E-319 レビル団長の講演
後10日もすれば春分となるが、マーベル共和国に春が訪れるのはまだ先の話だ。
それでも、少しずつ雪が融けているのが分かる。それだけ寒さが和らいできたのだろう。どんよりした雪雲の空と青空の比率がだいぶ変化しているようだ。
「今夜は国会を使った集まりになってしまいましたね」
「それだけ聴講したいという人達が増えてしまいました。ちょっとビレルが心配ですから、後ろに付いて手助けしますよ」
国会と言っても、住民代表が集まって困り事の相談をする場なんだよなぁ。将来はマーベル共和国の法整備をして欲しいところなんだが、今のところは旧ブリガンディ王国の法律を俺達に合うように変更した物を基本としているようだ。
少しずつ変えて行けば、その内に他の王国に誇れる法体系が作れるだろう。最初から完璧な物なんて無いからね。その辺りは妥協しても問題はないようだ。
指揮所を出てレイニーさんと国会へ続く道を歩く。
途中に何本かランタンが下がっているのは、集まる連中の足元を照らすために違いない。雪道だから、転んだりしたら大変だ。
「ナナちゃん達は早くに出掛けたみたいですね」
「会場の暖炉に火を入れると言ってましたよ。100人程度入れる大きな部屋ですから、早めに火を入れとかないと温まらないでしょう」
5つの秘密組織の幹部達、それを支援する人物と軍の関係者……。100人を越えなければ良いんだけどなぁ。
あまり多いと、ビレルが気後れしてしまいそうだ。
国会の建屋は大きなログハウスだ。これも石造りにしたいところだけど、作るのはまだまだ先になりそうだな。
議場にレイニーさんが入っていく。俺は控室になっている小会議室に向かうと、扉を叩いて中に入った。
青ざめた顔をしているのは、ビレルだな。その隣に先代団長のエクレと永代副団長となったナナちゃんがいた。
「だいぶ集まってしまったが、大丈夫か?」
ぶつぶつと小さな声でメモを読んでいたビレルに声を掛ける。
「……あっ! レオンさんですか。とんでも無いことになってしまいました」
藁にもすがるような顔を俺に向けたんだけど、まだ顔が青ざめてるんだよなぁ。このまま壇上に歩いて行ったら、途中で倒れてしまいそうだ。
「案外心配性なんだなぁ。それなら良い士官になれそうだ。秘密基地で最初にやった事を話してくれれば良いだけだからね。皆がそれを知りたいだけだ。それが大事だと皆が思っているから来てくれたと思えば良い。ビーデル団の働きを貶すような連中は来ていないよ」
「それはエクレさんやナナさんにも言われたんですけど、本当にそれで良いんでしょうか? なぜそうしたんだと聞かれても困ってしまいます」
そういうことか……。たぶんその場の思い付きで色々とやってみたんだろう。試行錯誤の結果が今になるわけだな。
それならそういう話をすれば良い。他の秘密組織も同じことを行なえば良いんだからね。
「そうだ! ひょっとしたら、ビーデル団に長期の仕事を頼むことになるかもしれない。仕事場はマーベル共和国ではなくエクドラル王国になるんだが、養魚場を新たに作ることになる。養魚場はあの通り池を作ってきれいな冷たい水を流せば良いんだが、卵から稚魚、稚魚から幼魚、そして成魚まで育てるための仕事を他の作業員に教えるのが仕事だ」
「かなり遠くなんですか?」
「馬車で10日は掛かるんじゃないかな。その仕事を教える間の住居と食事は向こう持ちだし、場合によってはその土地で暮らすという選択も出来るだろう。エクドラル王国は獣人族差別はないからね。報酬の分配はビーデル団で考えることになるが、かなりの報酬になるはずだ」
「今は養魚場の仕事をしていませんが、かつては俺達も行っていました。俺達が名乗りを上げる事も出来るんですか?」
エクレが驚いたような口調で問いかけてきた。
小さく頷くと、笑みを浮かべてくれたけど、基本はビーデル団になるだろう。人数比で調整できるんじゃないかな。
「今後は似たような依頼が来るかもしれない。依頼の案件については俺達で調整したいが、実際に出掛けるのは君達だからね。やっている仕事を年下に伝えるだけでなく、紙に書きとめる事も必要じゃないかな。それを基に教えるなら、案外早く覚えることもできると思うよ」
「そうですね。書記もいるんだし、皆が文字を読み書き出来るんですから」
少し先の話をしたことで、だいぶ顔色が良くなってきたな。
これなら、皆の前に出しても大丈夫だろう。
「さて、そろそろ話して貰おうかな。後ろに俺達がいるし、困ったなら俺に顔を向けてくれれば良いよ。では、会場に行くぞ!」
俺の話に大きくビレルが頷いてくれた。
覚悟完了ってことかな? 開き直るぐらいが丁度良い。
会場の扉を開けると、中央の通路を正面に向かって歩く。
会場全体が騒がしい声で満ちている。だいぶ集まっているなぁ。立ち見までいるとは思っていなかった。
案外暇なのかな? 多分この後で秘密組織同士が集まって飲み会でも始めるのだろう。それも良い。自分達が組織を作って直ぐに考えねばならない案件を教えて貰えるんだからね。
ワインを飲みながら役割分担もできるだろう。
演台は半ユーデほどの高さがある。その後ろも低めの壇がある。ビレル達は一旦後ろの壇に用意された椅子に座り、俺が演台に立った。
先ほどの騒ぎが嘘のようだ。水を打ったような静けさの中、皆の視線が俺に集まって来る。
「まさかこれほど集まって貰えるとは思わなかった。ビーデル団の活躍を知って、俺達もそれぞれに秘密組織を立ち上げることになった。雪解けを待って秘密組織の活動を始めようとそれぞれ思っていることだろう。
新しく何かを始めるのは心躍ることでもあるのだが、直ぐにいろいろな課題にぶつかると思っている。そこで、俺達の大先輩でもあるビーデル団の団長に、ビーデル団の活動当初の苦労話を聞かせて貰うことにした。
よくよく聞いて欲しい。その中にはなぜにそうしたんだ? という疑問もあるはずだ。だが、必ずしもそこに理由があるとは限らない。試行錯誤を繰り返した結果に違いない。そんな時には俺達なら……と考えることが大事に思える」
皆静かに聞いてくれている。半数以上の人達が俺の話を聞きながら頷いてくれるのはありがたいことだ。
これならビレルも安心して話をしてくれるに違いない。
ゆっくりと壇を下りて、ビレルの前に立つと小さく頷く。
俺をジッと見て頷き返してくれたから、どうやら問題なさそうだな。
ビレルがゆっくりと椅子から立ち上がり、俺に頭を下げて演台に向かって歩いていく。足と手が同じ動きをしているんだけど、まぁ、あれぐらいなら大丈夫そうだな。
ビレルが座っていた椅子に腰を下ろして、ビレルの後ろ姿を見守る。
会場に向かって頭を深く下げたビレルに、集まった連中から拍手が起こる。
うなじまで赤くしているけど、ひっくり返らなければ問題ない。
「ビーデル団団長のビレルです。レオンさんから依頼を受けてこの場にいます。その依頼というのは……」
最初は声が小さかったけど、メモを見ながら話を始めるとだんだんと声が大きくなってきた。
これなら大丈夫だな。会場の連中も真剣なまなざしでビレルを見ているようだ。
「……ということで仕事のリストが出来たんですが、誰がそれを行っているかを確認し始めたら、かなりの人間がその仕事をしていることが分かりました。他の仕事にしても同じでした。つまり1人がたくさんの仕事を行っていたんです。そうなると……」
役割分担の明確化によって責任も生まれる。
先ずはそこからと言うことになるってことかな?
「現在でも、まだまだ課題はあるんです。きっといつまで経っても無くならないんじゃないかと思っているぐらいです。レオンさんに話したら、あまり深刻になることはないと言われました。出てきた課題は直にやる必要があるものと無いものに分けて、直ぐにやらねばならないものを考えれば良いと言われました。とはいえ、まだ待てる課題は大事だからきちんと紙に書いて残してあります。だいぶ溜まりましたけどレオンさんが言うには、それがビーデル団の財産になるとの事でした。今でも季節毎に皆でその課題を考えています。……以上が、俺達ビーデル団発足当時の苦労話になります」
ビレルが頭を下げると、会場が割れんばかりの拍手が起こった。
やはり聞いて納得できることがたくさんあったに違いない。俺のところに戻ってきたビレルの顔が晴れやかだ。やり通したという充実感で満ちているんだろうな。
ビレルに席を譲って、再び演台に立つ。
拍手の後はざわついていた会場が、再び静かになった。
「さて、皆も理解してくれたかな? 少年達もかなり頑張ったことが分かったはずだ。同じような課題を持つだろう俺達が、きちんと対処できないようでは大人としてどうかと思う。俺もカルシア団の中で、先程のビーデル団の苦労を先ずはしてみようと思っている。その結果が果たしてビーデル団と同じになるとは限らないだろう。それでは皆の頑張りを期待しているぞ。以上だ!」
演台を下がり、ビーデル団を引き連れて会場を後にしたんだが、出口の扉まで俺達を拍手で送りだしてくれた。
会場を出た途端、ビレルがバタリと倒れてしまった。エクレが担いで自宅まで連れて行くと言っていたけど、やはり少し刺激があり過ぎたかなぁ?
「だいじょうぶかな?」
「無理してたにゃ。でも、ちゃんとやり遂げたにゃ!」
ナナちゃんが笑みを浮かべて、2人が雪道を歩いていくのを見ている。
さて、俺達も指揮所に急ごう。
暖炉の火が消えていなければ良いんだけどなぁ。
指揮所に入ると、直ぐに暖炉の火を掻き寄せて薪をくべる。
ナナちゃんがポットを乗せてくれたけど、お茶が飲めるのは少し先になりそうだな。
俺はパイプを楽しみ、ナナちゃんは編み物を始めた。
お茶を頂いたら、今夜は早めに寝ようかな? 明日は早々にカルシア団から呼び出しを受けそうな気がしてきた。
お湯が沸くと、ナナちゃんがお茶を淹れ始めた。かつては苦いお茶を淹れてくれたことがあるけど、この頃はすっかり美味しいお茶を淹れられるようになった感じだ。
笑みを浮かべて、ナナちゃんの様子を見ている時だった。
指揮所の入り口の扉を叩く音がした。
伝令の少年達が指揮所前の小屋にいるから、不審人物ではないだろう……。
扉が開き、入ってきたのはデオーラさんとティーナさん、それにユリアンさんの3人だ。
慌てて暖炉前のベンチを立つと、椅子を1つ用意する。
ナナちゃんは、棚から新たなカップを用意しているようだ。




