平穏と
「――くん……? ――くんなんだよね……?」
自分のもといた世界の町並みや通行人にも目を向けながら、息を荒らげるこんしまちゃん。
こんしまちゃんのよく知っているクラスメイトのツリ目の男の子が優しく答える。
「うん。だいじょうぶだよ、こんしまちゃん……」
「……しまった、取り乱してごめんね」
彼の胸からゆっくりと顔を離し、こんしまちゃんが深呼吸する。
歩道に伸びた影を見つめた。こんしまちゃんも男の子も制服を着ている。
「今は朝で……登校途中かな」
「ああ。高校もすぐそこ」
男の子が斜め前に見える校舎を指差す。
見覚えしかない建物だ。
背中にコブのある世界や闇のマンガ家の作り上げた世界に出てきた学校とも違う。
「もしかして歩きながら夢を見てたのか」
「……そうかも」
こんしまちゃんは、ほかの通行人の迷惑にならないよう歩きだす。
そして思い出してきた。
魔王に転生してナビゲーターと出会う前、確かに自分は登校している最中だったと。
今まで記憶が曖昧だったけど、戻ってきてからそれを明確に意識できた。
「あの……わたし、倒れたりした?」
「俺が見た限り普通に歩いてたけど」
「じゃあ半年以上行方不明とか意識不明とかになってないの……?」
「こんしまちゃんはずっと元気だよ」
男の子の証言から考えると、こんしまちゃんはもといた世界に帰ってきたのみならず、魔王に転生する直前ないしは直後の時間にも戻ってきたようだ。
(……どうして。同じ言語を使うといってもこの世界だけは特別で、各世界に同じ時間を与える境界空洞の影響下から外れてるってこと……?)
これまでにこんしまちゃんが転生をくり返してももとの世界にたどり着けなかったのは、世界同士をつなげる境界空洞とは無関係の場所にこの世界があるからだろうか。
だとすれば、かみしゃまがこんしまちゃんのもといた世界を感知できなかったのもうなずける。
異世界の数が減っても、なかなかもとの世界に転生できなかったわけだ。
そもそもナビゲーター自身も口にしていたはずだ。「こんしまちゃんがもといた世界と今までの異世界はなんの関連もありません」と。
ではなぜ今になって戻れたのか。
こんしまちゃん自身が世界消滅に巻き込まれたから――そうとしか考えられない。
(宇宙使いの魔女キランさんのご先祖さまの本には、今週のしまったポイントの使い道が書かれていた……町娘さんの姿をとったナビゲーターさんもその記述をもとにわたしにポイントの使い道を示したわけだよね)
使い道のなかには「15ポイント消費して既知の世界1つを消滅させる」というものがある。
ご先祖さまは、人間を皆殺しにしようとしていたぬいぐるみコウモリの世界を消滅させた。
しかし本を残した彼女も、コウモリたちを逆に皆殺しにしようと思ったわけじゃないだろう。
心で念じれば自動的にポイントは消費され、それに応じた願いがかなう。
(ご先祖さまがコウモリの抹殺を考えていたとすれば、例の鍾乳洞の世界に遺体は残っていたはず……でもナビゲーターさんやかみしゃまによると、コウモリたちはすべて消えていたんだっけ。もしご先祖さまがもっと単純に「残酷な手段によらず、この世界から悪意を消滅させたい」と心に念じていたとすればどうだろ……その願いは、コウモリを抹殺することじゃなくてむしろ境界空洞とも隣り合っていない別の世界に飛ばすことによってかなったんじゃ)
つまり世界消滅の正体とは、世界をまるごと消し去ることではなく、世界に存在するものをまるごと別世界に移すことだったのではないか。
そう見なさなければ、消滅に巻き込まれたこんしまちゃんがもとの世界に帰ってきたことに説明がつかない。
(闇に飲まれた教室もヘイトシグナルの手鏡もこの世界に来てるのかな……)
考えつつ、男の子と一緒に高校の教室に入る。
整然と並んだ机や、手鏡を見て髪型をチェックしているクラスメイトを眺めると、あのとき消滅した教室や手鏡が日常生活にまぎれ込んでいてもとくに違和感はないんだろうなあと思えた。
* *
授業を受ける。
ごはんを食べて、休み時間に友達と話す。
平穏な時間だ。
勇者に倒されることもタベモノを口に含んで死ぬことも面食いにおびえることも背中のコブの大きさで悩むことも名前を探す必要性もだれかとへその緒をつなぐ必要性も帽子の下に沈む危険性も不人気だからといって消される危険性も大きな動物に食べられる危険性もない。
ナビゲーターや世界合体に翻弄されることもいっさいない。
(わたしはもといた世界に戻ってこられた……それがわたしの目的だったはず。本来ならもっと喜ぶべきなのに……胸が痛い。だってあの世界はまだナビゲーターさんに消滅させられようとしてる……もしナビゲーターさんが心の底からみんなの世界の抹殺を願っていたら……ポイントを使った結果、みんなはこの世界に飛ばされず本当に消えちゃうかもしれない。こんしまポイントの裏の使い道として……そういうのが隠されている可能性はある)
これまでに会ったみんなの顔が脳裏に浮かぶ。
(勇者さんも……駅長としてわたしが出会った女の子も……狩人の親子も……キランさんとメーユくんも……レイカちゃんもペタ子ちゃんも……ミズキちゃんもかみしゃまも……臍帯者のみんなも……アルベスさまたちも……シマッタ王たちも……闇のマンガ家さんも……あぐりちゃんも……ほかのみんなも……ナビゲーターさん自身もいなくなる。マイナス方向にレベルアップした人たちは世界が消滅しても生きていられるみたいにナビゲーターさんは言ってたけど、それも本当か分かんないし……)
転生した異世界の数々が夢だったとは思えない。
もちろん今いる世界が夢だというわけでもない。
(夢みたいな世界の旅路だった……思い出してみれば、自分の知らない世界に来たのにわたしはもとの世界の家族や友達や自分の身の安全を特別に心配することもなく順応してたし……感覚の奥底まであの世界に飲まれちゃってた。今になって違和感を覚える……けれど、けっして夢そのものじゃなかった……現実だった)
なんか引っかかるので、こんしまちゃんがぽつりと言う。
「――さん、わたしは戻るべきだよね……」
「なんのことかは分かんないけど、こんしまちゃんがそうしたいなら、後悔しないようにしたほうがいいんじゃないかなっ」
「―――ちゃん、わたしだけがのんびりしてちゃダメだよね……」
「……それは、ほかのだれかじゃなくてこんしまちゃんが決めることだと思う」
「2人とも……ありがとう」
こんしまちゃんは決意を固めた。
* *
これまでの出来事をすべて夢だったと切り捨てることもできただろう。
もといた世界に帰ってくるという自分の目的を果たせたからもうあっちの世界のことは知らないよ~と非情に思うこともできたかもしれない。
けれどそんなふうに割り切ることは結局できなかった。「しまった」と言えばすべてがチャラになるという話じゃないから。
「――くん、わたし……ちょっとまた行ってくる。たぶん、すぐに戻ってくる……」
放課後の廊下で、こんしまちゃんがツリ目の男の子に決意を伝える。
「一緒には行けないけれど……待っててくれるとうれしい」
「待つよ。だから安心して」
男の子は背中を押してくれた。
「ただ、俺に協力できることはない?」
「だいじょうぶ……あ」
こんしまちゃんは決意表明をしてキリッとした表情になっていたが、その表情が震え始めた。
「しまった。どうやって戻れば……」
「……こんしまちゃん、よかったら詳しく話してくれる?」
「ありがとう、かくかーくしかじーか……」
というわけで、これまでの夢みたいな異世界連続転生をこんしまちゃんは打ち明けた。
全部聞いた男の子は大きくゆっくりうなずいた。
「ずっとがんばってきたんだな、こんしまちゃん。本当にえらい。すごいよ」
「信じてくれるの……?」
「もちろん。この世には忍者がいるくらいだから、異世界の1つや2つあってもおかしくない」
「た、確かに……?」
「それと、話のなかに出てきたコウモリだけど」
スマートフォンを取り出し、こんしまちゃんに写真を見せる。
コウモリのぬいぐるみが値札付きで棚に陳列されている写真だ。山積みの状態である。
「これ、弟がオモチャ屋に許可をもらって撮った写真。なんか忍者っぽいってことで撮りたくなったらしい」
「あ……ナビゲーターさんもこんな感じだ」
「もしかしたら消滅させられたあと、コウモリのぬいぐるみたちもこんしまちゃんと同じように俺たちの世界に飛ばされたんじゃないか」
「……かもしれない。だとしても、今はぬいぐるみとして動けないんだろうけど……」
なにか鍵になりそうだ。
ともかく、境界空洞と隣り合う異世界まで戻る方法を考えてみる。
「まず……わたしは生きたままでも転生できるよね」
「だな。事実として、こんしまちゃんは死ぬことなく向こうの世界に行ってたみたいだし。ただ、転生ってそもそもなんなんだ」
「少なくとも向こうに行くとき体がまるごと飛ぶわけじゃないから転移とは違う……『しまった』の反転としての魂が飛ぶ感じかな……でも相手の魂と混ざり合うところもあるから憑依でもないんだよね……いちいち生まれなおすわけでもないけど転生って言うのが一番しっくりくる」
「日本語と似ている言語を持つ世界同士をつなげているのが『しまった』という言葉なんだよな。そして今週のしまったポイントもかなり重要だったわけだね」
ここで男の子が小さく手をたたく。
「うっかりしてた。もしかするとこんしまちゃんは無意識のうちにこの世界でもこんしまポイントを消費したのかもしれない」
「あ……しまった、それを考えてなかった」
こんしまちゃんも自分の手をたたいた。
「わたしが向こうの世界に飛べたのは……ポイントを消費したからなんだ。でないと……そもそも転生のループにはまった理由が説明できないもんね。ご先祖さまの本に書かれていたのは、あくまでご先祖さまが試したポイントの使い道だけ……なら、生きたまま転生することだって、こんしまポイントは可能にしてくれるはず」
「俺もずっと気づかなかったけど、確かに『しまった』は『魂』という言葉の反転だな。その魂が根性を見せて逆立ちすれば、だいたいのことはできそうだね」
「うん……できる。『しまった』のストックも充分。わたしは今週のしまったちゃんだから……!」
こんしまちゃんは念じる。
もともと、魔王に転生する前に自分はなにを考えていただろうか。
たぶん深くは考えていなかった。
そういう世界をなんとなく夢見ただけだったと思う。
また、本来この世界で蓄えていたこんしまポイントはどこに行ったのだろう。
おそらく、あっちの世界を見つけるために消費されたのだ。
でも今回はそこまで払う必要はない。
すでにこんしまちゃんはその世界を知ってしまったのだから。
あとは生きたまま転生することができればいい。
物理法則が異なるためか、火の玉は出ないし体が光ることもないけれど――。
こんしまちゃんの魂がいったんひっくり返って、これからあっちのみんなのもとに戻るのだと直観した。
「――くん。相談に乗ってくれてありがとう……今度こそ行ってくるね……」
「待ってる。そしてこんしまちゃん、向こうのみんなと――」
そこで男の子の声は途切れた。
こんしまちゃんは新たにポイントを5消費する。
(絶対に戻るから……!)
* *
☆今週のしまったポイント:-2ポイント(合計15ポイント)
次回「飛べないと誰が決めた」に続く……!




