8月31日:BUT NOT ALONE
村の一角から、強い光が迸った。
突然の光に、蝉丸は目を眇めた。
電撃弾を撃ち尽くし、アリサへ駆け寄ろうとした矢先だった。
るしへるが砕け散った方角からだ。
光は収まるどころか、強さを増していく。
地響きが足元を揺らし、何かが立ち上がる気配がした。
最初は、るしへるが戻ってきたのかと思った。
でも、違う。
顔にはるしへると同じ、二筋の光る線がある。
だが、体には黒い紋様が蛇のように絡みついていた。
螺旋を描くその模様には見覚えがあった。
イッチの体を蝕んでいた、あの痣とまったく同じ形だった。
「あの魔物はなんだ……!?」
少し離れた場所で、片膝をついたままの獅子上が呻くように叫んだ。
続いて乙吉も、視界に巨大な魔物の姿を捉える。
「デケェ……! どっから来やがった……!?」
巨体は、ゆらりと山肌の方に体を向けた。
魔王城へ向かって一歩を踏み出す。
その足取りは、まっすぐではなかった。
大きくよろめき、使われていない農具小屋を踏み砕き、また体勢を立て直す。
自分の体の大きさに戸惑っているようだった。
それでも、止まらない。
巨体は魔王城を見据えたまま、確かにそこへ向かって歩いていく。
「魔王城と戦おうとしてる……!?」
鞘の声も震えている。
「隊長っ!! 隊長はどうした!?」
乙吉が、倒れたまま声を張り上げた。
何度呼んでも、返事はない。
〈……イッチくんの姿が見えないんだな?〉
スマホから湯水准教授の声がした。
〈私には魔物が見えない。だが、君たちの声だけでわかる〉
少しの沈黙のあと、湯水は続けた。
〈最悪の事態が起こったようだな〉
その一言で、全員が凍りついた。
〈……たった今現れたという巨大な魔物は、おそらくイッチくんだ〉
湯水の声は、静かだった。
〈私は事前に、彼にだけ伝えていた。強い魔石を過剰使用すれば、自我を失い、魔物になってしまうと〉
「そんな……!」
ホタルの声が掠れた。
〈イッチくんは、るしへるの魔石を使ったんだろう。彼は――全滅か、魔物になってでも戦うかを選ばなければならなかった。私がそうさせたんだ〉
湯水の声に、初めて悔やむような響きが混じった。
〈もう……元には戻れない〉
誰も、それ以上は言葉にできなかった。
乙吉は拳を地面に叩きつけた。
ローリーは奥歯を噛みしめ、動かない足を叱咤するように何度も叩いた。
自身の能力で魔物の大群から逃げ切っていたデコイは、虚空を見上げて呟いた。
「……嘘でしょ? だって俺……俺がイッチくんに渡したんすよ、るしへるの核……。みんなの助けになりたいと思ったのに……それが、こんなことになるなんて……」
デコイはうなだれて、そのまま地面にしゃがみ込んだ。
「イッチ……お前はいつもそうだな」
アヅが悔しそうに言った。
「心配させたくないとか、迷惑かけたくないとか言ってさ。大事なことは誰にも言わないんだ」
そして、すでに力の入らない足を無理やり踏みしめ、立ち上がった。
「俺たちがこのまま倒れてるわけにはいかない。あいつを一人にさせたくない」
そう言って、アヅは両手を天に掲げた。
アヅに呼応するように、防衛隊が一人ずつ、上空に向かって手を掲げる。
お前を一人にはしない──!!
巨体が、魔王城に殴りかかる。
振り上げた腕が城の一部を打ち砕き、崩れ落ちる瓦礫が地面を揺らした。
魔王城も脅威を感じ取ったようだ。
村中に散らばっていた魔物の大群が一斉に魔王城に戻ってくる。
またたく間に、黒いエネルギーが膨れ上がっていく。
「アカン、るしへるがやられたやつや……!」
ローリーが不安そうな声をあげる。
魔王城が、るしへるの胸を貫いた攻撃をくり出す。
しかし、巨体はそれをいとも簡単にいなし、強烈な殴打を見舞った。
「押してる……!」
鞘が声をあげる。
確かに押している。
でも――何かがおかしい。
巨体は腕を振るうたびに、大きく体をよろめかせる。
呼吸が荒い。肩で息をするように、小刻みに揺れている。
続いて、化物のような咆哮。
そのまま魔王城に飛びかかり、一心不乱に拳を振るい始める。
魔王城の瓦礫が四方に弾け飛び、その一部が村の家屋に向かって散る。
「危ないっ!!」
蝉丸の叫びに、獅子上が反応する。
"百獣の防衛結界"!!!
獅子上は消耗した体に鞭打って、間一髪、瓦礫の破片を受け止めた。
その間も、巨体はがくがく手足を震わせながら、咆哮を続けていた。
息も絶え絶えの獅子上が、膝をついて言った。
「もしかして……隊長は暴走してるんじゃないのか……!?」
イッチの自我が完全に失われているのは明らかだった。
魔王城を破壊する──
ただそれだけを求める、制御不能の魔物。
このままじゃ、イッチの方がもたない。
蝉丸はあたりを見回した。
みんな力を使い果たしている。
立てる者すらほとんど残っていない。
考えろ。
この状況で何ができる?
僕がイッチのためにできることは──!?
その時、商店街の方にトラックのライトが見えた。
ナワシロのロゴが入った、あのトラックだ。
「誠也さんっ……!」
蝉丸は息を切らしながら、誠也の前に回り込んだ。
「お願いがあるんです! 村の大人たちに、外に出て両手を空に掲げるよう伝えてください!」
「なに……?」
誠也の眉が、わずかに動いた。
「どういう意味だ。『家から出るな』というのが、君たちの指示だったはずだ」
「そうですが……! 力が足りないんです……!!」
「力?」
「戦いは今も続いています。みんな限界まで戦ったのに、まだ足りなくて……このままじゃ、みんな……!!」
言葉がうまくまとまらない。
それでも蝉丸は誠也の目を見て、続けた。
「隊長だったイッチはもういません。僕らを守るためにたった一人で、魔物になって戦っています。僕らにできることは、空に向かって両手を掲げて、イッチに力を送ることだけなんです。イッチを一人にしておけない。本当なんです……お願いします!!」
誠也は、しばらく黙って蝉丸を見つめていた。
やがて、ゆっくりと山肌の方へ視線を移す。
誠也には何も見えていないはずだった。
それでも、その目は何かを探すように、じっと動かなかった。
「……ついさっき、私は嘘をついて住民を家に押し込めた」
誠也は静かに言った。
「今度は、本当のことを言えというんだな」
誠也は、拡声器を握り直した。
その顔に、迷いはなかった。
「わかった」
誠也はそう言って、トラックの荷台に上がった。




