E-318 指揮所まで寒くなる2人の視線
指揮所の中が一段と冷え切った感じがする。
先程暖炉にレイニーさんが薪を追加したんだけど、それだけでは足りないのかな?
とりあえず、もう2、3本追加しておこう。
暖炉に焚き木を追加したところで、ついでにパイプに火を点ける。後ろを振り返ると、厳しい表情の2人がジッと互いを見ているんだよなぁ。
寒気がするのはティーナさんとデオーラさんが、冷ややかな眼差しでお互いを見ているからだ。
冷たい視線という言葉は知っていたが、それは感じるものであって周囲にまで影響を与えることはないと思っていたんだけどなぁ。
ユリアンさんが温かなお茶を淹れてくれたから、体の中から少しは温めることができるだろう。
「あのう……」
いたたまれなくなった俺が小さく声を上げると、2人が途端に俺に視線を向けるから体がゾクゾクと震えてしまった。
兄上が長剣を俺に向ける時よりも危険を感じる。隣に座っているレイニーさんまでカップを持つ手が震えているのが分かるほどだ。
とはいえ、この状態を何とかしないといけない。
「突然館を飛び出したティーナさんの心情も理解できますし、娘さんを心配して良かれと思って話を進めたデオーラさんの親心も分かるつもりです」
この状態で片方だけを弁護しようものなら、俺の命が危ない。
先ずは両者の行動を理解していると思わせないといけない。
「ティーナさんにはマーベルでだいぶ助けられましたし、雪解けが始まれば再び魔族の脅威が訪れます。ティーナさんがおられればこそ、何とかできると思っていることも確かです……」
俺の言葉に、ティーナさんが顔を明るくして、俺に向かって何度も頷いている。
相変わらずデオーラさんの表情は冷たいままだけど、部屋の冷気が少し減った感じがするな。
「そしてデオーラさんの娘さんに対する思いは、ティーナさんの性格を考えれば当然にも思えます。まだまだその気は無いと思い込んで、いつの間にか婚期を逃すことがあってはなりませんからね。オルバス家でいつまでもティーナさんが未婚でいるようであれば、貴族内で良くない噂にもなりかねませんし、グラム殿の立場にも影響が出る可能性があります。そしてケイロン殿の立場も微妙になるかもしれません」
「私の婚姻が父上やケイロンにまで影響が出ると?」
「そうです。軍人に女性が多いのはどの王国も変わりがありません。マーベルに至っては女性の方が多いですからね。そして、その多くが婚期を逃すと聞いています。未婚の姉がいる弟に婚姻を勧める貴族はいるでしょうか?」
「相手は自分で探すものだろう? 兄上はそうしたはずだ」
「その方向に動いてくれた貴族があるのよ。それも1つでは無いわ」
貴族同士のつながりが、そんな行動でも深まるということになるのだろう。
結婚は互いの意思ということもあるのだろうが、そうなるように周囲が動いているということなんだろうな。
「私は、それだけでは無理だと?」
「無理、無理……。そんな気配りに気が付くようなら私も苦労はしないわ。だから……」
戦略的には賛成できるな。たぶんグラムさんも相談して協力を仰いだはずだ。でも娘さんの行動力を甘く見ていたってことかな。
「俺もデオーラさんの思いは理解できますよ。かといって、ティーナさんに事前に少しは話をすべきだったと思っています。ここで一番の解決策は、ティーナさんが誰かと婚約すれば良いように思えるんですが? ティーナさんも婚約ならしばしの自由が得られるでしょうし、場合によってはその自由を永続できるよう努力できるように思えるのですが?」
俺の提案に、デオーラさんがティーナさんに顔を向ける。
まだまだ厳しい目をしているけど、冷たい視線がかなり和らいだ感じだ。
母親の視線を避けるように、俺に顔を向けたのはティーナさんなりに少し諦めが着いたのかな?
「さすがにマーベル国を巻き込んで親子争いはしたくない。だが、レオン殿の言うような相手がいるのだろうか?」
「ティーナは、レオン殿の調停には従えるのですね? それなら、その方向でグラム殿と相談ができます。レオン殿、感謝します」
丁寧に頭を下げられたけど、苦笑いで頷くしかないんだよね。
でも、これって調停になるのかな?
親子喧嘩の仲裁だと思っているんだけど……。
改めてワインを用意して、とりあえずカップを合わせる。
先ほどの寒気が嘘のようだ。指揮所がこれほど暖かくなっていたとはなぁ。
「何としても、ティーナを連れ帰ろうと思っていましたが……。しばらく預かって頂けませんか?」
「ティーナさんはエクドラル王国からマーベル共和国に派遣された大使ですから、断る必要はありませんよ。それより厳冬期ですからデオーラさんもここでしばらく暮らしてください。春分には交易商人達が訪れます。商人達と一緒に帰れば安全です」
「ありがとうございます。そうですね……、ティーナ達の宿舎に御厄介になることでよろしいでしょうか」
キツイ目で母親を見ているけど、それぐらいは我慢すべきだろうな。
デオーラさんに笑みを浮かべて頷いた。
「光通信機ならグラム殿と連絡が取れます。たぶん心配しているはずでしょうから、簡単な電文をユリアンさんに託してください。ユリアンさん、通信内容の秘密は通信兵なら必ず守ります。よろしくお願いします」
先ほどまで魔族の大軍を前にしたような表情をしていたユリアンさんだけど、今では普段の表情に戻っている。
小さく頷いてくれたから、グラムさんからの返信も期待できそうだな。
ワインを飲み終えたところで、デオーラさん達は帰って行ったけど、今度はティーナさん達が暮らしている長屋の中で親子喧嘩が始まっても困るんだよなぁ。
とりあえずティーナさんとデオーラさん共に納得してくれたようだけど、最大の課題は、婚約相手をいかに見付ける事なんだけどね。
「あれで良かったんですか?」
「貴族同士の結婚ということで納得してください。本人の意思は尊重されますが、それ以上に家と家の関係も重視されるんです。オルバス家がエクドラル王国の重鎮であればなおさらです。俺の兄上の結婚もそれなりの貴族が御膳立てしたと母上が教えてくれました」
「気になったことは女性兵士の婚期の遅れですね。私は既に婚期を逃してしまいましたが義娘がいますから……。例の秘密組織についてはレオンも思うところがあるということですね?」
「出会いに場を提供すれば、兵士であっても結ばれるはずです。カルシア団は既婚組と未婚組に分けて更に男女別に区分けしているのはそれが狙いなんです」
「開拓の手伝いも一緒に行えば良いということですね。現在は農繁期に兵士を派遣していますが、今後は秘密組織が派遣を行うということになるんでしょう。防衛に支障が起きないように調整する必要も出てきますね」
各秘密組織の団長と、夕食後に集める連中を定期的に集めれば良さそうだ。それほど案件がなければ10日に1度でも良いだろうが、初期は5日の感覚で開催すべきだろう。
各組織の動きも分かるだろうし、自分達の所属する組織活動の活性化にも繋がるはずだ。
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最初は敵同士のような感じで接していたデオーラさんとティーナさんも、少しずつかつての親子の関係に戻っていくようだ。
ある意味ティーナさんの我儘にも思えるところだけど、それは本人達の問題であって俺が関与すべき話ではない。
とりあえずの調整案についてはグラムさんが動き出したようだ。
先ずはグラムさんの眼に適う人物でなければならないということなんだろう。それを厳選するのがデオーラさんで、最終判断がティーナさんになるなら、オルバス家に波風が立つことはない筈だ。
「お仕事の邪魔をして、申し訳ありませんね。それにしてもエクドラル王国の宮殿に飾るステンドグラスを最初に見せて貰えるとは思いませんでしたわ。既に4枚が完成していました。更に10枚ということですから、さぞかし宮殿の広間が華やぐことでしょう」
「さすがに王宮ともなれば、生半可な品を作るわけには行きませんし、それなりの報酬も戴いているようです」
大口受注だからなぁ。工房の連中が張り切っているようだ。
図案はナナちゃんが描いた神話が題材らしい。14枚のステンドグラスで物語の発端から決着までを描いたと教えてくれたけど、その原画だけでも価値がありそうに思える。
少し簡略化した絵を版画にして絵本を作る計画だけど、活版印刷の新たな分野が見えてきた感じだな。
子供用の絵本だが、案外需要があるかもしれない。上手く行けばエディンさん達が来る春分に何冊か持たせることもできそうだ。
「政庁の工房が類似品を作り始めたようですが、何度やっても緻密な仕上げが出来ないとサロンで聞きました。それでも注文が殺到しているようですので、ギルドが協議を始めるようですよ」
「更に工房を増やすと?」
「そうではありません。マーベルに支払う対価についてです。始めたのはマーベル、その技術を盗むようでは問題でしょう?」
デオーラさんが、何のことかと首を傾げていた俺に笑みを浮かべて教えてくれた。
特許料ということなんだろうか? あまり要求しても問題だろうし、その支払いを根拠に技術の公開を要求されそうだな。
「さすがに類似品について、そこまでされると困ってしまいます。とはいえ、ギルドの収益に繋がるのであるならそれはギルドで責任を持つべきでしょう。マーベルへの支払いは無用に願います。どうしてもと言う時には、デオーラさんにお任せします。王女様が貧民対策に動いている話を聞きましたからその資金になれば十分です」
「ありがたく頂きますわ。さすがにクリスタルガラスとガラス彫刻は試行錯誤を繰り返しているようですよ。『なぜこれができるのだ!』とガラス職人達が嘆いていると聞きました」
「俺達も苦労しましたからね。そう簡単には出来ないと思います。その試行錯誤の結果、ガラス工芸の種類が増えたはずですから、現状はそれで満足すべきでしょう」
ガラス製のカップの値段も下がったらしい。10年前の三分の一ほどに値が下がった結果、売れ行きが良くなりかえって収益が増えたとエディンさんも言っていたぐらいだからなぁ。
「そういえば、養魚技術を公開するお考えを持っているとか。それは本当でしょうか?」
ティーナさんから聞いたのかな?
思わず笑みが浮かんでしまった。どうやら2人の仲直りが出来たらしい。
「本当です。マーベルでは御存じの通り、子供達の仕事になっているぐらいですから、それほど難しいものではありません。苦労したのは育つ過程で与える餌でした。何とか途中で死んでしまう魚の数を減らすことができましたから、収益を得る事もできるだろうと考えています。とはいえ、成魚を商人達が買い込んでくれなければ産業にはなりません。流通手段も考えないといけないんです」
「マーベルは消費地の中で養魚を行っているということですね。さすがに良い水脈が潤沢に使える場所というのは町近くには無いでしょうし、上流部に行くとなれば魔族の危険が伴います。ですが、無いわけではありません」
デオーラさんの話では、エクドラル本国領の一角にかなり大きな泉があるらしい。
それこそ小さな川を作るほどの水量が噴き出るということだが、現在は周辺に広がる農地の灌漑用に使われているだけらしい。
川下に村がいくつかあるらしいが、川から直接飲料水を取ることはないということだから養魚場を上流に作っても問題は無いだろう。
多大な利益を上げることは難しいかもしれないが、新たな産業が出来ればそれに関わる住民の暮らしを上げる事もできるだろう。
デオーラさんと養魚場作りの準備についてしばらく話し合うことにした。




