E-362 謁見の間を血で汚すことなく決闘を終えた
「待て! この場で決闘を行うというのか!!」
大声を出したのはグラムさんだ。
聞きなれた声だけど、かなり戸惑っているようにも思える。
さすがに、謁見の間で決闘なんてエクドラル王国始まって以来の珍事なんだろうけどね。
「グラム殿。零れた水は元の器に戻すことは出来ません。国王陛下の安全を確保願います」
アウルス男爵と呼ばれた若い貴族をジッと見据えたまま、グラムさんに話しかける。
直ぐに後ろで数人の動く足音がしたから近衛兵が国王の前に並んだに違いない。
集まった貴族達は、何時の間にか壁際に移動している。
謁見の間の出口まで伸びる絨毯の上にいるのは、俺と苦々しい表情で俺を見据えて長剣に片手を掛けたアウルス男爵だけだ。
ナナちゃんは……、気配を探ると、どうやらティーナさんと一緒のようだ。なら安心して戦えそうだ。
「初冬の珍事としてエクドラルの歴史にも残るだろう。ワシ自らが立会人である。存分に戦うがよい」
国王も、この場を早く収めようとしているのかな?
俺にとっても都合が良い。これは合法ということになる。
「どうした? 俺の長剣の腕は2級だ。確かにオリガン家としては問題でもあるんだが……」
「オリガン家であるなら、そのような腕を持つはずがない。私が化けの皮をはがしてやろう!」
俺の言葉を聞いて、俺の噂を確信したのかな?
いきなり元気になって、俺を見る目に喜色が混じる。
アウルス男爵がゆっくりと長剣を引き抜く。
思わず溜息が零れてしまった。その位置で長剣を抜くというのはなぁ……。俺の背後にいるのはエクドラル国王だ。俺に対して長剣を抜いたんだろうが、国王に対して長剣を向けたと言われても否定できないんじゃないか。
やはり早めに終わらせるに限る。
腰のバッグの上に横向きに取り付けた短剣を右手で引き抜いた。
ゆっくりと左周りに謁見の間の中央に移動して、万が一にも国王に危害が及ばぬよう位置を変える。
「私を相手に短剣出挑むのか! 笑止千万、我が長剣の錆びにしてくれる!!」
あざ笑うような口調で大声を上げている。
すでに決闘は始まっているのだ。決闘は口で行うものではないんだけどなぁ……。
謁見の間は静寂そのものだ。
ご婦人方が手にしている扇子を落としただけでもその物音がはっきりと聞こえるに違いない。
だが、誰も落とす者はいないようだ。しっかりと握りしめて大きく目を見開いて状況を見守っているに違いない。
短剣を掴んだ右手を前にして、左手を斜め横に下げる。
相手の一撃を短剣で受け流し長剣で斬りつけると俺の姿を予想しているんだろうな。だけどそれなら長剣を抜いていないといけない。それに長剣を抜いているなら、長剣で受け流して短剣を使うのが一般的であり利に適っているだろう。
俺の姿に一番戸惑っているのは部門貴族達のようだ。
後でグラムさんから一言ありそうな気がするなぁ……。
ジッと男爵の姿を見ているだけで、攻撃に移らない俺に対してとうとう耐え切れなくなったようだ。
いきなり「キョアァァ!」と大きな奇声を上げて俺に長剣を振りかざして襲ってきた。
それにしても大振りも良いところだ。ちゃんと長剣の訓練を受けているんだろうか?
簡単に避けられたから、男爵の振り下ろした長剣が床に当たって「カツン!」と乾いた音を立てる。
俺を睨みながら長剣を構え直しているんだが、今なら土下座して許しを請えば俺も折れてやるんだけどなぁ。
今の一撃を避けられたのが悔しいのか、怒張して顔が赤を通り越している。息遣いも荒いから、かなり興奮しているに違いない。
次で終わりにするか……。
「ヤアァァ!!」
裂帛の気合を込めた一撃が俺に迫る。
何故最初にこの突きが出せなかったかと首を傾げたくなるほどの腕だ。
長剣2級だけなら、十分に通用したに違いないが……。
迫って来た長剣を右腕で跳ね上げる。
ガツーンと少し伸びた音がしたけど、ガラハウさんが鍛えてくれた釘だからなぁ。上手く長剣を受け止めて滑らせてくれた。
驚愕した顔が俺に迫ってくる。左横に体を回転させて素早く元の位置に戻りながら左拳を男爵の右わき腹に打ち込んだ。
大きく目を見開いた男爵がその場に崩れ落ちる。
短剣を素早腰のケースに戻し、国王に体を向ける。
数人の近衛兵が長剣の柄に手を添えたまま国王の手前に位置していた。
近づいたら斬りかかってきたに違いない。やはり中央に移動して正解だったようだ。
「このような場を荒らしてしまったことをお詫びいたします。辺境の出であるということで格段のご配慮を賜りますようお願いいたします」
「よい、よい。珍事であることは確かだが、オリガンの腕を見せて貰ったことはワシから感謝したいところだ。それに、レオニード殿に非は無かったと思うが?」
「どちらかと言えば、我が王国の貴族の失態ということになるでしょうな。決闘を申し込まれて、それを受けなければマーベル国としても問題を残すことになりかねません。血を流さずに結果を残してくれましたから、私も感謝したいと思っております」
エイドマンさんの言葉に、うんうんと国王が頷いている。よほど信頼されているんだろうな。
「後々問題になっても困りますからこの場で伝えておきます。先ほどは決闘ということで対処いたしました。途中で命乞いを下なら、それで終わりに出来ました。しかしそのようなことがありませんでしたので、男爵を殺めております。ご列席の御婦人の前に死体をさらすことは出来ませんでしたが、男爵の内臓は破壊しております。明日の日の出を見ることは出来ないでしょう」
途端に謁見の間が騒がしくなってきた。
皆の目には、俺が男爵とぶつかったぐらいにしか見えなかったのだろう。
ティーナさんやグラムさんまで、驚いた表情を見せているんだよなぁ。
「私には、男爵とぶつかっただけのように見えたのだが?」
「しっかりと左手で腹を打ち付けました。長剣で無くとも命を狩る手段はいくらでもあります。それでは、今後ともマーベル共和国との友好を長く続けることが出来るよう改めてお願いすることで、私の退席の挨拶といたします」
国王に体を向けて騎士の礼を取ると、国王の前にいる近衛兵達が一斉に答礼をしてくれた。その後ろで国王が笑みを浮かべて頷いている
どうやらこの騒動は終わりになったようだ。
踵を返して扉に歩いていくと、ナナちゃんが小走りにやって来て俺の後方に付いて歩き出したのが分かる。
謁見の間を出ると、近衛兵が俺達を案内してくれた。
先ほどの控室かと思っていたんだが、どうやら違う場所らしい。
回廊途中にある装飾を施した扉が開かれると、その先にも回廊が続いていた。新たな回廊を歩いて3つ目の部屋の扉の前で近衛兵の足が止まる。
「ここでお待ち願えませんか。国王陛下が直にお話を聞きたいとのことでした」
「ありがとう。先程の事かな? あれは仕方のないことだと思っているんだけど」
「たぶん別のことでしょう。私が案内を承ったのは今朝方ですから」
本来の案件と言うことになるのだろう。先程の決闘についてはすでに終わったことになっているに違いない。
部屋に足を踏み入れると、低い丸テーブルの周りに2人掛けのソファーが6つある。さらに一際豪華なソファーが1つ。
国王と密談する部屋と言う感じもするな。
さてどこに座ろうかと考えていると、グラムさん達が部屋に入ってきた。
「先ほどは驚いたぞ。とはいえ、貴族達も少しは身を引き締めるに違いない。レオン殿の席は、陛下の真ん前だ。ナナちゃんと一緒に座っていれば良い」
となると、ここかな?
俺が座ると、隣にナナちゃんが腰を下ろした。
そんな俺達を見て笑みを浮かべているデオーラさんとグラムさんは俺の左手に、ティーナさんは右手に腰を下ろす。
残ったソファーは2つになるんだが、誰が腰を下ろすのだろう。
トントンと扉が叩かれ、部屋の扉が開く音が聞こえた。
グラムさん達が席を立ったということは、国王が来たということになるんだろう。席を立つとナナちゃんも俺に合わせて席を立つ。うしろに体を向けるとグラムさんに倣って騎士の礼を取る。ナナちゃんも、ちゃんと頭を下げているようだ。
部屋の奥に進み豪華なソファーに向かったが、まさか王妃それに第1王子夫妻と第2王子夫妻までが一緒だとは思わなかった。
国王夫妻が席に着き、両王子夫妻がソファーに座ると、俺達もソファーに腰を下ろす。扉が開かれたままなのが気になったのだが、少し遅れてワインズさんとエイドマンさんが入ってきた。2人の後から2人の近衛兵が入って来て、扉を閉めるとその脇に立つ。
「ティーナ、お二方が座れん。レオン殿の隣を貸して貰うが良い」
グラムさんの言葉に小さく頷くと、席を立って2人にソファーを譲る。
俺の隣に来るのかな? と思っていたら、ナナちゃんの隣だった。少しナナちゃんが俺の方に腰を動かしてきたから窮屈にならないようにソファーの左手に腰を押し付けるようにして2人の席を作ってあげた。
これで全員が揃ったのかな?
国王に顔を向けると、穏やかな顔なんだが鋭い眼光で俺を見ているんだよなぁ。
やはり先程の決闘騒ぎはやり過ぎたということになるんだろうか。
「陛下、余興としては近頃無かったほどの見世物でしたな。アウルス殿はいまだに呻くだけで話も出来ぬ状態だと宮廷医師が教えてくれました」
「確かに謁見の間での決闘は前代未聞だ。だが,大広間では何度か会ったと聞くぞ?」
「先々代の御代に2度あったと記録されております。その内の1回は国王陛下の臨席時でした。その時の決闘の勝利者は陛下が死を賜れたとも記録されておりましたぞ。その理由を陛下はお知りでしょうか?」
「父王陛下が教えてくれた。仮にも国王に長剣を向けることは許されないとな。レオン殿は知っておいでだったのか?」
デオーラさんまで興味深々な目を俺に向けて来るんだよなぁ。
ここは正直に話しておこうか。
「オリガン家の図書室にはそれほど多くの蔵書はありませんが、『長剣を抜くのは簡単だが納めるのは難しい。容易く長剣を抜くべからず……』との一文があったのを覚えております。もっとも俺の場合は長剣を抜いても抜かなくてもあまり変わりはありませんから、最初から拳で決着をつけるつもりでした」
「その割には短剣を抜いていたが?」
「抜かねば、相手は切り込んで来ないでしょう。あのような席での決闘等、早めに終わらせるに限ります。とはいえ、しっかりと決闘は行いましたよ。あの男爵が明日を迎えることは無いはずです」
「ただその場で気を失わせるだけでは無かったのか?」
ティーナさんの問い掛けに、デオーラさんが小さく咳ばらいをしている。
そんな親子の姿が面白いのか、国王は笑みを浮かべながら頷いている。
「俺に飛び込んできましたからね。一歩足を進めることで、俺も全体重を相手の方向に移動しているんです。その時に握った拳を鋭く突き出しました。拳の破壊力は俺が繰り出した拳に、俺の移動した力と相手の飛び込んできた力が重なっています。肋骨の下をあえて狙いました。その位置ならロックを破壊して肺を傷付けませんから絨毯を地で汚すことにはなりません。ですが狙った位置の奥には肝臓があります。肝臓は完全に破壊されているでしょう」
俺の言葉に、グラムさん達武人が目を丸くして絶句している。
国王夫妻や王子夫妻達には良く分からないようだな。首を傾げていた。
「長剣を使わずとも、相手を殺いることができるという事か……。なるほど、呻くだけだろうな。息をするだけでも痛みが増すだけだ」
「血で謁見の間を汚すことが無いようにとの配慮には恐れ入りました。ところで、短剣を使わずに腕で長剣を受けたのは何故でしょう? たとえ鈍らな長剣であろうとも、あれだけ力任せに振り下ろしたなら、腕が折れると思うのですが?」
「それは、これのおかげですね……」
士官服の腕を捲って、右腕に着けた防具を見せた。防具から愚樋釘を1本取り出してテーブルに乗せる。
少しへこんだ箇所があるのは長剣を受けたせいだろう。だけど曲がってはいないから問題なくこのまま使えそうだ。
「レオン殿は暗器も使いこなせる。体に装着した暗器を使えば、この部屋にいる全員を瞬殺することも可能だろう。長剣の腕が無くともな。だが決して長剣が劣っているわけでは無いようだ。レオン殿が指示した相手がレオン殿の兄上、しかも長剣S級なのだからなぁ。兄上から見ればどうしてもレオン殿の長剣の腕は格下になるのだろうが、暗器を使っての兄上との試合では互角に渡り合っていた。オリガン家の血はしっかりとレオン殿にも流れてている事をこの目で確かめさせてもらったよ」
「グラムがレオン殿との会談に護衛はいらぬと言っていたのはそういう事か……。やはりオリガンと言う名は噂だけでは分からぬものよ。武門貴族として是非ともエクドラルに帰属して欲しいところだが、マーベル国建国の勇者であるとも聞こえてきておる。そのような勇者を民から取り上げるのは国王としての矜持にも関わるおもいがする。ここはエクドラル王国の男爵名を与えることができただけでも十分と言えるだろうな」
残念そうな表情を俺に向けた国王が呟いた。諦めてくれたのかな?
どうやら決闘騒ぎは不問にして貰えそうだ。
それにしても国王の前で決闘した2人は勝者までも死んだのか……。やはり長剣を抜かないで良かったということになるんだろうな。
扉を叩く音が後ろから聞こえてきた。
「失礼します!」と女性の声が小さく聞こえてきたから、飲み物を運んで来たのかな?
ちょっと、喉が渇いていたことも確かだ。
テーブルに乗せられたワインのグラスを、国王の「互位の友好が続くことを願って……」との言葉で、一口ワインを飲む。
軽い口当たりの甘口だな。これなら何倍でも飲めそうにも思えるけど、これからいよいよ魔族との戦の話をしないといけない。
酔った勢いで変な事を話さないようにしないと……。




