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海辺の町へ行った日、私が盛大に振られてから数日。
師匠は「帰りの切符を買ってくる」と言って出かけて行った。
帰りの切符。今欲しくないものナンバーワン。間に合わなかったり、お金が足りなければいいとさえ思ってしまう。
「そろそろ、リコともお別れか〜。今回はイケると思ったのにな〜」
ヨーゼフは、可愛い見た目の割に結構ひどい事を言う。
「一緒に説得してくれない?」
「えー。無理。頑固だもん」
「無くしちゃえば、怒られるけど、ここに置いてもらえるかな?」
「どうだろうね?他の子たちみたいに、寄宿舎に入れられて、役人か研究者にさせられちゃうんじゃないかなぁ。リコはお城の下働きかも」
「やっぱり、ヨーゼフから見ても、私って他の子と変わらない?」
「そんな事はないけどね〜。賢者に勝つためには『普通』のままじゃ歯が立たない。向こうの予想を超えなきゃ」
「……」
私はヨーゼフを見つめた。地獄の番犬ケルベロスは、口をがばりと開けて牙を見せてきた。
「予想外の動きをして、初めて『敵』と認識されるわけ」
「敵対したいわけじゃないんだけど……」
「そういえば、ヨーゼフは師匠と戦った時の事覚えてるの?」
「そりゃそうでしょ。忘れもしない。ボロ負け寸前で投降して命乞いした」
「後でお前は勇気のある犬だな、って褒められたよ」
仲間うちじゃとびきり弱かったけど、あそこで仲間を生かすために行動しよう、って所がなんかオスカーにウケたみたい……。と、ヨーゼフは過去を振り返る。
「生き残ったら生き残ったで、負け犬とか卑怯者とか散々悪口言われたけどね。でもいいの。奥さんが、僕を認めてくれたから。食うには困らないし、子供もいる」
つまり、ヨーゼフは愛のために戦って、満足のいく生活を手に入れた、完全な勝利者な訳だ。
「見習いたいよ……」
「すればいいじゃん。どんな悪いことをしてでもさ」
ま、どうなるかわかんないけど。僕は犬だし。ヨーゼフはふぁ、とあくびをして寝転がった。
夜遅くに、師匠が戻ってきた。お酒の匂いがする。
「ヤダ。ハロルドの匂いがする」
ヨーゼフは前足でドアノブを引っ掛け、廊下へ走り去ってしまった。確か、お城の絵に描かれていた人だったかな。
「師匠って、お酒飲むんですね」
「家では飲まないからな」
そのハロルドさんと会っていたらしい。酔っ払ってオークションの存在を忘れたりしていないかな、と思ったけれど、さすがにそんな訳はなかった。
「帰りの切符も買えたぞ。あの小娘も会場にいたな」
「……ありがとうございます」
差し出された切符を受け取ろうとすると、ふい、と手の届かない所に持ち上げられる。
「うっかりなくすと困るから、俺が管理しておこう」
ダメだった。やはり、師匠の目の届く所で悪いことはできないのだ。
「……私が、それいらないって言ったらどうします」
「馬鹿も休み休み言え」
私の甘えは、ひどく師匠の勘に触ったようだ。そのまま、自分の部屋に戻ってしまった。
「そりゃ、怒られるよね」
夜なのに全く眠くならないので、キッチンでハーブティーを煎れる。お湯が茶色く色づくさまを眺めていると、階段を降りてくる音がした。
「まだ起きているのか」
「はい」
寝るのが、もったいないんです。それだけ言って、棚から適当なコップを二つ取り出し、居間に向かう。この家には、揃いの食器は一つもない。いつもバラバラの物を使っている。
「さっきは、馬鹿な事を言ってすみません」
「別に……謝る必要は、ない」
師匠は、私の煎れたハーブティーを一口飲んで、目を細めた。
「切符、ありがとうございます」
「ああ」
「高かったですか」
「そりゃそうだが、大した金額じゃない」
「この指輪、売ったらお金になりますか?」
首から下げていた、婚約指輪を出す。ランプの光を受けて、虹が出た。
「お前にやるって言っただろう。持って帰れ」
こんなに立派な指輪を持っていたら、元の世界に帰っても、師匠と比較して、どんな男の子もくすんで見えちゃうんだろうな。
「じゃあ……私も、あのスマホを、あげますね」
婚約指輪をもらったら、半額ぐらいのものをお返しするんですよ、と無理に笑う。
「そうか。検索すれば出てくるぐらい、有名になってくれ」
「そんな事、無理ですよ」
私は普通の、平凡すぎる、なんの取り柄もない人間だ。世界を変えるような事、とてもできる訳がない。
「できるさ。生きている限り、何にだって挑戦できる。まあ、上手くいくかは保証しないが」
ポットの中のハーブティーは減っていく。これが空っぽになったら、私は眠らなければならない。時を止める魔法はない。泣こうが、不貞腐れようが、時間は過ぎる。
「何か、人生のアドバイスをくださいよ」
「そうだな……簡単に言うと、悪い奴らには関わるな。後は……」
師匠はカップを置いて、考え込む様な仕草を見せた。
「優しいだけの奴に騙されるな。男は狙った相手の気を引くためなら平気で嘘をつくし、必要以上に自分を大きく見せたがる。なんでも、話半分で聞くのがいい」
「特に年上の男に気を付けろ。年下の女に偉そうに説教してくる奴なんて、もってのほかだ」
「それ……」
師匠の事じゃないんですか。と言いそうになった所を、本人が遮る。
「俺はいいんだよ」
顔の前で、ぱたぱたと手を振る。その仕草がおかしくて、笑ってしまう。
「賢者だからですか?」
「そうだ」
「健康には気をつけろ。体は資本だ。食事を抜いたり、睡眠不足を薬でごまかすんじゃない。30過ぎるとガタがくる。自分がいつまでも若いつもりでいるんじゃない」
「はは……」
「勉強しろ。いろいろな所へ行け。興味のある事はなんでもやれ」
そうすればきっと、思いもよらない出会いが待っている。そして、人生の最後に満足出来ればそれでいい。
師匠はそう語る。
「……師匠には……将来の夢とか、目標とか、ないんですか」
「あるわけないだろ」
そんな、お爺さんでもあるまいし。じっと眺めていると、師匠は何かを言い淀んだ。
「そうだな……」
「強いて言うなら……お前が元気で居てくれれば、それでいいさ」
「……」
どうしてそんな事を言うんですか。そんな事を言うから、私は貴方を諦められないんですよ。
心の中にモヤモヤがつのる。優しいだけの男には気を付けろ。つまりはこう言う事だ。
「師匠の言いたいこと、よーーーっくわかりました」
がちゃん、とカップを置いて私は部屋に戻った。
明日(5月2日)に2話投稿して完結なので、最後まで読んでいただけると嬉しいです。




