最終話
「ごめんなさい、ずっと好きな人がいるんです」
人生で何度目かの告白をされ、同じ数だけお断りの言葉を返す。
せっかく告白してくれたのに、申し訳ないとは思っている。友達は「試しに付き合ってみればいいのに」「好きな人って誰?」と聞いてくる。
でも、誰にも話すつもりはない。
「そっか……時間とらせてごめん」
「いえ。私の事、好きだって思ってくれて、ありがとうございます」
同じサークルの彼は、良い人だった。いや、今も良い人だけれど。
私は異世界への旅を終えて、普通の生活に戻り、大学へ進学した。
何も知らない子供だって言われたのが悔しくて、勉強して、アルバイトもして、たくさん本を読んで、いろんなところに行った。でも、恋愛はできていない。
私はあの頃より、大人になった。でも、変わらないものもある。私はまだ、師匠の事が好きなのだ。
駅前の大型モニターには、謎の歌姫『ナディア』が映っている。経歴不明の、歌って踊れる美女シンガー。彼女を見るたび、あれが死の狭間で見た夢ではないのだと実感する。
スマホを確認すると、『彼女』から連絡が来ていた。
『魔力を感知したわ。今晩よ』
一瞬、息が止まりそうになる。画面を消し、胸にスマホを押し付けて、目を閉じて深呼吸をする。『彼女』は嘘をつかないし、有限実行だ。今晩と言われたら、今晩なのだ。
『準備しておく』
私はまっすぐ家に戻り、荷造りを始めた。本に食べ物、通信機器。そのほか、こっちにあって向こうになかったものをリストアップして、ことある事に中身を入れ替え、精査してきたものだ。
一週間用の大きなスーツケースが二つに、ボストンバッグをくくりつけて、リュックと、ショルダーバッグ。重量制限はないので、持ち運べる限界まで荷造りをする。
まだ、叔母一家は誰も帰って来ていない。あとは『あの子』がうまく誤魔化してくれるだろう。
24時。池袋駅のホーム。
『確認だけど、ほんとに行くつもりなの』
カレリアが、心配そうに声をかけてくる。
「もちろん。そのために準備してきたんだから」
「協力したのはわたくしですけれど……」
ナディアがかけていたサングラスを外した。彼女は有名人になったけれど、認識阻害の魔法のおかげで、誰にも気づかれないのだそうだ。
「あなたがそこまでなりふり構わないとは思いませんでしたわ」
「私、やっぱり馬鹿かな?」
「まあ、わたくしも人の事は言えませんから……」
思えば、師匠とは1ヶ月しか一緒にいなかったのに、ナディアとは5年以上も一緒にいた訳で、もう二度と会う事はないのだと思うと、不思議な気持ちになる。
今日、ここから、異世界行きの列車が出る。
5年前、私はどうしても諦められなくて、ナディアに『異世界へ戻る方法を一緒に探してくれ』と頼み込んだのだ。
彼女も最初は、話を聞いて慰めてくれるだけのつもりだったらしいが、次第に根負けして積極的に調べ物をしてくれる様になった。私の持ちかけた『交換条件』が最後の決め手だった。
そして今夜、不定期に出る『列車』の魔力を感知したのだ。私はそれに乗り込んで、もう一度向こうの世界へ行くつもりだ。成功するかはわからない。でも、辞める気はない。
『あたしは嬉しいけど……リコは、本当にいいの?』
私の体は、この後はカレリアが使う事になっている。名目上は、大学を卒業した私は、芸能プロダクションに入ってナディアのマネージャーになる。私の記憶と、カレリアの精神が融合し、新しい人間になるのだ。
「言い方悪いけど、カレリアがいてくれるからあんまり後の事を気にしないで済むの」
莉子は死なない。ただ、ちょっと中身が変わるだけだ。
「そっか。うん。大事にするね。100歳まで長生きしてみせる」
「よろしくね」
ホームに人はまばらだ。線路の向こうから、異世界行きの最終列車がやってきた。都会にはそぐわない、一両編成の、オレンジ色の車両。乗務員室の窓から、見知らぬ猫が顔を出している。
「ありがとう、リコ」
「カレリア、あとはよろしくね。向こうで、ナディアの歌を宣伝しておくよ」
「さようなら、ナディア」
「さようなら。くれぐれも、『悪いお友達』とは関わらないようにね」
ドアが閉まる直前、ナディアが小さな声でそう言った。肩に乗ったぬいぐるみの瞳が、光を反射して潤んで見えた。
別れの瞬間なのに、なぜか少し笑ってしまった。きっと、二人はこれからもうまくやるだろう。心配しなくてはいけないのは、私の方だ。
私は馬鹿だ。叶うかわからない恋のために、親切を無碍にして、何もかもを投げ捨てて、ただ一つの幻想のために、命を捨ててしまうのだ。
『賢者』が私のしでかした事を知ったら、きっと失望するだろう。
でも、言いたいのだ。若さゆえの過ちのために、自分の存在をかけてもいいほどの、恋をしたのです、と。そう言って、あの人が困るところを見たいのだ……。
長い長いトンネルを進むうち、意識が遠くなってくる。私は抗わずに瞼を閉じた。
「おかえりなさい」
駅長ことグラムウェルさんは、全く変わっていなかった。
「ただいま……なのかな?」
スーツケースを押しながら、ホームに降り立つ。いかんせん、重い。非常に重い。季節は夏だろうか。汗ばんだ額に、風が気持ちいい。
「お土産はありますか?」
「グラムウェルさん、ちょっと太ったんじゃないの?」
そう言いながらも、私はキャラメルとチョコの高カロリーなお菓子を食べさせてあげた。グラムウェルさんは口がねばねばになって何も言えなくなった様で、ずっと口をモゴモゴさせていた。
「さて、中に入れてもらえるかなー……」
「馬鹿は治らなかったのか?」
師匠が、腕を組み、むっつりした顔でこちらを睨んでいる。森の中を走ってきたのだろうか、息が上がっている。何も変わっていなかった。いや、ちょっと大きくなったかもしれない。
「治らなかったみたいです」
「ここまで馬鹿だと思ってはいなかった」
師匠はこめかみを押しながら、深い、深いため息をついた。私の愚行に、心底呆れているようだった。
「だって……後悔しない生き方を、したいんです」
馬鹿かもしれないけど。これが私の、「やりたい事」なのだ。生きていれば、何にだって挑戦できる。上手く行くかはわからないけれど。そう教えてくれたのは、師匠なのだから。
スーツケースを引きずり、改札を出る。
「お前は愚かだ。とびっきりの、死んでも治らない、とんでもない馬鹿だ。おまけに自分勝手だ。俺がどんな気持ちでいたかなんて、かけらも考えちゃいない」
「常識的かつお行儀の良い師匠を出し抜くためには、時空を超えるレベルの馬鹿になる必要があったんです」
「馬鹿だ。お前は狂っている。恩知らずの、自己中心的な、めちゃくちゃな奴だ。信じられない。あのボケナス娘の差し金か? 俺はこういう奴に振り回されるのが嫌で、この森に引っこんでいるんだ。お前、それを忘れたのか?」
「覚えてますよ、もちろん」
師匠は意外と、罵倒のバリエーションが少ないみたいだ。これは思わぬ収穫だった。
「あー……クソッ、なんだお前……」
師匠は髪の毛を掻き毟った。……勝った。とうとう、この人を慌てさせる事に成功した。
森の入り口で、ヨーゼフがちょこん、とお座りして満面の笑みを浮かべている。
『悪は栄える!』とでも言いたげだ。あるいは、私から貰えるおやつに思いを馳せているだけなのか。
「……帰れ」
「帰れませーん。身元不明、一文無し、仕事も住居もなしの22歳です!」
「はーっ……」
師匠のため息はもう、深呼吸みたいになっている。
「……向こうで、少しは勉強したんだろうな?」
「そりゃ、しましたよ。大学だって出たんですから。成績優秀で表彰されました」
本当はまだ卒業していないけれど、単位は全部取ったし、卒論も出したし、まあ大丈夫だろう。
師匠は一つ、荷物を引きうけてくれた。スーツケースの構造に興味があるんだろう。
「ほう。そりゃいい話だ。勉強ばかりしていて、さぞかしモテなかったんだろうな」
「ふっふっふ。私を昔のままだと思ってナメていると、痛い目にあいますよ」
「どうだか」
「ところで師匠。オスカーって呼んでもいいですか?」
「ふ・ざ・け・る・な。お前はいつからそんなに偉くなったんだ? イチから修行しなおせ」
師匠はカンカンである。でも、私はこの人がとびきり優しくて、面倒見が良いのを知っている。
「どうせ、時間はたっぷりあるんだからな。俺がお前のその人生舐め腐った根性を叩き直してやる」
「はい。よろしくお願いします」
なんとか書き終わりました。久しぶりの中編だったので執筆コストが高くて苦戦し、当初の予定より若干短くして終わりました。もっと書くべきか迷ったのですが、中編としてキリの良さそうな所で良いかなと。感想や誤字報告、評価やブクマを下さった皆様、ありがとうございました。これからも色々な話を書いていこうと思っていますので、どこかで見かけましたらよろしくお願いします。