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二つの瓶  作者: 梨花むす
第二部
28/41

28 五年後

トラメンダ:疫病プルラの特効薬

モンテグラシス(=八花草):トラメンダの原料となる薬草

アンティフラ:プルラの治療薬


ルート:かつて山で暮らしていた『ヤマビト』

エルヴィア:ルートの母、トモロ村出身

エド:ルートの父、『ヤマビト』


ソニタ:エルヴィアの伯母、ルートの大伯母

トニオ:ソニタの夫、元鍛冶屋


クラレオ・ロッカ:ロッカ侯爵家嫡男

エウリコ・ロッカ:ロッカ家次男

シスモンド・ロッカ:侯爵、ロッカ家当主

バルダン:ロッカ家家令


レイ:トモロ村出身の少年


ヤソン・グラウ:研究所所長、植物学者

シフラ:研究所の副所長、薬師

パッソ:研究所の兵士

カンポ:研究所の兵士

 ――目の前の小さな手が、草を摘む。隣には、大きな父さんの身体がある。


「父さん、この八花草は色が薄いんだね」

「ルート、そいつは採らなくていい。あんまり役に立たないんだ」

「そうなの? どうして役に立たないの?」

「そいつには、毒がないからな」

「へえ。八花草って、毒がないとだめなんだ」

「ああ、それは……。お、いかん、いかん。無駄話をしていると、花が開いてしまうぞ」

「ほんとだ、急がなきゃ」

「……こら、ルート。よくばるんじゃない。もうここは終わりにするぞ」

「はあい」

「籠は持ったか。母さんが待ってるし、早く帰ろう」

「うん。僕、おなかすいた」

「ははは、母さんがパンとスープを準備してくれているさ」


 父さんは、僕を振り返りながら先を歩いてゆく。

 僕は、一生懸命父さんの背中を追う。

 僕らは小さな小屋に帰り着く。

 扉を開けて飛び込んだら、母さんが僕を抱きしめてくれる。

 母さんのスープの香りが、おなかを空かした僕の鼻をくすぐってくる……



 ◆



「……昔の、夢か……」


 ルートは、窓から射し込む光で目を覚ました。寝床から出ると、部屋の中はすでに明るい陽の光で満たされていた。ルートはここでは早起きのほうなのだが、春の太陽にはかなわないようだ。

 ルートは着替えを素早くすませると、部屋を出て、外の井戸へと向かった。庭の草花には朝露のみずみずしさがまだ残っていた。


「あら、ルート。おはよう」

「おはよう、ソニタ」


 井戸のそばには、すでに起きて水汲みに来たソニタがいた。皺の深くなった手が、重たげな釣瓶をつかんでいる。ルートはそばに走って行くと、水桶に水を移すのを手伝った。


「後は僕がやるよ」

「ありがとう。お言葉に甘えるわ」


 ソニタは微笑んで、ルートの頬にそっとキスをした。


「じゃあ、私は先に朝食の準備をしているわね」

「うん、僕もすぐに行くよ」


 ルートは少し水を掬って顔を洗うと、水桶を抱えて立ち上がった。


 ――久しぶりに、母さんたちの夢を見たな。


 両親を亡くしたのは、六、七年前にもなるだろうか。ルートは今年で十七歳。記憶の中で両親のそばにいるのは、今よりも頭二つ分ほど小さかった自分だ。

 あのとき今の自分がいたら、もっと両親の代わりができたんだろうか。そうしたら、彼らは二人とも、早くして死なずにすんだんだろうか。


 ――ソニタには、長生きしてほしいな……。


 ソニタと出会って五年ほどになる。ソニタの夫のトニオも自分を可愛がってくれたが、先月倒れて、そのまま帰らぬ人となってしまった。ルートと出会う前にも一度倒れたらしく、ソニタはいつかこの日が来ると覚悟していたという。


「あなたと五年も一緒に過ごせて、あの人は満足だったと思うわ」


 トニオの葬式で、目に涙をにじませながらソニタは言った。そうならいい、とルートも思う。ルートはじわりと目が熱くなるのを感じたが、一度ぎゅっと目をつぶって開くと、台所の方へと歩き出した。


 台所に続く扉の前では、二名の兵士がすでに起き出し、朝の支度をしていた。ルートは兵士たちに挨拶した。


「おはよう。パッソさん、カンポさん」

「おう、おはよう、ルート」


 パッソと呼ばれた、かぎ鼻がよく目立つ兵士は、ルートの抱えた水桶に目をやった。


「ソニタさんの手伝いか? 朝からよく働くな」

「なにいってるの。僕のできることなんて、少ないんだから」

「そんなことはないんだがなあ」


 パッソがそう言うと、もう1人の兵士のカンポが横から手を出し、ルートの水桶を半ば強引に引き取った。


「あっ」

「……今日はクラレオ様が来られるだろ。お前をあんまりこき使っていると、俺たちが叱られる」


 手袋をした手で水桶を抱えたまま、カンポはつぶやくように言った。パッソがにやにやと笑っているのは、カンポの言っていることが、ルートから仕事を取り上げるための方便であることがわかっているからだ。

 もちろん、そのことはルートにもわかっている。カンポは一見無愛想ではあるが、愛妻との結婚指輪をできるだけ傷つけたくなくて常に手袋をしているような、繊細で愛すべき男なのだ。


「……もう、じゃあ、お願いします」


 ルートが苦笑して言うと、カンポたちは満足そうな顔をした。


 ルートたちは、『研究所』と呼ばれる施設で働く仲間だ。この施設は、領主であるシスモンド・ロッカ侯爵の命により、『モンテグラシス』という名の薬草を研究する役目を負っている。もとは狩猟小屋、とはいっても、領主の別荘といってもいい規模をもつ建物だったが、研究とそこに住む者を守るため、研究所の運営を任されている嫡男のクラレオ・ロッカによって、かなり堅固な建物に造り変えられていた。


 研究所にはルートやソニタの他に、所長のヤソン、副所長のシフラが住んでおり、それぞれに部屋が与えられている。パッソたちのような兵士たちは、四人で一つの部屋を使用していた。この待遇からわかるように、ロッカ侯爵が定めた立場からすれば、ルートのほうが兵士たちより上ではあった。

 しかしこの兵士たちは、ルートが子どものころから面倒を見てくれた、いわば兄貴分のような存在だった。公的な場以外では、兵士たちはルートを弟のように扱うし、ルート自身もそれを好んだ。


 パッソが、よく日に焼けた顔でにっと笑って言った。


「まあ、今日から一人増えるからな。そうしたら、お前もソニタも、()()()()()もう少し楽ができるんじゃないか?」

「ああ、そうだっけ……」


 ルートは、パッソの言葉でその予定を思い出した。ただ、返事は自然とそっけないものになってしまう。


 元々、水汲みや薪集め、掃除などの雑事は、皆で手分けして行ってはいた。しかし、生前のトニオがかなりの部分をまかなってくれていたため、トニオが亡くなってからはそれぞれの負担が増えることになった。

 トニオと並んで働き者のソニタではあるが、ルートの祖母と言っていい年齢の女性だ。ソニタにあまり力仕事を負担させるわけにはいかない。とはいえ、ルートも兵士たちもそれぞれの仕事があるため、研究所は、できれば雑事をまかせられる男手を欲してはいた。


 ――どうせ、すぐにいなくなるんだろうな。


 人が来るのは、今回が初めてではない。トニオがいたときにも、何度か人がやってはきたが、一カ月もたたずにいなくなってしまうことが続いていた。

 だから、ルートは今回もあまり期待をしていない。パッソもそれがわかっているので、「しばらくは」と言ったのだろう。


「そろそろいくぞ。ソニタが待ってる」


 カンポの低い声で、支度を終えた兵士たちとルートは台所へと向かった。台所に着くと、ソニタがすでに朝食の準備を始めていて、やってきたルートと兵士たちに手際よく作業の指示を出した。

 兵士たちは慣れた手つきで大振りのナイフを持ち、すいすいと野菜の皮を剥いた。それぞれの作業をしながら、自然に話題は今日やってくる新参者の話になった。しかし、誰も新参者の詳しい情報を知らないため、結局は憶測や期待程度の会話しかできなかった。


 ソニタが皿に料理を盛り付けながら、いつものやわらかい声でパッソにたずねた。


「そういえばパッソさん、今日来る方はなんというお名前なの?」

「ああ、それは聞きましたね。えっと……」


 パッソはそう言ったが、もともとそんなに気にもとめていなかったらしく、目を上に向けながら記憶を探っているようだった。


「なんだっけな。なんか、呼びやすい名前だったんだよな」


 なかなか思い出せないパッソが、「年かなあ」と首をひねっていると、カンポがその隣でぼそっと言った。


「たしか……”レイ”だったよ」

 

久々の更新となりました。ここから第二章となります。よろしければ、おつきあいのほどお願いいたします。

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