E-380 競争相手を育てる為に
「おや! レオンさんじゃないですか。どうぞ、こちらに」
工房の扉を開けると、俺に気が付いた工房長が工房の片隅にある薪ストーブの傍のベンチに案内してくれた。
冬季を作るために頑張ってくれた最初の若者の1人だけど、何時の間にかお腹が出て来たんじゃないか?
嫁さんを貰えたようだから、幸せ太りということなんだろうな。
笑みを浮かべながら、俺にお茶を出してくれた。
「何かありましたか? 今のところは順調に推移しておりますが」
「競争相手を作ってあげることにしたんだ。現状で満足しているようでも困るからね」
急に真顔になって、俺の顔をジッと見つめる。
俺の意図を探っているようにも思えるけど、それほど深い考えはないんだけどなぁ。
「エクドラルでも陶器を作らせようと?」
「どちらかと言えば、陶器モドキだな。コラム達が作っている陶器の劣化版だが、案外売れるかもしれない。先ずはマーベルでも作ってみようと思っているんだ。それが作れるようになった時に、エクドラル王国から職人を呼び寄せ作り方を教えるつもりだ」
「劣化版ですか……。具体的には?」
「焼結温度を下げた陶器だ。俺から言わせれば土器なんだが、長時間高温を作る必要が無いから薪は半分以下に出来るだろう。課題は、その温度で溶ける釉薬ということになる」
途端にコラムの目が輝きだした。
「その釉薬を見つけることが我等の仕事とも言えますね。とはいえ見つけたとしても、現状のように彩色を施すことは難しいと思えるのですが」
「彩色までは必要ないと思う。でも何色か見つけたなら簡単な絵を描けそうだね。それはコラム達に任せるよ。それで、窯の構造なんだが……」
登り窯ではなくどちらかと言えば炭焼き釜に近い構造だ。
さすがに、これでは高温を得られないから中央に石炭を燃やす火床を作り、その周囲に作った棚に素材を並べるようにする。
さらに火床の周囲からフイゴで風を送ればかなりの温度を得られるに違いない。
「まるで鍛冶屋の炉の周囲に素材を並べるようなものですね。薪は最初だけですか……、後は石炭を使うなら焼結時間は1日程度になりますね。おもしろそうですから、私達の工房で取り組んでみましょう。出来れば隣にこの炉を入れる建屋を作って頂けるとありがたいです」
「それぐらいは、やらせて貰うよ。とはいえ出来は陶器よりも良くないはずだ。だが、これなら大量に作れるだろうから町の住民にも手が出るだろうし、普段の食事の器にも出来ると思うんだ」
うんうんとコラムが頷いている。
俺達の食堂だって、いまだに木製の食器だからね。それが新たに作る陶器モドキに置き換わることを想像したんだろうな。だんだんと笑みが深くなっているようだ。
「最初の頃を思い出しますね。いろいろと試しましたから」
「今回も同じだろう。どんなものでも最初は苦労の連続だからなぁ」
「若者達に任せるのもおもしろそうです。私達の苦労を少しは理解してくれるかもしれません」
「あまり苦労をさせると、逃げ出さないか? 他の求人も多いと聞くぞ」
俺の言葉に大笑いをしている。
そこまではしないということかな? まあ、この工房の主だからなぁ。コラムに任せておけば安心できるだろう。
「よろしく頼む」とお願いしたところで、工房を後にした。
次は製本工房だ。
静かな工房だから、住宅街の中にある。
働いているのが、奥さん達ということもあるからだろう。
大通りに一旦出て、二回りほど大きくなった雑貨屋を右に曲がる。
製本工房はこじんまりとした平屋だけど、横幅はあるんだよなぁ。製本の工程に合わせていくつかのテーブルを並べてあるようだ。
その中で一番大きな装置が活版印刷の圧縮機になる。
扉を開けると、小さな事務室ある。窓の反対側に棚が置かれ、今までに作った本が並んでいた。見本ということなんだろうが、だいぶ作ったようだ。既に20冊以上あるからなぁ。
マーベルの将来を考えれば、図書館を作っても良さそうだな。
裕福な貴族なら館の中に図書室を設けているけど、あれは自分達の権威を示すための物だろう。実際に読んでいるとは思えない。
だがマーベルの図書館なら、誰もが気兼ねなく読めるとするなら識字率がさらに上がるに違いない。
学のある人物と無い人物がいたなら、学のある人物の方が仕事を得やすいだろう。
「あら? レオンさんじゃあないですか。どうぞ、お座りください。今お茶をご用意します」
誰が来たんだろうと、小さな事務室に顔を見せたのはエクドラさんと同世代のイヌ族の御婦人だった。
製本作業は細かな仕事と力仕事が混じっているからなぁ。細かな仕事はご婦人方が行っているから8割方は女性達の仕事場になっているんだよね。
「新たな商売敵を作ろうかと思いまして、商売敵に製本の仕方を教えて欲しいとお願いに来た次第です」
「あらあら、そうでしたか。お話は少し聞きましたよ。廉価版の製作が出来るようにしたいとのことでしたね……」
エクドラさんがすでに伝えたのかな?
それなら、話しやすい。
「本作りはいくらでも高価な品を作れますが、廉価版となれば少し考えねばなりません。レオンさんが始めたころの文字の種類はそれほど多くはありませんでしたが、今では20種類を超えた文字が作られているんですよ。まだまだ文字が増えるかもしれません」
装飾文字ってことかな?
中にはペンで描いたようにも見える文字まであるようだからね。
「簡易版とするなら、文字の種類を2つにするだけでも十分に思えます。それなら工房を大きくすることもないでしょうし、誤字脱字等を無くすことも容易でしょう。表紙も羊皮紙等を使わずに厚紙とすれば綴じる作業も簡単になります。背表紙は……やはり付けたほうが良いかもしれませんね」
ひょっとして、すでに試作品を作っているのかな?
気になって問い掛けると、もうすぐ出来るとのことだった。
「売値が銀貨1枚半を越えることが無いということでしたから、3つほど作ってみて材料と工数を確認しているところです。礼拝所でフレーン様が子供達に配って文字を教えている祈祷書の値段は1冊20ドラム前後です。あれは廉価版も良いところですからね。それでもエディン様はエクドラル王国の村々を巡りながら30ドラムで販売しているそうですよ」
製作時には工房の利益、そして販売する時には商人達の利益が上乗せされるということだな。
「エディン様の話では、最終的な売値の利益は1割程になるそうです。しきい値が150ドラムですから135ドラムで商人に卸すことになるでしょう。その値段に一番近い品がこれになるんです」
棚から1冊の本を取り出した。
神話をまとめた物のようだな。中は……、飾り文字が少し入っているけど、これぐらいなら俺にもすらすら読める。
表紙は神を何枚か重ねたような厚紙になっているし、背表紙も付いている。
これなら裕福な町民なら買ってくれそうだ。
「結構立派な品ですね。すでにエディンさんには引き渡しているのですか?」
「これまで4冊作りました。購買層は下級貴族と聞きましたよ」
見栄を張るには良いのかもしれないな。
多分今後も増えるだろう。小さな図書室を持つというのは、彼らの虚栄心を満足させることにもつながりそうだ。
「次の予定は?」
「そうなんです。これを基に作って欲しいと、エディン様から数冊頂いているんです。頂いた本は全て手書きでした。返却は必要ないと言われてはいるんですが……」
「食堂近くに図書館を作るのも良いかもしれないね。たぶん今後も本を持ち込んでくるに違いないから、倉庫に積んでおくよりも良さそうだ」
「そうしてくださると助かります。そうそう、持ち込まれた本の中には誤字も結構あるんです。仮刷りしたところでフレーン様やエクドラ様に見て貰っているのです。対価は必要ないといつも言われて困っているんです……」
文字を読み書きできる人は多いんだけど、たまに間違える人は何処にもいるからなぁ。この世界の文字は発音と同じだからそれほど大きな間違いはないのだろうが、本にするとなれば問題だろう。
「この本に書いてある」なんて間違いを正だと勘違いする人が出てくると厄介になる。
仮刷りした段階で、フレーンさんとエクドラさんが見てくれるなら安心できるんだけど、確かに対価を受け取らないというのも問題だろう。マーベルは労働に対する対価はきちんとさせたいからね。無償の行為と言う言葉もあるけど、それなら別の形で何かを渡すことも必要だろう。
レイニーさんに考えて貰おうかな……。案外、良い案を出してくれるかもしれない。
「エクドラル王国に製本の技術はありませんから、職人が教えを請いにやってくるはずです。一通り教えてやってくれませんか」
「それは構いませんが、製本の要は鉛で作った反転文字の印です。あれを渡すわけにはいきませんよ」
心配そうな顔を俺に向けて来たんだけど、さすがにこの印刷工房の印を渡そうなんて考えは持っていない。
木枠と基本となる印を一揃いは作ってあげたいところだけどね。
「ここで製本の行程を教えるだけで良いよ。他は俺の方で少し援助してあげるつもりだけど、あまり援助すると産業は育たないからね。
でも、製本を他の国でも行うとなれば、少し競争心が芽生えてくると思うんだけど」
「より良い本を世に出そうとするでしょうね。向こうの本を手に入れて、私達なら……と皆で話し合うことになると思いますよ」
笑みを浮かべているところを見ると、独占しようなんて気持ちは無さそうだな。
競争することで良い品が出来ることも確かなんだろう。
それはエクドラル王国とマーベル国が産業上で競合することで起こるのだが、それが自分達の利益を減らすものだと考えぬなら問題はあるまい。
さてそろそろ失礼しよう。
対応してくれたご婦人に頭を下げて製本工房を後にした。
案外、工房を作ってもそれで良いということにはならないようだ。その仕事がきちんと行われたかを判断する人が必要だということだろう。
陶器や磁器の工房も、エディンさんに渡し前に何度もヒビや欠けの無いことを確認しているに違いない。ガラハウさんのところは、ガラハウさんが最終確認をしているんだろうな。その光景が直ぐに目に浮かぶんだから、やはりガラハウさんは優秀な職人であることは間違いなさそうだ。




