8月31日:SHINING
「皆さま、こんばんは! 縄代誠也です! 先ほど、弊社の農機具にトラブルが発生したと申し上げましたが――あれは嘘です」
商店街の窓という窓から、住民たちが訝しげに顔を出す。
「今、この村には、大人には見えない魔物が襲来しています。魔物の撃退には皆さまの力が必要です。今すぐ外に出て、空に向かって両手を掲げてください」
「あぁ? 何言ってんだテメェ!」
真っ先に飛び出してきたのは、居酒屋で晩酌をしていた自治会長の甚八だった。
「魔物だと!? ふざけたこと言ってんじゃねぇぞ!」
「本当のことです」
「うるせぇ! テメェの言うことなんか誰が聞くか! 会合にろくに顔も出さねぇで、金だけ出して偉そうにしやがって!」
「今回ばかりはコイツの言う通りだねぇ」
喫茶『ヤングマン』の扉から、ローラも出てきた。
「適当なこと言うんじゃないよ! 忠也さんの頃はちゃんと顔出して話聞いてくれたのに、あんたになってから何も変わりゃしない!」
「……それは」
誠也は一瞬言葉に詰まった。
「なんだい? 言い訳する気かい!?」
ローラが畳みかける。
騒ぎを聞いて大人たちが次々と顔を出す。
またたく間に、商店街に人だかりができた。
「言い訳はしません」
誠也は拡声器を握り直した。
集まった人々をしばし眺め回した後、落ち着いた声で話し始めた。
「私は、あなたたちの不合理さが嫌いだった。この村は好きだが、ここに住む人々の価値観は好きになれない。だから会合に出ても意味がないと思っていました。私は嫌われものでいい──そう思っていた。父のようにはなれないと、端から諦めていた」
商店街が、しんと静まる。
「私は、あなたたちと向き合うことから逃げていた。でも、それではダメだったんです」
誠也は拡声器を下ろした。
そして、トラックの荷台から降り、深く頭を下げた。
「今さら私が何を言っても信じてもらえないのは当然です。それでも……お願いします」
声が震えていた。
「魔物がいるのは本当なんだ。魔物は大人には見えない──戦えるのは子どもたちだけなんです。子どもたちは今この瞬間も命がけで戦っている。その中には私の娘もいるんです」
商店街を包む沈黙。
甚八もローラも、面食らって何も言えずにいた。
「子どもに重荷を背負わせて、我々大人が何もしないで暮らしているなんて恥ずかしいでしょう。私のことが嫌いでもいい。両手を掲げてください。それだけで力を送ることができる。子どもたちのために……お願いします」
それでも――誰も動かなかった。
「わけのわかんねぇことをグダグダと……子どもが戦ってるから両手を掲げろだぁ? そんな話、誰が信じるかってんだ!!」
しびれを切らした甚八の怒声が響き渡る。
居心地の悪い空気があたりを満たした、その時。
「あの……」
控えめな声がした。
皆本商店の軒先から、和寿真が出てきていた。
「僕、信じます」
和寿真は、まっすぐに誠也を見た。
「うちの店、次春くんとかフジキューくんとかフトシくんとか、子どもたちがよく来てくれるんです。あの子たち、この夏ずっと様子が変でした。傷だらけで来たと思えば、やけにどんよりした顔してたり……何かに一生懸命向き合ってるみたいで」
それを聞いて、喫茶店のアンナが思い出したように口を挟んだ。
「そういえば、次春くんのお兄さんが夏休みの初めごろに『7月31日に魔物が来てみんな死んじゃうんだ!』って走り回ってたことがありましたよね」
「……おい、まさかそれが本当だったってのか!?」
これには甚八も驚いたようだった。
「7月31日って……1ヶ月も前だろ!? 日付間違えてんじゃねえのか!?」
「……いや、たぶん7月31日にも魔物が来たんだと思います。あの日、村の各所が破壊される事件がありましたよね。風もないのに店の窓ガラスが割れたり、シャッターが曲がったり……あれはきっと、そういうことだったんです」
和寿真の声は、最初こそ小さかったが、だんだんと力を帯びていく。
「村祭の開催が危ぶまれる理由になった不可解な山火事――出火した原因も不明でしたが、なにより、誰が消火したのかがわかりませんでした。消防団の方も、消したのは我々ではないと言ってましたよね。あれがすべて、魔物との戦いで起こっていたとしたら?」
消防団の代表を務めるラーメン屋のおじさんが目を見開いて和寿真を見る。
「子どもたちが消したってことか……!?」
和寿真は頷き、話を続けた。
「広範囲にわたる田畑の踏み荒らしを含め、説明できない出来事のほとんどは自然災害として処理されました。でも、自然災害にしてはおかしな点が多かった……それもすべて魔物の仕業なら納得いきます」
しかし、和寿真の発言とは裏腹に、甚八は腕を組んで顰め面をしている。
「なんなんだ、その魔物ってのは……!? そんなのいるわけねぇだろう!?」
「村祭の日、巨人を見ましたよね。あれですよ」
それを聞いて、甚八はハッと息を呑んだ。
「魔物が大人には見えないなら、どうしてあの巨人が僕らにも見えたのかはわかりません。でも、あれは出し物なんかじゃないって、皆さんも薄々気づいてたでしょう? あの時、巨人は戦っていた。商店街に近づこうとする巨人を、もう一体の巨人が食い止めようとしてる──そんなふうに見えました。あれはきっと、子どもたちが特別な力を使って、魔物からこの村を守ってくれてたんじゃないでしょうか……?」
反論する者は誰もいなかった。
なにしろ全員、村祭の日に巨人を見ているのだ。
甚八も口をぱくぱくさせて言葉を失っている。
「誠也さんが今、体張って頭を下げてます。子どもたちのために」
和寿真はもう一度誠也の方を見て、意を決して、続けた。
「この際だから失礼を承知で言ってしまいますが、誠也さんのやり方は、僕も正直好きじゃなかったです。というのも、僕もちょっと前まで都会にいましたから、その頃のことを思い出して怖かったんですよね。一方的で高圧的で、お金さえ出せばいいんだろっていう偉い人特有の態度が、何だかイヤだなってずっと思っていました。この人は、村のことなんてどうでもいいんだろうなって。でも……それは僕の思い違いでした」
誠也が、微かに目を見開いた。
「あなたは村のことを本当に大切に思っていたんですね。だって、こんなふうにみんなに言いたい放題言われながら、誰にも信じてもらえないかもしれない話をして、かっこ悪く頭を下げる人を、僕は今まで見たことがありません」
和寿真は、皆に向かって深く一礼した。
「僕からもお願いします。子どもたちのために、力を貸してください」
しばしの沈黙。
やがて、甚八が舌打ちをするように息を吐いた。
「……忠也さんはよ。口ベタで不器用な男だった。でも、村のことになると誰よりも先に動いた」
甚八は、誠也を睨むように見た。
「テメェは、あの人にちっとも似てねぇと思ってた」
「……申し訳ありません」
「――でもよ」
甚八は、ふっと表情を緩めた。
「さっきのは、忠也さんそっくりだったぜ」
甚八は両腕を突き上げ、夜空に向かって掲げた。
「わけわかんねぇが、乗ってやらぁ! 子どもらのためだ! 文句あるやつぁ俺が黙らせる!!」
「あたしもだよ! この村を担う子どもたちのためなら安いもんさね!」
ローラも負けじと両手を掲げる。
村長も、震える手を空に伸ばした。
一人、また一人。
商店街の店主たち。消防団の面々。近所の住民。
離れた場所に住む人にはすぐさま電話がかけられた。
村中の大人たちが家から出てきて、夜空に向かって両手を掲げ始めた。
誠也は、その光景を呆然と見つめていた。
やがて、誰にともなく呟く。
「……ありがとう」
大人たちから放たれた強大なエネルギーは光となり、天から巨体に降り注いだ。
この光が大人に見えているのかはわからない。
だが、防衛隊のメンバーにははっきり見えていた。
「すごい……!」
人数の差なのか。
それとも大人の力がすごいのか。
防衛隊が送った光の何十倍ものエネルギーが集まっていく。
まばゆい光が村を包み込む。
その光の中で、瀬凪は目を覚ました。
そして、やさしく祈りを込めて、名前を呼んだ。
「──イッチ」
イッチの動きが変わった。
がくがくと震えていた手足の揺れが収まっていく。
現れてから初めて、しっかりと静止して両足で立った。
イッチは両腕を大きく振りかぶった。
全身に漲る光が、腕の先に集束していく。
るしへるが戦いの最中に放った光よりも強く──鋭い。
「オオオオオオオオオオッ!!!」
咆哮とともに、光をまとった拳が魔王城を打ち抜いた。
貫通した拳の先から、内側の闇が漏れ出す。
魔王城の体に、亀裂が走り始めた。
砕けるような音を立てて、亀裂は瞬く間に城全体を覆っていく。
「アアアアアアアアアアアッ……!!!」
断末魔の咆哮が、村中に響き渡った。
ビシッ。
パリーン!!
魔王城が砕け散った。
夜空に大量の欠片が舞う。
村を覆っていた重苦しい気配が、嘘のように消えていった。
「や……やった……!! イッチ……!! 勝った……!!」
蝉丸が声を震わせながら、ガッツポーズした。
誠也も戦況を察し、拡声器で叫ぶ。
「皆さん! 皆さんのおかげで、子どもたちが力を受け取り、魔物を撃退いたしました!! 皆さんのおかげです!! まことにありがとうございます!!」
「うるせぇ!! テメェその選挙演説みたいな喋り方やめろ!! 忠也さんはいつだってもっとフランクにだな……」
甚八はまた文句を言おうとしたが、すぐにやめた。
「……まあいいや。これからいろいろ教えてやるからよ。一緒に酒でも飲もうぜ」
そう言って、誠也の肩に腕を回した。
防衛隊メンバーは疲れを忘れて抱き合い、歓喜を爆発させる。
だが、その喜びも長く続かなかった。
ピシッ。
乾いた小さな音がした。
イッチの表面――
肩のあたりに、白い亀裂が走った。
ピシッ、ピシッ。
亀裂は、まるで蜘蛛の巣のように、体表を覆っていく。
黒い紋様の上から、灰色の質感が滲み出していく。
村を救った魔神──
イッチの"終わり"の合図だった。




