17
「家出して、列車が発車するまで隠れてやり過ごしたら、この家に置いてもらえると思う?」
「思うけど、対策されてるから無理だと思う」
今日は元の世界へ戻る列車が出る日だ。私は現実へ戻らなければいけない。
「やっぱり、帰りたくありません。ここに置いてください」
私は非常にみっともない女なので、ここ数日はずっと帰りたくないとごねたり、逆にめそめそしたり、投げやりになってみたり、とにかく情緒不安定で矛盾を極めている。
「ダメだ」
何度目かの残留チャレンジは最終日も失敗した。師匠はこうと決めたらテコでも動かないのだ。
「お願いします、お願いします、働きますから。村まで出稼ぎに行きますし、毎日卵も取りに行きますから」
「いらん」
師匠はもうだいぶうんざりした顔をしている。今の私は元気モードで、言うだけならタダなので、力の限りゴネるつもりだ。
「お前がこのままここにいたら、家族はどうなる?家に帰って頭を冷やせ」
「家族なんて、いません。私、孤児なんです。叔母一家に引き取られた、厄介ものなんです。別に私がいなくたって、誰も困らない……」
とうとう、最後の最後にいらない事まで言ってしまった。でも、どうせ本当の事だ。
少し、息を飲む音が聞こえた。
「……それでも、」
「人間はひとりでは生きていけないんだ。お前にも、良くしてくれた教師や、友人がいるだろう。親戚は、本当にお前に冷たかったのか? どう見たってピンピンしていた様にしか見えなかったが」
「……それは」
反論できない私に、師匠はさらに続ける。
「俺はお前が居なくても、何も困らない。今までも、これからも……ずっとそうだ」
「お前もだ。俺がいなくたって、どうにでもなる」
「過去になるんだ」
「忘れて欲しいとは言わないし、なにより俺はお前の事を忘れない」
でも、これまでだ。お前が感じているのは、一時の気の迷いだ。今は悲しくても、後でこれで良かったと思う日が来る。……師匠の言う事は、きっと間違いなく正しい。でも、理解しても、納得はできない。
「なんでそうやって、いっつも、私の感情が、偽物だって決めつけるんですか。勘違いか、本物かなんて、私が決める事じゃないんですか。師匠は自己中です。頑固で、カッコばかりつけて、上から目線で言いたい事だけ言って、逃げ、逃げ、逃げてばっかで……」
「言いたい事はそれだけか?」
「……」
こんな事を言いたい訳じゃない。どうして私はこんなに馬鹿なんだろう。
「私は、師匠の事が……」
「何もわかっていないガキの世迷言なんて、間に受けていられるか! とっとと駅に行け!」
「嫌ですーー!」
私は巨大化したヨーゼフに咥えられて、森を引き摺られ、無理やり列車に押し込まれた。
こんな別れ方をしたかった訳じゃないのに。本当に、本当にもう、これでおしまいなの?
「……うえっ、えっ」
「……リコ」
ヨーゼフが何か言おうとしている。頭をこっちに突っ込んでいるので、列車が出ないのだ。
「リコ、聞いて。こんな時に言うのも何だけど……」
「勝利は、諦めない者の所にしかやってこない」
クソムカつく勇者の言葉。そう言って、ヨーゼフはぺろりと頬を舐め、私から離れていった。それと同時に、ドアが閉まって列車がゆっくり動き出す。とても、ありがとう、さようなら、なんて綺麗な言葉を口にする事はできなかった。
「チケットを一枚無駄にするつもりなのかと思いましたわ」
座席には、ナディアが喪服の様な黒いドレスとベールを身に纏って座っていた。他にも何人かの人が乗っているが、見知った顔は無い。
私の顔があまりにもひどいのだろう。ナディアがハンカチを貸してくれた。
「捨てられた……」
「保護した子を、元の所に戻しただけでしょう。孤児でも虐待児でもないのなら、当然だと思いますわ」
「うっ、う、うううう」
「さ、最後の言葉がガキとか、とっとと帰れ、とか、そんなのひどくない?」
「わたくし、家族を見ていて思うんですけれど。男性って、見た目ほど大人じゃない方、結構居ますわよ」
私は、電車の中でずっと泣いた。ナディアがずっと、背中を撫でてくれていたけれど、その好意に気がつかないフリをした。
「うえ、うええええええええ」
俺はお前がいなくても生きていける。お前もそうだ。
師匠の言うことはいつも正しい。つまらないほど正しい。私は子供で、愚かで、並びたてるほどのものなんて、何もなくて。ただの迷子の子供Aなのだ。
意識がだんだん遠のく。手放したくなんてないのに、真っ暗な闇は私を元の世界へ引きずりこんだ。
「……ここは?」
ベッドサイドにいた、看護師さんと目が合う。驚いている様だ。
「莉子ちゃん! 意識が戻ったのね。ちょうど叔母さんが来ているからね、待っててね」
わたしは交差点で、トラック事故に巻き込まれたのだそうだ。幸いにも外傷はほとんどなく、何故か「目覚めない」状態だったらしい。
叔母さんが汗だくで走ってきた。病院に併設されたレストランで食事をしていたらしい。
「お手数をおかけしました。あのままポックリしてればよかったんですけど」
「バカな事言わないで。母娘揃って交通事故死なんて、冗談じゃないわ。私の身にもなってよ」
叔母さん、つまり母の姉の言葉は本心だと、すっと受け取る事ができた。今までもこれからも心の距離はあると思うが、死ぬぐらいなら家で居候されている方がずっといい。そのぐらいの価値は認められている訳だ。
従姉妹のお姉さんも、心配してちょいちょい様子を見に来てくれていたらしい。
ベッドのふちには、千羽鶴や手紙とか、お花が飾ってあったし、入院着じゃない可愛いパジャマを着ている。
その日の夜には、面会時間ギリギリに、叔父さんがデパートで私の好きなアイスを持ってお見舞いに来てくれた。
私を轢いた人は、仕事の疲れが溜まっていたらしい。面会の時、泣いて土下座され、この人が助かっただけでも、自分が帰ってきた意味があったのだと思った。
私は新しいスマホを買ってもらい、地獄のリハビリに取り組んだ。夏休みはずっとそんな状態で、お見舞いに来てくれた友達と会話して、新学期にはなんとかよろよろしながらも登校することができた。
自分は1人ぼっちだと思い込んで生きていたが、現実には全くそんなこともなく、多勢の人に支えられて生きていたのだ。
向こうの世界から帰って来て、それをやっと理解した。
ある日、学校用の鞄の内ポケットの中に、非現実的な大きさのダイヤモンドの指輪が入っているのを見つけた。やっぱりその指輪はきらきらしすぎていて、今の私には違和感がありすぎるのだった。
世界を救う様な事にはならないと思うが、ちょっとでもこの指輪にふさわしい生き方をしなくてはならない。
「莉子、雰囲気変わったよねー」
「そりゃ死にかけたらそうなるって」
「宿題やった?」
「やったやった」
「やだ、真面目ー」
「生きてて平和で勉強できるってすんばらしーよー」
死にかけると人生観が変わる。あの人は確かにそう言っていたっけ。
平和は、健康は、素晴らしい。きっと私は思い出を胸に、少し大人になって、幸せになる事ができるだろう。でも、どうしても、まだ心の中で燻っていて、足りないものがある。
友達と別れ、夜の街をふらふらする。何か悪事を働いたりする訳ではない。補導されないギリギリの時間。いつか、またふらっと『あちらの世界』に辿りつけるのではないか。
そんな事を考えながら、あてもなく歩いているのだ。
そろそろ帰ろうかと戻った駅前で、一人の歌っている金髪の女性が目に入る。吸い寄せられるように、近づく。この声は……。
「……ナディア?」
「あら、御機嫌よう」
アコースティックギターを手に、サングラスをかけ、強めのカールの金髪をなびかせているのは、間違いなくナディア・ローレンスだった。
「トンネルを抜けた後、居なくなってしまったからもう会えないのかと思いましたけど、こんな近くにいるなんて驚きですわ」
彼女は手持ちの財宝を換金したり、こちらの魔術師と組んで仕事を受けたり、要領良くやっている様だ。
「最近は『メイド喫茶』のお手伝いをしているの。なかなか人気なのよ、わたくし」
『『ふるふる』しよー。そんでもって『すかいつりー』を見にいこ』
カレリアも元気そうであった。二人はこの短期間で、完全にこちらの世界に適応した様だ。
「元気で、良かったよ……」
嘘ではない。本当に、良かったと思う。しかし、全てが丸く収まったはずなのに鬱々としている自分はなんなのだろう、と思う。
「なんか、その……こっちでも、魔法使えるんだね」
「もちろん。言わなかったかしら。わたくし、天才なの。降霊術、転移、魔力感知、空間干渉……お父様の目がなければ、なんでもありよ?」
『よっ、悪の天才令嬢、略して悪役令嬢ナディア!』
「カレリア、わたくしは『悪役』ではないわ。『アウトロー令嬢』よ」
なんでもあり。その言葉を聞いて、ヨーゼフが私にしてくれた『助言』を思い出す。
わるいひと。わるいこと。目的のために……「悪い事」を? 予測を裏切るような、捨て身の、命を投げ出すような、愚かな振る舞いを。
ドキドキする。喉が乾いてきた。恐る恐る、口を開く。
「その……相談に、乗って欲しい事があるんだけど」
「悪い奴らとは付き合うなと、賢者様から助言されなかった?」
言葉とは裏腹に、ナディアの声はいたずらっぽい。
「ここにはいないし。私を追い払ったのは師匠だもの」
「あらあら。本当、困った子ね」
ナディアは蠱惑的に笑った。『悪い奴』は思いの他、近くにいるものだ。
お昼に最終話を投稿します。




