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二つの瓶  作者: 梨花むす
第一章
12/27

12 下種と人間

トラメンダ:疫病プルラの特効薬

モンテグラシス(=八花草):トラメンダの原料となる薬草

アンティフラ:プルラの治療薬


ルート:『ヤマビト』の子ども


クラレオ・ロッカ:ロッカ侯爵家嫡男

シスモンド・ロッカ:侯爵、ロッカ家当主

バルダン:ロッカ家家令

「ええ、これが八花草です」


 離れに到着したルートは、棚に並べられたモンテグラシスを指さして言った。


「ちょっと見せてもらってもいいですか」

「もちろん。好きに見るといい」


 ルートは束の一つを手に取った。ロッカ家に届くモンテグラシスは、いつも数本ずつの束にしてあり、その根元を植物のツルで丁寧に縛られていた。ルートは愛おしげな手つきで、ツルの結び目に触れた。


「ああ、僕の結び目だ。まさか、ここに僕が採ってきた八花草があるなんて」


 ルートは、あくまでモンテグラシスを『八花草』と呼んだ。むしろ、それ以外の名前は知らないようだった。クラレオはルートに尋ねた。

 

「『僕の結び目』というと、その結び方はきみが考えたのかい。ずいぶんと固くて、なかなかほどけないんだよ」


 すると、ルートは嬉しそうに微笑んだ。

 

「父さんから教えてもらったんです。大丈夫ですよ、ここを引っ張れば、ほら」

 

 そう言うと、慣れた手つきで結び目を触り、あっという間に解いてしまった。クラレオとバルダンがあっけにとられていると、ルートは慌てて言った。


「すみません、直しておきますね」


 ルートは、その場でツルを再びモンテグラシスに巻きつけると、素早くその端を結んだ。その結び目は、他の束とそっくりであった。

 

 もう疑う余地はなかった。やはり、ルートの言う『八花草』はモンテグラシスのことであった。それはつまり、ロッカ家の本当の取引相手はトモロ村ではなく、ルートであったということになる。クラレオとバルダンは、自分たちが長い間過ちを犯していたことを痛感させられた。


「村の人たちは、八花草をここに持ってきていたんですね。知らなかった」


 にこやかに言うルートの無邪気さに、クラレオは胸が痛んだ。


 知らなかったのは、教えられていなかったからだ。

 ここにモンテグラシスがあるのは、村の者がロッカ家に売ったからだ。村全体が裕福に暮らせるほどの高値で。


「……バルダン、私たちには、色々とやることがあるようだ」

「……はい。承知しております」

「それに、ルートには本来の報酬を渡さなくては」

「もちろんでございます」


 背を伸ばして、モンテグラシスを棚に戻すルートを見ながら、クラレオとバルダンはうなずき合った。

 

 

 


 ルートは美しい子どもだった。健康を取り戻すと、それはますます磨きがかかった。

 

 侍女の一人が、腕のいい人形師が最高傑作を作り出したら、こんな姿になるのではないかと言った。それも納得できるような、整った顔立ちと均整の取れた身体をしていた。


「もう遅いですけど、母さんには『人前にいるときは、フードを深く被りなさい』って言われていたんです」


 離れでモンテグラシスを確認したあと、ルートはクラレオの部屋で、クラレオの質問に答えていた。自分の魅力に気づいていないルートは笑って言ったが、母親の心配も当然だった。ロッカ家の使用人たちですら、当初はルートの美貌に浮き足だっていた。


 ただし、過酷な状況に置かれていたにもかかわらず、ルートは素直な、いわゆる普通の子どもだった。先立った両親に愛された経験があるからか、優しく接してくれる大人に対しては、徐々に心を開き、懐いていった。人々の興味本位の視線は、次第に子どもへの温かい愛情にあふれたものへと変わっていった。

 

「母さんは、もともとは村に住んでいたらしいんですけど……。僕も、くわしいことはわかりません」


 ルートの母親は、村の者だったという。そのためか、言葉に不自由はしていないし、簡単な読み書きや計算はできるようであった。当然、父親は『ヤマビト』であったが、両親の仲は良かったとルートは言った。


「父さんは、昔はもっとたくさんのヤマビトがいたって言ってました。でも、ヤマビトって、あんまり長生きじゃないらしいんです。だから、僕が覚えているのは、父さんと母さんだけです」


 母親が亡くなってからのルートの生活は、悲惨なものだった。母親は、さすがに村の者も、村の人間の血を引く子どもには手を差し伸べてくれると期待していたのだろう。しかし、手を差し伸べるどころか、ルートは虐げられていた。


(ただ、母親の言いつけを守っていたのはよかった……)


 クラレオは心底そう感じた。ルートには、妙に人を惹きつけるところがあったからだ。

 

 例えば、ルートの緑色の瞳は深い色であるのに、宝玉のようにどこまでも透明であった。そしてそこには、人の優しさも、劣情も、全てをその深淵の中に吸い込んでしまうような暗さをたたえていた。それは、ルートの持つ子どもらしさからはかけ離れていた。

 その瞳のせいか、ルートに見つめられると、人々の心は乱された。ずっと大事にして眺めていたいような、それでいて、自分の好きにして壊してしまいたいような、矛盾した気持ちが掻き起こされた。


 最後の『ひきかえ』とやらの日、顔を見られた後にルートが逃げ出したのは、間違っていなかった。村の男たちは、ルートの素顔を見たとたんに豹変した。ルートには知識がなく、自分の身にせまっていた本当の危険を理解してはいなかったが、逃げ出さなければ、おそらくその身は汚されていただろう。

 

「僕、あの人たちが追いかけてくるんじゃないかと思って。だから食糧だけ持って、ほら穴に隠れていたんです。いつもは誰もいないのに、あの日は塀の外まで子どもが来ていて……怖かった……」


 ルートはそのときのことを思い出したようで、身を震わせた。

 

 ルートの住まいは、やはり洞窟とは別のところにあるらしかった。捜索のときには見つけられなかったが、実はふもとから住まいまで細い道が続いているのだという。逃げ込んだ洞窟で食糧が尽きて倒れていたところを、ロッカ家の兵が見つけたというわけだった。


(何が『ひきかえ』だ。ただの、搾取ではないか……)


 クラレオは顔をしかめそうになるのを、ぎり、と奥歯を噛んでこらえた。ルートがたった一人で山の中を生き延び、危険を冒して集めたモンテグラシスを、村長たちはさも自分たちが採ってきたかのようにロッカ家に売りつけていた。


(どうりで、ルートがここに来てからモンテグラシスを納められなくなったわけだ)


 ルートを助けたのが、昨年の末だった。年が明け、約束の日になると、村長が真っ青な顔をしてロッカ家にやってきた。


「全て盗まれた」と村長は言った。村長の後ろに控えた男は片眼が潰れ、顔や身体には痛々しい傷跡がいくつもあった。村長はかき集めたいくつかの宝飾品と、若くて見栄えのする娘を3人ほど連れてきていた。娘たちは慣れない化粧を施され、暗い顔をしてうつむいていた。


下種(げす)……というやつか。ロッカ家も、見くびられたものだ)


 クラレオたちの母である侯爵夫人は、10年ほど前に世を去っていた。村長としては、男ばかりの家に喜ばれる土産を持ってきたつもりだったのかもしれない。

 

 クラレオは、温厚で知られた父シスモンド・ロッカ侯爵が、あれほどに怒るのを見たことはなかった。宝飾品と怯えた娘たちは突き返され、村長は「極刑も覚悟するがいい」と激しい叱責を受けた。

 村長は泥棒を探すように言いつけられ、ロッカ兵の監視下に置かれた。その場で捕らえられなかったのは、横流しについての調査が控えていたからだった。付き人の男は侯爵の剣幕におののき、逃げるように城を出て行った。


「残りの八花草ですか? 僕の家に置いたままです。ちゃんと干してあるから、大丈夫だと思いますけど……」


 そんな村長の嘘など知るよしもなく、ルートは屈託なく言った。

 

 採り集めたモンテグラシスを月ごとに渡すのは、そもそもがルートたち『ヤマビト』のやり方であるらしかった。村人に『ひきかえ』の物品を確実に渡してもらうための、彼らの知恵であったようだ。

 さもありなん、村人はヤマビトたちの懸念通り、物品をくすねては、本来の約束よりも少なく渡していた。もし『ひきかえ』が年に1度しか行われなかったら、ルートは1月生き延びるのがやっとだったかもしれない。


「それは全部、私たちが買い取ろう。君には、ちゃんとした報酬を渡すつもりだよ」

「ええっ、いいんですか?」

 

 クラレオの提案に、ルートの顔はぱあっと明るくなった。しかし、すぐに表情が曇り、目を伏せてしまった。


「どうしたんだい」

「でも、山に戻ったときには、また村の人に渡さないといけないから……」

「『ひきかえ』のことは心配しなくてもいい。それに、君さえよければ、いつまでもここにいてくれていいんだよ」


 クラレオが言うと、ルートは目を丸くした。深緑の瞳が、きらきらと輝いた。

 

「え、いつまでも?」

「私たちにとって、八花草はとても大事なものなんだ。君は、ずっと大事な仕事をしてきてくれた。その恩を、私たちは君に返したい」

「…………」

「それに、君には色々教えてほしいことがあるんだ。君しか知らないことがたくさんある。君は、とても貴重な人なんだよ」


 ルートは、黙ったままじっとクラレオを見つめた。

 

「……『人』って、言ってくださるんですね」


 ルートの瞳が潤みを増し、クラレオは、何かまずいことを言ってしまったのかと心配になった。

 

「もちろんだよ。どうしてそんなことを?」

「……………………」

「うん?」

「…………僕、村の人たちに『毒蟲(どくむし)』って言われていたから」

「……」

「クラレオ様が、人だって言ってくれるのがうれしくて」


 そこまで言うと、ルートの瞳から涙があふれた。もう我慢ができないようで、ルートはしゃくり上げながらぽろぽろと涙をこぼした。拭った袖が濡れていくのを見て、たまらずクラレオはルートを抱きしめた。


「服が……汚れてしまいます」

「大丈夫だ」


 華奢なルートの身体は、クラレオの腕の中にすっぽりと収まってしまっていた。クラレオは、壊れてしまいそうな身体を抱き留めるように、ルートをさらに引き寄せて優しく包んだ。

 

「そんなやつの言うことは聞かなくていい」


 ルートはクラレオの胸で、まだ静かに涙を流していた。クラレオが顔を寄せると、柔らかく細いルートの髪が、クラレオの鼻をくすぐった。

 

「君は人に決まってる。それも、立派な人だ」

「はい……」

「君も、君の両親も、立派な人だ」

「はい……、はい……」


 ルートは何度も頷いた。その様子があまりにいじらしく、クラレオは思わず腕に力をこめた。

 

「君は、私が守る」

「えっ……」


 ルートは驚いて顔を上げた。人形のように整った造作であるのに、目元や鼻が赤くなっている様子はとても人間らしい感情にあふれていて、そのアンバランスな美しさが、クラレオの目を惹きつけて離さなかった。


(私は……)


 クラレオはもはや、自分がルートに抱いている感情がどういうものかわからなくなっていた。とにかく、ルートを守りたいと思った。

 

 ルートは本人が思っている以上に差別され、虐げられてきた。『ひきかえ』は全くもって不平等な取り引きで、一方的な搾取であった。

 今のルートが、その事実に耐えられるとは思えない。いつか真実を伝えるとしても、それまではクラレオたちがルートを守らなくてはならない。


「ありがとうございます……」


 ひとしきり泣くと、ルートの身体から力が抜けた。驚いてクラレオが身体を支えると、ルートは泣き疲れて寝てしまったようであった。無邪気な寝顔に、クラレオは微笑みを漏らした。

 

 クラレオは人を呼び、ルートを部屋で休ませるよう取り計らった。入れ替わりにバルダンがやってきて、父シスモンドのところに行くよう、クラレオに促した。3人で今後を話し合い、相談が終わる頃には、夜はもう、すっかり深くなっていた。


 クラレオは、シスモンドの部屋を辞すると、自分の部屋までバルダンと連れだって歩いた。クラレオは前を向いたまま、バルダンに声をかけた。


「ねえ、バルダン。私はルートには幸せになってほしいと思うんだ。おかしいかな?」

「……いえ、そうは思いません」

「あの子は、不思議な子だ」

「そうでございますね。城の者にも、すっかり愛されております」

「バルダン、私たちはルートを守ろう。あの子が自分の足で立てるようになるまで」

「……承知いたしました」


 部屋に着くと、バルダンは礼をして去った。クラレオは中に入ると窓を開け、山の方を眺めた。外に広がる夜の中に、うっすらとした輪郭だけが浮かんでいた。

 数々の秘密を抱えたその山は、クラレオにとってはまだまだ遠くにあった。冷えた空気が流れ込むのを感じ、クラレオは窓を閉じた。それから寝所に入ると、ふとルートがいるであろう部屋の方へと顔を向けた。


(おやすみ。安心して眠るんだよ)


 クラレオは、心の中でルートに語りかけると、深く息をついた。胸に湧く言い表しがたい感情を抑えつけるように、クラレオは目を閉じ、横になった。



ここまでお読みいただいてありがとうございます。次のお話も、引き続き楽しんでいただければ幸いです。

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