⑩好きじゃないよ
夕方の駅前広場には多くの人が集まっていた。
ガヤガヤと賑やかで、誰かを待ったり、何かを待ったり、もしくは待たなかったりしている。
僕もその中の一人。
壁に寄りかかって、人を待っていた。
『いつもの場所に集合』
とだけ書かれた、明日香からのLINE。
仕方ないので、急いで来た。
「待ち合わせ時間も書かないなんて、明日香らしいよ」
僕は笑って、ちょっと冷たくなってきた秋風を受けながら、空を見上げる。
今日は中秋の名月だから、空には満月が、これでもかと自慢げに浮かんでいる。
笑えるほどきれいなそれを、ぼぉーと眺めていたら、声をかけられて、僕は視線を落とした。
「翔太、早いね。待った?」
「いや、さっき来たとこ」
「そう、今日はありがとね」
明日香は嘘みたいに、そして、今日の満月みたいに、ニッコリと笑った。
ケラケラと楽しげな人の笑い声が聞こえるから、店への階段を降りる途中で、明日香と二人、顔を見合わせた。
階段をすべて降りて店を覗くと、カウンターの中に鈴がいる。
にこやかにお客さんに対応して、シェイカーを振っていた。
「おお、翔太と明日香、いらっしゃい」
僕たちがガラス戸を引いて開けると、鈴はすぐにこちらに気づいて声をかけてくれた。
髪をアップにして、バーテンダーみたいな服を着ているからいつもとはまるで別人だ。
「まあ、座りなよ」
僕と明日香がカウンターに並んで座ると、鈴は慣れた手付きで僕たちにおしぼりを渡した。
それから、小皿のつまみを置く。
「あれあれ、翔太ったら緊張してるの?」
「えっ?」
「もしかして惚れちゃった?」
「いや、いつもとあまりにも違うから驚いてはいる」
僕がうなずくと、鈴はニヤニヤした。
だけど、それよりも、隣で腕組みしながら震えている明日香の方が気になる。
「明日香は何で笑いこらえてるの?」
「だって、鈴ねえが、鈴ねえが」
体をくの字にしながら笑いをこらえているので、カウンター越しに鈴からジャンピングチョップが飛んだ。
「あたしは、オンとオフをうまく使い分けてるの」
「ごめん。だけどさ、スエットとサンダルのボサボサ頭で腹掻いて……」
明日香がそこまで言って固まった。
鋭い鈴の視線に負けたらしい。
あははと笑ってごまかしている。
「それで、何飲むの?」
鈴は僕たちの前に、黒地に金文字で店名が印字されたコースターを置いて、ドリンクの書かれたメニューを広げる。
「カシスオレンジ」
「じゃあ、僕はビールで」
「銘柄はなんでもいいの?」
「うん」
「かしこまりました」
僕が軽くうなずくと、鈴はうやうやしく頭を下げた。
冷蔵庫からビアグラスとビンビールを取り出す。
そして、ビンビールの栓を抜いて、カウンターに置いたビアグラスの半分ぐらいまで注ぐ。
泡が落ち着くのを待っている間に、棚からグラスを取り出す。
氷を三つ入れて、カシスリキュールを注ぐ。
オレンジジュースを半分ほど入れて、よく攪拌する。
さらに注いで、もう一度よく混ぜる。
飾り切りのオレンジを添えて、明日香の前のコースターに置く。
カウンターに置いてあったビアグラスの泡が落ち着いているので、そのビアグラスを持つと傾けながら残りを注ぎ出す。
「おまたせしました」
僕の前のコースターの上に、そのビールが注がれたグラスを置くと鈴はニヤリと笑った。
「じょうず」
明日香が言うので、僕もうなずく。
「そう? ありがとう、これぐらいはね」
鈴が笑って、僕たちはグラスを持つと「カンパイ」って軽く傾けてから頂く。
ビールをひと口飲むと、炭酸は弱めで苦味が強い。
鈴は秋に合うコクの強い銘柄を選んでくれたらしい。うまい。
「それで、今日はどうしたの?」
「なにが?」
「急に来てくれるなんて……」
鈴が目を細める。
「いや、前から鈴ねえが働いてるところを見てみたいって思ってたんだよね」
「明日香、あんた、あたしを騙せると思ってんの?」
「騙してなんてないよ」
「うちの店に来るのに、大輝抜きで、二人で来るなんておかしいじゃん、どうした?」
鈴が眉間にシワを寄せると、明日香の顔も歪む。
少しの沈黙。
鈴がふっと肩の力を抜いた。
「そっか」
小さく言う。
「鈴ねえ、なんで男って浮気するんだろうね」
明日香は、グラスをカウンターに置きながらため息を吐く。
「うーん、そうね」
言って、胸の前で小さくぽんと手を合わせる。
「とりあえず、何か食べたら?」
メニューを開いて、明日香に見せる。
「あたしはね。浮気ってないと思っているわ」
「どういうこと?」
明日香はメニューに目を向けたまま、首をかしげる。
鈴はそれを見て、ほほえんだ。
「私たちはさ、LOVEって普通に使うとき、LOVESって言わないで、LOVE って単数系で使うでしょ?」
「まあ、そうね」
「好きな物が一つってことでもあるんだろうけど、そもそも愛って片想いと片想いでいいと思うのよね」
鈴がチラッと僕を見る。
「互いが向き合っているときは成立しているけど、片方が他を見れば」
鈴は手を合わせて、それから片方を離した。
「成立しないってこと?」
「うん、あたしはそう思う」
明日香が、メニューから目を離して鈴を見る。
「あぁ、誤解しないでね」
鈴は苦笑いを浮かべた。
「反対している訳ではないわ、だけどね。例えば私が明日香を愛しているでしょ、明日香も私を愛してくれる。でも、仮に明日香が愛してくれていなくても、私が明日香を愛していることは変わらない」
鈴がそこで一拍おく。
「でもね、これが複数形だと、愛しているから愛されたい、自分が愛している分、相手からも愛されることを求めてしまうと思うの。だから愛は単数形でいい」
「何が言いたいの?」
「続けて行こうか迷っているんでしょ?」
「うん、まあ」
明日香が視線を逸らす。
「それは、明日香も愛が冷めているってことじゃない?」
「えっ?」
「諦めて次に行きなさい。愛に遊びなんてないわよ。大輝がなんと言ったかはわからないけど、少なくともその瞬間、大輝は相手の女を愛していたのよ」
「そうよね? 遊びだったって言ったけど、本当に相手に全く気持ちがないのに、そう言うことする方が怖いし、罪が深いわよね?」
明日香がカウンターに置かれたカシスオレンジに視線を移す。
鈴がはぁと息を吐いた。
「もし君を愛しているけど、魔が指したって言ったのだとしたら、またやるわよ」
明日香は答えない。しばらくして、頭をガシガシと掻いた。
「あー、わかんない。鈴ねえのおすすめをお願い」
鈴に丸投げして、メニューを放り出す。
「まっかせなさい」
鈴がカウンターの上に放り出されたメニューを取って、それから、一度キッチンの方に下がる。
その後ろ姿を見送った後で、ブワァーっと明日香がカウンターに伸びた。
そして、クルッと顔だけ僕を見る。
「翔太、今日はいきなりごめんね」
「明日香が急なのはいつものことだろ?」
首をかしげる。
「それに、この前は僕が彼女と別れた時に駆けつけてくれたからね。おあいこだよ」
「そうよね」
明日香は体を起こすと、真面目な顔で僕を見た。
「なんでみんな、翔太みたいじゃないんだろう」
「えっ?」
僕は戸惑う。
「あっ」
言いながら鈴が戻ってきた。
僕たちの前で止まった鈴は、下を向いて黙って、しばらくすると肩が震え始める。
「明日香、顔を少し前に出して」
「えっ、嫌だよ」
「いいから出して」
明日香が渋々カウンターの上に、顔を出して前のめりになると、鈴が明日香の両頬をつねる。
「翔太を困らせるんじゃないの、わかった? わかった?」
「鈴ねえ、痛い。はい、わかりました、もうしません」
手を離してもらうと明日香は「痛い」って言いながら頬をさすって、必要以上に涙目になった。
まったく、この人たちはこういうところが下手だ。
「だってさ、翔太、優しいんだもん」
「明日香、あんた、わかってないわね。この男は誰にでも優しいの、騙されちゃダメよ」
「ええっ」
鈴はニヤリと笑い、明日香はわざと驚いた顔で僕を見るので、僕はため息をついた。
「本当に誰にでも優しい奴が、あんなふられ方すると思う? 前の彼女に、愛されているのかわからないって言われたんだよ?」
僕が戯けるように首をかしげて、明日香が「そうよね」とほほえむと、鈴は「なるほど、そういうことね」と笑い出した。
僕は眉間にシワを寄せる。
「どういうこと?」
「まあ、いいじゃない」
「良くないよ」
僕が首を振ると、鈴はハァっとおでこを掻いた。
「翔太、あんた、その彼女と明日香を比べてたでしょ? こんな時、明日香ならわかってくれるとか?」
「えっ?」
「きっと明日香もそう、何かにつけて、大輝と翔太を比べていた。それがたとえ言葉に出てなくても態度に出てたのね」
鈴が真面目な顔で明日香を見た。
「浮気はどっちなのか、あんたの心に聞いた方が良いわね。たとえ行動に起こしてなくても、あんたはもう大輝を見ていなかったんじゃないの?」
僕も明日香も何も言い返せなかった。
思い当たりがあり過ぎる。
僕がゴクリと唾を飲み込むと、隣で明日香の喉もゴクリとなった。
誤魔化すように二人ともグラスを取ると酒を流し込む。
「おまたせしました」
「ナイスタイミング」
鈴にニヤニヤしながら見られたキッチンの男性は「えっ?」って入り口で戸惑った後で、カウンターに入ってきた。
慣れた感じでカウンターに、次々と料理を並べる。
バケットに刻んだトマトとバジルが乗ったにんにく香るブルスケッタ。
ミニトマトと小さいモッツァレラチーズがカクテルグラスに入ったカプレーゼ。
炙り秋鮭のカルパッチョ。
それから、ピザマルゲリータがカウンターに置かれる。
「あのさ、つまみ感が半端ないんだけど?」
「うん、今日は飲んだ方が良いと思って」
ニッコリと笑う鈴の笑顔がどこに向けられているのか、今は考えないようにしよう。
大丈夫、今日は多めに持ってきている。
明日香は苦笑いしたが、カシスオレンジを飲み干しておかわりを頼んだ。
もちろん僕も次のビールをもらう。
おかわりを注いでもらってから料理を頂く、ブルスケッタもカプレーゼもピザも美味しいが、炙り秋鮭のカルパッチョが、うまい。
口に入れた瞬間に目を見開いて鈴を見る。
「うまいでしょ? それ」
自慢げに胸を張った。
「本当においしいね」
「やっぱり秋は鮭よね? 一度海まで出て大きくなって自分の生まれた川に戻ってくるなんて、なんかロマンがあるわよね」
「そうだね」
僕がうなずくと、鈴はまた真面目な顔になった。
「だけど、人は違うわよ。あんたたちはお互いに、いつでも帰って来れる場所なんかじゃない。それは覚えておきなさい。いつまでも今のままではいられないわよ」
明日香が食べながら。
「うん、わかってる」
と言ったので、僕も「わかった」とうなずいておいた。
ひとしきり食べ終わった。
明日香が「鈴ねえ、帰るね。チェックお願い」と言う。
「はいよ」
鈴がほほえんで計算を始めた。
レジの男性に目配せすると革製のカルトンを持ってやってきた。
僕は鈴が提示した金額をその男性に払う。
「今日は僕の奢りで、前回は奢ってもらったからね」
明日香が「ありがと」とほほえんで椅子から降りたので、僕も降りる。
鈴がカウンターから出てきて、明日香を抱きしめた。
「あんたはあたしの大事な家族。この先、どんなことがあっても、それだけは絶対に変わらない。忘れないで」
「鈴ねえ、痛い」
明日香が言う。
「ああ、ごめん、ごめん」
鈴が離して笑う。
「でも、ありがとう」
明日香が恥ずかしそうにそう言うので、僕と鈴はそれを見ながらうなずく。
鈴に見送られて僕たちは店を出た。
階段を登り終えると夜もすっかり更けているのに明るい。
商店街入り口の電気が落ちたアーチ看板の上に、満月がいるからだ。
月灯りがこんなにも明るいのは、月が太陽に照らされているかららしい。
初めから明るいものなんて、ないのかもしれない。
「翔太、何してんの?」
歩き始めていた明日香が振り返って言う。
「うん、何でもない」
僕は明日香のところまで走る。
待ってこちらを見ている明日香が、体を少し前のめりにして笑っている。
「ねぇ、チューしたい」
「なっ、何言ってんの? 今日みたいじゃない日で、飲んでない時に言ってよ」
「なんで?」
僕は明後日の方を見た。
「弱みにつけ込むみたいなのは、好きじゃないよ」
とつぶやく。
「じゃあ、今度会った時に言うね」
わざわざ回り込んで僕の顔を見た明日香が笑うので、ドキリとした。
昨日の明日香と今日の明日香、そして、明日の明日香を照らすものはなんだろうか?
なんだって良いけど、できれば明日香には笑っていてほしいと思う。
満月みたいに明るく、いつまでも笑っていてほしいと思う。
「馬鹿なこと言ってないで帰ろう」
僕はニヤリと笑うと、自分の気持ちを誤魔化すみたいに、アーケードの看板まで少し走った。
「ずるい、待ってよ」
と言った明日香が腕にしがみついてきてお互いに笑う。
なんだっていい、なんてことはないな。
できれば、明日香を照らすモノが僕であったらいいなって思う。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
この短編集が、どこかで思い出してもらえるものになっていたらうれしいです。




