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僕は今日は城下町の様子を見に行くことにした。癖は簡単には直らずすでに目は冴えてしまっている。お日様がかくれんぼをしている朝焼け前の街頭をガラスから眺めた。昨日の疲れからかランは布団を抱き込んで熟睡している。
「あー・まぁ・とぉおー…………んにゃ……」
「ラン、寝ててね。行ってきます」
僕は静かに窓ガラスを開けると頬を微風に舐められた。
ランに感化されたのかもしれない。“王都”というこの着飾っただけの化け物が常に僕の首を狙っているようにも感じた。目には見えない闇が人の世には常に潜んでいる。
今は心地よい気がしない。魔の風が緩やかに立ちこめるのを即座に閉め出し、僕は“家”から飛び去った。歩術を駆使して衝撃を和らげれば跫音はほとんどの鳴らない。
これもまた“神林で身につけた技術”だ。
城下町は生活の闇を隠す化ケの皮さえも施されてないのかもしれない。
実際の光景をその目に焼き付ける覚悟のもと、“竜の軍服”の襟を仕立てた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
城下町へと向かう〈ユグドラ〉の一本道には、白銀のつややかな髪を一つに纏めうなじを露わにした一人の女剣士の姿。
黒のタンクトップ一枚で重量の増したおもりの付与した棍棒を素振りしている。下にはカーキのミリタリーパンツをはいて“軍服”であろう羽織りを腰に巻き付けていた。
白の上質で無駄な筋肉のない透き通る腕から鎖骨、胸の膨らみまで耽美な流線にタンクトップが張り付いている。
それほどまでに、爽やかに汗を滴らせながら、研ぎ澄まされた一刀を何度も振りきっていた。
「朝から精が出るね」
「おやっ! アマトかぁ。アマトも朝が早いようで」
明朝から朝稽古に努めるリリィであった。
「リリィは〈ユグドラ〉の寮で過ごしているの?」
「そうね。設備はすべて整った立派な個室。“大鷲の将官”以上は個室をもらえるらしいわ。私の他に三人の個室があるのだけど…………。他の“将官”はほとんど寮にいないみたい」
「完全に自由なんだね」
「そうらしいわ。最初、荷物を置いたっきりの人もいるみたい」
リリィはお手軽サイズのボトルに入った水をグッとあおると、タオルでその体表の水分をはじき出した。もっちりとした柔肌がピチピチと輝いている。
「アマトも素振りしてみる?」
ランは持ち手を逆さにすると、微笑みを浮かべて、僕にその棍棒を差し出してきた。
「いいよ。僕は…………。――剣なんて持つことないだろうし」
「でも武器を持ってないのって、“肩章持ち”でアマトだけよ」
「えっと…………、例えば、ラグナさんは?」
僕の想像上一番、武器が似合わそうな“人間”をあげてみた。
「あの人は“オールラウンダー”。『無技の魔王』なだけ合って、“万物の指輪”を付けてるわ」
「――“万物の指輪”?」
「私の“宝剣ジャンヌ・ダルク”のように、英雄のほとんどは並みの人間には扱えない“武具”を所有しているの」
「ラグナさんはその“指輪”を?」
「大将は普段、そういった類いを持ち歩いてないらしいけど………………。タダでさえ化け物の“大将”が“その力”を使えば国の一つは落ちるでしょうね」
それが“大将の仮定”として、リリィがその“武具”の力を全開したとすれば……、
「自力が届かなくても、“武具”次第では“大将”に勝てる?」
「――可能性は十分にあるわ」
「僕はあんまり好きじゃないなぁ。そういう“借り物”の強さ」
「“武具”は立派な己の一部として磨いた者にしか扱えない」
ずっと感じていた――残り香。その力の根源のおそらくは“上位種族”の遺産。人間の掘り出し物は今や上位種族の戦争を再来させるほどに高まりを見せるかもしれない。
“師匠”から力は遣い用だと教わった。現に師匠はその力で神林を守り、雲海のさらに上に生命の安住を創って見せたのだから。
――しかし、今の人間にはその力を誇示のために使用する様しか想像できなかった。
「ところでアマトは何の任務かしら?」
「僕には任務がないらしくて」
「ふーん。じゃあ、どこに行こうとしていたの?」
「城下町への散歩かな」
「私は今日は城下町の“見回りと視察”が任務があるの。良ければ、エスコートしてもらっても?」
リリィは汗を拭き取ると“大狼の軍服”を着用して纏めたボニーテールを解いた。銀髪が美しくはだけると例の宝刀を二刀を帯刀して僕に向き直った。
「軍服のお嬢様のエスコートかぁ。僕では力足らずかもしれないけれど、僕なんかでよろしければ」
「では、おねがいするわ」
※※※※※※
僕らが城下町に到着する頃にはすでに朝日は昇っていて、ぼちぼちとお店が開店している。僕らと眼が合う国民の全員が僕らに敬意を示して会釈。人によっては深々とお辞儀をする。よほど、帝国兵が恐いのか初対面でも“軍服”には礼儀を尽くす。
それが城下町の掟なのだと思う。
「リリィの具体的な今日の目的って?」
「いざ内地戦になった時のために、地形を把握しておくことよ」
「それは“視察”って言葉だね。じゃあ、見回りっていうのは――――?」
『君、看板娘なんだっけ? 店のためにもさぁ、脱いだ方が人集まると思うんだよねぇ』
『ライバル店とはここが違うって、リップサービスは重要だろ?』
「兵士様っ! どうかやめてくださいっ」
『わかった。君が脱いだら今日はちゃんとお代を払おうかなぁ』
『働いた分だけ払うのが商売ってもんだよなぁ』
「そっ、そんなぁ」
店裏から強情な威勢と悲鳴交じりの甲高い女の子の声が聞こえてくる。やはり、城下町では包み隠すことをしらない。こんな横道で公に軍服が恐喝をしていて、それを止める“人間”は誰一人としていないのだ。
軍服を着た青年ども三人が一人の町娘をよって集って汚らわしい。
娘の見た目も下着にまで脱がされていて、嫌がっていても娘本人も抵抗していない。抵抗すればそれは帝国兵への反乱と取られて、自ら脱げば淫らで卑猥な女であると取られかねない。
半裸で涙目になってまで我慢するそのたくましさには店を守り抜いて生き抜こうとする覚悟を感じた。
「――何をしている?」
僕の背筋には悪寒が走った。僕の隣では冷酷な眼光を放ち腐った兵士――痴漢を射抜く英雄”の精気。リリィが静かに近づいていった。リリィと兵士連中、身長は変わらずともリリィは女性、故に細身である。晒されている町娘と変わらぬ人種。
というのに、男達は狼狽えて態度を一変した。
『こっ、これはっ! リリーナ少将様がいかがご用でコチラに』
『見苦しい物を見せてしまい申し訳ございません』
『男の上官であれば、お譲りもののリリーナ様にそういったご趣味もないとお見受けして……』
「民のために剣を持ち、王のために命を張る。それが兵士の役目だと習わなかったか?」
『ここにいる“無地の軍服ども”は〈ユグドラ〉にも立ち入ることの出来ない“有志”で募集された兵団でして…………』
『そういう教えは頂戴してなくてですね…………』
「開き直るつもりか?」
『少しくらい、優遇されてもいいんじゃないかなぁと思ってまして……』
「そうか。では今すぐ軍服を脱げ。それを着る資格はない。特別に〈ユグドラ〉に入れてやる。“拘置所”行きだがな」
『どうせ、捕まるならっ。白銀の美少女も一糸まとわない恥ずかしい姿を拝んでやる』
『“女”が“男”に刃向かったことに後悔しろ』
『あとで懇願しても、一生、性奴隷にしてやるからな』
「――剣士としては、私も男に生まれたかったわ。女性というだけで手抜きされるから。だが仮にも、男に生まれたとて貴様らのような“獣”とは意見が合うことはない」
男三人は即座に抜刀する。それに対してリリィは剣を抜くことさえもしない。
剣が汚れることを嫌ったのだと僕は意を汲んだ。それに剣を抜くまでもない相手だ。
――一人目。
リリィは一人の男の抜刀を掌底で柄を抑え、顎に肘打ち。
男は即座に意識を飛ばし、直立を維持することも出来ず、無力に野垂れ堕ちた。
『化け物がっ!!』
化け物なんて響きは久しぶりに聞いた。英雄に敵対した連中は天地の差に皆、そう嘆く。
――二人目。
水平斬りの一刀。
練度の低いマヌケ兵士の一刀など当たったとしても骨まで断つなど、不可能だろう。
リリィは一線を飛び越え、飛び回し蹴りの一蹴。胸に喰らった男の身体は軽く浮いて、壁に激突する。
「――かはぁっ。せぇっ……せぇっ……」
肺に空気を送り込めない呼吸不全の状態に陥る。へこんだ壁からずり落ちて尻はすでに地に落ちている。せめてもの情けかリリィが頬に追加の蹴りを渡すと静かに眠った。
――三人目。最後の一人。
「うわぁああああ!」
腰が引けた状態で上段から構えた。これで人を殺そうなど冗談にもほどがある。
踏み込みと言うより突進。脚捌きもおぼつかない太刀筋は剣士の風上にも置けない。
――縦への一文字。
――バシッ
リリィは綺麗に刀身を掴み取った。華奢で綺麗なたった二本指で男の剣術の限りを押さえ込んだ。体術さえも一級品。リリィは剣の次に一歩踏み寄ると男の持ち手を捕らえる。
鮮やかで強かな柔術が蹂躙する。“男”が“女”の力に浮くとそのまま地に落とされ、関節を極められる。
――言葉通り朝飯前に過ぎない。
兵士達からしたらこんなに朝早くから“肩章持ち”と遭遇したことが“運の尽き”だ。
リリィは場を制圧すると町娘に真摯に向き直った。
「本当にごめんなさい。これは上官の眼が行き届かなかった私のミスだわ」
リリィは“大狼の軍服”脱ぐと半裸姿の町娘に羽織らせた。今ではリリィの黒のタンクトップ姿が城下町で一番魅力的なことに違いないのだけど…………。
「リリーナ様、ありがとうございます!」
「あなたみたいな方に来て頂けて良かった」「感謝の限りです」「あなたになら、いつご飯をサービスしても良い」
リリィは民衆の心をしっかりと掴んで、帝国の正義を見せつけたのだ。
「――“帝国の兵”として、当然のことをしたまでですので」
下手に出るリリィだが、少なからず僕には言いたいことが溜まった。
それはリリィも同じだろう。脚光を浴びるリリィと影に潜みただ観察を続けた僕の視線がリリィと火花を上げていた。
「アマト、なんであなたは助けに入らなかったの?」
「――人の眼が恐かったから」
どうも僕の身体は注目に弱い。らしい警戒心が高すぎるのかもしれないが人の呼吸、視線ひとつひとつに敏感な僕には慣れるまで硬直は解けないみたいだ。
「でも、アマトの耳ならもっと早く気づいていた。それでも動かないのはどうなのかしら?」
今のリリィは僕に冷たく当たる。同期として伝えたい言葉があるのはお互いにあるのかもしれなかった。僕も負けじとリリィへと一言投げかけた。
「リリィの“見回り”の任務が少し分かった気がする。この帝国が何十年も侵入を許していないのに内地戦を警戒する理由。それは――――国民の反旗を翻す行為。“謀叛”の抑制のためなんじゃないの?」
「この国を良くするために王命を受けただけよ」
リリィはどうしても考えようとしない。リリィなら考えるまでもなく理解しているはずなのに…………。
「“帝国の兵”の愚行を“帝国の兵”が尻拭いをして崇められる。そんなことしてもまた“帝国の兵”が良い顔をして愚行を繰り返す。そうでしょ?」
「その尻拭い。――助けにも入れなかったアマトに言われることじゃないわ」
突きつけられるその視線に臓器の一つや二つ飛び出そうだ。僕の防御力のごく僅かな小心。今、殺し合いが起きれば僕は再び、“あの定期訓練”のようにただその身に攻撃を受け付けるだろう。
「僕は“帝国の兵”にも“王族”にも良い印象がなくなった。リリィはそんな人たちと同族じゃないって信じているんだよ」
「あなたみたいな、臆病者が“帝国の兵”になれたつもりにならないでっ!」
リリィの怒りは僕の頭を必要以上に反響する。
「……………………っ。恐い……」
「“竜”を与えられたアマトと私の立場は違うわ。私は王の指示を信じて動くことしか出来ない。手を染めるのはいつだって兵士なのよ」
自らを血で汚してまで護りたい理想郷が今の帝国で良いとは僕は思わない。
「…………僕はリリィには“リリィ”でいて欲しい。“位”とか“所属”とか関係ないよ。あの娘を救ったのは“帝国の兵”じゃなくて“リリィ”だけなんだよ」
「――だったら、私が“帝国の兵”を根っこから変えてみせるっ!」
「…………じゃあ、もし今日、恐喝していたのが王族だったら………………」
「………………っ!?」
「――止めることは出来た?」
「………………」
「…………君のやり方では限界があるんだ」
「“ジルヴェランド家”としての、王に仕える名家の“使命”なの。田舎者のあなたにとやかく言われる筋合いはないわっ!!」
「…………もし王にリリィ。君の身体が欲しいって言われたら君は従うのかい?」
「……………………ごめんなさいっ。熱くなりすぎたみたいね。今日のことは忘れて………………。また“ちょっと世間知らずで面白いアマト”とのお話を楽しみにしておくわ」
それは無理だよ、リリィ。
僕はこの少なくとも帝国のを知ってしまったんだ。
アマトが止めるとバカにされる。
リリィはさみしそうに無言で去って行った。核心につかれた逆上が僕の心を突き刺して。本当は気付いているのだろう。リリィの頬が紅潮しているのを初めて見た。