いた。
15年後、彼の言葉は現実になる。嵐山は残った技術者たちを率いて、人力での燃料交換を遂行した。
炉に制御棒を挿入して完全停止させる。15年前の定期点検時の完全冷間と異なり、運転中の崩壊熱が残っており二次冷却系のタービン駆動補助給水ポンプが作動し炉心の冷却を行う。
数日すると崩壊熱が下がり補助給水ポンプは止まるが炉内圧力も下がり圧力容器の蓋を外せるようになる。そこに前もって電動に改造した消防用ポンプによって揚水しておいた大量の水を炉に注ぎ込み、対流だけで冷却を行う。蒸発で失われる水位を追加注水で確保しつづける。
その追加した水は放射線から人を守るシールドにもなる。
水の底に沈んだ燃料集合体を、滑車と手巻きウインチで一体ずつ吊り出し、水没させたまま隣のプールに移す。
水から出せば減衰していない生の放射線にさらされて数分で人は死ぬ。水の中に収めている限りは生きられる。その境界線の上で、3日間、1本も水面から出さずに作業を終えた。
交換後は制御棒を引き抜けば予熱と合わせて蒸気ポンプが再起動する。そこまで行けば後はメインタービンが回るのを待つだけだ。2回目は冷却含め5日で終える事ができた。嵐山はそれぞれで寿命が10年は縮んだと感じている、被曝抜きで。
---30年後、現在。
6人の当直技術者のうち、この30年間で島田を含め5人が病や事故で世を去った。あの夜を知る者は嵐山だけになった。
しかし炉は止まっていない。あの夜から一度も。
同じ計器室に、58歳の嵐山が座っている。計器盤を手の甲で叩く。
「おやすみ」の代わりに。28歳の夜から毎晩やっている癖。
そして明日、この炉は戦場になる。迎え撃つ準備はできた。来るなら来い。




