E-321 需要と供給の均衡
「まさか、デオーラ様がマーベル国にいらっしゃるとは思いませんでした。私共が責任をもって政庁市までお送りいたします」
「申し訳ありません。ちょっと冬の間にレオン殿と調整したいことがありましたので」
指揮所にやって来たエディンさん達に、デオーラさんをオルバス館までの護衛を頼んだら、心良く引き受けてくれた。エディンさんなりの思惑もあるのだろうが、俺達にあまり関わらなければ問題は無いだろう。
「既に王宮の改修は始まっていると聞きましたから、5枚のステンドグラスは工事責任者も喜んでくれるでしょう。今年中に5枚、来年の春分に残り2枚という話を聞かせて頂きました」
「他のステンドグラスの依頼も多いようです。エディンさんの事だから、更に注文を受けて来たんじゃないですか?」
「申し訳ありません。2件の依頼を受けました。貴族としての地位が高いですから、引き受けることになってしまいましたが、納期は2年先ということは納得して貰っています」
「やはり工房をもう1つ作るしかないかな……。ステンドグラスの大きさを2つに分ければ生産性は上がるんですが、品質が低下すると思って躊躇していたんです」
俺の話を聞いて、エディンさんに笑みが浮かぶ。
商人だからねぇ……。依頼を断るのは中々難しいのだろう。
「エクドラル王国のガラス工房の幾つかが、ステンドグラスを模擬しているのです。とはいえ、出来栄えを見るとどうしても見劣りしてしまいます。それでも王国のいわゆる中流と呼ばれる人達の人気を得ているようですよ。さすがに貴族や上流の人達には世間体もあるのでしょう。そんな品を求めることはないんです」
まだまだ需要があるということか。やはりもう1つ工房を作るべきだな。
「そうそう、工房ギルドと商会ギルドとの調整で、ステンドグラスや色付きグラス等のマーベル国で作られた品を模擬した品については、その利益の一部をマーベル国に還元するということになりました。今年より対応することになりましたので、商会ギルドよりこれを預かってまいりました」
エディンさんがバッグから取り出した袋には、銀貨がたっぷり詰まっていた。
こんなに貰って良いんだろうか? まだ3か月分にも満たないんだから1年ではこの袋が4つになる。
「今回はありがたく頂きますが、次回については王女様に渡して頂けませんか? 聞くところでは王女様は旧サドリナス領の貧民対策に苦慮しているとのこと。その資金にして頂ければ、エクドラル王国とマーベル共和国の友情が深まるでしょう」
俺の言葉にレイニーさんとデオーラさんが頷いている。
事前に了承を貰っているから、これで貧民対策の軍資金が増えるに違いない。
「了解いたしました。商会ギルドにそのように伝えます。それでは失礼いたします」
エディンさんが席を立つと、俺達に丁寧に頭を下げて指揮所を出て行った。
次はエクドラさん達と細かな商談を行うのだろう。
一緒にやって来た行商人達の様子も見ることになるだろうから、エディンさんも忙しいな。
「ありがとうございます。これで十分な軍資金を得ることができます。それで養魚場の件は、戻り次第動こうと思っていますが、ご指導についてはよろしくお願いいたします」
「役割分担がありますから、大人を何人か付けていきます。魚を捉えて卵を受精させるまでは、大人の仕事にしているんです」
「エクドラル王国で行う際には、さすがに全てを子供任せということは考えておりません。開拓農家の副業になれば十分です」
そういうことか。それなら最初から大規模な養魚場にはならないはずだ。先ずは自分達でやってみて、その結果で判断するということかな?
「それでは、失礼します。ティーナをよろしくお願いします」
「雪解け後に帰るよう伝えますが、デオーラさんも上手く動いてください」
互いに笑みを浮かべて頷いたのを見て、レイニーさんが首を傾げている。
指揮所から出ていくデオーラさんを見送ると、直ぐにレイニーさんから質問が飛んできた。
「最後の言葉ですか? 例の婚約に向けての布石ですよ。あまり露骨に動くとティーナさんが再び逃げ出しそうですからね」
「今度は何とかなる……。ということですか? ティーナさんがそれを望んでいて、かつ幸せになれるなら良いのですが」
その辺りはデオーラさんの手腕に任せるしかないだろうな。本人の意思に任せていたなら間違いなく適齢期を逃してしまいかねない。
グラムさん夫妻も仲の良い夫婦だから、きっと良い相手を見付けてくれるだろう。
とはいえ、いきなり引き合わせたなら再び逃げ出しそうだ。
今度はどんな方法を考えるのだろう?
「今回やって来た行商人は8家族ですね。中には一家で2台も荷馬車を引いてきたみたいですよ。中央広場は賑わっているでしょうね」
「レオンは買い物に出掛けないんですか?」
「ナナちゃんに頼みました。パイプ用のタバコですから、荷物になることはないでしょう」
ナナちゃんは毛糸玉を買い込むらしい。写生用の絵の具はエディンさんが直接運んで来てくれた。結構高そうな品だったのだが、支払いを受け取ってくれなかった。ナナちゃんの描く絵がステンドグラスになることを知っているからだろうな。
「レイニーさんは出掛けないんですか?」
「ヴァイスに頼みました。ナナちゃんと同じく毛糸玉です。マーベルでも毛糸を紡いではいますが、まだまだ足りないようですね。それに染色を行うお店がありませんから」
染色ねぇ……。需要が高いなら、やろうとする者も出てくるだろう。だけどマーベル共和国で育てている羊は50頭に届かない。
開拓農家は多いんだが、畜産は今のところ農家の副業でしかない。
「国が小さいと、色々と不便がありますね。でも、エクドラル王国が関税を掛けませんから、今のところ暮らしに困るようなことは起こっていないと思います」
「これからどんどん増えそうですよ。さすがに新たな難民がやってくることはありませんが、子供達がたくさん生まれています」
レイニーさんに笑みを浮かべて頷いた。
毎年20組を超える婚姻があり、子供達もどんどん生まれてくる。ビーデル団の秘密基地は大きく作るとエルドさんが言っていたのは、子供達が増えていることを知っているのだろう。
その反面、亡くなる人はあまりいないようだ。
神様に見放されているんじゃないかと冗談を言っていたマクランさんは、70歳に届きそうだからなぁ。獣人族の平均寿命が50歳程度だと聞いてるから、本当にそうなのかと思ってしまう。
「マーベル共和国ではお年寄りが元気ですからね。昨年亡くなった人は10人程度だと聞きましたよ」
「本来なら開拓農家は過酷な生活を送っているはずです。食料だって乏しいでしょうし、家も粗末なものです。冬は藁に潜って寝ることだってあるそうですよ。でも、マーベル国ではそのようなことはありません。それが寿命を延ばしているのではないでしょうか」
よく働いて美味しい食事を1日3度食べ、夜は温か寝床で眠ることができる。
決して贅沢な食事ではないけど、エクドラさん達が美味しく作ってくれるからね。
ここでの生活が夢のようだと、災厄から逃れてきた人が言っていたのを聞いたことがある。
国造りはまだまだ途上だけど、皆が笑みを浮かべて生活できる国を作らねばなるまい。
その為には……、雪解け前に仕事の段取りを考えないといけないな。
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中央広場で3日間行商人が店を開くと、4日目の朝早くにエディンさん達と一緒にマーベル共和国を去って行った。
デオーラさんはエディンさんの馬車に載せて貰ったらしい。
「粗末な馬車で申し訳ありません」としきりに頭を下げていたけど、デオーラさんは笑みを浮かべて馬車に乗り込んで行った。
幌馬車だけど、御者台のエディンさんの隣に座ったようだ。楼門の上から見送る俺達にいつまでも手を振っている。
ナナちゃんがミクルちゃんと一緒に、同じように手を振っているからかな?
森の中に馬車が消えたところで、ほっとした表情でティーナさんが溜息を吐く。
昨夜はだいぶお説教をされたに違いない。
我が子だけに、デオーラさんは何時までもティーナさんが心配なんだろう。
「さて、戻りましょう。いつまでもここに居ると風邪をひきそうです」
「雪解けまでの自由の身……。それを考えると憂鬱になりそうだ」
やはり色々と言われたみたいだな。隣のユリアンさんが慰めている。
「昨年は東に魔族が現れた。今年はここに現れると思うのだが?」
「その時には、俺達で何とかします。ティーナさんが館に戻ると大幅な戦力不足になりそうですが、マーベルは俺達の国ですからね」
「やはりそうなるか……。となると、兄上に魔族の侵攻方向を上手く変えるように伝えておいた方が良さそうだな」
思わず、ユリアンさんと目を合わせて首を横に振る。
魔族の侵攻で、自由を伸ばそうと考えているのが丸分かりだ。
こんな状態で館に戻ったら、どんな行動に出るか分からないからなぁ。雪解けまでに少し考え方を変えなければなるまい。
だけどティーナさんは実直で現実主義のトラ族だからなぁ。
ここはよくよく考えて行動しないと、俺達の思惑とはまったく逆になりかねない。
さて、どうしたものか……。
「それだと、かなりの犠牲者が出かねませんよ。魔族の騎士はイノシシに乗りますからね。誘導は可能だと思いますが、彼らよりも足が速ければ飲み込まれてしまいます」
エクドラル王国とマーベル共和国の同盟軍が今年も活躍してくれるだろうが、それほど長距離を誘導するわけではない。魔族の騎兵は確認されていないようだ。
同じ歩兵であるなら、爆弾を落とすことで魔族の足を遅くすることもできる。
とはいえ、誘導可能な距離は10ミラルを越えることはないようだ。
かなり危ない作戦ではあるが、迎撃の用意がきちんと整っているなら追手を殲滅することは造作もない。
だが砦への誘導となれば話は別だ。
それこそ1日以上誘導しなければならないだろうし、疲れて立ち止まろうものならたちまち魔族の大軍に飲み込まれてしまうだろう。
そうは思っても、ティーナさんの考えも悪くはない。これを机上演習で試すというのもおもしろそうだ。
試行錯誤の作戦を考える中で、あっと驚くような妙案が浮かぶ可能性だってあるんじゃないかな。




